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哲学というとなにやら難しいイメージがあります。
そもそも哲学というのはどういう学問で、その目的とは何でしょうか?
人は何のために生きるのかとか、どう生きるべきかなどと探るのが哲学でしょうか?
それとも自分が存在する理由を見つけ出すのが目的なのでしょうか?
何かの真実を見つけ出すものでしょうか?
宗教との決定的な違いは何でしょうか?

哲学は、科学的なものですか?
物理学などの思考実験との違いは何でしょうか?
哲学者は、統合された哲学ともいうべき「究極の哲学」を目指しているのでしょうか?
それとも宗教の宗派の違いのように、全く別々の流派に分かれているのでしょうか?

また宗教って楽しい学問ですか?
初心者にもわかりやすい入門書などあれば教えてください。
ちなみに哲学というと西洋のイメージが強いですが、日本の歴史のなかで哲学と呼ばれるものをはじめた人はだれでしょうか?

いろいろ質問してすみません。哲学について何でもいいですから教えてください。
よろしくお願いします。

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A 回答 (7件)

>哲学というとなにやら難しいイメージがあります。


深淵な課題なら、難しいですよね理解って。
「人間ってなんぞや?」ということになったら
観念と思考の輪廻世界に迷い込み、ノイローゼになるかもしれません。

>何かの真実を見つけ出すものでしょうか?
僕は、答えは出せないと想っています。
全部、発展途上にあると想います。
ある、哲学を基盤に、さらに、時々の変化を加えたり
また、是正したり、ある人の作品にたいしてのアンチテーゼであったりの繰り返しだと想う。
真理を見極める為に。

>宗教との決定的な違いは何でしょうか?
ボーダーレスでもあり違いもある。
宗教の基本は、「眼に見えない心の話し」
哲学の基本は、「現実世界の見方、考え方の提案」
では、ないかと想う。
宗教もひとくくりにしてしまえません。
大きく分けて、宗教とカルトはまず違います。
宗教の基本は「世のため人のため」にあるはずです。
カルトは、一人の考えに対してのシンパシーを集める所から始まります。
哲学の定義よりも、宗教の定義は難しい。
もし、宗教の教理(ドグマ)と哲学が似ているというのなら似ています。なぜなら、キリスト教であれば、イエス様のお考え(哲学)が教理な訳ですし、
仏教なら釈尊のお考え(哲学)が教理な訳ですし。
しかし、一部のカルト教団が、テロまがいな事をするケースもあり、「宗教なんて」と言う方が多いですね。

>また宗教って楽しい学問ですか?
初心者にもわかりやすい入門書などあれば教えてください。
宗教を学問とするケースがありますが
伝統のある宗教でしたら、実際に経験していかないと
解らないと想います。
密教でしたら特に。密とは、言葉に表せない、修行を体得したものでないと解らない世界と言う意味です。

天台や真言系でしたら、それなりの人に師事した方が良いです。口伝といって、文章ではなく、師から弟子に伝承するのが正当だからです。
そういう観点でしたら、宗教と哲学は似て非なるものですね。

>哲学は、科学的なものですか?
物理学などの思考実験との違いは何でしょうか?
東大教授に「あの世を信じますか?」と聴くと
実に半数の人が認めているそうです。
理由は「物理世界より精神世界は広いから」だそうです。
科学は、自然を宇宙を解明する証明する手段です。
哲学というのは、一言では言えません。
宇宙を論じたり、性を論じたり、生を論じたり、または自分の人生をかたったり、時には三位一体という宗教的なテーマに取り組んだり、ユリシーズのように、当たり前の人生をメタファーとウィットで読ませる文学的表現手法で残したりとするので、哲学という二文字をなんですか?と言うのは、回答するには、この投稿では書き切れません。ゴメンナサイ。
ですから、体系をつくれば、流派はあるとも言える。しかし、パーソナルな考えとも言える。

自分が自分と認識するには、大変多くの情報が必要です。情報の咀嚼をし消化して認識する際に、
自分我を獲得するのですから、哲学もその情報の一つに過ぎません。と想うのですが?
ですから、宗教にしかり、哲学にしかり咀嚼の仕方一つで、薬にもなれば毒ともなすものだと想います。

哲学?と言う疑問は、そうした多くの情報の咀嚼の中で、ご自身が獲得し、理解をしてゆく物です。

以上が僕の回答です。
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>そもそも哲学というのはどういう学問で



哲学は、認識論、存在論、人生論の総称です。

>宗教との決定的な違いは何でしょうか?

 宗教は、バイブルにしろ、教祖様の
教えにしろ、とにかく何かを信じるという
ことで共通しています。つまり「信仰」が基本です。

 哲学は、人間の「理性」を基本として
本質は何なのか考えていくものです。
 
 ただ同じ人間がやることなので、
哲学の世界でも、誰々がこういって
いるといった、他人の言葉を信じる
場面があるので、宗教と区別が
つきにくい点があると思いますが、
これは変わらぬ真実だなどとは信じない
のが哲学です。

>哲学は、科学的なものですか?

 哲学の項目に、フィジックス、
メタ・フィジックスというのがあります。
これらは同じ系列の続編なわけです。
 しかし、日本語では、フィジックスは
物理学と訳され科学の一部という扱いを
されていて、メタ・フィジックスは
形而上学と訳され西洋哲学の1つと
されています。
 日本人が勝手にわけてしまっただけです。

 ですから欧米では今でも、物理の
ような日本では理系とされ、哲学とは
別もののように扱われる分野でも
取得する博士号の名称は哲学博士と
なります。
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一部のみ。




他の方も言うように 哲学はあらゆる学問を総括したようなもので、人間の知恵への探究心から成り立つものだと思います。


私は この世のパズルを解くため って感じです。
誰でも人間であればやっていることだと思います。
「わたしはやっていない」と言う人は、自分がやっていることに気づかないだけだと思います。


先日買った本で『記憶を書きかえるー多重人格と心のメカニズム』
これに『宗教をすることは、アイデンティティーを確立する作業である』みたいなこと書いてありました。
なるほど、確かにそうかも。
では哲学とどう違うのか?
宗教も哲学に含有されるので、宗教だけやっていてはいづれどんづまりになりそう。
囲ってしまうとすぐに壁にぶち当たりもがき苦しみそう。
しかし、神が最後には救ってくれるとう確信を持つことで、壁を越え向こうの世界を見ることを考えないかも。


哲学の入門書は他の人も言うように『ソフィーの世界』が物語形式でわかりやすいかも。
私が持っている唯一の哲学書の本がこれです。
映画にもなったようなので、ビデオ屋で借りてもいいかも。
(ビデオの方は失敗作だと言われていますが、、、、概要はつかめるかも。)


哲学本って哲学用語が頻繁に出てきて、語彙を知らないと、言っている意味がわからず、催眠作用のある本にしかなりませんから ^o^;
だからわたしは買わない。
興味があったら、もっとわかりやすく書いてないかネットで調べています。


哲学ってとっかかりは何でもいいと思います。
この世とは~ なんてドデカイ事をターゲットにしたら、どこから入っていいのかわかりませんし。


私は人を観察するのが好きなので、最近『多重人格と心のメカニズム』なんて本を買ってしまうのですが、結構ためになりました。
この本には過去に功績を残した精神医学者たちの名前も載っていますが、やたらに哲学者の名前も引用して解説しているんです。
多重人格者の心を哲学で解明できるのか? 心理学と医学だろう って思えるのですが、実に効果的に引き合いに出されているんです。

そして訳者のあとがきに、原書を書いたイアン・ハッキングは哲学者だと書いてあって、ああああって謎が解けました。

多重人格が起こる原因を心理学者でも医学者でもよくわからなかったのに、哲学者のハッキングがそのシステムをある程度解明しちゃった。

あくまで仮説ですが、かなり有力な仮説だと思えました。


恐らく、アメリカの法曹界で決着する前に書かれた本だと思うので、この哲学者が分析した事は正しかったのではないかと思えます。
後は歴史の通り彼の仮説を立証するようなことがアメリカで起こり、法曹界で決着がつき、記憶戦争は終結を迎えた。


多重人格者は「子どもの頃の性的虐待によって誘発される」が当たり前でしたが、「意義あり!」と当たり前を当たり前だとしなかった人によって解決したようです。
つまり哲学が効果的に社会に働きかけたできごと。

哲学は当たり前と思われてきたことに「どうして?」って疑問を持つことからスタートするので。
だから疑うということは大切な作業だと思います。
疑うことで、さらに当たり前の当たり前たる所以がわかることもあれば、当たり前が間違いであるとわかる場合もある。

だから哲学者はあえて「何も知らないから教えてください」って言って、人が当たり前と思う理由を言わせて、その矛盾点を考察し発見をするんだと思います。
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哲学とは洞察すること、つまり物事の本質を掴むことなんじゃないかな、と思います。



目的があるとしたら、世の中の黄金律を編み出すことにあるのかな、と思います。

宗教との違いは、その答えが用意されているかいないかの違いではないでしょうか。

科学的なものかどうかわかりませんが、論理的なものだと思います。
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辞書的にいえば哲学とは「世界や人間についての知恵・原理を探究する学問。

もと臆見や迷妄を超えた真理認識の学問一般をさしたが、次第に個別諸科学が独立し、通常これらと区別される。存在論(形而上学)、認識論(論理学)、実践論(倫理学)、感性論(美学)などの部門をもつ。(大辞林より)」となりますが、元はギリシャ語のphilosophiaを翻訳した語で、「知恵への愛、知恵への希求」を意味するそうです。

つまり、学問である前に、まず「知を求める人間の本能のようなもの」だと思うのです。

>宗教との決定的な違いは何でしょうか?
宗教の中でも、例えばキリスト教から見ると「仏教はほとんど哲学」なのだそうです。実際(少なくとも私が思うに)、仏教の考え方は現代思想における構造主義に非常に近いものがあります。そういう意味において、仏教の教えは私にとって興味深いし、非常に共感するのですが、仏教には教えに基づいた宗教的実践(即ち修行)が伴うのですよね。私にとって宗教は、この「実践を伴う」ことが哲学と決定的に違う、ハードルとなる部分です。まあ、一度「座禅」体験ぐらいはしてもイイかな?と思っていますが。

一方、西洋哲学、特に形而上学は、キリスト教とは分かち難い関係にあるというか、キリスト教理解がないと形而上学は分からない部分があると思います。というか、形而上学や幾何学は、一神教文化圏だからこそ発達したのだと思います。
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こんにちわ。



哲学≧科学 ですね。

科学とは世の中を細分化して、それぞれを個別に研究していますよね。
哲学はその科学の統合です。

つまり、哲学とは世の中の成り立ちを考えることであり、科学とはその証明手法ですね。

そして、元々は「哲学」「科学」と言う区別はなく、すべて「哲学」でした。

学問・研究対象が細分化するにしたがって「哲学」と「科学」の乖離が進みました。

(「宗教=哲学」、「キリスト教・イスラム教・仏教などなど=科学」って構図に置き換えてみたら分かりやすいかもしれませんね。実際は、哲学≧宗教ですが。)

お薦めの入門書は下記参照。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1362619
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“ソフィーの世界”という本を読んでみてください。

哲学の本当に初級者の為の本だと思います。

小説仕立てになっていて、終わり方はちょっと尻つぼみですけど、何千年も昔の古代の人たちが今の私達、もしくはそれ以上に物事について真剣に想いをはせていたのだと分かり、読んでいてある意味興奮し夢中になって読めると思います(少なくとも私はそうでした)。哲学を小学生の頃から教えてもらっていれば・・・と、この本を読んで思いました。

物事の考え方、可能性、未知のものに対する興味を論理的に証明しようとする作業は一見難しいようで、とても想像力のいる芸術的な技なのだと思います。

人間がいかに今の文化まで発展出来たのか、どういう思考が存在していたのか、「哲学を学ぶ事」=「人間の思考の歴史」を知る方法であり、それらを知る事は人間がより良いものへ進化するための義務なのではないか?・・・と個人的な見解ですがそう思ってます。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140802 …
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Q哲学を学ぶ意義とはなんですか?

現在、大学で哲学の授業を学んでいます。

しかし、その授業を学ぶに当たって、
なぜ、哲学を学ぶのか、また、
哲学を学ぶことで得られるものは何かということを
考えるようになりました。

哲学を学ばれている皆さんは、なぜ、哲学を学ぶのでしょうか?
哲学を学ぶことに対して、何を求めているのでしょうか?
出来るだけ詳しく、そしてたくさん書いていただけると
とても参考になります。

Aベストアンサー

>哲学を学ばれている皆さんは、なぜ、哲学を学ぶのでしょうか?
>哲学を学ぶことに対して、何を求めているのでしょうか?
⇒2つの観点から申しあげます。「個人」と「人間・人類」との観点です。

(1)哲学の授業は多く哲学史に関わりますが、その目的の1つは、先哲たちがどのように「知を愛したか」を伝えるためだと思います。ご存知のように哲学(philosophy)とは、文字通りには、「愛知」を表わす語ですね。すなわち、「哲学する」とは、「好奇心を持つ・知識や智恵を得たいと願う」ことですね。
では、それは何のためか、あるいは、何の効用があるか。一言で言えば、「生きるための英知を獲得すること」でしょうか。ヨーロッパの図書館などには Discendo liberior. と書いてありました。「学ぶことによってより自由に」といったような意味らしいです。つまり、学ばない状態では、人は多かれ少なかれ無知蒙昧・迷信・妄念・偏見…などにとらわれているが、「学ぶことによって、その桎梏を解き、自由になれる」ということなのだと思います。「哲学は、我々を迷信や妄念から解放してくれる」のです。

(2)かつて哲学は諸学問を1つに束ねて統合し、これに指針を与えるという役を果たしていました。そして、それは今日でも変わらないはずです。すなわち、現代の哲学は、極度に細分化し専門化した諸科学を統合し、これに指針を与える機能を持つ、少なくともその使命がある、と言えるでしょう。この高度に文明化した現代にあっては、とりわけ尖端技術など「地球生命を左右するような科学を束ねて、今後に向けての当為を示す」という重大な使命を哲学は負っている、とそう思います。環境汚染の解決や異民族間の争いの収束を模索するとき、人間にとっての「本当の幸福」を考えるとき、そして、人類の未来を思うとき、哲学は最も重要で、最も頼りになる(ならねばならない)、学問なのだ、と言い得るのではないでしょうか。

>哲学を学ばれている皆さんは、なぜ、哲学を学ぶのでしょうか?
>哲学を学ぶことに対して、何を求めているのでしょうか?
⇒2つの観点から申しあげます。「個人」と「人間・人類」との観点です。

(1)哲学の授業は多く哲学史に関わりますが、その目的の1つは、先哲たちがどのように「知を愛したか」を伝えるためだと思います。ご存知のように哲学(philosophy)とは、文字通りには、「愛知」を表わす語ですね。すなわち、「哲学する」とは、「好奇心を持つ・知識や智恵を得たいと願う」ことですね。
では、...続きを読む

Q個人的に哲学を学ぶにはどうしたらよいか

 哲学とか心理学に興味があるので、その手の本は沢山持っていますが、学び方が良く分かりません。大学で学ぶ人間はどのように学んでいるんでしょうか?普通は何からはじめればよいのでしょうか?

 知人が哲学の大学(通信制)に7年行っているので、話しを聞いたら"最初から学ばないと今の哲学が分からない"と言われました。哲学が発展してきた歴史をすべて頭の中に網羅していけということでしょうか?
 2チャンネルなどの哲学の掲示板に行っても、わけのわかない論争を繰り広げられていて…哲学書を読んだことの自慢みたいのが飛び交っていますが、たとえば私の質問を見てくれた、哲学者(?)の貴方は、哲学の書をやっぱり沢山読んでいるんですか?

 私は文章を書くのが好きなので、哲学的な考え方ができれば創作に役に立ちそうだなと思って、哲学を意識しておりますが、これまでの哲学を振り返っていたら、仕事も手につかなくなり、寿命が来てしまいそうです。
 また、生半可な知識だと訓話にもならず、似非哲学になってしまいます。哲学が何も見えないんですけど、何をしたらいいと思いますか?アドバイスをお願いします。

 哲学とか心理学に興味があるので、その手の本は沢山持っていますが、学び方が良く分かりません。大学で学ぶ人間はどのように学んでいるんでしょうか?普通は何からはじめればよいのでしょうか?

 知人が哲学の大学(通信制)に7年行っているので、話しを聞いたら"最初から学ばないと今の哲学が分からない"と言われました。哲学が発展してきた歴史をすべて頭の中に網羅していけということでしょうか?
 2チャンネルなどの哲学の掲示板に行っても、わけのわかない論争を繰り広げられていて…哲学書を読んだこと...続きを読む

Aベストアンサー

大学で哲学を学ぶ人間は
先哲の思考の跡を辿りながら自己の思考を鍛えるわけですが,
当然のことながら哲学書は原著で読みます。
アリストテレスを読むなら古代ギリシア語,
ナーガセーナならパーリ語,フッサールならドイツ語です。
しかも,ひとくちに原著と言っても
版による違いや編集者による違いがあったり,
ときには偽書なんてものもあるので,
テキスト・クリティーク(文献批判)と呼ばれる手続きを踏むことが要求されます。

一方,大学で心理学を学ぶ人間は
実験,観察,調査,面接といった実証的研究法を叩き込まれます。
データ解析のために統計学や情報処理の知識も必須です。
心理学は実証科学として哲学から分離独立した学問ですので当然のことです。
思弁的論考だけの卒論では卒業させてもらえません。

哲学や心理学で飯を喰おうというのであれば
上記のようなトレーニングが要求されますが,
そうでないのなら
まずは哲学史や心理学史の流れを頭に入れることから始められてはいかがでしょう。
独学者にありがちな独善的な思い込みに陥らないためにも,
学問の歴史的全体を俯瞰して
大まかな見取り図を頭の中に描いておくことは大切だと思います。

手ごろなものとして,こんな本はどうですか。

池田晶子(著)
『考える人―口伝西洋哲学史』 中公文庫

木田元(著)
『反哲学史』 講談社学術文庫

大学で哲学を学ぶ人間は
先哲の思考の跡を辿りながら自己の思考を鍛えるわけですが,
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一方,大学で心理学を学ぶ人間は
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Q人間は考える葦である とは?

ふと頭をよぎったのですが、、
「人間は考える葦である」とはどういう意味なのでしょう? また誰の言葉なのでしょう? 簡単な質問ですみません。 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
  
  残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。
  
  それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。
  
  これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
  
  少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。
  
  この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む

Q「考えること」と「哲学すること」の違い

「考える」と「哲学する」とは違うものでしょうか。同じものでしょうか。
違うとすると、何か「哲学すること」に固有の技法、頭の使い方があるのでしょうか。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

[わたしが「在るとはなにか?」と考えたとき、私の出す答えは「在るとは、、在るってことだ」というような具合で、思考が進みません。
これ「我思う、ゆえに我あり」程度ですよね。ギリシャの時代も今も変化なしですね。これ哲学でも何でもないですね。こんなの学んでも意味無いということです。たとえば、
一茶の句:かえるの子そこのけそこのけお馬が通る。程度のものですね。言葉遊びでしかないですね。たとえば、
芭蕉の句:荒海や佐渡によこたう天の川 、これが哲学ですね。
これほどの差異があるものですね。註:天の川が北極星ですね。
「「哲学する」にはなにか固有のコツや方法があるのでは、
ということですが」 「ありますね」
そのひとつはあなたの持っている知識や常識をすべて白紙に戻して再度論理的に考えてみる方法ですね。これは何故・何故という方法ではないですよ。まず頭の中をすべて見直して納得できるものと納得できないものを分類し、納得できるものについて更に何を根拠に納得したかを見直すのです。その根拠を白紙に戻し、それを繰り返す方法ですね。納得できないものについては書を読み根拠を探すのですね。その中で納得できるものがあれば、同じ過程で見直します。
このようにしてあなたの頭の中の金歯を捜すのですね。一個もないときはすべて捨てて学びなおしですね。やってみればわかりますが殆どがごみ知識ですね。ごみ知識をふるいにかける過程を「哲学する」といってもいいですね。
追加の参考まで

[わたしが「在るとはなにか?」と考えたとき、私の出す答えは「在るとは、、在るってことだ」というような具合で、思考が進みません。
これ「我思う、ゆえに我あり」程度ですよね。ギリシャの時代も今も変化なしですね。これ哲学でも何でもないですね。こんなの学んでも意味無いということです。たとえば、
一茶の句:かえるの子そこのけそこのけお馬が通る。程度のものですね。言葉遊びでしかないですね。たとえば、
芭蕉の句:荒海や佐渡によこたう天の川 、これが哲学ですね。
これほどの差異があるもので...続きを読む

Q哲学科で勉強することって???

高校を卒業したら大学に進学しようと思っている高校2年生です☆☆
どの学部に進学しようか迷っているときに、哲学科がある大学があることを知りました。
哲学に興味があったので、そういう学科で勉強したらおもしろいんじゃないかなって思ったんです。
でも、哲学科という学科があるということを知っているだけで、どういうことを勉強しているのかを全く知りません。
そこで!!哲学科に通う学生さん、もしくは哲学科で何を勉強するのかを知っている人はぜひ教えてください!!!!
自分でも大学のパンフなどで調べたのですが、より詳しい情報とかもお願いします!!

Aベストアンサー

おはようございます。
私は哲学科を卒業した者です。
皆さんが言われているとうりです。
大学によりますし、また、講師によってもかなり違ってきます。
つまり、高校までの授業とは違い、大学になると学ぶ分野が細分化されて、
学生が自分で学びたい科目を選択してゆくことになります。とくに3・4年ではそれが顕著になってきます。
教授たち自信、自分が研究している分野があって、その分野に強いわけですから、その分野のことを講義してきます。
もちろん人によりけりで、一般的なことを話す講師もいれば、専門的なことを
話す講師もいます。

ですので私が大学に進学するときには、自分の学びたい教授のいる大学に進むものがいました。

一口に哲学といっても意味合いが広すぎます。
それは古代ギリシアの自然哲学者たちが「なぜ」と考えること自信を学問とし、
その考えることを「知を愛する」ことである「philosophy」と名づけました。
その思考することである学問から、数学や音楽、天文学などが生まれ、哲学は
「万学の女王」と呼ばれています。

しかし、現在、哲学も細分化され、皆さんの言われている分野が主な研究対象となっています。
形而上学や、科学哲学といっても、一般の人には全然ぴんと来ないでしょう。
ここでそれを語ろうとすると、はっきり言ってきりがありません。
哲学とは定義づけすることの難しい学問ですから、その領域もとても広いのです。
また幾多の哲学者もさまざまな謎を出し、疑問に答え、論理を導き出しています。
その考えを知るだけで、途方もない時間が必要です。

抽象的なことばっかり言っていますが、これが「哲学とは何か」に対する答えだと思ってください。
しかし、あまり漠然とした答えでは何の参考ともなりませんので、さわりを少しだけ。


この世になぜものが存在するのか、そしてそのことを人間はなぜ認識するのか、どうやって認識しているのか。
また、目に見えないもの(神・真理・無限・絶対・永遠)は存在するのか。
有と無の関係。世界はどういう原理で作られているのか。 
そして、人はなぜ生まれてきたのか、どうやって生きていくべきなのか。


と、大雑把ではありますが、こういうことを考える学問です。
以上のものは主に古代哲学からの疑問ですが、現代では、
論理学や科学、数学なども絡み、さらに難解です!
その論文などは日本語で書かれていても、とても日本語とは思えません。
はっきり言って、実際学ばないとわからないと思います。
明確な答えが出ない物事を、真剣に思考するという、恐ろしい学問です。

1・2年の一般教育では、主に「哲学史」「哲学者の考え」を聞くこととなるでしょう。
そして、3・4年で、専門的な事を学び、自分の納得のいく答えを探すこととなります。


ただ、卒業したら社会の中、実生活では、正直役に立ちません。
ですので、#2さんの言われるとうり、変な人が多いのが特徴です。
もちろん普通の人もいますが、他の学科と比べてやっぱり・・・

よく哲学は「ごみの山」だと言われます。
ぜんぜん役に立つものはないのですが、その中に、ひょっとすると、
すごい宝があるのかもしれないと・・・

あなたは、哲学に興味がある時点で、かなり変わった人です。
ぜひ、そのまま哲学科へと進み、その生き方、考え方に磨きをかけてください!

まだ言いたいことは山ほどあるのですが、きりがありませんので、これくらいで。


最後に、哲学がいかに現実離れしているかの実例としてよく引き合いに出される
哲学の開祖タレスの2つの逸話で〆たいと思います。

「あるときタレスは天体観測のため空を見つめて歩き、熱中のあまり前方の井戸に気づかず落ちてしまった。この事件について、足元のこともわからないのに天のことばかり知りたがるのは滑稽だとトラキア人の女奴隷に笑われた。」

                        プラトン 『テアイトス』

「タレスが貧乏であったことから、世人が哲学などは生活に何の役にも立たないと
非難したところ、彼はその天文学の知識からその年のオリーブの豊作を察知し、
早いうちにミレトス中の搾油機を安く借り集め、時期が来て人々が必要としたとき
高く貸して大もうけした。」

                       アリストテレス  『政治学』  

おはようございます。
私は哲学科を卒業した者です。
皆さんが言われているとうりです。
大学によりますし、また、講師によってもかなり違ってきます。
つまり、高校までの授業とは違い、大学になると学ぶ分野が細分化されて、
学生が自分で学びたい科目を選択してゆくことになります。とくに3・4年ではそれが顕著になってきます。
教授たち自信、自分が研究している分野があって、その分野に強いわけですから、その分野のことを講義してきます。
もちろん人によりけりで、一般的なことを話す講師もいれ...続きを読む

Qなぜ役に立たない学問を学ぶのか?

ある哲学科の学生が就職の面接で人事の人に言われたことです。
「君は哲学を学んでいるようだけどなぜ哲学なんかを学ぶの?
そんな世の中の役に立たない学問を勉強するより、経済学や商学を勉 強するほうがよっぽど有益じゃないの?」
「哲学を勉強した人はライブドアの堀江みたいな人間になりそうな印象が強いから不安なんだよね。」
「社会にでたら哲学的な考えはまったく必要ないわけで、カントやデカルトにくわしい人より、簿記ができる人間がほしいわけなんだよ」
などなど延々と哲学批判されたらしいです。
圧迫面接できつめに言ったのかもしれませんが哲学を学んでいる人間を全否定しているわけですよね。どう言い返すのが賢いのでしょうか?
 

Aベストアンサー

「けだし、驚異することによって人間は哲学をはじめた」
(アリストテレス『形而上学』)
「驚異が哲学のはじめをなす。不思議のないところに学問の発展は期待できません」
(田中美知太郎著『古代哲学史』筑摩叢書)

私でしたら、たとえば、このようにこたえるでしょうか。。。

「君は哲学を学んでいるようだけどなぜ哲学なんかを学ぶの?
そんな世の中の役に立たない学問を勉強するより、経済学や商学を勉 強するほうがよっぽど有益じゃないの?」

私にとっては哲学を学ぶことが有益だからです。
全ての学問の基礎として哲学は最も学問らしい学問ですし、経済学であれ商学であれ、およそナントカ学と名づけられるものは哲学から派生し発展してきたといいます。その意味でも、世のなかの役に立たないどころか、役に立ってきているはずですし、限定された領域でなく幅広い視野を培えると考えたからです。

「社会にでたら哲学的な考えはまったく必要ないわけで、カントやデカルトにくわしい人より、簿記ができる人間がほしいわけなんだよ」

哲学とは辞書にもありますとおり世界・人生などの根本原理を追求する学問です。経験に基づく人生観や世界観を指すともあります。認識論にせよ論理学にせよ特に倫理学などは人間社会と密接に繋がるものではないでしょうか。また、物事を統一的に把握する理念ともあります。これらは企業や組織体にとって、たいへん重要なことではありませんか。
仕事に対しての哲学をもつ、人生哲学、といった例文も示されております。これらの例文をみましても世のなかや社会の役に立たない、全く必要ないとは逆であろうと思います。
カントやデカルトにくわしいことと簿記ができるかどうかは別問題で、簿記の知識や資格が必要であれば対処しますが、哲学史の知識を得たことが、そのための邪魔になるとは思いません。

「哲学を勉強した人はライブドアの堀江みたいな人間になりそうな印象が強いから不安なんだよね。」

堀江さんは堀江さん、私は私です。ステレオタイプなものの考えかたを哲学は最も排除するものです。そのような一面的で硬直した判断は、企業や組織体にとって致命的な結果をもたらすのではないでしょうか。

まぁ、ここまで言ってしまったら確かにマズイかも。面接担当者の心証を損ねてしまいそうですね。ですけど面接官は哲学徒を全否定していると決めつけることもないと思います。たとえ、そうであったとしても、自ら選択し、学んだ学問について説明するのは学徒としての誠実を問われることですし、恐らく面接官も、そのへんを試しているかもしれません。賢い言い返しかたなどと、小手先の方法にとらわれるのは、それこそ賢明と言えるでしょうか?
私が面接官でしたら、こういう質問に対してヘラヘラ煮え切らない態度をとる学生は、あまり好印象を持てないでしょう。ヘラヘラと柔軟性は違いますから。
「デモシカで哲学やってんのか?やっぱヤスイ学問なんだな」と思うでしょう。
あとは実際的な問題として入社してからの会社側の要望に対し、どれだけ前向きな姿勢をとる用意があるかのアピールが大事ということですね。
学問でも会社でも、そこに身を置いていることに対する誠実という態度は、変わりのないことだと思います。その態度が即ち生きた哲学、哲学を生きること、ヒマ人のための机上の空論としないことになると思います。

「けだし、驚異することによって人間は哲学をはじめた」
(アリストテレス『形而上学』)
「驚異が哲学のはじめをなす。不思議のないところに学問の発展は期待できません」
(田中美知太郎著『古代哲学史』筑摩叢書)

私でしたら、たとえば、このようにこたえるでしょうか。。。

「君は哲学を学んでいるようだけどなぜ哲学なんかを学ぶの?
そんな世の中の役に立たない学問を勉強するより、経済学や商学を勉 強するほうがよっぽど有益じゃないの?」

私にとっては哲学を学ぶことが有益だからです。
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Q急ぎです!哲学の授業の課題「真理とは何か?」について煮詰まってしまいました…!(>□<)ご意見ください!!

よろしくお願いします、哲学の授業の課題でかなり困っているのでご意見を頂けないでしょうか?(><)
授業で「真理とは何か?自分は真理をどう考えるか?」を考えて(哲学して)レポートにまとめよう!という課題です。レポートは2500字以上で、先生が求めているのは授業の確認(授業で習った真理説について改めてまとめるとか)ではなく私たちに「真理」について自分なりに考える事で「哲学」をして欲しいって事らしいです…(それが難しい!!)課題自体は私は結構面白そうだと思うし、2500字なのでなんとか書けるかな~と思ってたんですが・・・いざ書き始めるとどう展開して書いていけばいいのか全然分からなくて、まったく進められなくなってしまいました!!(>□<)もともと文章書くのは苦手ですし・・・
一応私が考えている「真理」は
・「真理」はあると思う、でも言葉で表すのは少し難しい
・真(本当の事、整合説とか)と「真理」は違うと思う
・存在の真理(ありのまま)説が一番近い気がする
という感じなのですが(大雑把でスイマセン・・・)、これをつまりどういうことか、とまとめていくのが難しくて…しかも「真理」の意味(?)について「でもこうとらえる事も出来るかなぁ・・・またこうも・・・」と考えてくとなんかキリがなくなっていっててなかなか結論を書けません!
どういう展開で書いていけば2500字分くらい論じられるのか・・・自分でもすごく考えたんですがなんか煮詰まってしまって質問させて頂きました・・・。どんな事でも良いので沢山ご意見頂ければ嬉しいです!よろしくお願いします!(><)

よろしくお願いします、哲学の授業の課題でかなり困っているのでご意見を頂けないでしょうか?(><)
授業で「真理とは何か?自分は真理をどう考えるか?」を考えて(哲学して)レポートにまとめよう!という課題です。レポートは2500字以上で、先生が求めているのは授業の確認(授業で習った真理説について改めてまとめるとか)ではなく私たちに「真理」について自分なりに考える事で「哲学」をして欲しいって事らしいです…(それが難しい!!)課題自体は私は結構面白そうだと思うし、2500字なのでなんと...続きを読む

Aベストアンサー

2500字も必要でしょうか?
私なら簡潔に一言書いて提出します。

「真理とは自然であると私は感じます。」

自然って?て聞かれたら口頭で説明しますがそれを書けといわれると、2500字じゃたりないかもw
じゃあもとい! もう少し補足しましょう。

「人間がそれを(真理)理解しようとしまいと、発見しようがしまいが
ずっとそこに在るもの。
つまり真理とは自然の法則がそれで、私たち個人のあり方によって形をその都度変えるようなものではなく、さりとて人間的な感情を持ち合わせるような類のものでもない。
人によっては真理という人もあれば、神と呼ぶ人もあり、その呼称は
信じる表現(宗教)によって様々である。
我こそ真理を見たり!!と叫ぶものあれば、あれは邪教だと誹る声もあり。しかしながら、真理とは異端の能力を持った人間のみに理解できるものではなく、また、それを信じる者と信じないものとを分け隔てるものでもない。
生きとし生けるもの、存在する全ての物に至るまで完全なる平等によって包むもの。
つまり真理である自然がそれである。
何人たりとも、またどんな僻地の些細な出来事においても自然の法則を逸脱して活動することはなく、完全なる数学的な正確さでもって絶え間なく営まれているのである。
完璧とはわれわれ人間が永久に到達し得ない概念としてある地点であるが、自然は完璧を備えている。
不完全である我々が、はたして完全を理解できるのであろうか?
自然が未だ神秘に包まれているのは、その所以だと私は思う。」

こんな感じ?

短いか^^;;

2500字も必要でしょうか?
私なら簡潔に一言書いて提出します。

「真理とは自然であると私は感じます。」

自然って?て聞かれたら口頭で説明しますがそれを書けといわれると、2500字じゃたりないかもw
じゃあもとい! もう少し補足しましょう。

「人間がそれを(真理)理解しようとしまいと、発見しようがしまいが
ずっとそこに在るもの。
つまり真理とは自然の法則がそれで、私たち個人のあり方によって形をその都度変えるようなものではなく、さりとて人間的な感情を持ち合わせるような類のもの...続きを読む

Q一夫多妻や一妻多夫が日本で認められてない理由ってなんですか?

一夫多妻や一妻多夫が日本で認められてない理由ってなんですか?


歴史的にみると昔は一夫多妻の制度はありましたが、今は普通にそのようなことを望む人はいないからですか?

Aベストアンサー

まずは一夫多妻の合理性を述べましょう。

一夫多妻は原始的な女性に対する福祉制度なのです。
女性に対する差別や従属的なものをまず初めに浮かべる方が多いのですがそうではありません。寧ろ逆なのです。
それが文化だから!と頭ごなししに言われても納得が行かない人はおおはず。それなりの現実性と合理性があります。

・一夫多妻を行う理由の一つとして「戦争」があります。
原始から、部族間の戦争で男達が死にました。
さらに狩での事故や獣に殺される危険もあります。

・二つ目は寿命が短かったこと
昔の平均年齢は二十歳を超えていません。多く生まれ多く死んでいくわけです。そして何時、病気にかかり夫が死んでもおかしくは無いわけです。
そんな世界では一生を共に添い遂げる可能性など寧ろ低いのです。


一人残された女性はどうなるでしょうか?差別や現金収入を得にくい環境で晒されながら子供を育て、働いていく人もいるかもしれませんが、飢え死にしたりする者も多かったのです。

一夫多妻制では、一人の有力な男に性関係と家事という労働と引き換えに養ってもらうことができます。

さらに女性にとって家事を分担できるため非常に楽です。
とても家事の巧い女性がいた時、第一夫人からの推薦で第ニ夫人、第三夫人を招き入れることもあるようです。



本題に入りましょうか。

日本のように明日の飯に困ることもなく、病原菌にあふれてもいない国で、
砂漠国家のように驚異的自然に囲まれており炎天下に放り出されれば間違いなく死ぬという事もない国
明日、獣に襲われたり、隣町との抗争に巻き込まれて死ぬ可能性のないよう文明が進んできた国々

そのような国では女性が一人でも生きていけるので男性に無理に付き従うことがなく、自然に権利も大きくなっていき一夫一妻になって行くわけです。

つまり現代日本では一夫多妻は
社会的に必要とされていないし合理性も無い。


一夫一妻の国々では未亡人を「キズモノ」とか「純潔が既に無い」とかそういう扱いになってしまいますね。残念なことに。


ちなみに日本は大昔は自然に恵まれ人口が500万人程度であれば田畑など耕さなくても野山に行き芋や山菜や果実をとって生きていけたわけです。

そのような国々では女が定住地として家を持ち男は蝶のように自由に飛び回っているという母系国家が形成され、子供は女性が養うもの、財産も女性に付くものでした。結婚と言う取り決めは無く。
彼氏、彼女位の恋愛関係ですね。しかし今のように町にデートに行くような関係ではありません。

女性は多くの男性と関係を持ち、男は種を付けに夜這いに来るわけです。
短歌や笛などを吹いて女の家に入ってもよいか確認をとる時に読まれるような句が今でも教科書に載ってますね。あれは短歌集というと堅苦しいですが、口説き文句集といっても過言ではないもので昔の人々はセックスをするために一生懸命短歌を勉強したわけです。

日本では廃れましたが国によっては現代でもそういう文化は残っています。


一夫一妻は現代の貞操観念を強調した宗教感によるものでもあります。
それを気にしすぎて逆に心を痛めてしまうこともありますし、一長一短ですね。
南米のある部族ではセックスは特定の相手を決めるものではなくスポーツ感覚で楽しむものであり。子供は村全体で養うものという考え方があったようですがキリスト教が入りこみ貞操観念が付いてからはなくなってしまったようです


セックスと結婚の形態はその国々の事情にあっているという事です。
脱線が過ぎましたね。そういう事です。

まずは一夫多妻の合理性を述べましょう。

一夫多妻は原始的な女性に対する福祉制度なのです。
女性に対する差別や従属的なものをまず初めに浮かべる方が多いのですがそうではありません。寧ろ逆なのです。
それが文化だから!と頭ごなししに言われても納得が行かない人はおおはず。それなりの現実性と合理性があります。

・一夫多妻を行う理由の一つとして「戦争」があります。
原始から、部族間の戦争で男達が死にました。
さらに狩での事故や獣に殺される危険もあります。

・二つ目は寿命が短かっ...続きを読む

Q哲学と科学の違い

哲学と科学の違いとは何ですか?教えて下さい

Aベストアンサー

科学は哲学の一分野です。

科学も哲学も、ある種の「問い」に答えようとする活動です。
でも、迷子の子猫ちゃんの名前を問うような問いでは面白くない。一回しっかり検討しておけば、後々に使えるようなのが面白いし重要だ。それで、何らか普遍性・再現性があるように見える現象を捉えて、その背後にある(かもしれない)本質、つまり法則を見つけ出したいというのが一つの到着点です。(例えば「法則なんか、ない。」なんて答も、あんまり役に立たないですけど、法則を主張したことには違いないでしょ。)そうすると「問い」を作り出すこと自体が哲学に含まれてきます。つまらん問い、どうしても答えようのない問い、答の出る問い。問いの内のあるものは問うたとたんにもう答が出てますし、答がまとまらない問いもあるだろうし、どう答えてもおかしくなるような仕掛けが入った問いもあります。
そういうものを見極めるにはどうすりゃいいんですか?ちゅう問いもアリです。

科学では、(ネタや発想をどこから持ってくるかは別として、)最終的に「科学的方法」という形式に従って法則を記述し、実証しなくては落第です。

哲学では、方法を科学的方法に限ったりしません。それどころか、何にでも一般に通用する方法というものはないと考えている。科学とは相反するのかというと、とんでもない。そうじゃなくて、科学を含むんです。科学で解決される問いはいっぱいありますからね。新しい方法を開発するのも哲学の内だし、その方法で手に負えない問いを出して見せるのも哲学。

最も成功した哲学の代表選手は、やっぱり理論物理学でしょう。11次元空間で記述される(まだ詳細不明の)理論から導かれる10次元空間における沢山の物理理論、という描像。物に質量が生じる機構とそれに関わる未発見の粒子、という描像。これらは紛れもなく形而上学ですよ。直接実証できる見込みなどありませんからね。
 科学においては、何かを実験的に実証した、と言うことがある。ですけど客観的には、実験はただの統計の偏りを示しただけのこと。そこに理論から演繹された予言との一致を見て、「少なくとも辻褄はあってる」と言っているに過ぎない。だから確かな例外が一つ出れば全てがひっくり返ります。だからこそ、世の中的には「既に実証済み」と思われてる理論・法則が、いつまで経っても研究の対象になっています。

下記URLでも似たようなこと書いてますんで、ご参照下さい。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=53553, http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=12863

科学は哲学の一分野です。

科学も哲学も、ある種の「問い」に答えようとする活動です。
でも、迷子の子猫ちゃんの名前を問うような問いでは面白くない。一回しっかり検討しておけば、後々に使えるようなのが面白いし重要だ。それで、何らか普遍性・再現性があるように見える現象を捉えて、その背後にある(かもしれない)本質、つまり法則を見つけ出したいというのが一つの到着点です。(例えば「法則なんか、ない。」なんて答も、あんまり役に立たないですけど、法則を主張したことには違いないでしょ。)そ...続きを読む

Qアンチョビとは何ですか?

イタリアン料理で
よくアンチョンビを使われますが
これは何でしょうか?
どんな味がするのですか?
スーパーで売っているのですか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

ちなみにこんな感じです。

http://www.kenko.com/product/item/itm_6511879072.html

参考URL:http://www.kenko.com/product/item/itm_6511879072.html


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