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常に誰かの真似で、自分がわかりません。
もう良い大人なのですが、いつも誰かの真似をして行動しています。
こうしたら面白いと思われるんだ、こうしたら優しいと思われるんだ…と言う感じです。

誰かの真似でTPOをわきまえないので、思い通りにならないことも多く、人を怒らせたこともあります。
そういう時は本当の自分はしないのに人に影響されてこう言うことをしてしまっただけなのにと感じます。
逆に良いことをして褒められた時も、本当の自分はそうじゃないけど良い人の真似をしただけなのにと思います。

自分というものがどれかわからなくて、「自分がした」と思えません。
実際に自分がしてるのでそれでも思うべきなんだと思いますが、一旦それは置いておいて、誰かの真似ではなく自分で行動できるようになりたいです。

だけど自分の言葉や気持ちがまったくわかりません。
どうしたら自分がわかるようになるのでしょうか。

A 回答 (9件)

誰かの真似って誰でもするんじゃないでしょうかね。


他人の行動や発言を見て、いいと思ったこと、良いことならば
真似して自分に取り入れてるということって大切ではないでしょうかね。
他人から影響を受けて、良い所を見習う。
って事だと思いますよ。
良いと判断し真似する事自体も自分の判断でしているわけですから、
真似る事自体もまた自分って事だと思いますよ。
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こうしたら


自分に自信が持てるようになれるという
真似はしないんですか?
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ソプラノ歌手の第一人者


ヨーロッパから来日の先生に聞いてもらった、
感想「上手だすわー、でもダメね」目の前か真っ暗になった、と言っていました。
サル真似が・・・上手、ということだったらしい・
「素晴らしいわー」だったら?。
久振りにあった中学校の同窓生「勉強の仕方が間違っていたのに気づくのが遅すぎた」と言って、いました、でも気づいたんですね。
どういう風に?、教えてもらった内容だけでは他人に教えようとしても、使いものにならなかったらしい。
話せば長くなります。
幼児のような、すべてのものに好奇心が持てるか?。
もちろん興味本位の好奇心ではなく、何故そうなる?何故それが必要?。
次にそれを自分で追及することに喜びを感じることができるか。
昔の職人なんかは「技術は盗むもの」一部を見ただけで、当然「何故」を感じ、自分で再現して考え、工夫して、自分のやり方を確立する、その結果なら「素晴らしいわー」の評価が得られます、その経験がなければ、そんな達成感を知ることがありませんね、サル真似で満足してしまいます。
「自分というもの」
人間40歳を超えれば顔に責任を持て、と言われます、これが「自分というもの」なんです、言い換えれば40年もたてば、完成するだろう・・。
逆に言えば40年という時間が必要?。
現時点で、即それを目指しても無理なんです、しょせんハウツーを教えてもらって、そのまま実行の「上手だわー」の域を超えることはありません
米国スタンフォード大の合否の分かれ目「好奇心の有無」
英国ケンブリッジ大の合否の分かれ目は「教えがいの有無」
好奇心を持って、上記のように自身で追及する人なら、教えがい、がありますね。
くだんの中学校の同窓生気づいたには70歳過ぎてから、でも総括した形で・・なんです、すでに個々のケースでこれではだめ、は気づいていました。
事務所には一級建築士の看板?が上がっていました。
質問内容では「己を知れば・・・」は十分のような気がします、まずは手近なところから・・自分が変われば周囲が変わります、それを感じることができれば、次にやることも気づき、やる気にもなります、焦らないことです。
70歳超えてから、「こういうことだった」でも十分なんです。
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二つ回答します。



ひとつめ、

単純に「真似する人数を増やす」でいいと思います。

画風を例にとると分かりやすいでしょうか。
大抵のイラストレーターは、好きなイラストレーターの画風の真似から入ります。
好きなイラストレーターが複数いて、複数を真似すると、誰とも違う画風になります。
たくさん色々な人を見て、面白い振舞い、優しい振舞いの例を増やせばそれで大丈夫です。


ふたつめ、

匿名0987さんのオリジナリティは、実はそういう「やり方」ではなく、

>こうしたら面白いと思われるんだ、こうしたら優しいと思われるんだ…と言う感じです。

この、「面白いと思われたい」「優しいと思われたい」という欲望のほうにあります。これも絵の話に例えましょうか。

アルフォンス・ミュシャの画風が大好きだとします。ミュシャはたくさんの美しい女性の絵を遺していますよね。

さて、ところが自分はゲイで、女性にはあまり興味がなく、「雄々しい男性の肉体美が好き」だとします。それを描きたい、と欲望したとき、「ミュシャに近い画風で描かれた雄々しい男性像」は、なかなかオリジナリティがあると思いませんか?

手法は同じでも、欲望するものが違えばオリジナリティは出ます。
どういう場面で、誰にどう面白いと思われたいのか。優しいと思われたいのか。
それを少し丁寧に掘り下げてみると、たぶんオリジナリティはそんなに苦労しなくても作れるというか、自覚できると思います。
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自分を守ろうとし過ぎるために「他の人を心配する」という心の動きが減っているせいだと思います。

例えばゲームをしていて「登場する人物」の心配をする人は居ません。自分のゲーム進行ばかりを気にしますよね。

同じように、

「他の人の心配をしないで自分の動き方ばかりを考えて
 いるとゲームをしている時の感覚に近く成り現実感が
 薄く成る。それに気が付いたとき自分が分からないと
 言い出す」

現実感が乏しくなっている事に怖さを感じているという事でしょう。

以下は長いので興味があればお読みください。

現実の中で「実際的な行動」をしたと言えるのは「(自分を含む)誰かを心配して行動した」時だけです。例えば仕事においては部下より上司の方が大人に見えますよね。どうしてでしょうか?

上司は業務の遂行において「成し遂げられなかった時に被害を受ける人を心配」し「部下が失敗をして落ち込む事を心配」し「自分の立場も危うくなる事を心配」しています。また「協力してくれた方々の努力が無駄になる事を心配」するでしょう。「部下が気を抜いて全てが台無しになるパターンも心配」しているでしょう。

「心配している人の数が多いため現実的な行動を選べる
 ようになる」

つまり「どのくらい心配しているか?」は外から見えず自分が「他の人」と比べて極端に少ないという事もあり得るんです。

「自分は悪くないのに何故か上手くいきません」

「自分の事ばかり考えているからだよ」

良くある問答ですけど「他の人と同程度のレベルまで」心配する対象を増やさないと「頓珍漢な行動」をしていると自分で気が付けないんです。

私は駅のホームで電車待ちをしている時「ホームの反対側の人を見て」色々と心配しています。「暇があれば誰かを心配する」という趣味を持っています。そういう習慣が出来ますと「飲み会の幹事を心配する」と言う風に成ってきます。つまり「他の人の責任」と簡単には考えられなくなり「何か問題が起きれば自分が悪い」と感じるように成るのです。

「あの時、気づいていたのに声を掛けなかった。教えな
 かった自分の責任だ」

勿論「公に定義された責任」は私には有りません。なので「自分の責任だ」と感じても「割と負い目はないし楽だねえ」みたいには思っています。単に「そう感じる自分」を褒めたいと思いつつ「もっと上手くやれたのに」と思うんです。こういうユルイ後悔があるので「次は自分から動ける」自分に成れるのだと思います。

さて私の話を聞いてみて「心配している対象と頻度」は同じ程度やれていますか? 生きている間中やっているというのが(割と)普通ですよ。

「気が付いたら他の人とかなり差がありました」

これがあるため「悩み」が自覚できるのだと思います。また悩みとして生じている場合は「相当頑張らないと追い付かない」わけです。

実は私も30歳近くになって始めたので偉そうに言えません。20歳後半になって腹が出てきました。驚いて鏡を見ると結構オッサンです。しかし心は少年の様にデリケートでした。鏡の中に醜悪な生き物を見る。本当に怖くなりまして「泣きそうになりながら」大人に成りたいと思ったんです。

「他人の心の動きをトレースできるだろうか? それも
 複数人数同時にだ?」

私がやった訓練は上の様なものです。例えば会話をしながら相手の感じ方を想像していくんです。予想が当たっていれば「こんな風に思ったはず」とか言えますよね。「だからこの様に言えば喜ぶはず」みたいに確認もできます。相手の反応が「予想通りでない」場合は原因を探ります。原因を探るための会話をするわけです。こうやって「予想に対する確認」として「アクション」を繋ぐんです。

「最初はそれだけ(予想の確認目的)だけでも自分から
 アクション出来る」

これだけですと単なる当てっこです。このままでは大人になれません。次は「大人は何を狙うのだろうか?」が大事に成ってきます。子供が「こうなって欲しい」と思う事と大人が「こうあるべき」と思う事が違うんですよ。なので「大人が望むべき物」を自分の中にも作らないと行けないんです。

ではその違いを考えて行きましょう。

生物には子供時代と大人時代が分かれている物があります。例えば成虫、成魚、成鳥、成獣、成人など言葉が分かれています。大人になると「その種が武器としている能力を発揮する」と言うのは分かりますよね。生き残りのための特技があるという事です。では人間の場合は何でしょうか?

頭脳が他の生物より優れているとされています。

「火とか道具を使えるって言われるけど、それのこと?」

「そうなんだけど。もっと言い方を変えると怖いと思え
 るものでも上手に使えば役に立つと考えられること。
 意味が無いと思えるものを組み合わせる事で別の能力
 を与えられると考えられる事だね」

つまり「今の状態」から「別の状態」をイメージして「もっと違う力を付与する考え方」を持てるか否かです。人間の子供であっても「遊びの中で工夫」をしますよね。なので「出来上がったおもちゃ」よりも「組み合わせる事で違いが出るおもちゃ」を子供に与えなさいと良く言われます。

「子供は今の状態を見て嘆く。大人は今の状態を見て足
 りないものは何かを考える。優れた大人は今の状態を
 僅かに変えて皆が期待していなかった素晴らしい未来
 に変えてしまう」

つまり大人は修理したり改善したり、発想転換をして別のシーンに役立てたり出来るという事です。

「友人と上手くいきません。彼はこういうダメなところ
 があります。切るべきでしょうか?」

こういう感覚は大人と言えませんよね。対人関係であっても修理してみようと(自然に)感じるのが大人なんです。

「日本はオワコンです。良い移住先はないでしょうか?」

これも子供ですよね。日本を修理したいという感覚が無いからです。

「生きていても喜びを感じません。死んだほうが良いの
 でしょうか?」

これも子供ですよね。自分の感性(喜びを感じる部分)を修理する気持ちが無いからです。

「皆と違う人生になってしまいました。生きていても無
 駄でしょうか?」

これも子供ですよね。自分の人生を修理する感覚が無いからです。

こんな風に「大人に成れない状態」が長く続くと無限に悩みが生じてしまい、苦しみぬいて死ぬ(寿命を迎える)事になるんです。他の生き物も幼体のままでいたら苦しいはずです。人間であっても同じなんですよ。

「幸せになるには先ずは普通程度の幸福くらいは確保し
 ないといけない。それは心が大人になる事だ。ここに
 ついては金がかからないし、自分で何とかできるのだ
 から。これを怠って嘆く人に同情する余地はない」

どんなに金持ちになっても「心が大人に成れない状態」では苦しみが続くんです。他の大人が手に入れられない物を手に入れても「皆が普通に手に入れている物」を得て居なければ意味が無いんですよ。

「餌に困らない一生芋虫は幸せなのか?」

そして心を大人に変える部分は他の人が手伝う事が出来ませんし、誤魔化しもできません。

「生きてて苦しいです」

となったら「見栄を張って大人の振りをしているだけ」とバレますからね。

「大人に成れないのがどうしていけないのですか?」

「苦しいからだよ。その罰は君自身の苦しみで還元
 されている。誰かが手を下すことはない。もう罰
 は始まっているんだ」

となるだけです。逃げられないという事です。

「効率の良い練習方法はありますか?」

「修理・改善・発想転換をしたいと思えるシーンをと
 にかく増やす事だよ。自分が満足してしまうとモチ
 ベが減って練習機会が減るんだ。こういう人は大人
 になる機会を失っているとも言えるんだ」

恵まれた世の中ですと満たされ易く「頭脳を使う機会」が減ってしまうんです。そこで市場(練習チャンス)を外に向けます。他人の心配をするという事です。

「すみません。他の人の心配をしようとしたら何で僕
 が? と思えて苦しいです。無理です。なんか負け
 た感じがするんです」

「そりゃ不味いね。ご愁傷様」

これは本当に不味いんですよ。「子供の考え」を脱却できないと常に心の中に苦痛が生じます。そのためには練習機会を増やすしかないんです。しかし「他人との接触を断ってしまう」と「心配する相手が居なくなる」わけです。仕方なく日本や政治家について考えます。しかし「遠くにいすぎて心配できない」でしょう? 結局は揚げ足を取ったり、理想通りじゃないと文句を言う自分に成ります。おもちゃが気に入らないと言って投げすてる赤ん坊と同じです。

そういう人を見て、

「大きなことを考えて大人に成ろうとするズルは逆効
 果だよ。子供力が強くなるだけだ。もっと身近な人
 を見て練習するんだ。そうだな汝の隣人を愛してみ
 なさい。出来なきゃお前はオワコンだ。泣き言をい
 う前やりなさい」

と教えた人が居るそうです。

と言う事で前に戻りますが「道をすれ違う人」「駅で電車待ちをする人」をお題にして「どんな心配が自分に出来るのか?」を考え「修理・改善・発想転換」を夢想するわけです。この練習は何時でもできますしお金もかかりません。そういう事をしていれば誰でも自然に大人に成れるはずです。

「自分の事だけを考えていればそういう練習ができな
 いだろう。必ず心が壊れる運命(大人に成れないた
 めにそうなる生物の仕組み)なんだ。まずは逃げら
 れないと思って日常の中でやってみなさい」

以上、ご参考になれば。
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創造は、模倣から始まると言いますよ。

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言い換えれば「見習う」だとおもいますよ。



でも、失敗をしてしまったときに、自分が言われたわけではないと思うのは、それは間違いだと思うけど…見習うと言うひとつの選択を、質問者さん自身がしている事には変わりはないと思うので…
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>創造は、模倣から始まると言いますよ。


これでだまされる?。
始まる=最初のきっかけ、それで、すべてではありません。
模倣しつつも、なぜ、他の方法…その他を自分で考えなければ、ただのサル真似。
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周囲の反応が気になって仕方ないからだと思います。

相手に認められる事で身の保全をはかる。

互いの意見の違いはあるでしょうが、それで相手から命まで取られる心配は全く無いのだから、これからは伸び伸びと生きてください。
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