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日本語では、「私の家には百冊の本が有る」と言えますが、英語と中国語では、

There are a hundred books in my house.

我家里有一百本书

と成り、日本語だと「百冊」で済む所が、 a hundred books 、一百本 と成ります。

つまり、"a" と「一」が必要で、日本語のように「1」を省略できないのです。

これは欠陥言語ですよね?

質問者からの補足コメント

  • あなたが言われている事は、確かに欠点ですが、しかし、欠点を上回る利点があるからこそ、日本人は、「一百」などと言わずに、百で済ましているのです。

    十、百、千、万、と言った言葉は、日常で使う事が多く、その度に、「一」を省略できる事は大きな利点です。

    逆に、それらの全ての言葉に「一」を付け加えなければならないといすれば、その冗長さにうんざりします。

    No.10の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/06/08 18:40

A 回答 (13件中1~10件)

見方を変えれば、言葉にはいろいろと欠陥があると捉えることもできそうです。



例えば英語の不定冠詞「a」は、古英語期から1を意味するan(=one)が使われていたが、やはり当時のゲルマン系民族はアクセントを語頭に持ってくる習性があったせいか、語尾にある子音nの部分の音が弱いため徐々に消えていき、今では単語によってはスペリングからnの表記を消した「a」というものも使われるように変わってきています。

他にも、発音とスペリングの不一致(例えばdebt、subtle、mood、blood、great、...etc)とかもかなり多くありますね。これには諸説あり、スペリングを標準化しようとする動きと大母音推移が運悪く同時期に起こったがために、スペリングが標準化された後に発音の方が変わってミスマッチしてしまったとか、他にはブリテン島での方言がロンドンに集まってきた時に採用されたスペリングと発音がチグハグだったとか、ルネサンス期に学者層がわざわざラテン語寄りにスペリングを勝手に変更して元の発音とスペリングが変わってしまったなど、他にも二重語や意味借用などなど、言い出せばキリがないほどに欠陥だと思えるような事項が数多くあります。

日本語は英語に比べて比較的綺麗な形で発音とスペリングの一致がトップダウン的に行われてきた言語だと思えるのですが、
例えば「こんにちは」を「konnnichiwa」と発音するがために表記を発音に寄せていって「こんにちわ」に変える人もいれば、同じ「o」の音でも「お」や「を」といった表記の使い分けが見られたりと、探せばいろいろとおかしいと思える部分が見つかります。
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多くの日本人は


15000

いちまんごせん
と読むと思うんだ.

つまり
「十、百、千、万、と言った言葉は、日常で使う事が多く、その度に、「一」を省略できる事は大きな利点です。」
は間違っている (ないし不正確である) 可能性は高いと思うの.
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この回答へのお礼

諭吉を「万札」とは言うが、「一万札」とは言わない。確かに「万」については、「一万」と言うが、それは、「十万」「百万」「千万」と言う表現が有るからだろう。例えば「十千」とは言わない。

お礼日時:2024/06/09 21:42

それは中国語や英語などと日本語の「名詞」の概念が異なるからです。



また英語では"a hundred books"とはいいません。百冊なら通常は"hundred books"で、名詞に複数形のsが付く代わりにaを省略、どうしても「百冊」という単位で言いたいなら"a hundred book"でaが付く代わりに複数形のsが省略になります。

また日本語は本には「冊」、紙には枚、書類なら「部」のように名詞に必ず数詞が必要で、しかも数詞はかなりたくさんあります。

なので「日本語は数詞がないと数を数えられない欠陥言語」という言い方もできます。
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この回答へのお礼

「数詞」は、日本語の欠陥ではない。

日本語にはなぜ助数詞があるのでしょう?
日本語ではものを数えるとき、数字だけではなく、その名詞に独特の数えるための単位としての助数詞が必要になっています。 助数詞は数詞の接尾辞として数詞の一部としての役割をしています。 助数詞には名詞を類別する(=何を数えているか)という重要な役割があります。

お礼日時:2024/06/09 21:48

お礼を拝見しました。



低学年の子どもたちと接していると見かけるのですが、四と七の区別に苦労する子どもがいます。これは四を「ヨン」と読んだり「シ」と読んだりする上に、七を「ナナ」と読んだり「シチ」と読んだりするからです。それだけでもややこしいのに、聞き慣れていない子どもたちにとっては「シ」と「シチ」の聞き分けに苦労することもあるからです。ですから、一部の幼稚園などでは、「四」は「ヨン」、七は「ナナ」と読み方を統一していたりします。どちらを使っても良いのは自由にも見えますが、その分、使い分けには気を配らなければならないのです。

算盤では、1234のことを「千二百三十四」ではなく「一千二百三十四」などと読み上げたりすることがあるのも同様の理由です。言葉は頭のいい人だけが使うものではありませんから、ルールが曖昧なことこそ欠陥であると思います。他にも日本語は、主語を省略することが多い、語順が決まっていない、などの欠点があります。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

あなたが言われている事は、確かに欠点ですが、しかし、欠点を上回る利点があるからこそ、日本人は、「一百」などと言わずに、百で済ましているのです。

十、百、千、万、と言った言葉は、日常で使う事が多く、その度に、「一」を省略できる事は大きな利点です。

逆に、それらの全ての言葉に「一」を付け加えなければならないといすれば、その冗長さにうんざりします。

お礼日時:2024/06/08 18:40

逆にルールが曖昧であることの方が、致命的な欠陥だあると思いますが。

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この回答へのお礼

具体的に、どんな不都合が有りますか?

お礼日時:2024/06/08 13:16

君の思考方法が欠陥であることを露呈しているだけです。

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ご自身の病的な劣等感に向き合った方かいいと思います。

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省略出来ないことが欠陥なのですね…


なるほど…
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何故それで欠陥になるのか分かりません。


何も証明できてないと思います。
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たぶん, 日本人で


「日本語のように「1」を省略できない」
と思う人は少数派じゃないかなぁ.

視点によってはむしろ日本語こそ
無駄ルールが多い
ともいえる.
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