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源平合戦での宇治川の先陣争いは有名です。
ところでそれを演じた馬はどんな種類の馬だったのでしょうか?
その大きさはどれくらいのものでしょうか?

当時の日本の馬は大きくなくて、ポニー程度の大きさしなかったという話を聞いたもので、真偽を問いたく質問しました。

また日本に大きな馬が伝来したのはいつの時代でしょうか?
戦国時代にはかなり大型化していたのでしょうか?

よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

 昔の馬は、今の馬の三分の二ぐらいの大きさで、乗馬や、背中に荷物を付けて運ばせるくらいには使えますが、車を引くことはできませんでした。

農耕の際も、馬に馬鍬(まぐわ)を付けて代(しろ)かきはできても、鋤(すき)を付けて土を掘り起こすことはできませんでした。
 
 昔の優良種の馬は、内陸アジアの遊牧民族の国々で飼育されていました。その馬は戦車を引き、勇敢な騎士を乗せて駆け巡り、騎馬民族の名を歴史に残す原因となりました。
 中国でも、昔は大きな馬はいなかったため、漢帝国の武帝は、紀元前二世紀、西域地方に大軍を送って、優良馬の一種である大宛(フェルガナ)の汗血馬を得ようとしました。烏孫(うそん)という西方の国は、大型馬千頭を献じて、かわりに漢の王女をもらい受けています。
 日本では、馬の丈は四尺(約120センチ)を標準としました。武士の元服の標準に、身長四尺五寸(約136センチ)としたのは、馬の高さを追いこしたことと関連があったのかもしれません。

 日本に西洋のアラブ種やサラブレット種が入ってきたのは明治維新後で西洋式の陸軍の騎馬軍団を作るためでした。陸軍の秋山好古が馬の調達からはじめ、訓練し、日露戦争で、当時世界最強といわれたロシアのコサック騎兵を破りました。
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