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過去20年くらいの間で日本における旧石器時代の研究はどのような進展を見せたでしょうか?今読んでいる本がちょうど20年くらい前の物でして、現在の旧石器時代研究がどれほど進んだのかとても気になりました。とても大雑把な質問で申し訳ないですが回答お待ちしております。
具体的な遺跡名や旧石器時代の研究史について書かれた書籍名などもありましたら教えていただけるとありがたいです。

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A 回答 (6件)

岩手県金取遺跡については、一次調査での調査成果を確認するために行われた二次調査以降では芳しい成果は上がっていません。

また、金取遺跡の出土遺物は石器とはいえないという意見も出ています。

また、長崎県平戸市の入口遺跡も、ATよりも古いということは意見が一致しているのですが、光ルミネッセンス法の年代測定は、検知棒埋設期間が短かったために、一般的な測定値(6ヶ月以上検知棒を埋設していた場合)よりも誤差が非常に大きいと考えられます。その上、平戸地域は非常に段丘発達の悪い(安定的に段丘が発達しない)地域ですから年代の確定はかなり難しい地域といえます。

長野県の竹佐中原遺跡においても、ATよりは古そうだということで一致しているのですが、なかなか年代を確定できていない状況です。この遺跡の場合は、地層の発達が非常に悪く、地層だけでは年代の特定が難しい状況です。ただし、中期旧石器とするか後期旧石器初期とするかで意見は分かれているものの、相当な年代のものだということでは意見が一致しています。

大分県早水台(そうずだい)遺跡では、久住第1降下軽石辺りで石器に見えるものが確認されていますが、礫の総数に対する石器と判断されたものの数的割合もしくは重量比が不明な点や(要するに調査者により石器と判断されたものだけ取り上げている状態です)この遺跡についても、石器の評価が分かれています。

今のところ、どの研究者も確実に評価している遺跡の年代は、4万年前まで行くか行かないかといった状況です。

現在否定的な見解が出ている遺跡でも、今後の調査によって遺跡の評価がより確実なものになる遺跡もあるでしょうし、新たな遺跡の発見があるかも知れません。

私は西日本なので、東日本の遺跡の詳細はあまり知りませんが、西日本では九州地方で古い年代の遺跡が見つかっています。

長崎県では、福井洞穴・入口遺跡など
熊本県では、石の本遺跡・沈目遺跡・曲野遺跡・人吉市の大野遺跡群など
大分県では、早水台遺跡(最近の調査遺物は東北大にあります)など
宮崎県・鹿児島県では、No2のjuntさんの回答に含まれているもの意外では、東九州道関連遺跡で後期旧石器の早い段階のものが見つかっています。

詳しいことは、各県の埋蔵文化財センターや歴史学系の県立博物館に問い合わせて見ると良いかも知れません。

No1のjoy-netさんの回答に対するレス
>結論としてこの二十年の間に旧石器時代研究の進展は全くといっていいほど無かったということでよろしいでしょうか?
ということについてですが、私が挙げた竹佐中原遺跡や九州の遺跡は、藤村氏とは全く関係のない遺跡ですし、華々しい「○○万年前の遺跡発見」という報道発表を横目で睨みながら地道に調査されていたものです。

国内の研究史については、後期旧石器に関するものはまだしも、藤村氏の捏造された成果によらなければ語れなかったものが全てですから、残念ながら全滅の状態です。
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この回答へのお礼

具体的に遺跡の名前を挙げていただきとても助かりました。
ありがとうございます。

お礼日時:2005/06/03 00:26

旧石器時代研究と火山灰研究の関係について少し触れておきます。



テフロクロノロジーに関しては、地学系研究者が精力的に「火山灰カタログ」を作成しています。その成果は、東京大学出版会の「火山灰アトラス」にまとめられています。これに関しては、高校の地学を理解できていたら、充分にわかるように、極端な専門用語などは使われていませんので、推薦できるものです。火山学者と考古学者の共同研究についてですが、考古学者は一次体積(降灰した当時のまま )の火山灰によって時期区分が明瞭になりますし、火山学者としても自分たちの成果が考古学に役に立つということで、要請があれば積極的に参加してきたということです。群馬大学の早川由紀夫研究室では、火山灰のカタログ(暫定版)を公開しています。しかし、早川先生は、少なくとも旧石器捏造事件発覚当時までは、全く考古学者と共同研究したことはありません。火山灰研究の最新情報は、第四紀研究や地学雑誌という学会誌等で手に入ります。

古環境については、花粉分析・プラントオパール分析などの進展によって、遺跡が営まれていた場所の特定の層の植生がかなり復元できるようになっています。考古学者は石器のこだわり過ぎて、古環境についてよく理解している人はまだ少ないようです。また、地形学者たちによる古地形の復元も精力的に行われていますが、この分野はまだまだ考古学との共同研究は進んでいない状況です。要するに、石器を使った人たちが住んでいた環境やその当時の気候・地形の研究が今まで余りかえりみてこられなかったわけです。

ですから、藤村氏が「私には50万年前の地形が見える」と豪語したことに対して、まともに疑問を投げかける考古学者は皆無でしたし、彼が視覚障害であったがために微妙な変化が見えるのだとか、彼(藤村氏)の言っていることは正しいとさえいう学者もいたほどでした。しかし地形学者たちは、そのような藤村氏の言葉を「超能力者」「オカルト」と呼んでいて、まともに相手にしていませんでした。

旧石器時代当時の気候といっても、千年単位くらいの大きな単位での気候変動は捉えられるのですが、百年や数十年単位での気候変動はなかなか掴むことが出来ません。だいたい縄文時代からこちらなら、数十年単位での気候変動を捉えることが出来つつあります。

参考URL:http://www.edu.gunma-u.ac.jp/~hayakawa/index.html
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この回答へのお礼

火山灰との関係もとても重要ですね。
いい勉強になりました、ありがとうございます。

お礼日時:2005/06/03 00:30

研究の進展については、『月刊考古学ジャーナル』や『史学雑誌』に年一回、特集がありますので、参考にしたらいかがでしょうか。

確かに前期旧石器については振り出しにもどっていますが、石器群の変化についての見方が大きく変わり、単純に進化史的なとらえ方では考えられなくなっています。環境との関わりなどが特に重視されてきているようです。(前期旧石器研究の遺産ではテフロクロノロジーの爆発的な発展や、環境研究の精緻化、従来は地学関係では百万年スケールくらいの議論しかできなかったが、考古学との共同により、だいぶ、考古学のスケールに近づいてきた点があげられます。それでも環境について精緻な議論をするにはまだまだですが。)書籍では堤隆『黒曜石3万年の旅』や稲田孝司『遊動する旧石器人』、ねつ造騒動で批判されましたが、岡村道雄『日本旧石器時代史』などは参考になると思います。

参考URL:http://wwwsoc.nii.ac.jp/hsj/ http://www.macnet.or.jp/co/hk-ns/ns/
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
こういった雑誌関係もとても参考になりました。

お礼日時:2005/06/03 00:29

No1です。


すでにNo2の方が書かれているので今更補足の必要はないとは思いますが、2003年に発見された長崎県平戸市入口遺跡発見等によって、

>列島最古の居住痕跡は、中期旧石器時代まで遡る可能性が出てきている。

そうですね。詳しくは次のページをどうぞ。

↓日本の旧石器時代
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC% …
オンライン百科事典「ウィキペディア」 http://ja.wikipedia.org/wiki/ より

>旧石器時代研究の進展は全くといっていいほど無かった

捏造された遺跡発掘における研究ばかりが進展して、他の研究がおざなりにされてきたのかもしれませんね。
そのはなばなしい捏造された遺跡によって認定された歴史観が、中学や小学校の歴史の教科書にすら掲載されていましたから。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC% …
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この回答へのお礼

これからの旧石器時代研究の進展を強く願います。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2005/06/03 00:20

 2000年11月ニ暴露された、東北旧石器文化研究所の藤村新一副理事長による、数十万年~4万年前の『前・中期旧石器遺跡』の捏造事件は、学界と行政の検証作業によって決着しました。


 03年5月、日本考古学協会は総会の場でその最終報告を行い報告書を刊行しました。山形県袖原、埼玉県子鹿坂、北海道総進不動坂、宮城県上高森・座散乱木、岩手県ひょうたん穴など186ヶ所について『今後、学術資料として無効である』と藤村関連の遺跡を全て否定しました。国史跡に指定されていた座散乱木は、文化庁が指定を解除しました。歴史教科書では、藤村関連遺跡を全て抹消し、増した。26年に及ぶ捏造が、学界・社会に与えた被害は甚大です。

 人類学では、現代人の直接の祖先にあたる新人はアフリカに20万~15万年前に登場し、10万年前にユーラシア大陸各地に拡散し、原人や旧人にとって代わった、とされます。すなわち、かつての定説であった原人から旧人そして新人への進化は現在否定されており、日本列島に原人がいたとしても、縄文人、ひいては私達とは無関係であるとされています。今、最も古いとされている岩手県金取(かねどり)遺跡から発掘された礫器(れっき)と剥片(はくへん)石器は、石器を出土した地層中に含まれていた火山灰の年代から約8.5万~5万年だといいます。光ルミネッセンス法石器の出土層が12万~8万年前と測定されたという長崎県入口遺跡とあわせ、年代測定には議論が必要です。礫器と不定形の剥片石器は、東京都中山谷遺跡・西之台遺跡、宮崎県後牟田遺跡などからも見つかっており、3.5万年以前の日本列島の代表的な石器です。刃を磨いた石斧(せきふ)や台形の剥片石器はその直後にあらわれます。鹿児島県種子島の立切遺跡から約3.4万年前の礫器・磨製石斧・磨石・石皿が、焼けた礫多数を伴って発掘されています。石斧は、日本列島の後期旧石器を特徴づける石器で、北海道から鹿児島県奄美大島までの範囲から見つかっています。
大型動物の解体や皮なめしに使ったとも、木の伐採・加工に使ったとも考えられます。磨石・石皿は食材の加工具、焼いた礫は石蒸し料理用の石で、いずれも植物質食料とかかわります。このような石器文化は、東南アジアでは5万年前まえさかのぼるとされ、石蒸し料理は現在も行われています。縄文人の南方系の形質は、彼らの祖先が東南アジアから渡来してきたことを示唆します。化石人骨の年代測定も進み、大分県聖獄(ひじりだき)、栃木県葛生(くずう)の人骨は中世頃、静岡県三ヶ日の人骨は縄文早期と判定されました。なお、愛知県牛川の『人骨』は他の動物の骨だといいます。戦争で焼失した明石の人骨は、複製品の研究では新人の骨とされています。年代測定を経て確かな人骨とされているのは、静岡県浜北、沖縄県山下町・港川・下地原・ピンザアブの人骨だけです。約3.5万年前の山下町の人骨に礫石器が伴っていたことは、最近確実になりました。
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この回答へのお礼

詳しい説明ありがとうございます。
とても参考になりました。

お礼日時:2005/06/03 00:16

過去20年で、旧石器時代の遺跡が次々とみつかり、歴史が書き換えられてきました。


ところが、実はそれらはすべてある1人の人物の捏造であったと判明し、一気に研究は振りだしへ。

この20年の旧石器時代の研究は、まさに、捏造遺跡に踊らされた20年だったと言えましょう。この20年で書かれた研究史は逆に読まないほうが、正しい歴史観が保てると思います。

↓前期旧石器遺跡捏造の検証(国立科学博物館より)
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ip …
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ip …

↓前期旧石器論争
http://www.amy.hi-ho.ne.jp/mizuy/zenki/
※日本の考古学リソースのデジタル化 http://www.amy.hi-ho.ne.jp/mizuy/ より

参考URL:http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/6/6-02.html,http://www.amy.hi-ho.ne.jp/mizuy/zenki/

この回答への補足

レスどうもありがとうございます。
確認のためお聞きしたいのですが、結論としてこの二十年の間に旧石器時代研究の進展は全くといっていいほど無かったということでよろしいでしょうか?
繰り返しの質問ですいません。

補足日時:2005/05/14 01:28
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