電子書籍の厳選無料作品が豊富!

なぜ三条実美ではなく、伊藤博文が初代内閣総理大臣になったのですか?伊藤が英語ができるからというのは表向きの理由ですか?教えて下さい。

A 回答 (7件)

大久保利通が存命なら問題なく大久保が初代内閣総理大臣になった可能性が高い。

大久保が生きている状況なら、いくら伊藤の英語力が凄くても、伊藤が初代の内閣総理大臣になることはなかっただろう。

当時の情勢としては、公家の重鎮で内大臣だった三条実美と、大久保の事実上の後継者として君臨していた伊藤博文のどちらが初代内閣総理大臣になるのかという問題だった。

おそらく三条が多少は自己主張や自己顕示欲の強い人物であったなら、三条が初代内閣総理大臣になっていた可能性もあったと思う。
しかし、三条は人格的には立派だったとしても調整型の人だった。明治天皇も口を出さず、三条からも特に意見が出ない以上、伊藤の側近から誰もが伊藤が首相に相応しいと思うような理由を上げれば、伊藤案が通る状況だったと思われる。

伊藤の英語力なんて、この場合は実はどうでも良く、皆が容易に「それなら伊藤で行こう」と言えるような話であれば何でも良かったということだろう。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。目からウロコが落ちました。

お礼日時:2024/08/25 10:49

明治新政府は、薩長の二大派閥で組まれてます。


その中でトップの総理といえば、薩長のどちらかから選ばれるのが、普通の流れ。たまたま、伊藤博文が総理のタイプだったのでしょう。
公家の三条実美が選ばれる可能性はゼロ。倒幕の貢献度からすれば岩倉具視のほうがまだ可能性はあったけど、人格が総理に相応しくないと。
    • good
    • 1

公家の政治って、家格の序列化と先例の踏襲です。

いくら「改革派」といっても所詮は公家。公家たちが志向する「王政復古」なんて先祖返りの荒唐無稽なことをやらせたら、建武の新政の二の舞です。
ですから、公家たちは早々にお払い箱になって実権を伴わない名誉職に祭り上げられたのです。
    • good
    • 1

三条さんが反政府軍が作り上げようとした明治初期


天皇の代行者の仕事、旧内閣代理人ですね法が整えば
貴族身分肩書が大きいので今一判りませんが
本当はもっと早く辞職したかった、殺し合いに関わりたくなく
政治の仕事も貴族のお仕事も辞めたかったと思います。
担がれ疲れじゃないですか

常に狙われて
命かけて仕事してる訳ですから
    • good
    • 2

公家が政権を取ることはしません


責任を押し付けられないじゃないですか
公家は天皇に使える役人です
政府の事は武士(天皇を守るガードマン)たちに任せます。
    • good
    • 1

内閣の構成員である各大臣の名前を見ると分かるけど



お公家さんは一人も居ない
皆薩長土肥の出身<ーしかも幕末維新の混乱の中で伸し上がった顔ぶれ
これを三条さんがコントロールできますかね??
    • good
    • 1

英語力が決め手になりましたけど、結局公家という家の格の高い人間を首相にするとそれが固定化されるのでは…ということで、下級武士出身の伊藤を首相にさせたというのもあるかもしれませんね。



憲法ができるまでの国家の重鎮…ということで三条実美の公家としての重みは重要でしたが、逆に法ができてからそれ以上に重みをもつ人間がいるのはかえって邪魔だったのかもしれません。

以上推測です。
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A