チョコミントアイス

往来の日本史という図書を見て、明治時代の1920年から戦後の1950年ぐらいまで人は左側通行だったということを初めて知りましたが、なぜ左側通行だったのでしょうか?

A 回答 (7件)

ちょうど大正9年に発令された「道路取締令」で、車両も歩行者も左側通行を義務付けられていたからに思います。



(ちなみに1920年は大正9年です。)

明治時代に数回にわたって通達や法令制定があり、車両の通行は左側通行と定められました。

明治14年の警察長通達、
明治33年(1900年)の道路取締規則、ただしこれは東京限定、
それから上の道路取締規則を全国に適用した大正9年(1920年)の道路取締令です。

このうち、明治33年の「道路取締規則」にはすでに人も車両も左側を通行すべし、といった規定があります。
これを本格的に全国に適用したのが1920年大正9年の「道路取締令」です。

これの第一条
「道路ヲ通行スル者ハ左側ニ依ルヘシ」
が、歩行者の歩く側を決めた法令です。
よろしければどうぞ。
https://ja.wikisource.org/wiki/%E9%81%93%E8%B7%A …

この法令について、現在も左側通行が残る箇所について興味深い記事がExciteニュースにあります。
よろしければどうぞ。

「左側通行にご協力を」駅や空港はなぜ道路のルールと反対なのか 鉄道会社「結果的に左に」
https://www.excite.co.jp/news/article/Trafficnew …


明治時代には舶来物しか存在しない自動車は非常に貴重で、道路をゆきかう車両とは基本的に人力車、手押し車、牛車、馬車でした。
これらが往来の左側を通行すれば、おのずと人の行きかいも自然とそのあとに流れができ、そのため左側通行になっていったのでは…と私は思います。


余談です。
現在「俗説にすぎない誤りとわかっているにもかかわらず、真実として広まっている説」について。
なぜ左側通行か?について、以下の説が広まっていますが、どちらもガセです。残念ながら。

・明治時代が近代化にあたり左側通行のイギリスを手本としたため、左側通行となった
(実際には車両の左側通行を決めた偉い人はその理由を「なんとなく」と回答していることがわかっているため、誤り)
・江戸時代、武士は左側に帯刀していたため、右側を通行するとケンカになりやすく、自然と左側通行になった説
(裏付けがない俗説。それに1876年に廃刀令が発布されて久しい大正後期までその風習が残るとは考えにくい、我々だって1980年代の習慣で手放したものは多数ありますよね?)

下の武士の帯刀が理由説は多数のサイトで真実として広まっているのが残念です。
実際には明治時代以前の歩行者は左側通行を意識してはいなかったようで、浮世絵や残る写真を見ても自由に左右のどちらも歩いています。

ですから、左側通行に偏ったのは明治時代から、明確に人々が意識して左側を歩いた理由は法令による義務化があったからです。
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この回答へのお礼

明治以後の法制化により左が通行が広まったという、スッキリ明確な回答ありがとうございました。

しかし、しかし、なんと俗説がまことしやかに流布していることか・・・。

お礼日時:2025/01/21 05:24

江戸時代は武士の時代で、刀を左に差していました。


その状態で狭い道を右側通行すると差している刀と刀がすれ違う際にぶつかってしまいます。

だから、江戸時代は左側通行でした。

時代が明治に変わって、刀を差さなくなったとはいえ、左側通行の習慣がそう簡単に変わることはありません。
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この回答へのお礼

往来の日本史によると、帯刀した武士のすれ違いの場合、右によけると左によけるの二説あったようです。

ところで、帯刀を許されていない一般庶民の方がはるかに多かったと思うのですが、一般庶民はどちらを歩いていたのでしょうか?

お礼日時:2025/01/21 17:52

日本では右大臣より左大臣が上位でした。


邇邇芸命が汚れを落とす為に左目を洗ったら天照大神が生まれた。
右手は色々な事で使用するので汚れが多いが左手は汚れが無い。
左の「ひ」は大和言葉で日・火・陽・霊(ひ)を表す強い言葉、等々
左が優位なのには諸説ありますが、刀を差していたのが左腰側だった
からだと単純に考えています。
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この回答へのお礼

往来の日本史によると、帯刀した武士のすれ違いの場合、右によけると左によけるの二説あったようです。

お礼日時:2025/01/21 17:50

イギリスを真似たのでは。

そのまえの刀を差していたときのなんば歩きの癖が抜けていないのでしょう
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

№4の回答を見ることをお薦めします。

お礼日時:2025/01/21 05:25

どちらかに統一する会議で、刀の柄をポンポンと叩き、これですよ。

の理由で決定。刀同士が当たると、喧嘩の元と。ほぼ同時期に、廃刀令も決定したはずですけど。
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この回答へのお礼

往来の日本史によると、帯刀した武士のすれ違いの場合、右によけると左によけるの二説あったようです。

お礼日時:2025/01/21 05:20

ん?


人の往来は、江戸時代から左側通行が基本の筈ですが。
俗説の域は出ませんが、左側通行のルーツは武士が刀を携帯して歩いていた時代までさかのぼるとの説も。右側を歩くと刀のサヤがぶつかってトラブルになりかねないので、不必要なトラブルを避けるため、左側通行にしたという話です。

戦前までは、人も車も左側通行です。
昭和24年(1949年)の道路交通法の改正を機に、歩行者は右側通行となりました。
https://www.pref.oita.jp/site/keisatu/nandemo-a9 …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

往来の日本史によると、大名行列どおしが遭遇した場合は左側に避けて通るという決まりがあったようですが、それ以外は特に決まりはなかったようです。

江戸時代の一般人の往来は歩くが圧倒的に多かったはずで、そうだとしたら、右とか左とか関係なく歩いていたのではないかと思ったので質問しています。

お礼日時:2025/01/21 05:18

ネット検索すれば、大概のことは分かります。



https://jaf.or.jp/common/kuruma-qa/category-driv …
左側通行は、いつから、どんな法律に規定されているの?

世界には右側通行の国もありますが、日本における車両は左側通行することが法律で定められています。これは昭和24(1949)年に施行された道路交通法によるものです。現在は、昭和35(1960)年に施行された道路交通法において、「車両は、道路の中央から左側を通行しなければならない」(第三章 車両及び路面電車の交通方法・第十七条 通行区分)と、車両の左側通行が規定されています。これにより、車両については路上の左側を通行しなくてはなりません。

法律が施行される前も左側通行だったの?

「道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図り、及び道路の交通に起因する障害の防止に資することを目的」とする道路交通法は昭和35(1960)年に施行されましたが、それ以前も車両は左側を通行していました。道路の通行方法が最初に明文化されたのは明治14(1881)年の警視庁通達で、「人力車が行き合った場合には左に避ける」と、車両の左側通行が規定されました。さらに明治33年、警視庁は「道路取締規則」を制定。そこには、諸車牛馬は車馬道の左側を、その設けのない道は中央を通行すること、そして、歩行者はみだりに車馬道を通行しないなどが明記されています。また、言伝えになりますが、武士は刀を左腰に差すため、左側通行だと鞘がぶつからないという説もあります。また、終戦後アメリカ統治下にあった沖縄県では車両は日本復帰後しばらくまで右側通行でしたが、昭和53(1978)年7月30日からは本土と同じ左側通行となりました。切り替えには危険も伴うことから、入念な準備をしたうえで実施されました。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。

往来の日本史によると、大名行列どおしが遭遇した場合は左側に避けて通るという決まりがあったようですが、それ以外は特に決まりはなかったようです。

江戸時代の一般人の往来は歩くが圧倒的に多かったはずで、そうだとしたら、右とか左とか関係なく歩いていたのではないかと思ったので質問しています。
現代でも、商店街や縁日などの小規模な雑踏では右も左も関係なく歩いていると思います。

お礼日時:2025/01/21 05:17

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