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良い行いをすれば天国、悪いことをすると地獄に落ちるって本当ですか?
そもそも悪いことって誰が決めるんですか?
いい事と悪いこと両方やってたらどちらになるのか。
全てとは言いませんが、そんなの立場や捉え方によっていくらでも変わりますよね?
誰にも、神がいたとしてもどちらか決めるなんて不可能だと思うんですけど。

A 回答 (24件中1~10件)

天国も地獄もありません。



生き物は全て土に還るだけです。

そして神様と言うものは存在しません神様は人間が作ったものです。
天国や地獄も人間が作ったものです、そんなもの存在しません。

問題は死んだ後ではなく死ぬまでの間に何をするかと言う問題です。
金持ちだろうが貧乏太郎が悪党だろうが聖人君子だろうが死ねばみんな同じなんです。
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No.6です。



>>神とは人間だけに肩入れするでしょうか?動物や自然も平等とするなら人間は生まれながらに業を背負ってるので全員地獄行きだと思うんですが。
・・
動物実験とかバス釣りとか害獣駆除とか、される側からしたらとんでもありません。

この人間と、人間によって生命を奪われて食料にされたりする動物や魚などの生命について宗教的にどのようにかんがえるか?善と悪をどう考えたらいいのか?ってのは、かなり難しいテーマだと思います。
このあたりのことを、それなりに一貫性のある考え方を示しているのは、幸福の科学の内部経典として配布されている「イエス・キリストの宇宙人リーディング」だけかもしれません。
詳細は、経典を参照していただくとして、食材に関する範囲に限れば、食事のとき食材になったものに感謝していただけば、悪いポイントが加算されることは無いと思われます。
(この経典は、イロイロと衝撃的な内容が含まれているため、公開すると波紋が大きいとして、内部経典になったのかな?なんて思っています。)

>>では上記とは逆に領土を確保し侵略し拡大するのが生物として当然の権利ならば、人間同士の戦争やはどちらの陣営も悪いポイントには含まれないと言うことになってしまいませんか?

幸福の科学の書籍の善悪の考え方からすれば、戦争で上官の命令によって人殺しを行う場合、基本的には、悪いポイントには含まれないように思われます。ただし、相手を殺すとしても、拷問じみた殺し方をすれば、悪いポイントが加算されそうです。また、帝国主義的な侵略国家側に属する国民に対しては、そういう政府に所属していたということで、個人ではなく、集団としての悪いポイントが加算されるかも?という気がします。
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この回答へのお礼

不明瞭ながらも、知ってる情報を交えて真剣に考えてくださりありがとう御座いました。

お礼日時:2025/03/04 20:34

No.19です。

お礼ありがとうございます。

文献は特に紹介できませんが、私の考え方は、哲学で言うと「実存主義」と言う物に近いそうです。微妙に違いはあるのですが。面倒でなければ、調べてみると良いと思います。

以下は蛇足ですが、興味があればお読みください。

天国の存在はあったらよいと思っています。ただ一つ言えるのは現世でも天国モードを楽しんで(もしあったなら)死後も天国に行くのが最大効率でしょう。なにも現世を捨てる理由がありません。現世を捨てた人より、確実に得をしているはずです。

「現世は苦行をし続けた。苦労した甲斐があって天国に行けた。
 良かった」

「お~、お前も天国来たのか。良かったな~」

「なんで・・・なんで、お前が・・・お前みたいに恵まれた奴
 がどうして、ここにいる」

「いや、すまん。現世も死後も天国モードってのが俺の計画だ
 ったんだ。これ以上に効率が良いことないしなあ。論理的に」

「・・・早く言ってくれよ。俺だけ損した気がする」

つまりあの世や来世があろうとなかろうと、現状を天国にする事は必須であるという事です。そうしませんと、今世を天国にした上に、更に死後も天国に行った人と自分を比較して相当落ち込むと思いますよ。

「あるかないかで悩んでいる人は論理的に負け確である」

と言うわけで、結論は今を頑張る(楽しむ)意外にないんです。

宇宙人も霊も魔法も否定しません。もし存在したらダッシュで先行者(今信じているという人)を追い越して、私の方がその道で上に行く予定です。そのための努力を惜しむつもりはありません。そういう覚悟をして、スカッと忘れる事にしています。そうしませんと今を楽しめず、効率が落ちるからです。

質問者さんは「今後、人助けをしていく」という話ですが、一つ忠告しますね。「人助けを頑張れば幸福になる」という事じゃないですよ。ここにもメカニズムがあるので、仕組みをよく知って対応してください。そうしませんと「努力が報われない」と言って嘆く結末になります。

では仕組みについてです。

例えばこのサイトの質問一覧と回答などをざっと見てください。質問者と回答者はすべて人間です。当たり前ですが。

「之だけいる中で、自分が一人誰かを選んで一緒に過ごすとした
 ら誰を選ぶだろう? 勿論、その人が困っていたら助けないと
 いけない。つまり誰なら助けたいのか?」

この様に(仮に)考えてみてください。

優しそうで、頼りがいのある人、その上で面白そうな人など色々と希望があると思います。しかし、理想に近い人はいないでしょう?

「誰も選べないや」

「それでも一人選ぶ義務があるとしたらどうする?」

「まてよ・・・ちょっと比較する。この人は論外だな。この人
 マシだな。マシな人を選んで、更にその中から選ぶかあ」

「そうそう。そうやって仕方なく一人選ぼう」

「無理に選ぶとこの人だなあ」

さて・・・この「無理に選ぶとしたらこの人」と言うのは、貴方だけなのでしょうか? 恐らくは全員が同じ人を選ぶでしょう。その可能性は高いと思いませんか? つまり、一人の人が他の全員の好意を寡占し、他の人は(その人に近いレベルであっても)無視されるんですよ。

これがメカニズムです。

これは各自が自由意思で(誰にも話さず秘密にして)何となく選ぶから起きてしまいます。そして、その人より素敵な人が新たに加われば、これまでどんなに他の人の好意を寡占していたとしても、全ての助け手を(その素敵な人に)取られてしまうんです。

「自然に生じる相対的順位が暗黙の裡にあるのだ。指摘され
 ないと分からないという人は負け確である。そして、この
 何となく選ぶという各自の行動を、妨害することは出来な
 いのだ。このため、このメカニズムは誰も防げない」

という事は、自分の頑張りは関係なく、そこにいる限られた人の中で一位になればよいとなります。もしも「特に聖人を目指しているわけじゃない」と言う人が大多数であったなら? 聖人を目指しただけで不戦勝になるんですよ。

「普通の人であれば御の字だと思っています」

こういう人は詰んでいるという事です。

「普通の人を目指していたら、天地がひっくり返っても誰か
 に助けて貰えることは無いのだ(一位から遠いから)」

これが真相なので「努力が報われない」という人が出てくるんです。(限定された集団の中で)一位を目指さなければ意味が無いんです。

次に問題となるのは、

「その一位の人は二位の人を選ぶということだ」

「二位の人も一位の人を選ぶよね」

「そう。つまり選ぶ自由はすべての人にあるが、自然と互い
 を見て上の方で固まるんだよ」

という事なんですよ。

「一位の人と付き合えるのは二位の人だけ」

一位の人も一位の人と付き合えないんです。哀しいですね。自分ですからね。では三位の人はどうでしょう?

「四位の人を選びました」

「俺が四位? 俺は三位の人で我慢しました」

となります。

努力が報われないと言っている人は、自分の苦労や苦痛ばかりを気にしており、相対順位が上がったのか下がったのかを気にしていないんです。

「すごく良い事をしないと一位に成れないと思ってた。他の
 人よりわずかにマシであれば・・・全員の好意を独り占め
 できるってことか」

「そう。苦労と結果は比例しない。相対順位を上げて一位に
 なることを目指そう」

「一位なんて無理だよ。無駄に頑張らない方がイイね」

「そうかな。今度は誰を除名するかと言う相対順位もあるだ
 ろう? 諦めて好き勝手やるとそちらで一位になるぞ」

という事で、「誰かを助けたいと思う集団」に入るだけじゃダメであり、その中での順位を気にしないと結果が出ないんですよ。

例えばですが、

「敬語を使う人とそうじゃない人で順位変わりますか?」

「自分で考えてみたら? 敬語使わない人を選んで、敬語を
 使う人をスルーするかい?」

これについては、自分で検証してください。敬語を使う人がいなければ良いのですがね。もしも一人でもいたら、自分も対抗しないと負け確ですよ。

「ぼ、俺は敬語苦手なんだ・・・」

「じゃあ、敬語を一切使わない集団に所属するしか道が無い
 だろう。そういう集団が君に優しいかは知らないけど」

となるので、敬語を使わないだけで人生地獄モードなんです。良い事なんて起きるわけがありません。

これで分かると思いますが「人助けをする」よりも「敬語を使うか使わないか」の方が大きいんです。敬語を使わない集団に所属すれば、そこでどんなに頑張っても「得られる親切」や「手助けはショボい」でしょうし、妨害されたり、気分を害するシーンが増えるでしょう。環境が悪すぎます。

つまり、敬語を使わない集団がいる場所が現世での地獄界なんですよ。

この様に「自分の行為を美化して考える」のではなく、ちゃんと報われるのか?自分で検証し、自分を大事にしないと行けません。世の中の定説等どうでも良く、人がどう感じて、どう考えて、どう動くか?しかないでしょう?

「努力をしても報われません。世の中糞です」

「俺もそう思うけど、皆に向かってその一言言っただけで、
 相対順位がどうなるのか分かってやってるのか? 一位
 の人だって、それいったら最下位だぞ。皆は我慢してい
 るからな」

相対順位の怖さを知らないから、大丈夫だと思って失言できるわけです。これに気が付いていない人が、これまで上手にやれているはずがなく、地獄モードであったのは確実でしょう?

「愚痴をこぼしている今この時に順位が爆下がりしている
 と気づく奴は助かる」

「それを相手に慰めているだけで爆上がりする」

「愚痴を言うやつを懲らしめていたら、爆下がりしました」

「之ってそういうゲームなの?」

「そう。自分の感情に飲まれた奴が負ける」

貴方が人助けを頑張って、このようなデリケートな相対順位の怖さを蔑ろにしないか心配なので忠告しました。

つまり、このサイトで変な質問をした瞬間に誰も助けてくれないという事です。質問をしただけで詰んでいるのに、本人が気づいていないのが不憫ではありませんか?

何も起きないと思って順位を爆下げし、「運があっても助からない」状態にしつつ、ありそうにない神の手助けを求め、頑張って苦労し、天国に行けても「現世でも楽しみました」と言う人を相手に悔しい思いをする。

これは地獄でしょ?

「今を諦めてはいけない理由は、このあと諦める奴が出てきて
 自分の順位を爆上げできる可能性が高いからだ」

私が説明した内容(仕組み)を理解した人とそうでない人では勝負に成らないという事です。こういうのをメタと言います。

貴方のお礼が嬉しかったので、貴方には、再度(はりきって)回答しちゃいました。

しかし、貴方が素晴らしいのではなく、ここ最近の他の人のお礼が酷かっただけなんですよ。そちらが真実です。その様に発想を変えられるならば、貴方はイケてくるはずです。無駄に頑張ると、たくさんのご褒美が欲しくなり、余計な一言を言って、爆下げする危険があります。なので張り切り過ぎると失敗しやすいという事です。

「無駄に頑張ったことで未来の最下位が確定した」

こういうゲームなんです。そして上手いか下手かでしかありません。

以上、ご参考になれば。
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正解だす!

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それを信じて、悪い行いはしてません。

来世では、東京に住んでいるイケメンに生まれ変わります様に。
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あの世があるように見せかけて、実際は現実社会での天国と地獄の事を指していると思います。

現実において天国を味わうか、地獄を味わうかです。死んだ後の話をしてないのが真実でしょう。

以下は長いので興味があればお読みください。

結果には原因があると言われています。因果関係ですね。なので結果として今に不満足であるなら、過去の自分の選択のどこかに間違いがあったとするわけです。自己責任です。

その上で因果関係以外の要素があります。私たちは隔離された実験空間にいるわけじゃないです。なので、隣の人が原因で運命が変わる事もあります。これを縁と言います。

そのため、自分の因果関係にばかりに集中して、周囲を観察しないのは危険です。同時に自分の都合で他人の営みを阻害しないようにケアが必要です。

他人の営みを阻害すると、「他人の営みを阻害しない様に気を付けている集団」から除名されます。そうなると「気を付けていない集団」に所属するしかなくなり、何をしても誰かに邪魔をされるという悪い環境になります。ここから「じり貧」になり、現世で地獄を味わうわけです。

この流れを多くの人に教えるため「天国」「地獄」という例えを使ったわけです。実際に存在するか確認できた人は居ません。

良いことの本質は「他人を助ける」と言う物に集約され、悪い事の本質は「他人の営みを妨害する」という行為に集約されます。

なので「誰かを助けよう」とする人は(同じ様に)「誰かを助けようとする集団」に好まれ、仲間扱いされます。この中に所属していると「助け合い」が頻繁に行われ、苦労せずに快楽を得られます。つまり天国です。

逆に「誰かを助けようとせず」「他人に迷惑をかけても気にしない」と言う性質があると「誰かを助けようとする集団」から除名されます。そうなると「誰も助けない」「他人を妨害する」と言う集団に所属するしかなくなります。ここに所属すると「誰にも助けて貰えず」「頑張っても誰かに妨害される」と言う苦しい状況になるでしょう。これが地獄です(賽の河原などが例えで上げられます)。

貴方の言うように、良い事と悪い事は誰でもやってしまうわけです。ですので、デジタルなものでは無く、アナログ的な(つまり頻度によって変化する)物と思いましょう。

「誰も助けてくれない状況に成っていたら、悪いことをした
 量が多いというわけだ。また自分が助けた人がいないのだ」

自分を助けようとする人に囲まれるように賢く動くことが大事であり、神様の裁きを待って、周囲の人を無視すると地獄になるという事です。

「汝の隣人を愛せよ」

と言うのは、自分の環境を自分の力で改善し、幸運待ちに入っては行けないという教えでしょうね。幸運を待つしかない状態が現世の地獄です。神が裁く前に結果は大分前に出ているという事です。

殆どの人は「神に祈るような苦しい状況」に至ってはおらず、誰かに助けを求めて解決しています。悩みが早期に解決できる。これをもって天国モードと言うのです。

それが出来ない状況は苦しい物であり、生きている地獄であるというわけです。いずれは人生の終焉と言う天井を迎えますが、天井の恩恵があるとはだれも保証しておらず、短い人生を苦しみの中で駆け抜ける、という末路は珍しくないと思います。

以上、ご参考になれば。
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この回答へのお礼

大変解りやすく興味深い解説でした。
天国地獄は死後ではなく現世 はよくある説ですが この切り口での説明は初めてです。

良いことの本質は他人を助ける。
悪いことの本質は他人を妨害する。
…ここが特に解りやすい。そうすることでその集団に配属され自分に帰ってくるのだと。

モヤモヤした思考を言語化して貰ったようでとてもスッキリです!
死後の世界は個人的には無い気がするので置いといて、今後より一層色んな人を助けて行きたいなと思うことができました。

もしあればで良いので、この解説があった文献などあれば教えてください。

お礼日時:2025/03/02 16:11

悪いことをさせないための方法です。

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最初に言っておきますが宗教嫌いなので無宗教者です。


でも何らかの神様がいると言う事と、不思議がある事は大好きで信じています。

私が思うに、神様は人間に助けも罰も与えないと思います。

神様は人間同士が助け合って人間に楽園を作らせるために、この地球を選び、まずは人間を作り、楽園作りに必要不可欠な全ての道具(空気に始まり、水、太陽、海、山、川、森林、鉱物、あらゆる生き物)を無償で与えてくれただけで、後は人間がそれらをどう生かし(活かし)、どう殺し、どう分け与え、どう奪い合い、どう愛し合い、どう憎しみ合おうが、何の手出しもせず、何のお咎めも救いもせず、ただただお空のはるか上で寝そべりながら、喜んだり、落胆がしながらひたすら見守りつづけているだけなのだと思います。

地獄も極楽もないと思います。
人間が地獄や極楽に行くというのは自分自身の行いのみの心の中での結果です。

自分が蒔いた種に相応しい花や実が成るので、それを自分自身が受け取るだけです。

行いが悪ければ、悪意的で、毒を吐き、まともな人はそれを嫌うので行いの悪い人ばかりが周りに集まり、徐々に孤立し、いざという時誰も助けてくれず地獄を見ます。

行いが良い人は人に好かれ、自然に良い心根の人に囲まれ、楽しく助け、助けられて、持ちつ持たれつな関係に。
だから日々が楽しく天国なのだと。

人間の幸せ(天国感)と不幸(地獄感)なんて、そんな極めてシンプルで単純な法則で出来ているんだと私は思います。

人が元気になる面白い言葉を使っていれば、自分にもそんな楽しいことばかり返ってくる。
毒を吐けば毒が返る。
人を助ければ人に助けられる。
人を蹴落とせば人に蹴落とされる。
人にあげればあげたようなものをその人もくれる。

鏡のような世界なのだと。

(あくまでも私の想像や空想です)
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この回答へのお礼

神はいるけど天国地獄は死後ではなく現世で受ける という事ですね。
この考え方は好きです。

神が全知全能なら地球全て含めて掌握してるはずですから、生物 大自然を自分勝手にしてる人類は全員地獄のはずです。
良い行い(自己評価)をすると周りにそれが伝わって自分に帰って来るので天国ですね。逆もまた然り。

お礼日時:2025/03/02 08:47

良い行いをすれば天国、悪いことをすると地獄に


落ちるって本当ですか?
 ↑
ウソです。
天国地獄なんてのは信者を増やす為に
坊主が作りだした技術です。
お釈迦様は、そんなこと、一言も触れて
いません。



そもそも悪いことって誰が決めるんですか?
  ↑
人間が決めます。
だから、その時の権力者にとって
都合が悪いことが、悪いことになります。



いい事と悪いこと両方やってたらどちらになるのか。
  ↑
秤にかけるんでしょうね。



全てとは言いませんが、そんなの立場や
捉え方によっていくらでも変わりますよね?
 ↑
ワシントンは米国では英雄ですが
英国では反逆者です。
現代の評価でいえば、歴史の英雄なんて
独裁者、殺人鬼、侵略者ばかりです。



誰にも、神がいたとしてもどちらか決めるなんて
不可能だと思うんですけど。
 ↑
そう考えない人も多いのです。

善悪も神が創った、定めた。
だから、立ち位置や、時代によっても
変らない、絶体普遍の善悪がある
はずだ、と考える人もおります。

キリスト教では、全知全能の神がいて
その神が善悪を定めるのですから
そう考えるのが当然です。

だから、西洋哲学者達は、絶体普遍の
善悪を求めて数百年も議論していますが
いまだに結論は出ていません。

それでも、ロールズの「正義論」が
有名です。
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嘘、、、です。



>そもそも悪いことって誰が決めるんですか?

善悪には明確な定義があります。
それは、何かといえば「法華誹謗」です。
釈尊は、法華経においてこの善悪を明確に書いています。
それに反しているから、法然からの浄土宗は地獄に落ちると日蓮大聖人は明確に言っています。⇒『四箇の格言』を参照してください。
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