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自分の地位や成績の差から見下してくる人の心理について考えています。私は地位が低くても仕事に誇りを持っているため、そうした態度には残念な気持ちになります。私を見下すのは構わないですが、職業を否定されるのは納得できません。その人は高い地位にあり、優秀な職業に就いています。また、兄弟が学校で成績を落としたことを見下すような発言もありました。

一般的に、偉そうに見下す人は自信がないとされていますが、その人は特に自信があるように見え、自分が優秀だからこそ見下す態度をとっているように感じます。このような人の心理はどのようなものでしょうか?

その人はZ世代で、周囲からの評価を気にしているように思いますが、他人にも高評価を求めることがZ世代の特徴なのでしょうか?

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A 回答 (9件)

どの世代にも多くのタイプの方がいます。

「他人にも高評価を求めることがZ世代の特徴」ということはないでしょう。【団塊の世代】1947~49年生まれ
【新人類】1960年代生まれ 【バブル世代】1965~69年頃生まれ 【就職氷河期世代】1971~82年頃生まれ 【団塊ジュニア世代】1971~74年頃生まれ 【ゆとり世代】1987~2004年生まれ 【ミレニアル世代】1980~90年代前半生まれ 【Z世代】1995~2010年生まれ と区分した場合、夫婦共稼ぎが急増した1980年代後半は、大学進学率が10%以上も高くなった時期で、それに伴い受験産業が勢いを付け、母親が子を直接世話するのではなく、偏差値やお受験のランク指標に強い関心を向けるようになった時期に生まれた子が【ゆとり世代~Z世代】にあたるということでしょう。
https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/22/ …
そのようなランキング指標に目を向ける親が、子に対して「~~なんてダメ。そんなのでは落ちこぼれになるよ」のような言をいうようだと、そうした環境で育つ子の何割かは、ハッキリ分かる指標でランクを見分け、ダメとOKと区分し、ダメを見下す言を吐くということになるのかもしれないです。 
そうであったとしても、それは「~~世代の特徴」ではないです。

身分制でハッキリ固まっている社会では、身分差は明確な常識になっているので、個人別に自分との比較で見下げるバカにするという面はあまり強くはならないです。 一方、社会が流動化し、個々人の社会的地位が生涯の間で上昇や下降が相当に起きるとか、親の職業や居住地域とは異なる職業や居住地に子が行ってしまうとかの状況が起きて、それが大規模に生じると、個々人のポジションの変化(社会移動)は、個人の能力や資質による結果であるという見方をするヒトが増えて、オラや優秀、ヤツは出来損ないだのような判断をして、中にはそれをあからさまに表現にしてしまう者も出てきます。 成功者と脱落者のようなのが大量に出現するのは、社会が流動化した結果です。 そうした社会の流動化は産業構造を変え、地域性も経済格差のような色を持ちます。 寂れた産業しかない地域、盛んに成長し膨張し繁栄する地域のようなものが生まれ、ヒトは寂れる産業や地域から陽が当たり勢いを強める産業や地域に移動し始めます。その移動に乗れたか、乗り損なったかなども、栄光か忘却かになっていきます。 さらに、経済がナショナル規模に広がり、その後グローバルに広がると、流動化(陽が当たる、陽も射さないに別れていく)し、個人や家庭、企業や地域や国の「OK、ダメ」に分けて評価するという思考法になっていくヒトが増加します。 

ヒトの多くは、成長していく過程で多くのことを知り、知識や技量を増やすとともに、思考方法や対応法のクセを身につけます。 親がランキング評価やランキング思考を繰り返して子に示せば、子はランキングを最初に重視するクセをつけてしまいがちです。 社会移動があまりない、親子で世代が変わっても職業や仕事も住処も引き継ぐような社会だと、親はランキングを語ることは少なくなり、この仕事やこの地域、世間と上手くやるためのマナーや考え方を子に教えることが多くなります。 職や住む地域、家の格、身分が異なっても、異なる人に対するときのマナーを教え、無用の対立や衝突、諍いが起きないことを重視するように、子の教育をします。

ランキングというのは、「順位は変わる」「順位は当人の才能や努力の結果」という認識をベースにしています。 個々人は、ランクの上昇や下降の結果としてのランキング評価を首にぶら下げているように感じていることもあります。 兄弟姉妹でも、伯父叔母、従姉妹でも、そういう生得の固定的なものではなく、個人の才能や努力の結果であるハズのランク札が重視されて、OKとダメに色分けして見えてしまう人が、そこらにポツポツといるのです。
多くの人は、さほどランキング思考に染まりきってはいません。 Z世代でも、過半数の人はそんな見方をしていないと、私は思っています。
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専門馬鹿が目立つ。


知識が全般的に何か欠落。
特定の部分だけが専門家並みに詳しい。
しかし、一歩内容専門が違うと知らないことだらけの人が多い。

よくいろんなサポート畑で見かけます。
呼び名をオペレーターと呼びます。

みな年齢はすごい若いです。

知識の偏り。
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その見下してくる人も根っこには何かコンプレックスを抱えているのでしょう。



その見下してくる人を他の人はハロー効果で何か立派な人と勘違いしている。
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自己愛性パーソナリティ障害の可能性。


https://www.msdmanuals.com/ja-jp/home/10-%E5%BF% …

そういう人が上司になるのは勘弁して欲しい。
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「職業に貴賤はない」というのが日本国の古来からの伝統でした。


これは、天皇制を維持する大義名分になっており、「日本国は天皇を頂点とした四民平等の国である」という思想を普遍化していました。
だから聖徳太子の十七条憲法のように、公務員(貴族)の地位の濫用や独善的態度、高慢さなどを戒める法が定められたりしていたわけです。

あなたの考え方は、以上のような古来からの日本独特の思想であり、その思想から観れば、あなたを見下す人はあり得ないと感じるのは当然でしょう。

そういうあなたが批判する思想は、無知蒙昧な民は一部の知識層が導かねばならないとする欧米や中国のエリート思想であり、Z世代云々は関係ありません。
日本は中国のエリート思想の産物である科挙は導入しないなど中国のエリート思想は移植しませんでしたが、明治以降の欧米のエリート思想は導入を決めました。科学技術力や軍事力の差があまりにも開きすぎていたので、一部の優秀と思われるエリート候補に西洋文明を学ばせると同時に、東京帝国大学などエリート層を産み出し、そのエリートたちに日本を率いてもらおうとしたのです。

そのために、日本は建国以来初めて貴族でもない武士でもない国民全体から選抜された一部のエリートが国を率いるエリート思想の国になったわけです。

そして、その結果、日清日露戦争の頃までは上手く展開できましたが、その後は日中戦争から太平洋戦争という大惨事を引き起こし、大日本帝国は滅亡に至りました。

その結果、天皇は象徴という存在にはなりましたが、再び「日本国は天皇を頂点とした四民平等の国である」という非エリート思想の国家として再生しました。
とはいえ、今はエリート思想も残存しており、四民平等思想とせめぎ合っているのが現状ではないかと思われます。
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地位が低いのは


貴方なりの努力していても誰も成果を認めていないからです
見下されても仕方ないと思います。
このくらいなぜできないのだと思うのは
その人がすでにその地位を周りに認められてきた
自信があるからにすぎません
日本は共産圏ではありません
実力社会です
強いものが弱いものを踏みつけてのし上がっていくものです
平々凡々としているだけではだれからも認められないし潰されます
貴方のほこりは無力な自分を認めたくないだけの言い訳にすぎません。
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自分に自信がない人だけが、他人を見下すことで自分を上げようとする。


自分に満足している人は他人を傷つける必要を感じない。
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それは、差別意識比較意識というものを自然なものとして何ら抵抗なく思考し実践している人です。

自身がエリートであるから他は下々である。大げさに言えば、武士や貴族階級が庶民を同等には見ていなかったという感覚と同じです。
それは、まったく見当外れでもないわけで、武士や貴族階級は確かに(例外はあるにしろ)一般庶民より武芸や教養に優れていました。それはもちろん教育をちゃんと受けたからですが、人間のランクというものがもしあるとすれば、確かにランクは上であったのです。社会にはランクの上下が必要です。だから武士は教養はないが肉体と労働精神旺盛な庶民(特に農民)に支えられて生きていたことは確かで、そこは「俺は俺、庶民は違う種類の大切な人間」という正常な差別意識?というものを当然持っていたわけです。

ご質問の件は、この現代の武士貴族(的な確かにエリートの実績がある)人が、そうでない一般的な人に対して向ける嘘偽りのない感想なのでしょう。
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その人が自信を持っていることを感じた時、即ちそれは自分が見下されたんだ。

と思い込んでしまう人がいるのです。

あなたが誇りを確かに持っているのなら、それを理解できない人がいることについては、親切になれる筈なんですよね。知っているのはあなたであって、知らない人はその人なんだもの。知ってる人は知らない人に親切になるものなんですよ。知力というものには、そういう力があるものなんです。


その人の態度次第で、それを否定されたと即思い込んでしまうのは、あなたの誇りがあなたのものとして危ういものだからです。あなたもその誇りの正体を知らないからなんですよ。

それを人のせいにすることが、あなたの安泰ならば、人をそのように「残念な人ですね。」と侮蔑して暮らせばいいよ。自分に引き寄せて物事を考えることが辛い人は、人にばかりそれを押し付けるしかないんだもの。

他人にはそれは許してもらえますよ。あなた自身がそんな自分を許せるかどうかは、別の話しだけどね。
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