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自分の地位や成績の差から見下してくる人の心理について考えています。私は地位が低くても仕事に誇りを持っているため、そうした態度には残念な気持ちになります。私を見下すのは構わないですが、職業を否定されるのは納得できません。その人は高い地位にあり、優秀な職業に就いています。また、兄弟が学校で成績を落としたことを見下すような発言もありました。

一般的に、偉そうに見下す人は自信がないとされていますが、その人は特に自信があるように見え、自分が優秀だからこそ見下す態度をとっているように感じます。このような人の心理はどのようなものでしょうか?

その人はZ世代で、周囲からの評価を気にしているように思いますが、他人にも高評価を求めることがZ世代の特徴なのでしょうか?

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A 回答 (5件)

「職業に貴賤はない」というのが日本国の古来からの伝統でした。


これは、天皇制を維持する大義名分になっており、「日本国は天皇を頂点とした四民平等の国である」という思想を普遍化していました。
だから聖徳太子の十七条憲法のように、公務員(貴族)の地位の濫用や独善的態度、高慢さなどを戒める法が定められたりしていたわけです。

あなたの考え方は、以上のような古来からの日本独特の思想であり、その思想から観れば、あなたを見下す人はあり得ないと感じるのは当然でしょう。

そういうあなたが批判する思想は、無知蒙昧な民は一部の知識層が導かねばならないとする欧米や中国のエリート思想であり、Z世代云々は関係ありません。
日本は中国のエリート思想の産物である科挙は導入しないなど中国のエリート思想は移植しませんでしたが、明治以降の欧米のエリート思想は導入を決めました。科学技術力や軍事力の差があまりにも開きすぎていたので、一部の優秀と思われるエリート候補に西洋文明を学ばせると同時に、東京帝国大学などエリート層を産み出し、そのエリートたちに日本を率いてもらおうとしたのです。

そのために、日本は建国以来初めて貴族でもない武士でもない国民全体から選抜された一部のエリートが国を率いるエリート思想の国になったわけです。

そして、その結果、日清日露戦争の頃までは上手く展開できましたが、その後は日中戦争から太平洋戦争という大惨事を引き起こし、大日本帝国は滅亡に至りました。

その結果、天皇は象徴という存在にはなりましたが、再び「日本国は天皇を頂点とした四民平等の国である」という非エリート思想の国家として再生しました。
とはいえ、今はエリート思想も残存しており、四民平等思想とせめぎ合っているのが現状ではないかと思われます。
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地位が低いのは


貴方なりの努力していても誰も成果を認めていないからです
見下されても仕方ないと思います。
このくらいなぜできないのだと思うのは
その人がすでにその地位を周りに認められてきた
自信があるからにすぎません
日本は共産圏ではありません
実力社会です
強いものが弱いものを踏みつけてのし上がっていくものです
平々凡々としているだけではだれからも認められないし潰されます
貴方のほこりは無力な自分を認めたくないだけの言い訳にすぎません。
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自分に自信がない人だけが、他人を見下すことで自分を上げようとする。


自分に満足している人は他人を傷つける必要を感じない。
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それは、差別意識比較意識というものを自然なものとして何ら抵抗なく思考し実践している人です。

自身がエリートであるから他は下々である。大げさに言えば、武士や貴族階級が庶民を同等には見ていなかったという感覚と同じです。
それは、まったく見当外れでもないわけで、武士や貴族階級は確かに(例外はあるにしろ)一般庶民より武芸や教養に優れていました。それはもちろん教育をちゃんと受けたからですが、人間のランクというものがもしあるとすれば、確かにランクは上であったのです。社会にはランクの上下が必要です。だから武士は教養はないが肉体と労働精神旺盛な庶民(特に農民)に支えられて生きていたことは確かで、そこは「俺は俺、庶民は違う種類の大切な人間」という正常な差別意識?というものを当然持っていたわけです。

ご質問の件は、この現代の武士貴族(的な確かにエリートの実績がある)人が、そうでない一般的な人に対して向ける嘘偽りのない感想なのでしょう。
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その人が自信を持っていることを感じた時、即ちそれは自分が見下されたんだ。

と思い込んでしまう人がいるのです。

あなたが誇りを確かに持っているのなら、それを理解できない人がいることについては、親切になれる筈なんですよね。知っているのはあなたであって、知らない人はその人なんだもの。知ってる人は知らない人に親切になるものなんですよ。知力というものには、そういう力があるものなんです。


その人の態度次第で、それを否定されたと即思い込んでしまうのは、あなたの誇りがあなたのものとして危ういものだからです。あなたもその誇りの正体を知らないからなんですよ。

それを人のせいにすることが、あなたの安泰ならば、人をそのように「残念な人ですね。」と侮蔑して暮らせばいいよ。自分に引き寄せて物事を考えることが辛い人は、人にばかりそれを押し付けるしかないんだもの。

他人にはそれは許してもらえますよ。あなた自身がそんな自分を許せるかどうかは、別の話しだけどね。
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