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いつも思うんですが、ジェンダーの人が、男らしい女らしい、という認識を問題視してるけど、男らしくありたい男性や、女らしくありたい女性が、肩身が狭くならなりませんか。
ただの逆差別になってはいませんか。
今日び、自らの性自認は曖昧にしとかないといけないという、とんでもない風潮はありはしないか。
そういった気持ち悪い認識を、学校教育の場で、子どもたちに強いてませんか。
キミは同性を好きになったっていいんだよとか言ってないでしょうね!
多様性を尊重するのはいいんですが、ちょっと声が大きすぎると思う。
どうですか。

A 回答 (8件)

ご提示いただいた文章について、非論理的と見なされる点を以下に指摘します。

この文章は、論理的な議論というよりも、いくつかの論理的な誤りや飛躍によって構成された、筆者の感情的な意見表明に近いものと言えます。

具体的に、以下の点で非論理性が指摘できます。

1. 「論点のすり替え」と「藁人形論法(ストローマン)」

『ジェンダーの人が、男らしい女らしい、という認識を問題視してるけど、男らしくありたい男性や、女らしくありたい女性が、肩身が狭くならなりませんか。ただの逆差別になってはいませんか』

【これは典型的な「論点のすり替え」です】

ジェンダー平等の文脈で問題視されているのは、「『男だから』『女だから』こうあるべきだ」という社会的な役割の“強制”や“決めつけ”です。個人が自らの意思で「男らしくありたい」「女らしくありたい」と願うこと自体を否定しているわけではありません。

筆者は、「役割の強制への反対」という本来の論点を、「個人のありたい姿の否定」という誰も主張していない架空の論点(藁人形)にすり替え、それを攻撃しています。このため、議論が噛み合っていません。

2. 「誤った二項対立」

上記の点とも関連しますが、この文章は暗に「『男らしさ/女らしさ』という規範を問題視すること」と「個人がそうありたいと願う自由」が両立しないかのような前提で書かれています。

しかし、本来この2つは対立しません。
「“男はこうあるべき”というプレッシャーは無くそう。その上で、個人がどういう姿を目指すのも自由だ」という考え方は完全に両立します。どちらかを選べば、もう一方が成り立たなくなる、という二項対立の構図は誤りです。

3. 「根拠のない断定」と「滑りやすい坂の議論」

『今日び、自らの性自認は曖昧にしとかないといけないという、とんでもない風潮はありはしないか』

これは論理の飛躍です。

「多様な性自認を認めよう」という主張が、なぜ「自分の性自認を曖昧にすることを強制する」という風潮に直結するのか、その因果関係が全く示されていません。

これは、「A(多様性の容認)を認めると、やがてB(自己認識の強制)という、とんでもない事態に陥る」と主張する「滑りやすい坂の議論」と呼ばれる論法の誤用に近い形です。AからBに至る明確な根拠がなければ、それは単なる筆者の不安や憶測に過ぎません。

4. 「感情論」と「概念の混同」

『そういった気持ち悪い認識を、学校教育の場で、子どもたちに強いてませんか。キミは同性を好きになったっていいんだよとか言ってないでしょうね』

まず、「気持ち悪い」という言葉は、論理ではなく完全に個人の主観・感情です。このような感情的なレッテル貼りは、冷静な議論を妨げます。

次に、「性自認(男らしい/女らしい)」の話から、唐突に「性的指向(同性を好きになる)」の話に飛んでいます。「性自認」と「性的指向」は全く別の概念であり、これらを混同して議論を進めるのは非論理的です。

また、「同性を好きになってもいい」と教えることは、いじめの防止や人権教育の観点から行われるものであり、それをあたかも不健全なことを強制しているかのように否定的な口調で語っていますが、なぜそれが問題なのかという論理的な説明がありません。

5. 「論点の矮小化」

『多様性を尊重するのはいいんですが、ちょっと声が大きすぎると思う』

ここまでの様々な論理的飛躍をすべて棚に上げ、問題を「声の大きさ」という主観的な印象の問題にすり替えています。人権や個人の尊厳に関わる社会的な問題を、単なる「音量が不快だ」という話に矮小化(小さく見せること)しており、建設的な議論を放棄していると見なせます。

まとめ

● この文章は、以下のような非論理的な手法を多用しています。
● 論点をすり替え、誰も言っていない架空の主張を攻撃する。
● 本来両立するものを、対立するかのように描く。
● 根拠を示さずに、憶測を事実であるかのように語る。
● 感情的な言葉で相手の主張を貶め、議論を拒否する。
● 別々の概念を混同して議論を混乱させる。

結論として、この文章は論理的な整合性よりも、筆者の感情的な不安や反発を表明することを主目的として書かれている可能性が高いと言えるでしょう。
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男らしい・女らしいがなければLGBTQも不要になるよね。

そのうえで生物学的な性別のみを判断基準にすればいい
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ご懸念の通り、最近は学校で「男は男らしく、女は女らしく」と強いてない。

嫌なら?
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要は概念は不要なんですよ。

そんなものは人間の本質とは関係ない。極論すればイスラムの女性差別だって本人たちからしてみれば合理的な思想であり習慣なのです。メリットがあるから習慣化している。
だから、人間、歴史的社会的に収まるところに収まるものであり、それにあたかも抗おうとするような近年のジェエンダー思想というものは実にいかがわしいまた不純な特に政治利用されている面もあるろくでもないものだということです。
出席簿が男女混合になっている?混乱するだけじゃないか。体育が合同授業になっている?だったら女子にラグビーをなぜやらせない?挙句の果ては同性結婚を認める?子孫を残すために結婚制度というのはあるのでありそんなものは結婚でも何でもなくただの居候です。
このように「男らしい女らしい」とかそれに反対するとかなんとか、すべては作り話であり、現実から浮遊した何のメリットも実質もない絵空事に過ぎません。
こう言う思想こそ強力な権力で弾圧していくべきものです。
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声が大きい、というより、そもそも「本質的なジェンダー論を理解していない人が多すぎる」です。

これはジェンダーの専門家と言われる人にも多くいますし、一般人はほとんど理解していないです。
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男らしい、女らしいというのを押し付けるのがいけないだけで、本人がそうありたいという気持ちに制約はないですよ。



女らしい男らしいも多様性の一つですよ。
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ヴィーガン、ジェンダーと言った分類の方々は、


何故、「日本語」の表現を使わないのか?

原因は、日本に、「そんなものは、無かった。」からでしょう。
詰まり、日本に、「定着していない。」、外国かぶれの
考え方に過ぎない、と言う事だと思っています。

それが、「大きな顔を、するな。」と思うのは、
私だけだろうか?

そういった方々が、非常に攻撃的に、持論を展開し、
相手を非難するのは、正直、聞くに堪えない。

声がでかいだけの、実質、何の力もない、日本語にもなれない、
異質の思考形態の方々だと、思っています。
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この回答へのお礼

Thank you

お礼日時:2025/07/03 05:53

おおむね同感です。

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この回答へのお礼

ありがとう

お礼日時:2025/07/03 05:39

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