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世界的な猛暑が続いていますよね、人類が出す二酸化炭素やメタンなどの温暖化ガスによるものだそうです。 
でも、人類がほとんど温暖化ガスを排出していない頃のはずの、平安時代も現在と同じくらい暑い時期があったそうです。 飛ぶ鳥も落ちるほどの暑さと詠っていたとか。
それはなぜですかね? 暑かった理由を知りたいです。

また、現在の地球温暖化に歯止めをかけられる効果的で現実的な方法があればそれも知りたいです。
地球温暖化に興味ある人など、皆さんからのいろんな回答を待っていますね。

A 回答 (9件)

割と簡単な話と思います。


平安時代が現在くらい暑いと感じたとすれば、恐らく「衣装の違い」と「涼を取る手段の有無」でしょう。

地球の温度に限って言えば、まずダイナミックには氷河期と間氷期。
氷河期が約10万年に対し、氷河期間の間氷期は約1万年と言う周期ですが、現在は氷河期の後期であって、それは平安時代も同じ。

また短期的には太陽活動の影響で、こちらは約11年周期で活動期と停滞期を繰り返すので、平安時代でも活動期には、まあまあ暑いです。

ただ、現代と平安時代の外気温に関しては、決定的に違うのは「ヒートアイランド現象」です。
すなわち、コンクリート,アスファルトの蓄熱,輻射とか、エアコンなどの排熱が、高層ビルなどの存在により滞留する現象ですが、この熱量がすさまじい。

従い、平安京と東京23区では、比べ物にならないくらい、東京23区は暑い筈です。
現在の都市部の温度で、エアコンとかも無く、着物で過ごしたら・・。
熱中症による死亡者は、毎日1000人超とかになっても不思議ではないでしょう。

一方、地球温暖化に関し、結論だけ言えば、現在の人類には惑星の温度を制御できるほどの技術は存在しません。
取り敢えずは、ゲリラ豪雨などの「異常気象化」を防ぐべく、気象の制御に取り組むくらいしか、出来ないと思いますし。
その取り組みも、CO2排出削減などに繋がります。
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この回答へのお礼

助かりました

「衣装の違い」と「涼を取る手段の有無」があったんですね。
あとはヒートアイランド現象ですか、CO2の排出削減くらいしか、現在の人類にはできないようです。 回答ありがとです。

お礼日時:2025/07/15 20:11

平安時代って794年〜1192年のほぼ400年あるので、


現代との比較対象期間は1627年〜2025年間の江戸初期から400年の平均気温ですよ。

で、平安時代が永らく続いて文化的な向上が起きたのは中世温暖期だったので基本的に食うに困らなかったからで
日本で戦国時代がきたり、地球の裏側のヨーロッパで大航海時代や産業革命が来たのは、小氷河期が到来し19世紀まで寒冷化が進んで、飢饉が増えてネズミも飢えてペストが発生し、領土拡大や生産効率向上の必要性が高まったから。
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この回答へのお礼

ありがとう

寒冷化も危険なんですね、食糧難になってしまうようです、ほどほどが良いですね。
回答ありがとです。

お礼日時:2025/07/15 20:05

しかし


10数年前の
ニュースを見ると
30度で猛暑と騒いでいましたから
当時は当時で
それなりに暑かったのでしょう
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この回答へのお礼

解決しました

当時は当時でそれなりに暑かったんですね、回答ありがとです。

お礼日時:2025/07/15 20:06

それは恐らく「中世温暖期」のことですね。

紀元1000年頃(950~1250年頃)、平安京や日本に限った話ではなく、地球北半球全体で気温が高かった(20世紀末と同じくらい)と言われています(ちなみに気温は木の年輪や地層中の花粉などからの推計です)。
なお日本でどうだったかというと、東京大学大気海洋研究所の研究によると意外にもその時期は寒冷だったようで、平安初期(西暦820年)の嵯峨天皇の頃に最高気温(25.9℃)を記録し、平安後期や戦国時代初期は24℃くらいだったそうです。

「西日本における歴史時代(過去1,300年間)の気候変化と人間社会に与えた影響」
https://www.aori.u-tokyo.ac.jp/research/topics/2 …

中世温暖期に関しては、その原因は太陽活動の活発化による日射量の増加だと言われています。じゃあ今の温暖化もそうなんじゃないの?と思ってしまいますが、現在太陽の活発化はなく、人為的な活動によるとする説が最も有力です。
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この回答へのお礼

助かりました

中世温暖期というのがあったんですね、でも日本ではせいぜい26℃くらいでしたか。
現在の温暖化は、人類の活動が原因の可能性が有力なようです。
回答ありがとです。

お礼日時:2025/07/15 20:13

平安時代=京都が都。

京都は周囲を山に囲まれた盆地のため、湿度が高く不快な暑さになりやすい。
 また、京都に住んでいた人たちの食生活が、栄養価の面では劣ってるため、暑さに耐える体力の点で問題あり。
そのため、体感的な暑さが強かった。
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この回答へのお礼

ありがとう

京都は盆地のために、不快な暑さになりやすいんですね。 栄養価の問題もあるようです、体感的な暑さですか、回答ありがとです。

お礼日時:2025/07/15 20:07

太陽のちょっとしたご機嫌で、平均5度やそこらは直ぐ違ってきます


何度も氷河期が来ている
暑くなれば極の氷が解けて海面が200メートル上昇した
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この回答へのお礼

解決しました

太陽のご機嫌で温度は簡単に違ってくるんですね、回答ありがとです。

お礼日時:2025/07/15 20:08

京都(みやこ)人の日記でしょうか?



京都盆地の夏の暑さは昔も今も厳しいんじゃないでしょうか?

一地点のとある人間の一文で『平安時代は~』と括るのは、難しいのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

解決しました

京都盆地はとにかく夏が厚いんですね、回答ありがとです。

お礼日時:2025/07/15 20:08

平安時代は中世温暖期だったそうです


自然は寒期と温暖期を繰り返していますがその原因や根拠はわかっていませんが太陽の活動と言われています
高いと言っても24度ぐらいです
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この回答へのお礼

ありがとう

中世温暖期というのがあったんですね、寒冷期と温暖期を繰り返していますか。回答ありがとです。

お礼日時:2025/07/15 20:09

「平安時代も現在と同じくらい暑い」と言える確かな証拠がありません。

当時は温度計などありませんでしたから。
「飛ぶ鳥も落ちるほどの暑さ」と言っても感覚的なものですから、定量的に今と比べることはできません。感覚をもとに詠んでみれば、いまは「飛ぶ鳥が焼き鳥になって落ちてくるほどの暑さ」です。

私が子供の頃(昭和30年頃)は、夏は暑くても31℃くらいで、32℃ともなれば異常な暑さ、という具合でした。
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この回答へのお礼

Thank you

当時は温度計が無かったですものね、回答ありがとです。

お礼日時:2025/07/15 20:10

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