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全く初歩的質問で申し訳ありません。前から疑問に思ってたのですが、ロシア語のアルファベット(というのでしょうか)はなぜあんなに不思議な文字(Rがひっくり返ってたり、、)が多いのでしょうか?英語(?)を元にハングルのように人為的に作成したのでしょうか?成り立ちが判る方お教え下さい。

A 回答 (5件)

 こんばんは。



 「キリル文字」というんですが、成り立ちは、下記のサイトがわかりやすいと思います。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA% …

>なぜあんなに不思議な文字

 英語のアルファベットに比べての話だと思いますが、それで行くと日本語はもっとへんてこりんな文字ですし、アラビア語になると、文字かどうかも判別できないですね(笑)。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA% …
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この回答へのお礼

ありがとうございました。参考URLもありがとうございました。確かにひらがななんて理解できるの日本人だけですね。

お礼日時:2005/07/06 07:38

ロシア人にすれば、漢字・カタカナ・ひらがな と、わけの分からない文字を使う日本人のほうが不思議でしょうね。



うろ覚えですが、ロシアなどの国々で使われています文字は、キリル文字と言い、ビザンツ帝国のキリル兄弟が、スラブ人に正教を布教するために、ギリシャ語を基に、スラブ語をうまく発音できるようにするために、創った文字だったと思います。

当時ビザンツ帝国の宗教である正教と、カトリックは、スラブ民族への布教の競争をしていました。
その時に、聖書をスラブ語に訳すために使われました。
結局、モラビア(現チェコ・スロバキア)・ハンガリーは、フランク王国の働きかけもあり、カトリックが勝ち、ブルガリア・セルビアは、正教が勝ちました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。そうですね。皆さんの回答を見て私も日本語の不思議さの方がずっと上だと思いました。「キリル兄弟が、、」やはり考えた人がいたんですね。確かに似たような言語を区別するのには必要な事だったのでしょう。

お礼日時:2005/07/06 07:43

 ロシア語はわかりませんが,客観的に見て日本語のひらがなカタカナ(ついでに中国巻き込んで漢字も)の方がよっぽど不思議な文字のように思えますけど・・・。


 Rをひっくり返したと言われますが,RはなぜRという形なのかご存知なのでしょうか?(もちろん私は知らないです。)

 ただ,英語を元にしたという事はないでしょう。どちらかと言えば英語の方がロシア語ではないにしても他の言語を真似たのではないかと思います。英語はそれなりの知識がないと,アルファベットの並びで読みが判別できませんが,スペイン語とかフランス語は一定の法則があるそうです。そんな言葉をあちらこちら取り込んだので,英語は例えば母音のaを「あ」とも「えい」とも「お」とも,iを「い」とも「あい」とか読むとか。

 しかし,英語はいまや国際語に昇格してますので,英語からの逆輸入の言葉も多いのではないかとも思います。

 以上,素人の戯言ですけど。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。確かに漢字、ひらがな、、難かしすぎます。不思議すぎますね。ひらがなは漢字をくずしていって作られたというのは何となくわかりますが、R、、、うーん全然判りません。英語の方が新参者だったんですか、知りませんでした。勉強になりました。

お礼日時:2005/07/06 07:48
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この回答へのお礼

ありがとうございました。参考URLためになりました。やはり宗教の力、情熱はどこの社会においてもすごいものがありますね。また、文字がなくても人間生きていけるというのも勉強になりました。

お礼日時:2005/07/06 07:52

下の方々の参考URLで大体回答は出ているのですが、足りないと思われるところを少し補足させていただきます。



現在使われているロシア語の文字は、9世紀末に現在のブルガリアで作られたキリル文字がベースになっています。

キリル文字の成立より少し前の863年に、スラヴ最古の文字であるグラゴール文字が誕生したことが知られています。この文字を考案したのはビザンチン領マケドニアの大都市、テッサロニケ(サロニカ)生まれのキュリロス(ロシア語ではキリル(洗礼名)、本名コンスタンティヌス)とメトディオス(ロシア語ではメフォージー、キュリロスの兄)の兄弟であったとされています。

 862年、大モラヴィア国のロスティスラフ公は、新たにキリスト教を受け入れたスラヴ人のためにスラヴ語でキリスト教を説くべく、ビザンチン帝国皇帝ミカエル3世に宣教師の派遣を依頼しました。
 
 当時、大モラヴィア国はローマ教皇とつながりのある隣国のフランク王国とその教会の影響下にあり、すでにある程度キリスト教化していました。しかしロスティスラフ公はフランク勢力の浸透を嫌い、政治的にあまり影響のないビザンチンの教会から宣教師を呼ぶことにしたのです。

 そこで選ばれたのがキュリロスとメトディオスでした。キュリロスは若くして哲学の教授となったほどの教養人で、皇帝の特使としてチグリス河畔のアラビア人や、カスピ海西岸のハザール人への外交使節を務めたこともある人物でした。一方兄のメトディオスは修道士としての生活を送っていましたが、かつてはビザンチンの行政長官をしたこともあるというエリートでした。さらに彼らの出身地であるテッサロニケには多くのスラヴ人が住んでいたので、彼らはスラヴ語(南スラヴ語・マケドニア方言)を理解することができました。当時モラヴィアで話されていたスラヴ語は、兄弟の知っていたスラヴ語とは多少違っていましたが、当時のスラヴ諸語はまだ違いがそれほどはっきりしていなかったので、お互い容易に理解することができました。高い教養とスラヴ語の知識―兄弟はまさにこの役にうってつけだったのです。

 キュリロスとメトディオスは863年早春、スラヴ人の弟子たちとともにビザンチンを出発し、秋にモラヴィアに到着しました。彼らは40ヶ月モラヴィアに滞在し、教会文献を自分の考案したスラヴ文語に翻訳し、弟子の育成にも努めました。やがてキュリロスはこのスラヴ文語を典礼に導入しました。当時ローマ教会では、ギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語以外の言語で典礼を行うことは許されていなかったので、キュリロスのこの行動はフランクの教会を大変に驚かせました。

 866年の終わり(あるいは867年の初め)、兄弟は自分の弟子を叙階してもらうために、モラヴィアを出てベネツィアに向かいました。ベネツィアで彼らはローマ教皇の正式な招待を受け、867年末(あるいは868年の初め)、ローマに到着しました。教皇はメトディオスとスラヴ人の3人の弟子を叙階したばかりでなく、スラヴ語での伝道もみとめました。こうして一通りの目的を達した兄弟でしたが、キュリロスは病にかかり、869年に42歳の若さで死んでしまいます。

 メトディオスはその後、ローマ教皇の後ろ盾のもと特使としてパンノニアで活動しましたが、支援者であったモラヴィアのロスティスラフ公が失脚し、フランクに対して好意的な公が即位するなどしたため、ついにモラヴィアでの布教は実を結ぶことはありませんでした。メトディオスは885年に死に、弟子は投獄、追放されてしまいました。

 結局、兄弟モラヴィアおよびパンノニアでの活動は実を結ぶことはありませんでした。しかし彼らの弟子たちがその事業を受け継ぎました。弟子たちは新しい公によりモラヴィアを追われましたが、一部はボヘミアへ、一部はクロアチアへ、そして大部分はブルガリアに逃れました。 スラヴ語を用いてキリスト教を広めようとしていたブルガリアのボリス王は、弟子たちをあたたかく迎えました。このボリス王のもとで、弟子たちはギリシャ文字を参考にしてキリル文字を作りました(以前はキリル文字を作ったのはキュリロスであると考えられていましたが、実はグラゴール文字であったようです)。キリル文字はグラゴール文字と並行して使われていたようですが、キリル文字の方が字体が簡明だったので、教会文献の翻訳に広く使われるようになりました。

 このようにして、ブルガリアで多くの教会文献がギリシャ語からスラヴ語に翻訳されました。このとき用いられたスラヴ文語を「古代教会スラヴ語」と呼びます。
 
 キリル文字がロシアに入ってきたのは、ウラジーミル公がキリスト教を正式に採用した988年以降のことです。古代教会スラヴ語で書かれた福音書などの教会文献が、ブルガリア経由で大量に入ってきました。上にも少し述べたように、当時はスラヴ語同士の違いがあまりはっきりしていなかったので、古代教会スラヴ語で書かれた文章はロシア人にも理解できました。

 その後、文語である古代教会スラヴ語は、口語である古スラヴ語と次第に融合し、近代のロシア語となっていきましたが、文字の方は18世紀まで大幅な変更なく使われ続けました。18世紀初頭にピョートル大帝は「近代化」の一環として文字改革を行いました。ピョートルは西欧の活字体を参考にして、キリル文字を印刷に適した文字に「改革」したのでした。いくつかの文字を削除したり、変えたり、加えたりしました。ピョートルが考案したこの文字は「民間アルファベット」と呼ばれています。

 1918年、十月革命の直後、「新正書法」が施行されました。これは文字とつづり字の規則を定めたもので、現在のロシア語もこれに従っています。

…と、このような長い歴史を経て、現在のロシア語の文字が形成されたわけです。すごく長くなってしまって申し訳ありませんが、参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

スラブ語の大家の方とお見受けしました。大変詳しい解説ありがとうございました。久しぶりに大学の偉い先生の立派な講義を受けた気分です。ただで御講義下さり大変感謝しております。重ねて御礼申し上げます。

お礼日時:2005/07/06 07:54

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