はたしてこのジャンルに書き込むことなのかわからないのですが、「神、空にしろしめす。なべて世はこともなし。」とはどういう意味でしょう?

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A 回答 (4件)

人間の世界では色々と不幸なようだが、


天の視点から見ればそれは大したことではない。
人がどんなに喜怒哀楽の坩堝に身をすりつぶされていようと、
空を始め自然はそんなことには頓着せず
悠々と広がっているではないか。

と、そんなことが言いたいのだろうと、
僕は解釈しています。
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この回答へのお礼

なるほど。わかりました。そういう気分でいたいものです。ありがとうございました。

お礼日時:-0001/11/30 00:00

ロバアト・ブラウニング(海潮音 上田敏)



春の朝
 
時は春、
日は朝、
朝は七時、
片岡に露みちて、
揚雲雀なのりいで、
蝸牛枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。

今日も神が天からご覧になっていてくださる。(感謝)。と私は読みます。
阪神代震災の朝だけはびっくりしました。揺れながら夜が明けると部屋中足の踏み場もなくて・・・
たまに、このような朝に出くわすと、一般に世は事もなし、がめでたく思えます。
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この回答へのお礼

出典まで書いてくださりどうもありがとうございました。
確かにその通りですね。この文の一行あとには「嘘だ。」と書いてありました(笑)。宮部みゆきの竜は眠るです。

お礼日時:-0001/11/30 00:00

 出典はブラウニングというイギリスの詩人の「春の朝」という詩です。

上田敏が訳した「海潮音」という詩集にある句です。
 他の人は、同じ場所を

「神、天にいまし給い、地にはただ平和」
としています。

参考URL:http://www.shigaku.or.jp/hanapoem/99.7.15.htm  
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この回答へのお礼

私はこの文を小説で見ました。出典がわかりとてもうれしいです。ありがとうございました。

お礼日時:-0001/11/30 00:00

なにの言葉なのかわからないので、適切な訳かどうかわかりませんが


「神は知っていらっしゃる、大体、世の中というものはたいしたことではない」
といった感じの意味だと思います。
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この回答へのお礼

そうか。世の中はたいしたことではないのか…。なるほど。わかりました。どうもありがとうございました。

お礼日時:-0001/11/30 00:00

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Qセネカの言う神とはどんな神のことでしょうか?教えて下さい

セネカの道徳論集を今読んでいますが、よく神という言葉が出てきます。「賢者は不死であること以外は神と同等である」というような言葉も出てきます。
 キリスト教ではなかったと思われるので、キリスト教の言う神ではないと思います。
 だとすればローマ神話の神々のことを指すのでしょうか?
教えて下さい。ストア派で言う、宇宙の意志のようなもの、ロゴスのことなのでしょうか。そうであったとしたら、私はロゴスについてはよく知りませんので、それについても教えて下さるようどうぞよろしくお願い致します。

Aベストアンサー

ここらへんはややこしいところですし、ほかに詳しい方がいらっしゃるとは思うのですが、たまたまいま読んでいる本とも関連する部分ですので、少し考えてみたいと思います。ただ、個別セネカについての知識があるわけではないので、その点をお含みの上お読みください。

そもそも紀元前6世紀頃、世界のさまざまな現象を、ギリシャ神話の神々が気まぐれによっておこしたと考えるのではなく、世界の内にある法則や原理によって説明しようとした人々があらわれたことをもって、哲学が誕生したとされています。

その人々は、神が世界を作りだしたのではなく、永久不変の物質アルケーがあらゆる現象のもととなっていると考えて、その物質の探求に思いをめぐらします。
タレスはそれを「水」といい、アナクシマンドロスは「無限定なもの」、アナクシメネスは「火」と考えたように、当時の哲学者たちの研究の眼は、自然へと向かっていました。

けれどもそれは後の自然科学とは異なって、実験をおこなったり、個々の問題を検討したりするという性格のものではなく、世界総体を考察し、言葉によって説明しようとするものであったために、旧来の神話的世界は排したものの、彼らの理解は宗教的なものでした。

ロゴスという言葉を初めて使ったのは、タレスらの少し後のヘラクレイトスです。
ヘラクレイトスはこの世界の原質を火と考え、この火がたえず変化し続ける、と考えたのです。有名な「万物は流転する」と言ったのがこの人です。

その一方で、生成変化するあらゆる現象の中に、不変のロゴス(ギリシャ語で「ことば」「理性」「根拠」「比例」などの意味を持つ根源語)が存在すると考えました。ロゴスはまた、ものごとを秩序づける力であり、万物を支配する規範であり、尺度でもあります。

人間はこの神的なロゴスを、理性の中に分有する。そのために、思惟することを通して、ロゴスを認識することができる。
思惟することで、人間は万物が流転することを知るばかりでなく、自らの主観性をも超越し、万人に共通のもの、つまり根源的ロゴスに到達する。その意味で、ロゴスは人間の倫理的規範ともなる。

ヘラクレイトスは神のことをこのように言っています。
「神はすなわち 昼夜、冬夏、戦争平和。神は さまざまに姿を変える。ちょうど火が香をくべられると、香のそれぞれの持ち味によって(さまざまの名で)呼ばれるように」(断片67 『ソクラテス以前の哲学者』廣川洋一 講談社学術文庫)

こうしたヘラクレイトスの考え方は、しばらく時代を経たのちの紀元前4世紀以降展開していくストア学派に影響をあたえます。
ご質問のセネカは、後期ストアの代表的な哲学者です。

ストア学派は、ヘラクレイトスにならって自然の根本物質を火とします。
この世界は初め火から生成し、最後には万物を燃やし尽くす「世界燃焼」によって消滅し、火に帰る。この生成と消滅の過程は永遠に繰り返されていく。
そして、この火はみずから生成して、原理(ロゴス)を持つために、神とも考えられる。
したがって、すべてのものは神の理法によって支配されていることにもなる。

このようにストアにとってロゴスは、宇宙に秩序をあたえ、宇宙をみちびく神の理性的力と考えられ、神、自然、運命と同一視されたのです。

「神は、理性とも、運命とも、ゼウスとも同じひとつのものであるし、またそれは他の多くの名でも呼ばれている」(ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』:クラウス・リーゼンフーバー『西洋古代・中世哲学史』(平凡社ライブラリー)よりの孫引き)

こうした神は、抽象的で、具体的な礼拝の対象になるようなものではありません。
それでも神を普遍的なもの、絶対的なものとし、その下での倫理を考えることによって、後のキリスト教信仰に道を開いていくものとなります。

ここらへんはややこしいところですし、ほかに詳しい方がいらっしゃるとは思うのですが、たまたまいま読んでいる本とも関連する部分ですので、少し考えてみたいと思います。ただ、個別セネカについての知識があるわけではないので、その点をお含みの上お読みください。

そもそも紀元前6世紀頃、世界のさまざまな現象を、ギリシャ神話の神々が気まぐれによっておこしたと考えるのではなく、世界の内にある法則や原理によって説明しようとした人々があらわれたことをもって、哲学が誕生したとされています。

そ...続きを読む

Q神と言えば 普遍神のことに決まってるではないか。なぜ常識にならない?

普遍神は ただ ≪有る神 と 無い神≫とに――人によって自由に――分かれ
また 前者の有神論では 名前が人(民族)によって異なっている。というだ
けである。

つまり 次のように示せるはずだ。:

  A. ブラフマニズム:梵我一如
   梵:ブラフマン・・・・・マクロコスモス。神
   我:アートマン・・・・・ミクロコスモス。霊我

  B. ゴータマ・ブッダ:無梵無我一如(=無神論)
   無梵:空(シューニャター)・ゼロ
   無我:アン‐アートマン;ニルワーナ

  C. ブディズム:仏仏一如(=有神論)
   仏:アミターバ・ブッダ(阿弥陀如来)
      / マハーワイローチャナ(大日如来)
   仏:タターガタ・ガルバ(如来蔵)・ブッダター(仏性)

  D. クリスチアニズム:霊霊一如
   霊:神・聖霊
   霊:《神の宮なるわれ》

  E. (プラトン?):霊霊一如
   霊:宇宙霊魂(プシュケー・コスムー) / 世界霊魂(アニマ・ムンディ)
   霊:《われ》

  F. 《もののあはれを知る》:霊霊一如
   霊:かみ(超自然。普遍神がいくつもの分身に分かれている)
   霊:われ(自然本性)

  G. ユダヤイズム:霊霊一如
   霊:ヤハヱ―;(エローホ=神)
   霊:われ

  H. イスラーム:霊霊一如
   霊:アッラーフ(イラーハ=神)
   霊:われ


☆ これを共同主観(コモンセンス)にするのに 手間暇は要らない。ただちに
伝わる。そしてこの神観は 日本人のこころである。

受け容れるには オリジナリティで先を越されたのが いやなのか。メンツか。
ねたみか。器が小さいというだけか。

普遍神は ただ ≪有る神 と 無い神≫とに――人によって自由に――分かれ
また 前者の有神論では 名前が人(民族)によって異なっている。というだ
けである。

つまり 次のように示せるはずだ。:

  A. ブラフマニズム:梵我一如
   梵:ブラフマン・・・・・マクロコスモス。神
   我:アートマン・・・・・ミクロコスモス。霊我

  B. ゴータマ・ブッダ:無梵無我一如(=無神論)
   無梵:空(シューニャター)・ゼロ
   無我:アン‐アートマン;ニルワーナ

  C. ...続きを読む

Aベストアンサー

説得力が無いからです

Qなぜ神はイエスをこの世に送ったのか

キリスト教に関する質問です。

神は全ての人々の罪を背負わせるために、一人息子のイエスを地上に送った、それほど人類を愛していた、とのことですが、その意図がわかりません。

なぜ人々が罪深いからといって誰かが犠牲にならなければいけないのでしょうか?

人類を創ったのは神です。親が子供たちの過ちの責任を、長男もしくは一番かわいいと思っている子供に負わせているかのように思えます。(キリスト教によると、人類は神の子ですよね?イエスの兄弟ですか?)
俺たちが悪いことをしたのに、何もしてない兄さんが警察に名乗り出てくれたよ。罪悪感感じるけど俺たちは罰を受けなかったし兄さんに感謝感謝、って感じですか?しかもそれを親(=神)がやらせたんですよね?
そもそも誰かを身代わりにしたら許される、その身代わりになってくれた人を敬う、という発想がよくわかりません。

なんでこんなに理解しがたいことが、世界中の人が信じている宗教の根本なんだろう?とものすごく疑問に思っています。

Aベストアンサー

>人類を創ったのは神です。親が子供たちの過ちの責任を、長男もしくは一番かわいいと思っている子供に負わせているかのように思えます

これはあなたの言うとおりでしょう。これが神の愛かな?

>そもそも誰かを身代わりにしたら許される、その身代わりになってくれた人を敬う、という発想がよくわかりません

身代わりなんだけど したら許されるという物ではない。
発想ではなく信仰によって考えるという事でしょうね。

これを信仰によって信じる事が出来るなら救われると聖書に書いていますね

Q神義論についてー悪人がこの世に存在する理由

世の中には弱者を虐げて省みない悪人が存在する。
神はミラクルを起こしてこの悪人を善人に変えることができる。それなのに悪人を悪人のまま放置しているのはなぜだろうか?

上記の問題は神議論の問題と言ってよいでしょうか?

御回答よろしくお願いします。

Aベストアンサー

神義論の問題といってよいと思います。
たとえば古代オリエント文学や旧約聖書のヨブ記などに
みられる神義論の問題では、

1)神は全能者である
2)この世には悪がある
3)それゆえ神は義ではないか、あるいは全能者ではないかのどちらか
でなければならないのではないか?

という問題を扱っています。1と2は、naritokuさんもそうして
いらっしゃるように前提とされているのです。これを解決するために、
1か2が否定されたり、神は義ではないと結論されたりする。
あるいは1と2は正しいけれども人間にはそのふたつがどのように
調和するかわからない、などと議論されます。

Aベストアンサー

全ての存在=感受は、感受表面における量子相互作用に還元されます。
時空的広がりは、その五感の相関した経験の蓄積において、新たな先行感覚(光や音など情報性の強い)の感受パターンにおいて、より生理的な他の感受(触覚や味覚)を励起する(=そこに行けば何が起きるか予測する)事によって生じます。

そこにおいて、その「感受表面」そのものが、その“空想的時空的広がり”に有限な広がりを持っていることによって、それ(原点としての自我仮説)は確定的な先入条件から、「自我仮説」になります。
そうした時空的広がり=有限的存在性が、相補的不確定性(不確定性原理)に基づいていることによって、その「自我仮説(経験=時間)」と「時空仮説(予測=空間)」は相補分化している、と言えるのです。

全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、無限に詰め込むと存在確率の山が平らになって、無と等しくなります。
この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の闇に認識体の仮定断面(潜在的認識可能性)の運動(時系列化=プランク定数hの収束=物体収縮=宇宙膨張)を想定すれば、相対的に無の風は光になり、認識体はその光(量子相互作用パターン)の向うに、自己の補完(相補的不確定性)としての宇宙を認識するのです。
自我仮説(記憶=時間の流れ=過去=超光速)と空間仮説(予測=空間の広がり=未来=光速下)の相補分化。

全ての存在=感受は、感受表面における量子相互作用に還元されます。
時空的広がりは、その五感の相関した経験の蓄積において、新たな先行感覚(光や音など情報性の強い)の感受パターンにおいて、より生理的な他の感受(触覚や味覚)を励起する(=そこに行けば何が起きるか予測する)事によって生じます。

そこにおいて、その「感受表面」そのものが、その“空想的時空的広がり”に有限な広がりを持っていることによって、それ(原点としての自我仮説)は確定的な先入条件から、「自我仮説」になります。
そうし...続きを読む


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