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学校の授業で調べなければならないことがあり投稿しました。

質問 「漢民族」と「騎馬民族」の文化摩擦について

先生は史記を取り上げて説明してくださいましたが、あまり理解できませんでした。また、自分なりに調べたのですがあまりいい資料に出会えませんでした。
  

回答お願いします。

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A 回答 (8件)

No1さんの補足です。



漢民族の説明は省きます。
騎馬民族についての補足です。
モンゴルがなぜあんなに大帝国になったのか?
秦の始皇帝が補完して完成させた、万里の長城はなぜ建設されたのか?
「略奪」が正解です。
騎馬民族の正業は「略奪」です。財宝や食料はもちろん、嫁さんまで「略奪」してました。
匈奴の王は度々中原を荒らし、「略奪」を繰り返していました。漢の時代もですが、漢民族は「略奪」の代わりに財宝や食料を与え、漢民族の女性を匈奴王の妃として贈ったほどです。
文化的に過ごしている漢民族よりも、厳しい自然と闘い生活している騎馬民族の方が精悍で強かったのです。
しかし、中原に住み着いた騎馬民族も文化的生活を送ると、たちまち漢民族化してしまいます。

つまりは、民族の違いではなく、環境の違いで性格が変わるのです。
例えて言うなれば「産みの母よりも、育ての母」と言ったところでしょうか?
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この回答へのお礼

ご丁寧な回答ありがとうございました。「略奪」・・・確かに資料をみると漢民族はよく贈り物をして、騎馬民族は強引にことを進めてますね。盲点でした・・。アドバイス有難うございます。

お礼日時:2005/07/19 13:40

漢民族に限らずアジア全体を見渡してみても、中央ユーラシアの騎馬遊牧民が周辺の農耕民(漢やインドやアラブやヨーロッパ)に対し攻撃をしかけて版図を広げる→すぐ崩壊


という図式はよく見受けられますね。フン族とか。

杉山正明『遊牧民から見た世界史』をお勧めします。
著者はモンゴルびいきが過ぎると批判されることもありますが、新鮮な視線の提示としてかなり刺激的な本です。

No6さんは秦には騎馬隊がなかったとおっしゃっていますが、兵馬俑にも陶騎俑がありますし、戦国時代の他国にも騎兵は存在していました。秦に騎馬隊がなかったとは思えません(どちらかといえば戦車のほうが主力だったでしょうが)。
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この回答へのお礼

「遊牧民から見た世界史」是非読んでみたいと思います。丁寧な回答有難うございました。

お礼日時:2005/07/20 08:08

史記を取り上げてとのことですので、先生は、やはり、匈奴を念頭においているのでしょうか。



他の方の言われるとおり、騎馬民族は戦争につよくて、常に農耕民族である漢民族の居住地を略奪しようとしてきた、と言えます。

それから、もう一つ重要な視点として、これも#2に出ていますが、漢民族は、周辺の異民族(北方騎馬民族を含む)を、アメーバーのように内に取り込んできたといえます。北方の騎馬民族は、人数も文化的にもずっと上の漢民族と出会うと民族的な同一性を保てずに、漢民族に同化して、いつのまにか消えてしまうということが歴史上、何度も起こっています。

たとえば、上で出ている匈奴も、秦・前漢では、漢民族のおそるべき敵なわけですが、後漢時代には漢の傭兵に、そして五胡十六国を経て隋唐時代になると、完全に漢民族に同化してしまっています。

#胡服騎射をはじめてとりいれたのは、戦国時代、趙の武霊王とされいますね。
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この回答へのお礼

確かに先生からいただいた資料での匈奴はほぼ同化しています。気づきませんでした・・。
回答有難うございました。

お礼日時:2005/07/20 08:09

文化摩擦ということで、思い出した話を一つ。



騎馬隊、という部隊があります。三国志の時代(漢末)にはあった部隊ですが、実は秦の時代にはありませんでした。それまでは「戦車隊」でした。要するに、馬が引く二輪車に乗って戦っていたのですね。
騎馬隊は漢の武帝(だったかな)が導入しました。

で、当然、それ以前の衣服は騎乗に適した服ではない、巻スカートのような服なわけです。ズボンのような形の服は、当時「胡服」として蔑視されています。それを強行に導入して騎馬隊が発足するわけです。
この辺りの文化摩擦も一つの文化摩擦として面白いのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

騎馬隊は結構新しいものだったんですね。自分の無知さを実感しました。ご丁寧な回答有難うございました。

お礼日時:2005/07/20 08:11

No.2です。



とても便利なこれを。

匈奴から拡げていくと、面白いよ。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%88%E5%A5%B4
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この回答へのお礼

参考URL有難うございます。これからやってみます。ご回答有難うございます。

お礼日時:2005/07/20 08:12

中国史で「騎馬民族」という言い方はあまりしないと思うのですが、遊牧民と解釈して答えます。


原書房から出ている岡田英弘氏の『皇帝たちの中国』を読むといいですよ。岡田氏は蒙古史の権威だそうですが、遊牧民側から見た中国の姿がわかり、長年の疑問がたくさん解けました。中国の本当の姿は、何千年も隣あって生活していた、遊牧民が一番よく知っているわけですよ。
昨年、講談社新書から出た『中国文明の歴史』の最初の方にも、同じ内容が要約して書かれています。こっちの方が安いし、本屋で見つけやすいでしょう。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。「皇帝たちの中国」ぜひ探して読んでみたいと思います。本当に有難うございます。

お礼日時:2005/07/19 13:36

 文化摩擦と言うことでしたら、中華思想や冊封(さくほう)体制などについて調べてみてはいかがでしょうか。


『史記』のどの話をされていたかは判りませんが、『史記』からであれば戦国時代の趙の武霊王の胡服騎射の話など参考になるかもしれません。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。中華思想、冊封という言葉でいろいろ資料を探したいと思います。
本当に有難うございました。

お礼日時:2005/07/19 13:37

課題についてのご質問ですから、そのまま答えを教える事はできません。



漢民族は、基本的に農耕・定住民族です。
騎馬民族き、遊牧・移動民族です。

漢民族の地は、土地が肥えていて、生産性が高く、人口も多く、文化が発達しています。

遊牧民族の地は、その逆です。

遊牧民族は、豊かな地を、価値有る物資を求めます。
するとどうなるでしょうか?
それに対して、農耕民族は、どうするでしょうか?

一方、漢の時代、西方の国家との交易のためには、漢は、遊牧民族の地を通らなければ、交易ができませんでした。

漢は、交易路の安全と、交易から生まれる収益をより得ようとします。
一方東西交易による収益が、大切な収入となっている遊牧民は、その漢の考え方をどのようにおもうでしょうか?

それらをまとめて見てください。
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この回答へのお礼

丁寧な問題提起有難うございます。一度それらでもまとめてみたいと思います。本当に有難うございました。

お礼日時:2005/07/19 13:42

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