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命題A:動物は今だけを生きている。
命題B:ハト(動物の一種)は記憶を持っている
命題C:記憶は今でなく過去のことを記憶する。

 命題Aはどこかで聞いたことがあります。
 命題Bは心理学で勉強したことです。
 命題Cは哲学で勉強したことです。

これらの命題は、すべてが同時に成り立つことはないと思うのです。なぜなら、

命題Aが正しければ動物は過去のことは全く知らないはずです。しかし、命題Bでは、動物であるハトが記憶を持っていると言っています。命題Cは、さらに記憶は過去と必然的に関係があるということだと主張します。そうするとBとCから動物であるハトが過去を把握しているということになります。これはAの動物は今のみを生きているということと矛盾してしまいます。

命題Aが私の記憶が不明瞭なためにそれが間違っているということも考えられます。
また命題Bのハトの記憶は命題Cの記憶の一種ではあるが、少し意味の違う使い方をしているとも考えられます。例えば、コンピュータの記憶装置などの記憶は過去世界を持ちうるかといったらそうではないような気もします。

私が知りたいのは記憶を持っていれば必然的に過去世界が存在するのかということです。

記憶はいつも今、記銘し、今、保持し、今、取り出します。この今が過去へと変わっていくのですが、それがわかるのは記憶によるものなのか、それとも、それ以外のものが必要なのかということです。

それから過去世界は記憶がなくても存在するかということもわかりません。これは存在論と認識論の問題になってしまうかもしれません。

もしも、ハトが過去世界を持たないとしたら、それが過去だからなのか、それとも世界だからなのかということも知りたいところです。ハトは世界(現在世界)もわかっていないのでしょうか?そうだとしたら、過去世界をもつことも難しくなります。

A 回答 (11件中1~10件)

hakobuluさんのおっしゃるように、命題Aの動物は今だけ生きているというのを狭義に捉えていらっしゃるように思えます。

普通にに捉えると「命題A」は「動物のもつ今というのは、過去や未来が入り込んでいる」の範囲が人間のそれに比べてほとんど無視できるくらいに狭いということだと思います(私に言わせれば人間だって十分に動物だと思うのですが)。三歩歩けば忘れるとか、本能に従って行動するとか、いうやつです(=なので、命題は特に矛盾しない)。(※本能に従うというのは、個別の過去ではなく、遺伝の中に取り込まれたライフサイクルとしての過去と未来を取り込んだものなので、実は今だけを生きているの対極の行為だともいえると思います。では、なぜ今だけ生きているという表現をそれなりに受け入れられるかといえば、私たちが個体を基準に考えているからだと思います。命題A風にいえば「人間は自分だけを生きている(生きようとしている)」)

さて、本題の「私が知りたいのは記憶を持っていれば必然的に過去世界が存在するのかということです」ですが、定義がよくわからないのですが、ご質問の文脈からすると、「ハトのようにおそらく単純な記憶があるというだけで本当に過去を意識していると言えるだろうか?それとも、記憶にはその程度にあわせて作られる過去というものがあって、それなりの過去という意識をもっているのだろうか?それとも、過去の世界というのはそういう記憶とは別にあって、それを何らかの形で意識するものなのだろうか?」というところでしょうか?つまり、「過去世界」とは「過去+世界があるという個体の感じる意識」のことなのでしょうか?

とりあえず「過去世界」とは「過去+世界があるという個体の感じる意識」と仮定します。
ハトにとっては過去とは食べられないものや危険な場所に対する不愉快な感情なのかもしれません。未来に向けて残しておくべき情報はいま反応し対応しなければいけない情報に対して格段に少ないと思いますが、それが記憶するに値する世界に対するハトの認識であり、過去の在りようともいえると思います。一方、corpusさんが考えていらっしゃる「過去世界」はおそらく、その構成を他の個体に伝えることが可能なときに「過去世界」があるとおっしゃっている気がします。つまり、その個体に関係なく他の個体にとっても意味のある世界の在りように関する情報を含んでいるとき「過去世界」があるといいましょう、ということです(=ニュースでしか見たこともない湾岸戦争のことを含めて過去を記憶しているときに「過去世界」があるといいましょうという意味です)。とすれば、
(1)「過去世界」とは記憶を持ちうる主体とそれ以外の第三者との関係である
(2)その主体は主体にとって必要な情報を記憶している
(3)その主体の記憶してる情報は第三者にとって世界を認識するために必要な情報となりうる
とき、その記憶をもっている主体は(第三者に対して)「過去世界」をもつということになるのではないでしょうか?

ちなみに、人間にとって「世界」と呼ぶにふさわしい情報レベルというのは存在するような気がします。その中の事象なり登場してくる事物が独立した方向性(意志だったり、現象としての勢いだったり)をもっていて、それらの関係性を再構成して、そこからいくらかでも時間発展した状態を導けるものを「世界」と呼ぶような気がします。(つまり、映画のように画像を張り合わせたものではなく、記憶の中の事物に自分を投影可能で、かつ、それらの事物がおかれた状況を再構成し、事物に投影した自分の活動により相互に働き掛け合いながら、次の瞬間をつむぎ出していくようなイメージです)。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。

私が考えていた過去世界というのは、第三者の存在をいつのまにか仮定していたのですね。言語と関連があるのかもしれないとは思っていたのですが。

また遺伝のもつ記憶というものも面白いですね。私は個体の記憶だけしか考えていなかったかもしれません。

お礼日時:2005/08/08 15:37

こんにちは。



corpusさんの仰る情報とは知覚表象としての世界ということだろうと思うのですが、
その表象と「我々が対象とする世界」の区別は我々自身には判定不可能であろうと考えます。
判定不可能ゆえに「世界そのもの」とは言えない、と思うわけです。
我々の判定可能性は経験的世界の内だけであろうと考えるのですが如何でしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/08/26 15:39

>情報と世界の違いについても知りたいところです。

これは同じなのでしょうか?

われわれ人間や動物は知覚によって受け取った刺激情報を処理するわけですが、
その「情報」とは我々と世界を
「介在」するものであって「世界そのもの」ということにはなりません。

それと注意しなければならないのは、身体機構のオートマチズムによる無意識的な運動性の反復(これは習慣のことをいう)と真の記憶=過去としての過去の認知、心象の持続、認識的である、を混同してはならないということだろうと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

情報は介在するものなのですか。世界そのものとの違いはわかるのですが、それを本当に区別することはできるのでしょうか?それを区別する基準はあるのでしょうか?

私は反復と記憶を混同していたでしょうか?していたかもしれませんので、気をつけます。ただ、本当のところ、その区別はあまりないような気もしてきています。

お礼日時:2005/08/08 15:45

ご返事ありがとうございます。



「>記憶する対象が過去であるとハト(動物)はわかっているのでしょうか?」

意識的・無意識的を問わず、
記憶するという作業を「今」する為には、
「今以前」(即ち過去)の出来事が存在しなければ不可能なので、
「記憶する対象が過去である」ということは事実として認定されていると思います。

それを理解していてもいなくても、
鳩は「今」生きている時点で、「過去」を「記憶する」作業を行い得るので、
やはり矛盾は生じないように思います。

因みに「過去世界」に関しては、
どなたかもおっしゃっていたかもしれませんが、
「過去世界」が成立するためには、「過去世界と認識する為」の
「今という(認識するという作業をする為の)時間」が不可欠ですから、
あくまで「今における概念のひとつ」に過ぎないと考えます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>「記憶する対象が過去である」ということは事実として認定されていると思います。

これは人間が認定しているだけではないでしょうか?

>あくまで「今における概念のひとつ」に過ぎないと考えます。

今とは独立に過去世界が存在することはないのでしょうかね。

お礼日時:2005/08/08 15:27

質問を記憶と過去世界に限定して、


時間と空間によって存在あらしめられるものが3次元ですが、
多次元世界においては過去と現在を区別するものがありません。
これが魂の常駐場所ですね。過去の記憶を呼び出すと、今現在のことであるのですね。心が独自に描き出すエネルギーが、独自の世界を造っている、と言えるのです。これが実相世界、イデア観、天国地獄といわれるものの、
おおよその基本原理です。
鳩は鳩の魂として難しい思考はなかろうが、鳩としての実体、としての思考が過去現在を通じて存在しているのですね。
記憶が脳みそだけに存在するという考えかたが科学的と思われる事もありましょうが、狭い閉ざされた世界の考えであります。脳みそはコンピューター
のメモリーでしょうか、ハードは魂と言えなくもない、メモリーが無くとも実体としてハードは存在している。コンピューターが故障して壊れても
ハードを入れ替えれば甦る。あまりいいたとえではありませんが。
記憶は脳ではなく、魂に存在しているという事です。
過去考えた事、今考えている事、これから考えるであろう事が魂の本質であり魂とは「永遠の思考するエネルギー体」である、といえると思います。
生命あるものは全て例外がない、と考えます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>多次元世界においては過去と現在を区別するものがありません。

私は多次元世界をあまり信じていませんが、じっくり考えてみると区別するのが困難なことがよくあるのはたしかだと思います。
過去とか現在というのは実は人工物かもしれませんね。

記憶がどこにあるのかというのも面白いですね。もし魂にあるとしたら、脳がやっていることは何なのでしょうか?

お礼日時:2005/08/06 16:55

>記憶はいつも今、記銘し、今、保持し、今、取り出します。

この今が過去へと変わっていくのですが、それがわかるのは記憶によるものなのか、それとも、それ以外のものが必要なのかということです。

フッサールの現象学説ではこれを{過去把持}と呼びます。

例えば我々は音楽をどうのようにしてメロディーとして捉えることができるのでしょうか。

意識は端的な今である原印象[直下の音の意識]のみからなっているのではなくて、今は絶えず[たった今]へと変容し、その音はなお把持されることになります。この過去把持が第一次的記憶で、過去把持そのものは顕在的にあるものですが、把持されている音は非顕在的な[あったもの]ということになります。こうしてそれぞれの今が過去把持の過去把持へと移り、過去把持の絶えることの無い連続体が生じます。これに対して第一次的記憶がすぎさったのちに、その音が想起される場合が第二次的記憶になります。
すなわち、過去の音の連続性を想起し、その連続性のつづきを予測することによって音のあつまりをメロディーとして捉えることができるのです。

また自動車を運転している場合でも同様で、数秒前の情報が「今」の情報と照合され、様々な制御を可能にしています。一瞬の情報しか把持することができないのであれば自動車を制御することは不可能となるでしょう。

音楽や運転は今の情報から未来を予測します。フッサールは、こうして未来が現在に入り込んでいることを「未来予持」と呼んでいます。

>私が知りたいのは記憶を持っていれば必然的に過去世界が存在するのかということです。

[過去世界]とは今という時間によって満たされた記憶のよる[再構成]ということになろうかと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「今」というものもむずかしいですね。動物のもつ今というのは、過去や未来が入り込んでいるのでしょうかね。動物も、点としての今だけの情報では動作不能になるでしょうから。

情報と世界の違いについても知りたいところです。これは同じなのでしょうか?

お礼日時:2005/08/06 16:40

「>命題Aが正しければ動物は過去のことは全く知らないはずです」


というのは、
「命題A:動物は今だけを生きている。」
を狭義に捉えているように思うのですが、どうでしょうか?
記憶するという事自体も「生きる」活動のひとつとして認めれば、
解決しそうですがだめでしょうか?

確かに「記憶は今でなく過去のことを記憶する。(C)」のでしょうが、
記憶する対象は過去であっても、
記憶するという行為をしているのは「今」なわけです。
ですから「ハト(動物の一種)は記憶を持っている(B)」としても、
「動物は今だけを生きている。(A)」
と矛盾はしないように思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

ふーむ。
記憶する対象が過去であるとハト(動物)はわかっているのでしょうか?このことがわかりません。

たしかに「動物は今だけを生きている」というのは強い主張のような気もします。これについては、ゆっくりと考えていきたいと思います。

お礼日時:2005/08/06 16:19

>『情報』から『世界』を構成することがハトには不可能ということなのでしょうか?


 一度失われたものを取り戻すことはできません。
 人間にしてもハトにしても、過去は『そこに世界があった』という記憶だけが残っているだけです。
 あなたが過去を思い出すとき、あなたは単に思い出しているだけです。
 過去世界を再構築して、そこに出かけているわけではないわけです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

過去世界は存在したかもしれないが、現在の記憶から再構築することは不可能なのですね。しかし、過去世界を知る方法は記憶によるほかないようにも思うのです。それとも過去世界そのものが存在しないものなのでしょうか?

お礼日時:2005/08/05 21:14

中国の古い話で、木の下で居眠りをしていた大人(たいじん)が夢で自分の生まれて死ぬまでの一生を見たというのです。

大人が木の下で寝ているのを見ていた人は、あなたが木の下で居眠りを始めたのは知っていますが、上から木の枝が落ちてあなたの頭に当たったのであなたが寝たのは一瞬ですよというのです。でも大人はその一瞬で数十年分の夢をみたんです。ここで、科学的に考えると、まず脳に数十年分の人生の三次元的映像情報が記憶できるかという疑問ですね。第二番目の疑問は、一瞬で数十年分の映像情報が再生できるかということですね。この二つは、物理的には不可能ですね。脳はそんな働きはできないですね。では、上記の話が嘘かといえば、そうともいえないんですね。そういう話や体験した人、意外といるのですね。さて、本題にもどりますと、記憶の問題ですが、動物や鳥は寝ているときに夢を見ないかといえばそうともいえないですよね。あの小さな脳にそれほどの記憶容量があるともおもえませんね。それは人間の脳の容量と数十年の記憶との関係と同じじゃないですかね。つまり、ハトも人間も認識と記憶はコンピュータとは違うメカニズムがあるというのが本当のところじゃないのかな。
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この回答へのお礼

中国の話は物理的に不可能ではないと思いますよ。再生でなく、早送りすればいいのですから。

ヒトやハトの記憶がコンピュータと違っているのはそうかもしれませんね。ただヒトとハトは同じ記憶メカニズムなのでしょうかね。

お礼日時:2005/08/05 18:16

まず肉体だけを考えてみたらどうでしょう。

昆虫のような生物も生きていますが、彼らの体を作っている細胞はただ現在だけに生きているとしてもそれほど大きな誤りはない様に思います。これはホメオスターシスと呼ばれている現象のことではないでしょうか。つまり環境は過去になっていっても生物の体は現在(一瞬前の過去)と同じ状態にいるという意味で現在にのみ生きているということではないでしょうか。記憶が関係してくる過去というのは現在との比較としての過去だとすれば環境が常に古くなっていくという意味での過去とは違うと思います。あまりまとまったことがいえませんが、ここに人間が関係してくると過去や未来が現在と同じ資格を持ってくるようになってきて結構複雑なことなのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

環境の過去と記憶の過去というものが違うということなんですね。

お礼日時:2005/08/05 18:09

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