アンネの日記というのは全くの嘘で、誰かが勝手に書いた話なのでしょうか?
 といいますのは、だいぶ前に、アンネフランクの隠れ家になった博物館を訪問したことがあります。この時、実際、私が現地で購入したパンフレットには、この件で随分長く裁判があったようだと書いてありました。私の知り合いも似たことをいってるのを聞いたことがあります。
 どなたか、「アンネの日記は偽物!?」に関して詳しく知っておられる方、教えて頂けますか? もちろん、「偽物説の反対論」でも結構です。よろしくお願いします。

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A 回答 (4件)

こんなページもあります。



偽物ではなく確かに彼女が書いたのですよ。ただ、#1さんのご指摘の通り出版に際して父親が削除した部分がありますけどね(あまりにも赤裸々な記述があったそうで→少女らしくない、という理由でです。しかし、それがアンネ・フランクが書かなかったという理屈にはなりませんね。)

尚、アンネ・フランクの死因は#2さんのご指摘の通りらしいです、ただし収容所内での感染による、ようですが。

#2さんのサイトも拝見しました、があの葉書の出どころの方が疑わしい気がします。日記の実物はオランダ政府が保管してますから、その気になればアンネの指紋などの照合が可能です。もちろん、我々一般人がどうこうできるレベルではありませんがね。
しかし、面白いのは1951年以前にはボールペンは無かった、1945年に死んだアンネがボールペンを使ったハズはない、と書いてありましたが、トンボのホームページによると「 実用的な物としての開発は、1943年にハンガリーで考案されたのが始まりです。翌年1944年にはエバーシャープ社(米)が特許を買い、内容を改良したものを発売しました。(油性ボールペンの歴史より抜粋)」との事です(笑)

#2さんも書いてますが、ネットの意見は一面だけ見てスグ判断するのは危険ですね。大抵は自分に都合の悪い事は書かないものですから、検証が大事です。

参考URL:http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/study/ohko …
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『軍事板常見問題』より


http://mltr.e-city.tv/index02.html
「欧州方面FAQ」から
http://mltr.e-city.tv/faq08.html

≪【珍説】アンネの日記は捏造です。あの時代にボールペンはありません≫
http://mltr.e-city.tv/faq08a03.html#アンネの日記

≪【事実】(レス1) 1981年、オランダ国立戦時資料館は、アンネ・フランク自筆の日記を、真贋鑑定のために法務省所属のオランダ国立法科学研究所に提出した。
 国立法科学研究所は使用されている物質-インク、紙、糊など-と筆跡を調査して、270ページの報告書を発行した。
 国立法科学研究所の報告は、アンネ・フランクの日記の両バージョンが、共にアンネ自身によって1942年から1944年の間に書かれたということを、異論の余地無く論証した。
 日記が他の誰かによる(戦後もしくは戦前の)作品だという申し立ては、ゆえに最終的に反駁される。
 さらに、校正と省略にもかかわらず、「アンネ・フランクの日記」(すなわち日記の出版されたバージョン)は、事実アンネの著作の「本質」を含有している。
 この本の編集者や出版者の仕事に関して「偽造」という用語が適用される余地はまったく存在しない。
 アンネの日記に対する一番ありふれた難癖は、日記にはボールペンによる記述が含まれており、ボールペンが一般的に使用されるようになったのは、アンネの死後だというものだ。これは、偽瞞ながらも、しつこく持続している神話である。日記中の唯一のボールペン・インクは、アンネ以外の人間によって挿入されたと分かる紙片に記されたものだ。
 言うまでもなく、アンネ自身の記述はボールペンを使ったものではない。 http://www.ss.iij4u.or.jp/~mitaka/nizkor/66qa56. …
 (レス2)
http://www.annefrank.nl/eng/articles/authenticit …
 ここによると、1970年代にBundeskriminalamtが「ボールペンインクっすよ、これ」と言いたれたのが始まりらしい。
 ところが1986年?の裁判では、Bundeskriminalamtの言う「ボールペンインクが見つからない」というトホホな結果に。
 で、1993年3月19日に完全に決着がついた、とある≫

 “事実ではない””存在しない”などの「ないこと」を証明するのは「悪魔の証明」といわれて、はなはだ不利なものです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E9%AD%94% …
よって“事実である”など「あるということ」を証言する側こそが、その証明義務が生じます。ただし、今のところ「『アンネの日記』は捏造である」という明確な証拠は存在しないため、そのような主張は事実無根と認識した方がよろしいでしょう。
 また、前述の事実を踏まえた上で「ホロコースト」に関する態度として真っ当な意見は、
≪アンネの日記の問題に限らず、ホロコーストの問題全般に渡り、細かい部分での異論は色々出ているようだが、そういうものは専門家の議論に任せたほうがよろしい。
 今後、細かいところで定説が覆った部分が出てきたにせよ、「アンネの日記は、概ね本人が書いているだろう」「何らかの計画的大量殺戮はあっただろう」という大枠が崩れることはまずあるまいし、素人が適当に議論の端っこだけつかまえて、討議しようったって、水掛け論の信仰告白にしかなりゃしない。
 もし専門的に討議したいのだったら、BBSで不毛の論争を繰り返すよりも、大学の史学科に入るなど、相応しい場を求めた方がよろしい。
 まあ、人それぞれの人生だが…≫
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。
私としては、情報や多くの方の意見を伺いたく投稿させてもらいました。
頂いた資料をよく読んで、自分なりの考えをまとめてきたいとは考えております。

お礼日時:2005/08/09 20:49

 こういうサイトがありました。


 もちろん一方だけの論理なので、これで結論づけることは早計だと思います。
 ただ、この中で触れているボールペンで書かれている部分のことや、筆跡の違いについて、明確な反論が出ていないらしい、というのはどうかと思いますね。

 又、今ではアンネ・フランクは腸チフスが原因で死亡したというのが定説だそうです。

参考URL:http://www.marino.ne.jp/~rendaico/daitoasenso/ta …
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この回答へのお礼

詳しい資料をありがとうございます。
私自身、余計にわからなくなってきました。確かに、ボールペンの件については怪しいきがします。
それに、新たに友人にだした手紙が発見されたことにより問題がさらにややこしくなりました。

お礼日時:2005/08/09 20:44

本当のことは知りませんが、流布している「アンネの日記」は父親がかなり削除していて、実物とはかなり違うという話を前に読みました。

削除された部分は清純な少女というイメージを損なうところだというのですが。
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この回答へのお礼

歴史が都合よく書き換えられるというのはよくありますね。与謝野晶子の「反戦歌人」というのも、後の人がつくったイメージだったりします。ありがとうございます

お礼日時:2005/08/09 20:31

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Qアンネの日記を破り捨てる理由

図書館回りをして、アンネの日記を破り捨て、歴史を正そうとしている勇者がいるようですが、アンネの日記も、敗戦国側のドイツを悪者にするために、戦勝国によって捏造されたものなのでしょうか?

Aベストアンサー

勇者ではなく立派な犯罪者です。
自己の主義・主張があったとしても、そういう方法でしか主張できないのは愚かです。
従って捏造という考えも出てきません。

Qアンネ・フランクの隠れ家について

アンネ・フランクが隠れていたいた家は、どんな家だったのでしょうか。当時
のユダヤ人はどこら辺に隠れていたのでしょうか。なぜ、隠れていたのにドイツ軍が見つけたのでしょうか。だれかが密告したのでしょうか。教科書しか断片的に勉強していないのでよろしくお願いします。

Aベストアンサー

家は現在ミュージアムとして公開されています。

詳しくは文庫を読んで下さい。読む価値のある名作だと思います。

参考URL:http://www.annefrank.org/content.asp?pid=19&lid=2

Qアンネの日記って最後どうなるの?。

 アンネの日記って最後どうなるんでしょうか?。
 ユダヤ人のアンネがドイツ兵の捜査から隠れる日々をつづった日記だと思うんですが、最後まで隠れきれたんですか?。

Aベストアンサー

本として出版されているものはアンネの「日記」に誰かが手を加えたものでしょう。arekoreさんのいう矛盾が生じてしまうのはそのせいだと思います。

アンネは結局ナチスに囚われてしまいます。
そして収容所に行き、水を飲めずに死んでしまったと
聞いています。

嘘でも何でも、こんなことは繰り返してはいけない、
ということでしょうね…

Qアンネ・フランクの隠れ家について

こんにちは。
先月、ヨーロッパを旅行して、アウシュヴィッツ収容所とアンネ・フランクの家を見てきました。
同じ人間の行った事とは思えないむごたらしさ、目をそむけてはいけない事実がそこにはありました。

アンネ・フランクについては、アンネの日記もしっかり読んでいきました。
アンネとその家族は、誰かの密告によって隠れ家がバレてしまったと言われていますが、誰が密告したのかは未だにわかっていないようです。
同じ会社で働いている人もそんなに多くないようだし、捜査すれば誰が密告しかなんてすぐわかってしまいそうな気もするのですが、どうして未だに分からないのでしょうか。

アンネ達を助けていたミープやクレイマン達の誰かが密告したわけではないんですよね?
その密告者が居なかったら・・・と考えるとショックです。

密告者についてはかなり一生懸命探したのに分からなかったのでしょうか。確定されていないだけで容疑者のような人がいるのでしょうか。だとすれば今後はっきり分かる可能性もあるのでしょうか(多分もう生きてはいないでしょうけど)
それとも、今更犯人探しをしてもしょうがないので、密告者の特定についてはあまり重視されていなかったんでしょうか。


詳しくご存知の方おられましたら教えてください。

こんにちは。
先月、ヨーロッパを旅行して、アウシュヴィッツ収容所とアンネ・フランクの家を見てきました。
同じ人間の行った事とは思えないむごたらしさ、目をそむけてはいけない事実がそこにはありました。

アンネ・フランクについては、アンネの日記もしっかり読んでいきました。
アンネとその家族は、誰かの密告によって隠れ家がバレてしまったと言われていますが、誰が密告したのかは未だにわかっていないようです。
同じ会社で働いている人もそんなに多くないようだし、捜査すれば誰が密告しかなん...続きを読む

Aベストアンサー

一部の新説は発表されているようですよ。

http://www.asyura2.com/2002/bd17/msg/371.html
http://news.2ch.net/newsplus/kako/1016/10160/1016092810.html

特に、下の方のリンクの
密告の理由
「オランダ国立戦時資料研究所やオットー氏のいとこたちも、
父オットー・フランク氏の商売(砂糖販売会社)相手
アントン・クリスチャン・アーレス氏
以外に密告者は考えられず、
自分の会社が破産したため密告の報償金欲しさに
裏切ったのではとみている。 」

これは相当説得力があると思います。

http://www.geocities.jp/torikai007/bio/anne.html
にも詳しくのっていますが、
ユダヤ人絶滅システムとは,
一般住民に反ユダヤ人プロパガンダを行い,
ユダヤ人密告を奨励し,密告者に報酬を与え,
貨車に過密なほどユダヤ人を押し込み,
列車移送を軍需輸送の一環に組み込む。
そして,移送者の不動産から所持品まで全財産を収奪した。
囚人は,奴隷労働として死ぬまで利用するか,
ガス殺し,死体を焼却して,証拠隠滅を図る。
このようなユダヤ人虐殺の重要な部分は,
口頭でのみ命令され,文書化することを許さない。
効率的に秘密裏に組織されたのが,ユダヤ人絶滅システムである。

つまりは、
「口頭でのみ命令され,文書化することを許さない。」
とのことで、当初から証拠隠滅を念頭においた
ユダヤ人絶滅システムでしたので、記録は残っていない
と思います。

ただ、後、裁判の争点にもあがる人もいるようです。
アントン・クリスチャン・アーレス氏のような
近所のオランダ人が秘密警察へ密告なんて小規模のレベルは
日常茶飯事の出来事で数が多すぎて、仮に証拠が残っていても
処理できない。というか、単に当時の国の方針に従って
いただけですので、密告そのものはストレートに「犯罪」
とまでは言い切れないのではないでしょうか。
 ただ、
http://malicieuse.exblog.jp/6503705/
にもあるように
何千人単位を密告した重大な罪 に関しては
裁判の争点となったようです。
ですので、おそらく裁判の方針として
「何らかの重大犯罪に限り」
という要件を加え、起訴数を絞ったのでしょう。
(そうでないと、ただでさえ裁き切れない数の戦争犯罪者
を抱えているわけですし。更には下っ端のドイツ兵でさえ
母国へ帰国後、役所に届出をする義務があったものの、一定の
取調べの後、即日釈放というケースがほとんどでしたから。
しかし、シベリアに抑留されてしまったドイツ兵は別論
→日本兵と同じですな。)

日本においても、近所の人が
左翼思想の人を特高警察に密告するなんて
日常茶飯事であったにもかかわらず、ほとんどの人が
裁かれなかったのではないでしょうか。
それと同じような感じです。

余談ですが、
ドイツの女性映画監督に レニ・リーフェンシュタール
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%8B%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AB
代表作)
レニ(1993)
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=25440
アフリカへの想い(2000)
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=241809
がいますが、彼女1人を断罪することによって安心感を得たがった
多くのドイツ大衆の性根のほうが嫌らしさを感じます。

ただ「罪悪感」というのは、人を生涯苦しめますから
密告者の中には気が狂って自殺した方も少なくないでしょう。

一部の新説は発表されているようですよ。

http://www.asyura2.com/2002/bd17/msg/371.html
http://news.2ch.net/newsplus/kako/1016/10160/1016092810.html

特に、下の方のリンクの
密告の理由
「オランダ国立戦時資料研究所やオットー氏のいとこたちも、
父オットー・フランク氏の商売(砂糖販売会社)相手
アントン・クリスチャン・アーレス氏
以外に密告者は考えられず、
自分の会社が破産したため密告の報償金欲しさに
裏切ったのではとみている。 」

これは相当説得力があると思います。

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Qアンネの日記は偽物?

 アンネの日記というのは全くの嘘で、誰かが勝手に書いた話なのでしょうか?
 といいますのは、だいぶ前に、アンネフランクの隠れ家になった博物館を訪問したことがあります。この時、実際、私が現地で購入したパンフレットには、この件で随分長く裁判があったようだと書いてありました。私の知り合いも似たことをいってるのを聞いたことがあります。
 どなたか、「アンネの日記は偽物!?」に関して詳しく知っておられる方、教えて頂けますか? もちろん、「偽物説の反対論」でも結構です。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

こんなページもあります。

偽物ではなく確かに彼女が書いたのですよ。ただ、#1さんのご指摘の通り出版に際して父親が削除した部分がありますけどね(あまりにも赤裸々な記述があったそうで→少女らしくない、という理由でです。しかし、それがアンネ・フランクが書かなかったという理屈にはなりませんね。)

尚、アンネ・フランクの死因は#2さんのご指摘の通りらしいです、ただし収容所内での感染による、ようですが。

#2さんのサイトも拝見しました、があの葉書の出どころの方が疑わしい気がします。日記の実物はオランダ政府が保管してますから、その気になればアンネの指紋などの照合が可能です。もちろん、我々一般人がどうこうできるレベルではありませんがね。
しかし、面白いのは1951年以前にはボールペンは無かった、1945年に死んだアンネがボールペンを使ったハズはない、と書いてありましたが、トンボのホームページによると「 実用的な物としての開発は、1943年にハンガリーで考案されたのが始まりです。翌年1944年にはエバーシャープ社(米)が特許を買い、内容を改良したものを発売しました。(油性ボールペンの歴史より抜粋)」との事です(笑)

#2さんも書いてますが、ネットの意見は一面だけ見てスグ判断するのは危険ですね。大抵は自分に都合の悪い事は書かないものですから、検証が大事です。

参考URL:http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/study/ohkoshitetsuji02.html

こんなページもあります。

偽物ではなく確かに彼女が書いたのですよ。ただ、#1さんのご指摘の通り出版に際して父親が削除した部分がありますけどね(あまりにも赤裸々な記述があったそうで→少女らしくない、という理由でです。しかし、それがアンネ・フランクが書かなかったという理屈にはなりませんね。)

尚、アンネ・フランクの死因は#2さんのご指摘の通りらしいです、ただし収容所内での感染による、ようですが。

#2さんのサイトも拝見しました、があの葉書の出どころの方が疑わしい気がします...続きを読む

Qアンネ・フランクの父親はなぜイギリスに亡命しなかったのか

アンネ・フランクの父親はなぜイギリスに亡命しなかったのか

アンネフランクの本を読んだが、
オランダでうだうだとどまってないで、
すぐにイギリスに亡命していれば
殺されずに済んだのでは?

Aベストアンサー

イギリスとアメリカは日本経由で亡命したユダヤ人をドイツに送り返し、大勢のユダヤ人がゲットーで殺されました。
イギリス・アメリカは心情的には理解していても実際は入国拒否でしたから。
なのでイギリスには亡命できません。

それにチャーチルのユダヤ人嫌いは有名ですよ。

蛇足ですがユダヤ人の虐殺に反対した国は皮肉にも日本・満州・イタリア・フィンランドと全部ドイツの同盟国です。
連合国はどこの国も反対しませんでした。

Qアンネの日記ってなんでここまで恨まれてるんですか?

アンネの日記ってなんでここまで恨まれてるんですか?

犯人はドイツ人しか考えられないですよね。日本人が反ナチスってまあいないですし・・・

Aベストアンサー

日本人のせいにしたい、在日韓国人のしわざだとされています。

どうでもいいですが、ユダヤを敵にしたら、IMFが黙ってませんよ。
誰か教えてあげて下さい。

Qアンネ・フランクは何故、ガス室送りを逃れたのか?

先日スカパーの「アンネ・フランク」を見て疑問がわきました。
父オットーの友人はガス室で処刑されて、アンネはチフスで病死、母は餓死したそうです。
何故アンネと母はアウシュビッツに着く早々、ガス室送りにならなかったの?

Aベストアンサー

アウシュビッツ絶滅収容所は”処理”能力を越える
ユダヤ人を受け入れて満杯になったので、
労働可能とみなされたユダヤ人は
他の強制収容所に移されたのです。
アンネはベルゲン・ベルゼン強制収容所に送られます。
ここはガス室のない労働目的の収容所ですが
環境劣悪のためにチフスで死んだとされます。

アウシュビッツのガス室は悪名高いですが
一日で2~3百人しか殺せず、効率は非常に悪い処刑道具でした。
死体の処理はさらに手間がかかるので、
延べ150万人ともいわれる収容者を絶滅させるには
少なくともさらに数年が必要だったはずです。
だからゲシュタポも多くのユダヤ人は
餓死や病死するままに放置させるほうを選んだというわけです。

ちなみにアウシュビッツにはソ連軍が迫っており、
アンネは1944年8月から10月までいたことになってますが
その二ヵ月後には解放されています。
アンネが移送されたベルゲン・ベンゼンはドイツ国内の
ニーダーザクセン州にあって、ソ連軍の脅威を避ける
という意味合いもありました。
ナチは連合軍が解放するまえにユダヤ人の絶滅処理だけは
済ませたかったわけです。
父親のオットーが助かったことでもわかるように、
もしアンネは移送されなければ、ソ連軍によって解放され
助かっていたと思われています。

アウシュビッツ絶滅収容所は”処理”能力を越える
ユダヤ人を受け入れて満杯になったので、
労働可能とみなされたユダヤ人は
他の強制収容所に移されたのです。
アンネはベルゲン・ベルゼン強制収容所に送られます。
ここはガス室のない労働目的の収容所ですが
環境劣悪のためにチフスで死んだとされます。

アウシュビッツのガス室は悪名高いですが
一日で2~3百人しか殺せず、効率は非常に悪い処刑道具でした。
死体の処理はさらに手間がかかるので、
延べ150万人ともいわれる収容者を絶滅させるには...続きを読む

Qアンネの日記損壊事件、犯人像

1)ネットでネトウヨを装い日韓分断を企む中国勢力。日本をナチスドイツに見せるための犯行。日本人が韓国人を、ナチスがユダヤ人を扱ったように扱った、という印象を与えたい。

2)ユダヤ人による自作自演。アンネの日記の宣伝のため。

3)日本人の中の変人による犯行。

4)その他

など考えられますが、最もあり得そうな犯人像はどんなものですか?最新情報なども教えて下さい。

Aベストアンサー

近年の状況を見ると1が濃厚ですね。ディスカウントジャパンのために予算を組んでいる国ですから、やりかねません。
ごく低い確率で3も有り得ると思います

Qアンネの日記は何語で書かれたのでしょうか?

アンネの日記はオランダで最初に発売されたそうですが、
アンネ自身はドイツ出身ですよね?
ということは日記自体もドイツ語で書かれていたのでしょうか?
それとも、オランダに移住した後なのでオランダ語も堪能でオランダ語で書かれていたのでしょうか?

どなたか知っている方がおられましたらご回答よろしくお願いします。

Aベストアンサー

オランダ語

同じような質問がドイツ語でもありました。
写真を見てもオランダ語ですね。
1929年ドイツのフランクフルト(マイン)で生まれて、1934年にはオランダに移住し、オランダの学校に通っています。家では父親が自分のためもあって彼女とオランダ語をしゃべり、母親とはドイツ語で会話していたそうです。
http://www.google.de/imgres?imgurl=http://www.annefrank.org/upload/Thematische%2520verhalen/thema%25208_dagboekp.%2520edith.jpg&imgrefurl=http://www.gutefrage.net/frage/welche-sprache-sprach-anne-frank-deutsch-oder-niederlaendisch&h=410&w=390&sz=38&tbnid=6zzkoUKKhT_JKM:&tbnh=125&tbnw=119&prev=/images%3Fq%3DAnne%2BFrank%2BTagebuch&hl=de&usg=__OIr_-BFRUsu9wQZ-utGvNZNnB0s=&ei=iwn9Sv2PK82IsAbXpbiSDA&sa=X&oi=image_result&resnum=2&ct=image&ved=0CBIQ9QEwAQ

オランダ語

同じような質問がドイツ語でもありました。
写真を見てもオランダ語ですね。
1929年ドイツのフランクフルト(マイン)で生まれて、1934年にはオランダに移住し、オランダの学校に通っています。家では父親が自分のためもあって彼女とオランダ語をしゃべり、母親とはドイツ語で会話していたそうです。
http://www.google.de/imgres?imgurl=http://www.annefrank.org/upload/Thematische%2520verhalen/thema%25208_dagboekp.%2520edith.jpg&imgrefurl=http://www.gutefrage.net/frage/welche-sprac...続きを読む


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