「お昼の放送」の思い出

20代女性、独身です。普段は問題なく社会生活を送り、時々友人や彼氏、実家の家族と会って孤独感を抱えていることはありません。
 しかし、ある朝突然全てが嫌になる事が1ケ月に2、3回あります。「感情の泥沼」と自分で名付けている沼に、深く深く気分が沈み込んで行く感じなのです。そうなるとご飯は食べたくない、人には会いたくない、喋りたくない・・・などの気持ちで一杯になり、全てが嫌になります。ただ、周囲には心配されたくないので、「何か今日は元気ないね」位に映るように振舞ってしまい、却って自分に疲れます。2日位でその沼からは脱出出来るのですが、いつもハッピーとはいかないまでも安定した気分で毎日を過ごしたいのです。また、私は不眠症気味で、病院から処方された睡眠薬を1ケ月でトータル14錠を服用しています。これも何か関係しているのでしょうか?もし、同じようなお悩みを持ちそれを克服された方、または何か良い助言(厳しくても構いません)があれば頂きたいと思い、質問させて頂きました。
 

A 回答 (5件)

korosanさん



こんにちは 経験者ではありませんので、ただ自分が思ったことを書かせていただくだけなのですが・・的外れだったらごめんなさいね

korosanのお悩みを伺ってとってもkorosanって優しくて心穏やかな方なのだろうなぁって思いました ご自分が「感情の泥沼」に入ってしまったら、それこそその自分の暗くなった部分を人に見せてしまうこともはばかり、空元気を作ってしまう そんなkorosanの気持ちはだれにも知られることもなく、きっと貴方のことを万事順調にこなしていると思い普段はかえって周りの方がkorosanのように生きたいって思っていらっしゃるかもしれませんね

私が社会人のときにいつもおしゃべりも楽しく、周りの人を楽しませてくれる人がいました 私は先輩だったこともあったし仲良くしてもらったこともありある日彼女に聞いてみたんです「○○さんでも落ち込むことってある?」って 今考えてみれば失礼な質問だったのですが・・ そうしたら「そうなんですよね~ 人からは明るいって見られるンですけど、私だってものすごく落ち込むことがあるんですよねぇ アハハ」って笑って答えてくれました そのとき私ちょっと勇気付けられたような気がしました

人っていつも平穏に、心の平和をもって生きることってできないんじゃないかな?って思う 理性という存在は本能を超えるものじゃないんじゃないかな?っていう気持ちです どんなに平穏に生きたいと思ってもときに闘争心が現れたり、自分の醜い面を感じたり、人の醜い心を感じたりね・・ そうやって自分は自分の理性を持ちながら実は自分の本能といつも向き合わざるを得ない状況にいるのだと思います

この歳になって思うことは、人に気遣いが多い人というのは、理性的になることに努めている部分を、korosanおっしゃるところの「感情の泥沼」という形で抑制を押し込んでしまっているのではないかな?ということです

私は父の実家が結構お気楽というか(一見したところですが)人に対する情が強くってでもさっぱりしていてね とても楽観的な環境を休暇ごとの帰省でみることができていました 一方で結婚してからは理性先行型の夫をパートナーとして、そのギャップに苦しんでいました 結局今は理性先行だった夫がかなり苦しんできています それは私は『感情の泥沼』に入り込んだときにお気楽になる手法とか、お気楽に生きることの大切さとか良さというものを知っているので、容易にそこから脱却できるのに対して、真面目な夫はどうしても理性の小さな枠にとどまってしまう 心をリラックスさせることをヨシとしない方向性があったのです 楽観的になるという言葉を間違えているというか、悪いものとして捉えているのです それがいかにもおばかみたいな感じに見えるのかもしれません・・ でも夫は私には父の実家のような純粋にいわゆる「人がいい」家というのに憧憬のようなものをもっていることも表現したりしてくれるのですが・・ 自分の育った環境が厳格であったりいい子になることをもっとも良しとしてきた人には耐えられないというか、本当のところでは理解できないことなのかもしれませんね だから今は落ち込んだときは、私に赤ちゃんのように甘えてきます 結婚した当初はそれすら遠慮していたところがあったのですが、今の夫は私に対して自分の弱さを見せて発散してくれて平常心を保ってくれています

 楽観的という言葉は日本人には負のイメージがあったりしますが、そういう意識は私はとても大切だと思います そこには気取りも気負いもない自然な人間の姿があるように思えるのです もちろん同様に泥沼の感情もありのままの姿であると思います

 私も例外でなく楽観的と言われたりします いつも父の実家、とくに祖母からもらったさりげない人の良さとか、優しさみたいなものを思い出します そうして暗いどうしようもならない気持ちになったら、祖母がくれた優しさを振り返るのです (祖母の愛情は私個人だけでなく他人へも同じものでした)人に優しくできる自分っていいなぁ・・ そういう自分になりたいなぁ・・ 暗くなってる場合じゃないぞ!みたいなね^^; そうしてまず気持ちの転換を図り、その後に自分ができることは少ないけれど、ソノ中でやっていけることはちゃんとしていこうと思いなおします だって自分ができることなんて限られていますから もっていること以上は望まないし、できることからそれ以上のことって可能になると思いますしね

korosanにとって「感情の泥沼」というのは恐怖の対象だと思います でもその恐怖の正体は自分自身のこころの延長であって、普段の自分と切っても切り離せないものだと思う その泥沼があってこそ普段のkorosanの平穏な日常が存在するのだと私は思います

だから、もっとつきつめれば、その泥沼の原因というのは本当は日常の中でなにかが原因になっているのだと考えられるのですが、逆にkorosanはそれを日常では他人に発散させて解決したりはしない、他人への気遣いをちゃんとなさっておられている方なのだと思います だから、泥沼が訪れたとき、それは自分のストレスを自分を攻撃することで発散させようとしているという姿なのだと客観視して、抑え付け、なくすという方向をとらず、むしろそれも自分自身なのだと認めてあげることからはじめてはいかがでしょう? ちょっとあつかましくてもよいから、自分の気遣いが自分をこのような状態にさせていると思うことだって必要だと思います

先の後輩はきっと自分をよく知っていると思います こんなに明るいけどちゃんと落ち込むことだってあるんですよ~という素直な彼女の言葉を聞いて、彼女だってそうなんだ!私も落ち込むことがあって当然だな・・ってそういう気持ちになって勇気付けれらたように思います

だから、感情の泥沼に入ったら、いま私はこういう状態にいるんです そういう私も本当は存在するの この存在があるから普段きっと平穏に過ごしていけるんだと思う ぐらいの気持ちでつきあってみてはいかがでしょう? 素人考えでごめんなさいね 常に平常心を持つことができないから宗教が存在するのだと思います 理性とは自分のよさも悪さも暴露してくれるものだと、私は常々思っているので書いてみました
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この回答へのお礼

とても丁寧で、長い回答をありがとうございました。読み進めている内に、涙が出てきました。相談して良かった、と思いました。確かに、私にとって「感情の泥沼」というのは恐怖の対象です。
「でもその恐怖の正体は自分自身のこころの延長であって、普段の自分と切っても切り離せないものだと思う その泥沼があってこそ普段のkorosanの平穏な日常が存在するのだと私は思います」
 この考え方、とても素敵です。泥沼があってこその平穏な自分・・・・発想の転換が私には必要なのかもしれません。
 鬱に近い状態の自分を家族以外の他人に、正直に見せても良いのじゃないか、そんな風にも思えます。それも私の一面なんです。

 とにかく、乱筆乱文ですがありがとうございました。感謝します。

お礼日時:2005/08/20 16:39

ご自分のことを、とても冷静に客観的に見つめられている方なのですね。



 私も、NO.4の方と同じくホルモンのバランスの問題ではないかと思うのですが、女性のための診療科などをあたってみるのもいいのではないかと思います。

 社会に出て、時代のいい女を目指して努力をし続けていると、ブラックホールにはまったような、虚無感に陥ることがありませんか。流行を追うことに疲れを感じることとか、価値観に疑問を覚えることとか。

 普段は、それらのことに楽しみさえ見出せるのに、
突然、自分の中の世間への協調に疲れを覚えるような
感覚です。

 違っていたらごめんなさい。
 感情の泥沼があって、他の日は、バランスが取れているのかもしれませんね。

 
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この回答へのお礼

「自分の中の世間への協調に疲れを覚えるような」、まさにその通りなのです。「良い子」を演じているつもりはないのですが、時々どっと疲れてしまうのです。かと言って、周囲に気を遣わないともっと疲れることも身をもって体験しました。私の質問に真摯に答えて下さり、感謝しています。

お礼日時:2005/08/20 16:28

女性だと、月経前不安症でしたっけ?生理前だといらいらいしたり落ち込んだり。


私は鬱病再発?ってびくびくしましたが、なんとなく生理前の周期とあって、繰り返しおこる(逆に言えば繰り返し良くなる!)なーというのが分かってきました。
もしかしたらそんな理由もあったりという事をお伝えしたくて。
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この回答へのお礼

私の場合は、生理周期とはあまり関係ないと思うのですが・・・ただ、女性の体は自分が思っている以上にデリケートで、壊れやすい事は分かります。

お礼日時:2005/08/20 16:30

もし、つらいようでしたら、心療内科病棟(もしくは精神科病棟)のある病院に入院という手もありますよ。

専門の医師に診てもらいつつ、生活や社会のストレスから完全に解放される時間を作ることが出来ます。
睡眠薬というのは、抗うつ作用も含んでいますか。抗うつ薬の服用や、注射もいいと思いますよ。
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この回答へのお礼

一度心療内科に行くつもりです。やはり専門家に頼った方が良いと思いますし。ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/20 16:41

こんにちは。


長文というのでどんなに長いかと思ったら、あなたのは全然長文ではありませんよ!
他の投稿を開いてみてください。回答ももっと長いのがたくさんあります。

さて、私は不眠症になったことがないのですが、気分が落ち込んだり安定しなくて困った経験はあります。
人間ですから気分の波はあって自然なのですが、あまり落ち込み角度が急だと疲れてしまいますよね。

睡眠薬は何科で処方されているのでしょうか。
心療内科やメンタルクリニック受診はいかがですか?
特に思い当たる悩み事がない人でも、脳内物質(セロトニンなど)のバランスが崩れることがあるそうです。

薬の影響は副作用は、とりあえずお薬辞典で調べてみてはいかがでしょうか。
もし現在、心療内科やメンタルクリニックに通院されているならば、落ち込みへの対処や薬について、先生に質問してみてください。

参考URL:http://www.jah.ne.jp/~kako/frame_dwm_search.html
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この回答へのお礼

教えて頂いた薬品検索サイトを早速見てみました。参考になります。ありがとうございます。私の睡眠薬は内科で処方して貰っているので、一度きちんとした心療内科に行こうかな、と思います。自分と向き合う事が、今の私には必要なのかもしれませんね。

お礼日時:2005/08/19 08:56

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