痔になりやすい生活習慣とは?

長い歴史の中で、重要なポジションである
軍師はたくさんいますが、一体、誰が
最強なのでしょうか?

ちなみに、私としては、

中国の場合、

1)孫子(孫武と孫ピン)

2)太公望

3)張良

4)司馬仲達(個人的に好きです。)



日本の場合   

1)毛利元就
※大内に仕えていた時代。
 ただ、最終的には独立していますので、
 軍師というカテゴリーは越えているのかな?

2)真田幸隆


皆さんは、どうですか?


また、日本・中国と特に国境は関係しません。

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A 回答 (9件)

私は日本では戦略家として「竹中半兵衛」「織田信長」戦術家としては「明智光秀」を推します。



中国(といっても知ってる範囲ですが・・・)では、
戦略家としては「孫武」「諸葛亮 孔明」です。

「孫武」は『孫子の兵法』を記した方です。
(最近では「孫殯」が記したのではないか、とも言われています。)
これを読んでいただければ分かると思いますが、
この書物には具体的な戦術などは明記されておらず、”兵法の心得”という面が強い書物です。
逆に玄孫の「孫殯」が残した兵法書には具体的な戦術が記されている箇所があり、やはり時代のニーズとともに兵法というものは複雑になっていったのではないか、と思います。

「諸葛亮」ですが、彼は”三国志演義”によってつくられた感が強い人物です。
細かい記述は参考サイトのレポートを見ていただきたいと思います。
少なくとも優れた「戦術家」ではないことは確かですが、戦争に至るまでの準備などや神がかりな政治力も含めると軍師と言えるか分かりませんが優れた「戦略家」ではあったようです。


『最強軍師』というのは必ずしも存在するとはいえませんし、その当時の合戦の常識など考えてもいろいろな意見もあるでしょうし、軍師として歴史に名や功績を残している時点でどの軍師も『名軍師』でしょう。


でもこういう質問は楽しいからオッケーです(´∀`)b

参考URL:http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Club/5916 …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。参考になりました。

お礼日時:2005/09/24 23:12

西洋ではカール・フィリップ・ゴトフリード・フォン・クラウゼヴィッツ


ニコロ・マキャベリ
マキャベリは軍師というイメージじゃありませんけどね

中国ですと
太公望は伝説じみているから張良を推します

日本だと
直江兼続と言いたいところだけど、彼は郡市と云う枠に捉えられそうにないので
竹中半兵衛でしょうかね
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
やはり、張良ですか。

お礼日時:2005/09/24 23:11

日本の歴史はあまり、得意ではないので中国について答えます。



やはり、中国で数多くナンバー2をだしたといえば、個人的に春秋戦国時代だと思うので、そこからいきますが。。。
1、ハンレイ
あの、呉越戦争を多くのことわざも出しながら、平定したことにより、弱小国を下克上ができるということを証明したことに大きな力があったからだと思います。
そして、平定後身を引いて商人になったりしながら生き延びたところがすごいと思います。
2、楽毅
戦国時代末期に趙という大国にたいして中山の王様の息子だけを守ろうと人生の半分を使い守りきったところが神業だと思います。
また、後半でも、燕を中原まで勢力を広げさせたし、斉を滅亡寸前まで追い詰めたことは天才だとおもいます。。。
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ご回答ありがとうございます。参考になりました。

お礼日時:2005/09/24 23:12

 日本は大村益次郎だと思いますよ。

彼の戦略眼は戊辰戦争を1年足らずで終わらせ、兵器生産計画はその後の士族叛乱鎮圧に多いに役立っています。
 戦国時代の武将や軍師には、完全な全国平定を実現した者がおらず、玉虫色終戦にもっていったのが限界でした。

 中国では耶律楚材がトップ級です。金をまとめていた後、モンゴルをまとめ、度量衡の統一を推進したのは彼の成果かと思います。また宋美齢(蒋介石の奥さん)も戦略家としては秀逸です。負け戦であった日中戦争に米英を引き込み、最終的勝者に持っていったのは彼女の成果です。

 ヨーロッパでは、フランツ・ハルダー参謀総長ではないでしょうか。第二次世界大戦勃発時のドイツ陸軍参謀総長で、ポーランドを一週間、フランスを3週間で制圧、対露戦でもブラウ作戦を立案してウクライナ一帯を制圧した名参謀です。皮肉にも路線対立でヒトラーによって解任された翌月、スターリングラードの敗北が起こります。更に人生の策士です。ヒトラーと対立したため、ダッハウ収容所に収監されました。戦後解放され、反ヒトラーの代表の一人となっています。

 米国ではマーシャル元帥です。第二次世界大戦の作戦計画を立案した人物で、戦後の日本・ヨーロッパの復興計画を立案しました。この計画の成果がイラク戦争にも関係しているそうです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。参考になりました。

お礼日時:2005/09/24 23:12

ひとえに「軍師」は難しいですね。


副将、ナンバー2ならば分かりやすいですが。

「軍師」=「参謀」とすれば司馬仲達、孔明は大将として前線にいましたので難しいです。
三国志の軍師は「カク」ですかね。
曹操を打ち破り馬超を破りと凄まじいです。

日本では本田正信…でしょうか。
最高のナンバー2は豊臣秀長を押します。
まぁこの二人はナンバー1との密接な関係が特徴ですね。

世界的にはモンゴル帝国の耶律楚材なんかどうでしょう?あれだけの異民族社会を統括した才幹はすごいと思います。が、超マイナー…。
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この回答へのお礼

なるほど、ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/09/24 23:13

私の偏見では、豊臣秀長(豊臣家)、太原雪斎(今川家)、片倉小十郎(伊達家)、黒田官兵衛(小寺家、木下家)、白井入道浄三(千葉氏)。


このうちで業績から考えると、豊臣秀長を名参謀に推したいと考えます。
秀吉の天下獲りは彼無しには果たしえないものです。
賤ケ岳の合戦では、佐久間守政の軍勢を引き留めた沈着冷静な武将であり、蜂須賀小六が秀吉に味方したのも、秀長の人柄に信頼を置いたからといわれています。
彼の死により、豊臣政権があっけなく坂道を落ちましたが、これを考えても彼のすごさが判ると思います。
彼が生きていれば、利休の切腹も朝鮮出兵も無かったといわれてますし、家康並みの寿命があれば、恐らく関ヶ原の合戦も無かったのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

なるほど、ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/09/24 23:13

中国では諸葛孔明、日本では竹中半兵衛でしょう。


私的には山本勘助がすきですが。
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この回答へのお礼

山本勘助ですか。
いいですねぇ、川中島を盛り上げた立役者ですからね。

お礼日時:2005/09/24 23:14

mikichan-eさんと同じく、中国なら仲達かな。

私も好きです。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
ただ、仲達の場合、最終的には
曹家を乗っ取りしていますので、
軍師はどうかな??と思いますが。

補足日時:2005/09/23 10:33
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日本の場合は軍師といえるような存在は秀吉に仕えた竹中半兵衛、黒田官兵衛くらいでしょう。


あげられている毛利元就や真田幸隆は部将ではあっても主将のそばで策を考える軍師(近代の郡で言うスタッフ=参謀)ではありませんでしたし、そういう扱いをうけたこともありません。
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この回答へのお礼

なるほど、ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/09/24 23:13

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Q戦国時代でまさに知将と言えるすごい武将を教えて下さい

戦国時代でまさに知将と言えるすごい武将を教えて下さい
できればその理由なども書いて頂けたら嬉しいです

Aベストアンサー

一般的に「知将」というと戦上手な武将を指すと思うのですが、「頭がいい」というような意味合いもあると思うので、インテリというか知識人的な意味で明智光秀を挙げたいと思います。

明智光秀という人はなかなか謎が多い人物で、来歴がよくわからないのですが元々は足利義昭の家臣でした。将軍家の家臣ですから天皇家や公家ともかなり太いパイプを持っていたらしく、信長に重用されました。義昭が追放されるまでは信長の家臣であり、義昭の家臣でもありました。そういうのが認められていたのはいかな戦国時代とはいえ異例だと思います。
信長の家臣の中で、最も早く「一国一城の主」となったのが他ならぬ光秀です。京都に程近い坂本城が与えられました。光秀は秀吉より柴田勝家より新参の家臣で、その抜擢ぶりも極めて異例です。いかに信長が重用していたかが分かります。
合戦で活躍したイメージはないですが、参加した合戦でこれといった負け戦も特になく、信長の野望を始めゲームでの武力値などのレートはどれもかなり高いですね。丹波国を平定してその治世は大変な善政だったらしく、今でもあの辺りでは「光秀公は名将、信長は悪者」なんだそうです。何より、他ならぬ本能寺の変を起こすときに彼の家臣から裏切り者は誰も出ず、彼の直卒の家臣は全員最後まで光秀についていきました。あの「人たらしの天才」秀吉の切り崩し工作に崩された家臣は誰もいなかったのです。
公家や天皇家、将軍家との関係も深かったので知識人でもあったでしょう。ああいうところは様々なしきたりやなんやが何かとうるさいところで、その辺りの事情に疎い(当時からすると)田舎侍だった織田家ではありがたい存在だったと思います。

光秀の人となりを知らせるあるエピソードがあります。彼の奥さんになる人は結婚の直前に疱瘡だかなんだかにかかり、顔の左側に痕が残ってしまったそうです。父親は醜い娘を嫁にやるのは失礼だと思い、妹を嫁におくったそうです。光秀は最初それを知らなかったのですが、事情を知ると「自分の妻になる女性は姉のはずだ」と妹を送り返し姉を妻にしたそうです。奥さんはそれを感謝して光秀のそばにいるときは醜い顔を見せないようにいつも左側にいたんだとか。誰ですか、姉妹丼で羨ましいなどといったのは。

一般的に「知将」というと戦上手な武将を指すと思うのですが、「頭がいい」というような意味合いもあると思うので、インテリというか知識人的な意味で明智光秀を挙げたいと思います。

明智光秀という人はなかなか謎が多い人物で、来歴がよくわからないのですが元々は足利義昭の家臣でした。将軍家の家臣ですから天皇家や公家ともかなり太いパイプを持っていたらしく、信長に重用されました。義昭が追放されるまでは信長の家臣であり、義昭の家臣でもありました。そういうのが認められていたのはいかな戦国時代と...続きを読む

Q最強の戦国武将は?

最強の戦国武将は誰だと思いますか?皆さんのご意見を聞かせてください。戦略的にではなく戦術的に強い武将でお願いします。ちなみに私は上杉謙信だと思います。

Aベストアンサー

織田信長ではないかと思います。
「大軍をもって寡兵を破る」というのが彼の真骨頂で、敵の数倍の兵を集めて、弱い敵を討ち漏らさないのは、当たり前のようでなかなか出来ることではありません。
十分なリサーチをし、勝てるような算段をして、万一の準備をしてから戦に臨み、確実に勝ちを拾う。
信長が世に出たきっかけは桶狭間の戦いですが、人間若いうちに成功するとなかなかそのやり方を否定することが出来ません。
彼の場合、これ以降は余程でなければ相手より少ない兵力で戦をすることは無く、やる場合も損害が少ないように上手に逃げます。
信長の大失敗で知られる越前攻めですが、部下を全て見捨てて自分だけ逃げ帰るような事はなかなか出来ることではありません。
途中で名も無き土民に首を獲られれば末代までの恥ですし、リーダーが逃げ出せば軍団は壊滅し、裏切り者が出て岐阜に反転し、自分の妻子すらどうなるか判らない。
私なら落城した金ケ崎城に兵を入れて浅井軍を牽制し、全力で木の芽峠を越えて朝倉を攻撃します。
運がよければ朝倉を壊滅させて浅井と対峙できますし、運悪く命を落としても武士の名誉は守れ、悲運の名将という名が残ります。
それがあんなにも大胆に逃げたのは、将に天才的な名将と言えるかと思います。
途中の朽木も、それを見越したからこそ恩を売るつもりで朽木谷を通したのではないでしょうか。

上杉謙信は結局人間の心理が読めない武将と思います。
この時代の武士はドライなもので、恩とか義理とかは余り考えていません。
実質の無い関東管領を名乗り、見入りの無い信州に介入し、部下の心は離れ、関東の諸将は冷ややかに彼を見つめ、同盟していた北条もメリットが無いとして同盟を破棄します。
戦に出ても勝ちを拾えず、砂上の楼閣のような物を得て引上げる、しかも田植えが済んでごく短期間だけちょろっと戦をして引上げる。
上杉謙信、武田信玄などは所詮はアマチュア武将であり、嘗て清原・桑田を擁したPL学園が阪神タイガースより強いのではないかと幻想を抱かせましたが、実際にはプロとアマとの間には大きな差があるように考えます。
短期の戦ではアマチュアがプロを抑える事は出来ても、決定的に破ることは出来ませんし、やがて破れていく。

上杉は運良く謙信が死んだので幕末まで残りましたが、生きていれば、北陸道を進む柴田軍と信州から進入する信忠軍、伊那から徳川軍などが進軍し、じりじり春日山に迫られ自刃したかと思います。

歴史的にも徳川家には武田の生き残りが多く仕え、彼らにとって武田信玄は神のような武将で、それに5分に渡り合った謙信は神に準じる武将と祭り上げられ、逆に家康が臣従した今川家と織田家は低い評価が付きますので、そこは割り引いて考えてもよいのでは。

最強というからには、やはり兼業武士(アマチュア)ではなく専業の武士(プロ)で競うべきで、信長を除けば、蒲生氏郷、結城秀康、柴田勝家、加藤清正などかと思います。

私の独断と偏見で。

織田信長ではないかと思います。
「大軍をもって寡兵を破る」というのが彼の真骨頂で、敵の数倍の兵を集めて、弱い敵を討ち漏らさないのは、当たり前のようでなかなか出来ることではありません。
十分なリサーチをし、勝てるような算段をして、万一の準備をしてから戦に臨み、確実に勝ちを拾う。
信長が世に出たきっかけは桶狭間の戦いですが、人間若いうちに成功するとなかなかそのやり方を否定することが出来ません。
彼の場合、これ以降は余程でなければ相手より少ない兵力で戦をすることは無く、やる場合...続きを読む

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む

Q槍使いの英雄

神話などでの英雄は皆、剣士タイプの英雄が多いと思います。
槍は馬上でしか使っていなかったなど、色々な理由があると思いますが、それでも槍使いの英雄もいたと思うんです。

例えばケルト神話で著名な、クー・フーリンやその父、太陽神ルーだと思います。
彼等はそれぞれゲイボルグ、ブリューナクという槍を持っていたと思うんですが、それ以外に槍(有名な槍)使いの英雄はいますかね?

Aベストアンサー

ゲオルギウス、ベレロポーン、アテナの槍の名前、わからないです。神々の武器に名前を授けている、北欧やケルトの感覚の方が特殊なのかな…。

あと、思い出したので追加します。

ポセイドン(ギリシア神話)……三叉戟(トライデント)を持った姿で描かれます。神話では三叉戟で大地を突いて、泉を湧き出させたりしています。

シヴァ(ヒンドゥー教)……トリシューラという三叉戟を持っています。

ドゥルガー(ヒンドゥー教の女神)……神々から様々な武器を受け取り、マヒシャという魔族と戦いますが、最後、シヴァ神から授かった三叉戟でとどめを刺します。その場面は人気があってよく絵画などで描かれます。

毘沙門天(仏教)……別名を多聞天。四天王を代表する武神。鉾(三叉戟)を持った姿で描かれます。原形はヒンドゥー教のクベーラ神。

その他、仏教系は散脂大将、大威徳明王、伊舎那天(いわゆるシヴァ神)など多くの神仏が鉾を持った姿で描かれます。

大国主命(日本神話)……別名を八千矛神。槍使いかどうかは謎だけど、多くの武器を所持していたらしいことがうかがえます。播磨国(現在の兵庫県)では新羅国王子の天日槍(あめのひぼこ)と軍事衝突しています。

呂布(中国)……『三国志演義』では方天画戟という種類の槍を愛用します。

宝蔵院胤栄(日本)……宝蔵院槍術の創始者。マンガ『バカボンド』にも登場する人です。

巴御前(日本)って、薙刀の名人だったんじゃないかなー。ふと思ったけど日本の薙刀って盲点かも。武家の子女のたしなみ。

英雄じゃないけど…。
イザナギ・イザナミ(日本神話)……国生みのとき、天の沼矛でかき回して最初の島を造りました。

ロンギヌス……イエスを槍で刺して死を確認したローマ兵。そのときの槍は聖槍ロンギヌスとして知られる。

ゲオルギウス、ベレロポーン、アテナの槍の名前、わからないです。神々の武器に名前を授けている、北欧やケルトの感覚の方が特殊なのかな…。

あと、思い出したので追加します。

ポセイドン(ギリシア神話)……三叉戟(トライデント)を持った姿で描かれます。神話では三叉戟で大地を突いて、泉を湧き出させたりしています。

シヴァ(ヒンドゥー教)……トリシューラという三叉戟を持っています。

ドゥルガー(ヒンドゥー教の女神)……神々から様々な武器を受け取り、マヒシャという魔族と戦いますが、最後...続きを読む

Q世界の戦略家・戦術家について

以前、同様の質問で例示されていた織田信長、豊臣秀吉、ナポレオンらは皆、実戦の主導者ですが、世に言う戦略家・・・例えば孫子、諸葛亮孔明、クラウゼヴィッツ、アルフレッド・マハンらはどういう範疇に属するのでしょうか?

Aベストアンサー

孫子、クラウゼヴィッツ、アルフレッド・マハンらは、その著書「孫子」「戦争論」「海上権力史論」が後世において世界的に大きな影響を及ぼしているので、「軍事思想家」または「戦略思想家」という範疇に属するのではないかと考えます。

ちなみに、もう10年前になりますが芙蓉書房出版から「戦略思想家事典」という本が出ています。監修者は陸上自衛隊で陸将補だった前原透氏で、古代から20世紀までの代表的な戦略思想家50人が選ばれ載せられています。
この本には孫子、クラウゼヴィッツ、アルフレッド・マハンが載っています。

「戦略思想家事典」
http://www.amazon.co.jp/%E6%88%A6%E7%95%A5%E6%80%9D%E6%83%B3%E5%AE%B6%E4%BA%8B%E5%85%B8-%E5%89%8D%E5%8E%9F-%E9%80%8F/dp/4829503335/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1381671689&sr=1-1&keywords=%E6%88%A6%E7%95%A5%E6%80%9D%E6%83%B3%E5%AE%B6%E4%BA%8B%E5%85%B8

また、1989年にダイヤモンド社から防衛大学校「戦争・戦略の変遷」研究会訳で「戦略思想の系譜・マキャヴェリから核時代まで」という本が出ており、この中でクラウゼヴィッツ、アルフレッド・マハンが大きく取り上げられています。ちなみにこの本の場合、西洋の人物しか取り上げられておらず東洋の戦略家は一人も取り上げられていません。
「現代戦略思想の系譜」
http://www.amazon.co.jp/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%88%A6%E7%95%A5%E6%80%9D%E6%83%B3%E3%81%AE%E7%B3%BB%E8%AD%9C%E2%80%95%E3%83%9E%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%81%8B%E3%82%89%E6%A0%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%BE%E3%81%A7-%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC-%E3%83%91%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88/dp/4478370427/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1381671832&sr=1-1&keywords=%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%88%A6%E7%95%A5%E6%80%9D%E6%83%B3%E3%81%AE

こうした本を読むと私個人的には孫子、クラウゼヴィッツ、アルフレッド・マハンらには「戦略思想家」という範疇が相応しいのではと考えます。

なお、諸葛亮孔明については、一応、著作もあるようですが、それが世界の軍事史に、他国に大きな影響を及ぼしたという事は無いので、蜀の政治と軍事において手腕を揮ったという事のみを考慮して「戦略家」ではないかと考えます。

孫子、クラウゼヴィッツ、アルフレッド・マハンらは、その著書「孫子」「戦争論」「海上権力史論」が後世において世界的に大きな影響を及ぼしているので、「軍事思想家」または「戦略思想家」という範疇に属するのではないかと考えます。

ちなみに、もう10年前になりますが芙蓉書房出版から「戦略思想家事典」という本が出ています。監修者は陸上自衛隊で陸将補だった前原透氏で、古代から20世紀までの代表的な戦略思想家50人が選ばれ載せられています。
この本には孫子、クラウゼヴィッツ、アルフレッド・マハン...続きを読む

Q世界三大悪女って??

どなたか世界三大悪女、ご存知ですか?

一人は西太后らしいのですが、残りの2人知りませんか?

お願いします。

Aベストアンサー

おはようございます。

中国三大悪女なら、よく文献に出てきますが(呂后・則天武后・西太后)世界三大悪女は聞いたことが無いですね。西洋まで含めたら、半端じゃない悪女ぞろいですから(笑)

政治に多大な影響を与えて、国に仇する結果となった悪女といえば、カトリーヌ・ド・メディチ(仏)日野富子(日)エカテリーナ2世(露)マリア・ルイーサ(西)江青(中国)北条政子(日)エレナ・チャウシェスク(ルーマニア)・・・なんかですと、どれを組み合わせても(政治的)世界三大悪女ですね。

男を惑わす悪女なら、アグリッピナ(羅)ユリア(羅)メッサリナ(羅)ルクレチア・ヴォルジア(伊)

狂信的な人に害する悪女なら、エリザベート・バートリー(洪)ラ・ヴォワザン(仏)ヴランヴィリエ侯爵夫人(仏)なんて言うのもそうですね。

個人的には「西太后・日野富子・江青」で決定だと思います(笑)
直接の回答ではございませんが・・・ご考察の一部に加えて頂けたら幸いです。

Qゲームでかっこいい名前つけたい!

ゲームをしようと思いますが、かっこいい名前ありませんでしょうか?
外国語(カタカナ)でもいいです。
アリエス(星座)、らびすらずり(宝石)、
シヴァ(神)、備前(焼き物) など思い浮かびました。
何か強くて かっこよくて、 どこかダークな名前。
そんなのありましたら教えてください!

Aベストアンサー

#4です。
12星座ロシア語版行きます
ついでにスペイン語もつけときます(笑

ロシア語(左)スペイン語(右)
おひつじ:アヴィエーン:アーリエス
おうし:チリエーツ:タウロ
ふたご:ブリジニツイー:ヘメーロス
かに:ラーク:カンセル
獅子:リエーフ:レオン
おとめ:ディエーヴァ:ビルゴ
てんびん:ヴィスイー:リーブラ
さそり:スカルピオーン:エスコルピオン
いて:ストリリエーツ:サヒタリオ
やぎ:カズィローク:カプリコルニオ
みずがめ:ヴァダリエーイ:アクワリオ
魚:ルイーブイ:ピスシス

さらについでに12神将。
青龍、勾陳、六合、朱雀、騰蛇、貴人、天后、大陰、玄武、大裳、白虎、天空

あと北斗七星など
貪狼、巨門、禄存、文曲、廉貞、武曲、破軍

など

Q弓の達人といえば?

弓矢の達人はいろいろいると思います。
アーチェリーでもかまいません。

弓矢の達人の名前を教えていただきたいです。
レアな方でも構いません^^
日本人、外国人とわずです!
歴史上での達人など知りたいです。

お願いします!

Aベストアンサー

一弓引きとして、答えずにはいられないですね。
中国ならまず養由基。春秋時代の楚の人で、史記に登場します。百歩はなれて柳葉を射て百発百中したとか。中島敦の『名人伝』にも登場します。
あとは孔子も名手だったという話があります。
当時射は六芸の一つとされ、士以上の教養とされていたので、起居進退の所作に通じていた、という意味ではないかと思いますが。

日本なら、鎧射貫き等の源義家、百足退治の藤原秀郷、鵺退治の源頼政等の伝説が有名ですね。
日本の弓術は室町期に射法の大変革がありまして、それが紆余曲折ありながらも現代にまで続いているのですが、弓引きにとって達人というとそれ以後の人のほうが馴染み深いかもしれません。
日置流祖日置弾正正次(実在しないという説が有力と聞きます)、吉田出雲守重賢(六角佐々木氏家臣で子の重政が#8さん指摘の佐々木義賢に伝授)、吉田源八郎重氏(家康に召しだされ(実際には高齢のため子が仕官)代々将軍家指南役に)、三十三間堂通し矢で有名な星野勘左衛門、和佐大八郎などです。明治以降なら浦上榮氏でしょうか。
達人とはいえないかもしれませんが、武将では細川幽斎、豊臣秀次等が有名です。
村田銃開発者の村田経芳氏はかなりの達人と聞いてます。

アーチェリーなら現代人ですが彼↓かな?
的まで30メートルで10点は直径8センチだったと思います。

参考URL:http://freett.com/4649archery/news/news8.htm

一弓引きとして、答えずにはいられないですね。
中国ならまず養由基。春秋時代の楚の人で、史記に登場します。百歩はなれて柳葉を射て百発百中したとか。中島敦の『名人伝』にも登場します。
あとは孔子も名手だったという話があります。
当時射は六芸の一つとされ、士以上の教養とされていたので、起居進退の所作に通じていた、という意味ではないかと思いますが。

日本なら、鎧射貫き等の源義家、百足退治の藤原秀郷、鵺退治の源頼政等の伝説が有名ですね。
日本の弓術は室町期に射法の大変革がありまし...続きを読む

Q諸葛亮の軍事能力は低かった?

演義では諸葛亮がまるで天才軍師のように書かれています。
しかし、諸葛亮は政治家としては一流ですが、軍事能力は低かったのではないでしょうか?

司馬徽が「伏龍・鳳雛の二人を得れば、天下を取れる」と諸葛亮とホウ統をさして言ったといわれる台詞があります。
それは、つまり二人揃って初めて意味があると言うことで、
実際に劉備軍で軍師として軍事面で策を立てていたのはホウ統と法正です。
諸葛亮は内務担当です。

劉備が益州方面へ進出したとき、ホウ統が軍師として劉備につき、諸葛亮は荊州に残りました。
劉備は諸葛亮を「内務の人間」と見ていた。
一方、ホウ統を益州攻略に連れていったということは、劉備はホウ統を軍略家と見ていた。

ホウ統は益州攻略の途中で戦死します。
しかし、その後、軍師としての役割を果たしたのは益州出身の「法正」でした。
夷陵の戦いにおいて、諸葛亮は参戦すらしていません。
劉備は、あくまで諸葛亮を、「国の方針を決める人間、内政能力の優れた人間」と見ており、決して「戦争に優れた人間」とは見ていなかったことが読みとれます。

ホウ統・法正が死んだ後、劉備軍は軍事面でなかなか勝てなくなります。

演義で関羽を殺され、呉に出兵した劉備を止められなかった諸葛亮が、
『法正が生きていれば諌められたろうし、諌められなかったとしても負けることはなかったであろう。』
という台詞があります。

演義しか知らないと、その場面では『なぜ法正?諸葛亮がスーパー軍師として参戦すれば勝てたんじゃないの?』と思います。

劉備の死後、諸葛亮が軍の実権を握ったが、北伐は失敗に終わっています。

演義では諸葛亮がまるで天才軍師のように書かれています。
しかし、諸葛亮は政治家としては一流ですが、軍事能力は低かったのではないでしょうか?

司馬徽が「伏龍・鳳雛の二人を得れば、天下を取れる」と諸葛亮とホウ統をさして言ったといわれる台詞があります。
それは、つまり二人揃って初めて意味があると言うことで、
実際に劉備軍で軍師として軍事面で策を立てていたのはホウ統と法正です。
諸葛亮は内務担当です。

劉備が益州方面へ進出したとき、ホウ統が軍師として劉備につき、諸葛亮は荊州に...続きを読む

Aベストアンサー

低いですね。
それに劉備軍は戦術家は多く居ても、戦略家は全く居ませんでした。
孔明がいなくてはあそこまで国造りは出来なかったでしょう。
軍隊は経済に依存します。
益州攻略の際に、孔明が荊州にいたのも後方の経済力を確保していたからです。
関羽と孔明のコンビネーションが荊州統治を万全にしていたと思います。
これで安心して益州へ迎えたわけです。

ちなみに、孔明以外の人材が軍事を握るとキョウイのようになるからです。金使いまくりになるからです。
孔明の軍略は、あくまで国力の低下をしない程度の軍事行動です。
だからムダ使いのしないと思われる楊修にあとを任していたのです。

補足:名軍師張良とはいいますが、漢建国後、劉邦の匈奴の北伐時に付いていきますがあっけなく大敗してなんと、捕虜になります。
やはり戦場では役立たずだったそうで。
劉邦一行は放たれますが、後漢?まで匈奴に毎年貢物をしなくてはならない羽目になりましたとさ。

Q三国志はどこまで本当ですか?

こんにちは。

三国志自体はおもしろいし好きなのですが、実際のところ、どこまで本当なのか気になり始めました。

(1)曹操は本人の才能もさることながら、漢の重臣の家柄出なのでその後の活躍ぶりは納得もできます。ただ、田舎で莚を編んで暮らしていた劉備が浮き沈みを経て立身出世していく様は本当かなと思ってしまいますが、どうなんでしょうか?

(2)関羽張飛など鬼のように強い武将がいますが、いくら強くても、遠くから弓矢で集中攻撃したり、槍ぶすまで応酬したりしたら倒せるような気がします。一騎打ちはともかく、乱戦状態で彼らは大活躍できていたのでしょうか?

(3)孔明に関してはやや神がかり過ぎな感じはしますが、軍師の策略や戦略や計略や外交に関してはある程度信じてもいいですか?


曹操や劉備関羽張飛孔明らが存在して、三国時代というものがあったということは確実でしょうが、一体どこまで本当なのか、実際のところはどうだったのか、皆様のお考えをきかせてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>劉備が浮き沈みを経て立身出世していく様は本当かなと思ってしまいますが、どうなんでしょうか?

人生で浮き沈みがあり、出世した!というのは本当です。
が、物語的に色々と脚色しているようです。
日本で言うところの、秀吉と同じです。

>一騎打ちはともかく、乱戦状態で彼らは大活躍できていたのでしょうか?

豪傑だったのは間違いないようです。
ただ、将の下には数百の雑兵・足軽が存在します。
戦闘に勝利しても、将の名前が武勇伝として残るのみで、実際の戦闘員の名前は残りません。
日露戦争でも、乃木大将の武勇伝は伝わっていますが、数十万の名もなき日本戦死者(一般兵)の氏名は伝わっていませんよね。
(靖国など一部で、記録があるだけです)

>軍師の策略や戦略や計略や外交に関してはある程度信じてもいいですか?

孔明の場合は、地理学・天文学を用いた戦略を立てています。
ある程度信用しても大丈夫でしよう。
事実、三国志の頃の気象状況(風向きが変わった・太陽が隠れたなど)が「孔明の行動」と合致しています。

>一体どこまで本当なのか、実際のところはどうだったのか

物語としての三国志と、歴史としての三国志は異なります。
伝わっているのは、物語としての三国志ですね。
よく例としてだされるのが、忠臣蔵です。
忠臣蔵は物語(戯曲)であって、史実ではありません。
「吉良の首を取って泉岳寺まで行進した。江戸市民は歓喜を持って迎えた」事に物語・忠臣蔵ではなっていますが、そんな事実はありません。
(忠臣蔵には、実在しない人物が多く登場しています)

三国志は、史実を元にした歴史小説と考えた方が良いです。
が、三顧の礼など諺の謂れが分かって面白いですよね。

>劉備が浮き沈みを経て立身出世していく様は本当かなと思ってしまいますが、どうなんでしょうか?

人生で浮き沈みがあり、出世した!というのは本当です。
が、物語的に色々と脚色しているようです。
日本で言うところの、秀吉と同じです。

>一騎打ちはともかく、乱戦状態で彼らは大活躍できていたのでしょうか?

豪傑だったのは間違いないようです。
ただ、将の下には数百の雑兵・足軽が存在します。
戦闘に勝利しても、将の名前が武勇伝として残るのみで、実際の戦闘員の名前は残りません。
日...続きを読む


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