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コペルニクスはどのようにして地動説へたどり着いたのですか?またなぜ他の惑星ではなく太陽を中心として考えたのですか?

A 回答 (3件)

 たしか、惑星の動きに納得がいかなかったからじゃなかったでしたっけ。


 惑星は地球とは違う太陽軌道上を、地球とは違う速度で回っているので、地上からは「うろうろと惑っているような動き」をしているように見えます。

 なぜこうなるのかを突き詰めた結果、惑星はすべて、太陽を中心として円を描いていると考えれば納得がいくと考えたとかなんとか。
 まあ、そんな感じだったと思います。
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   普通、天動説と呼ばれているものは、プトレマイオスの惑星や恒星の天球上の運動を説明するための「太陽系」のモデルを言います。
  ところで、単純に地球を中心として、諸惑星・太陽がその周りを回っているとするモデルでは、観測精度が上がるにつれ、実状に合わなくなります。(惑星は奇妙な不可解な見かけの運動をするのです)。
 
  そこで、どうしたかというと、各惑星・太陽の円軌道に、更に、小さな円軌道(小周回円)を考え、観察事実に合わせようとしました。観察精度が上がるにつれ、この小周回円による補正は非常に複雑で込み入ったものとなりました。
 
  自然科学の対象モデルについては、単純で美しいものがモデルの条件の一つにもなります。地球が中心だというのは、「単純な考え」であり「単純なモデル」です。地球中心思考という考え以外にも、天文研究者にとっては、こういうモデルの単純さ・美しさが、モデルの妥当性の確信になっていたのです。
 
  しかし、修正プトレマイオス・モデルはあまりに複雑で、どうも人工的な作為のようにも思えて来たということがあります。神が創造したシステムで、こんな複雑なものがあるのは何故か? という疑問が起こって来ます。
 
  その時、コペルニクス以外にも、従来の修正プトレマイオス・モデルとは異なるモデルを考える人たちが、天文の観察者や思想家の中で出てきました。コペルニクスは、地球を中心に置いた方が、惑星の運動が、非常に単純に表現できることを見いだしました(というか、このことは、コペルニクス以外にも知っていた人はいたと思います)。つまり、錯綜した補助小周回円を使わなくとも、ごくわずかな補正周回円で、もっと単純に、惑星の複雑な見かけの運動を説明できることを見いだしたということです。
 
  そこで、太陽系のモデルとしては、修正プトレマイオス・モデルよりも、太陽を中心に、その周りを地球も含め、諸惑星が回っているというモデルを主張しました。コペルニクスのモデル提唱は、「モデル提唱」でした。このことは重要な意味を持ちます。
 
  何故、太陽を中心にというのは、まず、太陽と他の惑星、月を考えると、太陽が特に特別な天体だということは自明でしょう。あれだけの光を発しているのは、太陽だけです。また、大きさが当時、肉眼観察で分かっていたのは、太陽と月だけですが、月の輝きは、太陽の光の反射であることは明らかでした。とすれば、太陽を中心とするモデルが有望だということになります。(他の惑星を中心とするモデルも造ってみたのかも知れませんが、それでは、惑星の見かけの運動を単純に美しく説明できないというので、放棄されたのかも知れません)。
 
  こうしてコペルニクスは、公然と、太陽を中心とするモデルを提唱しました。カトリック教会を初め、他の天文研究者たちも、モデルとしては、なかなか興味深いと考え、それが果たして正確に観察事実などを説明するだろうかと吟味を行ったことでしょう。
 
  コペルニクスは、教皇庁の弾劾を受けていませんし、破門とか、自説の撤回とかを求められていません。しかし、ガリレオ・ガリレイは、コペルニクスのモデルこそ妥当だと確信し、「太陽系は太陽を中心として諸惑星が、地球も含めて、《実際に》運動している」と主張しました。カトリックは、モデルを立てることは、それなりの学者なら、異論は唱えなかったのです。しかし、ガリレオは、実在世界が、太陽を中心に運動していると主張したので、これは看過できなかったのです。
 
  コペルニクスは、当時様々な説があった、太陽系のモデルの一つの提唱者の一人です。コペルニクスの原モデルは、モデル的に単純で美しかったでしょうが、当時の精緻な修正プトレマイオス・モデルと比べると、観測結果との一致で劣っていたとされます。
 
  しかし、ガリレイのモデルがあり、更にケプラーのモデルがあり、……歴史の結果として、太陽の周りを地球を含め諸惑星が回っているというモデルの方が、現実の宇宙の天体運動については、プトレマイオス・モデルよりも、妥当だという証拠が、コペルニクス死後に、陸続と出てきて、結局、コペルニクスの提唱したモデルを修正した形で太陽系の運動は把握され、この時、最初に、このようなモデルを学問的理論として提唱したのは誰かとなると、それはコペルニクスであるということになったのです。
 
  コペルニクスは、見かけの惑星の運動を単純に説明するには、太陽を中心としたモデルの方が、より適していると考え、そういうモデルを提唱したのです。(太陽のまわりの惑星の運動の精緻なありようについては、ティコ・ブラーヘの観察結果に基づいて、三つの運動法則を唱えたケプラーの理論の方が優れているでしょう。もっともケプラーは、違ったモデルを構想していたようですが)。
 
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地球の外側の惑星(火星や木星や土星)が、観測を続けていると


「逆行」する現象がみられる。そして「逆行」しているときの惑星が一番明るく見える。
ということが知られてきました。
「天動説」でそれを説明すると、火星などの動きを表わすのに、とてもややこしい法則を持ち出さないといけなくなってしまうのですが、
「地動説」にたてば、外側を回っている火星を内側の地球が追い越す時に、火星が後ろにおいていかれる形になる。そして追い越す時に火星との距離が一番近くなるから、最も明るく見える、ということで単純な同心円(コペルニクスはケプラーの法則は知らないから同心円で)で説明できる、
ということだったと聞きました。

あと、「年周視差」というのがあって、
太陽系外の恒星を観察していると、それまでプトレマイオスの天球儀では「恒星」は同じ球にはりついていると言われていたのに、
季節によって、構成の位置関係が微妙にずれている。
いわゆる「右目と左目」で微妙にちがう画像をみて立体感を感じているように、太陽を挟んで公転直径を両目の間隔にして、恒星が立体的にとらえられるようになる、というのがあります。(ただ、コペルニクスはそこまで観測できていなかったでしょう。望遠鏡を発明したのはガリレイでしたから)
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