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長崎探題というのが正式な職名かはよくわかりませんが、江戸時代初期の正保元年に伊予松山久松松平家の2代目松平定行が南蛮船が長崎に来たときには、長崎で警備・防衛等の指揮をとるように命じられたことが探題職といわれたものだと思われます。
正保四年に実際に南蛮船が長崎に漂着したときに実際に長崎に出張しましたがなにごともなく南蛮船は引き上げました。
このときに南蛮菓子タルトに接し、それを松山に持ち帰りいまの松山名物タルトのおこりだといわれます。
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