電子書籍の厳選無料作品が豊富!

蘇我蝦夷の名前(蝦夷)は本名なのでしょうか?違うとしたら本名はなんですか?

A 回答 (7件)

 こんにちは。



 多分ご質問の意図は、当時の有力者の割には奇妙な名前(侮辱的な意味にも取れるということですね)だということですよね?

 これには、昔の名前の付け方に答えがあります。昔は1人の人物で、色々な名前を持っていたということです。高貴な人は本名を人に教えないというのが常識でしたから、今私たちが呼んでいる名前が本名かどうかわからない人もいっぱいいます。通常私たちが歴史で習っているのは、死後に贈られた名前の事が多いです。特に天皇はすべてそうです。今の天皇も天皇としての名前はありません。現役の天皇は全員、今上天皇と呼ばれます。崩御された後、昭和天皇などの名前が贈られます。ちなみに、今は元号と、贈り名は一致していますが、昔はそうではありませんでした。

 話を戻しますが、曽我氏の一連の事を書いた書物である、古事記も、日本書紀も、勝者側から見た歴史書であるわけで、勝者の都合の悪いことは書いてないはずです。つまり、勝利者(中大兄皇子から続く天皇家ですね)が、自分の王朝の正当性を書き込んであるわけですね。むしろ、そのために、古事記と日本書紀が作られたと言ったほうが的を得ています。

 そのような観点から、日本書紀を読んでゆくと、蘇我蝦夷の名前の謎も解けてきます。つまり、蝦夷とは、馬子が名付けたのではなく、藤原氏が、蘇我氏を貶めるために、死後与えたものだと解釈すると、すんなりと説明がつきます。先ほども書きましたが、この当時の名前は一つとは限りません。例えば,蝦夷の息子の入鹿は通称で、本名は鞍作(くらつくり)あるいは林太郎(りんたろう)ということになっています。

 蝦夷には他にも名前があったようで、「毛人」とも呼ばれています。つまり、こう書いて、エミシと読ませています。しかし、もともとは「毛人」は「異人」(けひと)のあて字で、はじめはケヒトと読まれていたようです。したがって、「蝦夷」は「よそ者」といった程度の、アザナだったようです。それがどうして「蝦夷」と書かれるようになったのか? それはもちろん、「蘇我毛人」の印象を、もっともっと悪くさせるためです。

 ちなみに、「聖徳太子」は、生前はご存知の「厩戸(うまやどの)皇子」が正式な名前です。でも、皇太子になり、天皇になる手前で非業の死を遂げていますので、鎮魂の意味から、死後に「聖徳太子」という名前を贈り、それが一般的な名前になっているんですね。

(結論)
 長くなりましたが、結論としては「毛人」か「本名は伝わっていない」のどちらかですね。多分。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。古い歴史上の人名の本名の概念(?)の問題だったのですね。
ところで徳川家康は当時呼ばれた(名乗った)名前が今も伝わっていますね。このように生前名乗った名前と現在伝わっている名前が一致するのは時代的にいつ頃からでしょうか?(天皇などは別にして。)よろしくお願いします。

お礼日時:2005/12/12 14:17

No.4です。


小野毛人は、天武天皇のときに太政官・納言の職にあり、刑部省の長官を勤めている高官です(小野朝臣)。「えみし」と言う名前自体には特に問題があったわけではないようです。

ただ、仰有る通りに「蝦夷」と言う表記には、天皇家に刃向かった人物(朝敵)である言う強い意味合いが籠められているのかもしれませんね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2005/12/13 11:51

私も、同じ疑問を高校時代に抱きました。

そして、日本史の先生に聞いてみました。その結果は、no.4さんの説とほぼ同じで呪術的なものであるとのことでした(まあ、その先生もよくはわからないと言ってましたが‥)。名前をわざと悪くつけることによって、本人は、逆に立派に成長するという思想があったそうなのです。豊臣秀吉の長男が「捨」と名づけられたのも、同じような理由だそうです。 
    • good
    • 0
この回答へのお礼

なるほど。ありがとうございました。

お礼日時:2005/12/13 01:14

 ANo.2です。

早速のお礼恐縮です。

>このように生前名乗った名前と現在伝わっている名前が一致するのは時代的にいつ頃からでしょうか?

 古代の貴族文化ですから、平安時代までですね。

 とりわけ女性はそうですね。
 清少納言の「少納言」は職名ですし、紫式部の「式部」も職名で、本名は?です。

 ちなみに、昔の日本人の重要な風習として、「言霊」という考え方があります。簡単に言えば、言葉に魂が宿っており、それを口に出すとそれが本当になってしまうという考え方です。古代人は本当にそれにこだわっていたそうです。ですから、自ら奇妙な(自らをおとしめるような)名前を付けることはないといってよいと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

平安時代までですか。ありがとうございました。

お礼日時:2005/12/13 01:13

当時「蝦夷=毛人」と言う名前をもった人物には、蘇我蝦夷(毛人)の他に、小野毛人(遣隋使の小野妹子の息子)がいます。

特に「蝦夷(毛人)」に蔑称的な意味合いがあったとは思われません。

当時の名前には、呪術的な意味合いがあり、山野の精力のある動物や結界外の強力な部族を名に織り込むことで、その力を本人が取り込めると言う考え方があったのではないでしょうか?実際に、江戸時代には、子供の名前や古い風習が残っている土佐の人の名前には動物名が結構あります。

おそらく蘇我毛人(蝦夷)は本人自身が名乗っていた名前だと思いますよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。呪術的ないみをこめた名前ですか。しかし毛人は良くても蝦夷は蔑称ということはないでしょうか?

お礼日時:2005/12/13 01:12

蝦夷は、現在では”えぞ”とも読みます。


”えぞ”とは、アイヌ人の住む東北・北海道を指し、”えみし”と読んで
も同じ意味を持ちます。
単語を分解して、蝦にはそれほど悪い意味はありませんが、夷には東方の
異民族・野蛮人とあまり良い意味はありません。

蝦夷が討たれた645年当時、蝦夷という語句に悪い意味がなかったという証
明がなされたならば別ですが、夷という字は語彙自体に侮蔑の意味を含んで
いますのであまり名前には使わないと考えるのが普通だと思われます。
よって、蝦夷を討った天智天皇系の大和朝廷があえて、蝦夷という名前を後
世に命名した可能性があります。
(現代は”悪”という字を名前に付けるのは良くありませんが、武士に悪が
 付いている場合は強いを表していましたから、現代の価値観をそのまま当
 てはめる事はできません。
 しかし、悪の場合は現在の辞書にも畏敬の念を表し、荒々しく強いという
 意味も表示されていますので同列には扱えないと思われます)

今年の11月に日本書紀のとおり蝦夷の邸宅が発見されました。蝦夷邸には、
天皇記・国記があったとされていますので、焼け残ったとされる国記が発見
されれば、蝦夷の本当の名前が記載されてあるかもしれません。
それまでは、蝦夷は、本名でない可能性がある。を回答としたいと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。蝦夷邸からの資料発見に期待します。

お礼日時:2005/12/12 14:29

たしか本名だと思いましたが…

    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2005/12/12 14:11

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!