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私の今までの考えは
・葬儀から帰って来た時に(死んだ方が)家に入って来ない様に使う
・四十九日を過ぎたら成仏しているので、その後はお墓参りの時なども使わない
でした。

ところが別の家では毎回使っているそうです。(毎日お参りされています)
じゃあお盆とか戻って来てる時はどうなるの?とか、成仏した/してないに関わらず、墓地に行くから使うの?とか疑問が出てきてしまいました。

死を穢れとするかどうかについては、それぞれご意見があるかと思います。地域によっても違うと思いますので、皆様の経験の範囲内でご回答ください。

A 回答 (2件)

葬儀の後に使用します。

亡くなった人との別れを惜しんだ後、尽きぬ思いを断ち切って日常に戻るためのけじめの儀式がお清めの塩なのだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>日常に戻るためのけじめ
そうですね、穢れなどととらえるよりもそちらの方がしっくりきます。

お礼日時:2005/12/16 14:10

曹洞宗の僧侶です。


清め塩は仏教の教義に由来するものではありません。神道や、古来の素朴な葬送儀礼によるものです。そもそも仏教でいう霊の所在とか往来云々とは全く関係がありません。
こうした理由から仏式の葬礼、法要では「清め塩は必要ありません」とおっしゃるお寺さんも多くなってきています。
神道では「死」を「穢れ」ととらえますが、これは必ずしも「死体が汚い」とか「死んだ方の霊が恐ろしい」ということを意味しているとは限らないようです。確かに、「死体が腐敗すると汚い」「死霊が恐ろしい」という感覚が働きかけているのは確かですが、それよりも「生」ある者が「死」に導かれた事実、親しい者が失われてしまったという事実それ自体が、まだ「生きている」「残された者」である自分たちを「取り巻いている」状況・状態を「穢れ」と言うようです。
そこで、そうした状況・状態から自分を解き放つために用いられるのが「清め塩」と考えることができるようです。
No.1の方も書いておられるように、これは状況に区切りをつけるシルシのようなものですから、仏教が「死」をどのように考えているか、とは少し違う視点・立場で行われるしきたりのように思います。
私は自分が行う葬儀では、積極的に「清め塩はいりません」ということはありませんが、事前に相談を受けた時には、だいたい上のような事を説明しています。

墓参のたびに使われるのは、少し神経質すぎるかとも思いますが、それで気が済むのであれば、ことさら否定するようなことでもないと思います。
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この回答へのお礼

詳しくご説明ありがとうございます。
>そうした状況・状態から自分を解き放つために用いられるのが「清め塩」と考えることができるようです
この考えが今の自分の感覚に合っています。

他の方のご意見も伺ってみたいので、締め切りはもう少し後にしたいと思います。

お礼日時:2005/12/19 16:16

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