人生のプチ美学を教えてください!!

わかりにくいタイトルですが、今までの日本史の中で、無茶苦茶強かった人の伝説が知りたいです!!

伝説と言えども完全な伝説ではなく、リアルに「実際にはこの位の強さだった」とかでかまいません。

ちなみに「強い」というのは、戦闘時の戦略がうまかったとかそういうことではなく、人間一人で何人切りまで出来た!とか、個人レベルでの強さです。

おとぎ話としてしか思われていなかった人が実際に存在したのかーー!?っていうような感動が欲しいんです!

A 回答 (7件)

一つのエピソードを添えていくつか知ってるものを書いてみます。



〇松林左馬介(蝙也斎)
江戸時代の仙台藩の剣客。60歳ぐらいのとき将軍家光の前で演武を行い。その戦いぶりが蝙蝠のようだということで蝙也斎という名をもらった人。
http://kugekuge.s12.xrea.com/amenotami/m033henya …

〇国井善弥
剣道界をけなし、嫌われながらも戦後の剣道界を救った人物。
小柄だが凄かったらしい。
http://sports9.2ch.net/test/read.cgi/budou/10949 …

〇植芝盛平
有名どころですね。足利義輝の逸話を書かれた人が言ってますが、日本刀って人間を何人か斬ると脂で切れなくなるらしいですね。そんなリアルな話を弟子に語ったりしてる植芝盛平は本物でしょうと思います。植芝盛平の場合切れなくなったら突く戦法に変えたらしいですが。

国井善弥は植芝盛平に立会いを挑んだりしてたらしいですが、植芝盛平は上手いこといって避けてたらしいです。

甲野善紀という武術研究家の方の本読むと結構色んなマイナーな話が読めますよ。その方の本を読むとバガボンドが一層おもしろくなる!と、思います。
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本多忠勝も強かったみたいです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%A4%9A% …
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この回答へのお礼

そう考えるとやっぱり強かった人なんていくらでもいるんですかね…?
ありがとうございました!

お礼日時:2006/01/29 22:46

日本史で「人間一人で何人切りまで出来た!」というと連想するのが、陸軍の向井敏明少尉と野田毅少尉の『超記録!』百人切り競争ですね。


え?趣味悪いですって?うーん....

参考URL:http://jijitu.gaou.net/
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この回答へのお礼

僕もそれを連想させてしまうんじゃないかな?とちょっと思ってました…(;^_^A
ご回答ありがとうございました!

お礼日時:2006/01/29 22:41

 弓の使い手として、鎮西八郎源為朝の強さは、すごかったようです。

保元の乱について語っている「保元物語」ぐらいしか資料がないですが、琉球にも渡り琉球王朝の先祖となったという伝説があります。そして、江戸時代に曲亭馬琴が「椿説弓張月」という小説にしています。
 それだけ、英雄源為朝は簡単に死ぬ男ではない、簡単に死なないでいつまでも活躍していたんだと考えられ、伝説が出来たのだと思います。
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この回答へのお礼

参考になりました、鎮西八郎源為朝について調べてみたいと思います。
ありがとうございました!

お礼日時:2006/01/29 22:37

 日本書記の垂仁紀に、野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹶速(たいまのけはや)の戦いが書かれています。


 当麻蹶速の方は、例えば曲がった鉤をまっすぐに伸ばしてしまうほどの膂力があると記載されています。むろん、まっすぐな棒を曲げるより、力がいる作業です。近隣には敵う者のないチャンピオン状態。

 二人の格闘の描写は、今読んでも結構リアルで、二人の戦いをあまり格闘技に詳しくない人が見てそのまま記事にしたのかなあという印象を受けます。

 最終的には、蹶速が倒れた所を宿禰に踏みつけられて腰骨を砕かれて敗れます。ちなみにこの宿禰、勝った褒美に土地を貰うのですが、その子孫の一人が菅原道真ということになっています。


 他には、足利義輝という室町将軍がいます。

 将軍のくせに上泉信綱や塚原卜伝に剣を習っていて自分自身も剣豪という、近世以降ではかなり珍しい「個人として近接戦闘に強い軍人のトップ」でした。
 松永久秀と三好三人衆に襲撃されて殺されるのですが、槍を持って囲む軍勢相手に数人切っては刀を取替えという方法で刀で渡り合い、その間は兵士たちを近寄らせませんでした。はっきり言って、戦場では刀で槍には立ち向かえません。宝蔵院が武蔵に敗れるエピソードも、実はそういうケースが珍しいから有名になるのです。鍵屋の辻でも荒木又衛門が真っ先に槍使いの櫻井半兵衛を槍を持つ前に切り倒していますが、それだけ槍が脅威だからです。
 話を義輝に戻すと、講談では、笑いながら燃える館に飛び込んで雑兵に首を取らせなかった、などと言われますが、そうでもありません。兵士たちは戸板で囲んで押し倒し、その上から槍で突くという、多勢に無勢的な倒し方をしています。
 数で戦っても突き倒せなかったのですから、よほど強かったのでしょう。

 ちなみに、義輝が刀を取り替えたのは、日本刀で数人も切れば血脂が付いて切れなくなるからです。将軍たる義輝がコレクションしていたほどの名刀でもそんなものですから、一本の刀で36人切るのは、物理的に無理です。20本くらいはスペアを用意しておかなければ、難しいでしょうね。
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この回答へのお礼

面白かったです、感動しました!
ありがとうごさいました!

お礼日時:2006/01/29 22:31

一度の切り合いで36人を斬り捨てたとされるのは、伊賀上野「鍵屋の辻」の「荒木又衛門」



この人は、「曽我兄弟」「忠臣蔵」と並んで「日本三大仇討ち」として歴史に残っているわけですから実話です。

但し、実際には36人は斬っていないとの説が有力。
でも、でも、「鍵屋の辻の36人斬り」は有名です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

36人というと座頭一みたいに戦ってたイメージがわきます。
やっぱりどういう様に戦ってたのかが気になりますね。

お礼日時:2006/01/28 15:21

千人切りを行った武蔵坊弁慶。

達成はしませんでしたが、数百人相手に勝ったのですから「伝説的強さ」でしょう。

宮本武蔵。五輪書に因れば「生涯60数回立ち会うも負けなし」というのですから、鵜呑みにすれば相当なものです。

武田惣角。大東流合気武術の創始者とも呼ばれる人で、相手の力を無力化する「合気」という技術を世に出した(武田の作ったものとも言われます)人です。
大東流は合気道の元になったといわれます。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます!

武蔵坊弁慶。すごいですね・・。
でも数百人と一度に戦うとしてもどうやって戦ってたんでしょうかね?
あの合気道で有名な塩田剛三の様にヒョコヒョコ逃げながら戦ってたんでしょうかね?
その辺がすごく気になりますね。。

お礼日時:2006/01/28 14:52

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