1902年に日英同盟が締結され、1921年の四カ国条約により、1923年に失効しました。
当時世界トップクラスの経済、軍事、発言力を持っていた英国との条約締結は、東西の巨大な海洋国家が手を取り合うことを意味し、諸外国に相当の効果を発揮したと思います。

 ではなぜ四カ国条約によって日英同盟は破棄されることになったのでしょうか?歴史に if は禁物ですが、もしあと10年同盟が続いていたならば日中戦争から太平洋戦争、またナチス・ドイツとの関係などの皆様の意見をお聞きしたく投稿いたしました。

 当時の世界情勢、日本の内政など多角的な観点からの回答をお待ちしております。
よろしくお願いいたします。

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A 回答 (3件)

こんばんは


ロシアに対する、日本とイギリスの利害の一致によって日英同盟が成立します。すなわち、朝鮮・満州(中国東北部)の権益を巡ってロシアと対立していた日本と、ロシアの南下政策の脅威に直面していたイギリス、この両者が対ロシアで手を握ったのが日英同盟です。イギリスからすれば、日本は弱小国ですが、ロシアに対する押さえとして利用したわけですね。

ところが、アジアの小国と思っていた日本は、ロシアとの戦争に「勝利」し一躍アジアの大国として登場、アジア市場を巡ってイギリスのライバルとして成長してきます。

さらに、第一次世界大戦ではヨーロッパでの戦争にイギリスが忙殺されているスキに、「二十一か条要求」に示されるように、中国・アジアで「火事場強盗」的に市場・権益を拡大していきます。また、日露戦争で日本は米英などからの巨額の外債によって戦費をまかない巨額の債務(借金)をかかえていましたが、これも大戦景気によってチャラ、逆に債権国になります。
パリ講和会議によって、戦勝国日本は、中国、太平洋諸島におけるドイツ権益・領土をも継承し、アジアにおけるイギリス(アメリカ)の強敵と化すわけです。やっとドイツを潰した、と思ったら今度は日本か!というところでしょうか。

ここにいたって、米英はタッグを組んで日本を封じ込めにかかります。1921.10に始まる「ワシントン会議」がその場になります。この会議の主題は、海軍軍縮と、アジア太平洋地域の安定化=日本の膨張に歯止めをかける、ことですね。したがって、会議に出席する日本代表団の胸中には「列強の審判廷に引き出される被告の境地」が渦巻いていたといわれます。ドイツを封じ込めるヴェルサイユ体制とあわせて、ヴェルサイユ=ワシントン体制、と称されます。

四か国条約の目的は、アジア太平洋地域の現状維持と安定化ですが、すでに日本は米英にとってはパートナーではなく強力なライバル(仮想敵国)となります。したがって日英同盟は、(日本は継続を望んだとしても)ロシア・ドイツという脅威が消えた以上、イギリスにとっては無用の長物、アメリカにとって見れば目障りな存在と化します。

ちなみに、イギリスの兄弟国アメリカは1897年、対日戦争計画「オレンジ計画」の作成に着手しますが、その1911年版には以下のような記述があります。
「もっとも可能性の高い状況は、日本がアメリカの封じ込め政策を終わらせ、同時に自国の通商航路を防衛しながら側面海域を現在および将来の攻撃から守っていこうとするものだ。そうすることは必然的にフィリピン、グアム、そして多分ハワイまで占領して合衆国を西太平洋から駆逐することになるであろう。    
 より困難な状況の下で、米国は独力で日本を満州から撤退させるべく大陸への介入ではなく、海上の作戦によって戦うことになるだろう。それによって制海権を握り、失地を回復し、日本の通商路を抑え息の根をとめることになるだろう。」
ゆえに、アメリカの対日政策は、封じ込めつつも中国という広大な大地に日本を釘付けにし抜け出せなくする、ということになります。のちの、満州事変や日中戦争に際しアメリカが日本に対し断固とした措置をとらなかった理由とも言うことができますね。

したがって「もしあと10年同盟が続いていたならば」というif、についてですが、そのためには、「オレンジ計画」を白紙に戻すだけの変化がないとアメリカが黙っていなかったと思います。たとえば、ソビエトロシアが米英にとって(かつてのロシアのように)十分な脅威となること、そのために日本の利用が不可避であること、のように。(後のアジア冷戦構造がまさにこれですね)

ソ連が内戦の混乱・疲弊を経ずに急速に発展したとしたら、ひょっとすると、(狸の化かし合いですが)日独伊ソ四国同盟(=反ヴェルサイユ・ワシントン体制派と反資本主義のタッグ)VS米英仏資本主義超大国、という構図が現実のものとなったかもしれません。(かなり無理がありますけど)
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。当時の様子を解り易く丁寧に回答していただいて、とてもよく解りました。

同盟締結時は利害が一致していたのに対し、ワシントン会議時では対立していたということですね。やはり国際関係は利害関係によって成り立っていたということが良く解りました。

また難しい(ありえない)歴史の if にも触れていただき本当にありがとうございました。

お礼日時:2006/01/31 06:50

日英同盟破棄も日米敵対情勢も全て日露戦争後のアメリカの鉄道王のハリマンと桂首相と約束した南満州鉄道共同経営を小村に反対されて反故にしてしまった、そのためにアメリカが中国への進出を拒否したことに反感を買ってしまいそれ以後日本はアメリカと敵対するようになる、日英同盟の破棄もアメリカの働きかけのためで、イギリスも第一次大戦の時に地中海に日本海軍が護衛艦程度派遣した程度で必要性を感じなくなっていたのではないだろうか。

すべてがハリマンとの約束違反につきる、もし満鉄がアメリカと共同経営していたなら、アメリカはその後の満州建国にも反対しないだろうし蒋介石の応援もしないし、したがって日中戦争もなく中国は国民党政権になっていただろう、またヨーロッパではユダヤ人の迫害のため中国へ逃れてくる者がいたため、ソ連と満州の国境にユダヤ人の入植地を作ろうとした河豚計画と称する考えもあったようだ、もしこの計画がうまくいっていたなら今の中東のイスラエルとアラブの紛争もなかったかもしれない。ドイツのヒットラーはどのようになったか想像がつかないが第二次世界大戦は起らなかった可能性がある。日本はアメリカと共同経営している事業があれば第一次大戦以後はどのような戦争もしていないだろう。しかし日本人が忘れてならないことはあの大戦がなければ欧米が植民地にしている現地人に独立など認めることは決してなかったはずだ、有色人種の日本人があれだけ戦えるならと他の有色人種に勇気を与えた戦争でもあり、もしあの戦争がなければアフリカ、東南アジアはいまだに植民地のままかもわかない。
日本一国だけの平和なら上記の過程が良かったかもしれないが人種差別
の存在する時代に全世界相手に戦わなければならなかった運命的なものを感ぜずにいられない。
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第一次世界大戦の戦場はヨーロッパでした。


ヨーロッパが戦場になったことにより、アジア太平洋地域に植民地を所有していたヨーロッパ諸国は、植民地軍や植民地住民を、ヨーロッパの戦場に駆り立てました。
その状況を見て日本は、日英同盟を利用して、アジア太平洋地域にあったドイツ植民地を占領し、さらに中国への利権拡大をねらったわけです。
そして大戦が終結すると、アジア太平洋地域における日本の勢力がかなり増強され、同じ地域に植民地を持つ英米仏が日本に対して脅威を抱いたのです。
本来この問題は、イギリスが中心となって対処していければ良かったのですが、イギリスにはすでに余力がなかったので、孤立外交を基本姿勢としていたはずのアメリカがここで乗り出したのです(ワシントン会議)。

この会議で成立した四カ国同盟は、日英米仏の四カ国で太平洋地域の現状維持を約したものです。四カ国が協力して太平洋地域の平和を維持しようということになったのです。四カ国が協力するわけですから、日英同盟という個別の同盟は不要です。
しかしアメリカの真のねらいは、英米仏の三国によって日本の太平洋地域における暴走を食い止めようとすることにあります。イギリスの後ろ盾を排除し、三国で日本を牽制したのです。

同様にワシントン会議で、九カ国条約と海軍軍備制限条約が締結されていますが、これも日本による中国への利権拡大阻止、アジア太平洋地域における日本の勢力拡大阻止をねらったアメリカの外交政策です。
ある意味日本は、アメリカの外交政策に屈したのです。

当時の日本政府の外交政策は、アジア太平洋地域への勢力拡大は、かなり前進したので、ひとまずこれで良しとし、社会主義政権を打倒しながら資源豊富なシベリアを獲得することになっていた(シベリア出兵)のも事実です。国内的には大戦景気も終焉を迎え、米騒動なども起こり不安定でしたし、アメリカと対決…というわけにはいかなかったでしょう。
アメリカと戦うよりも、社会主義政権を打倒することの方が重要だったはずです。

IFは、あえて回答を控えます。
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この回答へのお礼

第1次大戦のヨーロッパ方面と絡めて説明していただくことで当時のアジア太平洋地域の状況も良くわかりました。

四カ国条約は日本を牽制する為のものということでしょうか。

ありがとうございました。

お礼日時:2006/01/31 15:11

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Q日英同盟廃棄の原因

日英同盟廃棄の原因を教えて下さい。

僕は細かい史実は殆ど分からないんですけど、日英同盟が廃棄された原因は要するに、大まかに言うと、第一次世界大戦の時に日本が英国の要請にも拘わらず、ろくに軍隊を欧州に派遣せず、それでいて中国大陸の権益を火事場泥棒的に分獲ってしまったから、ということで良いのですか?あとアメリカの謀略などもあったのですか?

Aベストアンサー

日英同盟破棄には幾つもの要因が複雑に絡まって,なかなか読み解くのが難解です。
取り敢えず,4つに分けて纏めてみます。


・日本の日英関係重視から日米関係構築への移行論

第一次世界大戦を期に,英国の国際社会における求心力は急激に低下していきました。
変わって,第一次世界大戦の戦争特需で米国は急速に力をつけてきており,このまま沈んでいく英国に付くよりも,勢いに乗る順風満帆の米国に付いたほうが得ではないかという機運が一部にありました。
原敬内閣や高橋是清内閣では,実際に親米路線に軸足を置いた外国が展開されていきます。
とはいえ,日英関係を軽視したわけではなく,英国との衝突をなるべく避けつつ,米の勢いも利用して日本のさらなる躍進を目指そうという感じでした。
なので,『太平洋に関する四ヶ国条約』(後述)に乗っかってしまい,結果として英米関係の強化へ一役買うという悲劇(?)へと転がり落ちていきました。


・英国内での日英同盟慎重論

第一次世界大戦まで英国は中国での最大勢力でした。
ところが,第一次世界大戦後には日本が大躍進をしており,英国の中国国内での権益が失われる危機的な状況でした。
また,日英同盟が日本の躍進に繋がったという反省もありました。
そこで,戦前から結びつきが強い米国との関係改善を模索し始め,第三次日英同盟の満期をもって発展的解消がはかられました。


・国際連盟の発足

第一次世界大戦の教訓から,平和主義ムードが高まり国際連盟が発足しました。
国際連盟は紛争を外交的話し合いでもって解決しようという,日英同盟のような軍事同盟とは真逆にある政策です。
明らかに国際的ムードとは矛盾する条約でした。
その為,日英両国が更新に二の足を踏んだという事情もあったようです。


・米国の日英分離政策

よく米国の謀略だったなどと陰謀論で語られがちですが,あながち否定しきれない部分もあります。
植民地獲得競争に乗り遅れた米国は,なんとか中国大陸への権益を伸ばそうとしていました。
ところが,そこでは既に英国が君臨し,第一次世界大戦後には日本までが伸長してきました。
しかも,この二カ国が軍事同盟を結んでるときています。
そこで,戦後の平和的ムードに乗っかって『太平洋に関する四ヶ国条約(通称・四カ国条約)』(1921年)の妥結に向かいます。
この条約は米・日・英・仏の第一次世界大戦戦勝国間で,太平洋における紛争を回避すべくる領土的権利の相互尊重・協議での問題解決などが定められました。
参加国は四カ国ですが,米国の真の目的は日英同盟を破棄させることだったと言われています。
そして,これが後の太平洋戦争へと繋がったと主張する説があります。
個人的には,陰謀論者のように積極的に賛成できませんが,遠因の一つであったと思います。
日本側にも日英同盟を解消しようという動きがあったのも事実であり,米国の陰謀だけで事が運んだわけではありません。

とこんな感じでしょうか。
いずれにせよ,国際政治力学において第一次世界大戦後に大きく軸が動き,日英同盟は時代の要求に答えられなかったのでしょう。
今後,日米同盟(安保条約)もどうなるか分かりませんね。
今の環境では考えられませんが,いずれ日米同盟破棄~日中同盟締結なんてシナリオが実現するかもしれません。
教訓として一つの条約を終わらせたり,新たな条約を結ぶ時は,自国の損得だけでなく相手側の真意も推し量るインテリジェンスが求められるということでしょう。

ではでは、参考になれば幸いです。

日英同盟破棄には幾つもの要因が複雑に絡まって,なかなか読み解くのが難解です。
取り敢えず,4つに分けて纏めてみます。


・日本の日英関係重視から日米関係構築への移行論

第一次世界大戦を期に,英国の国際社会における求心力は急激に低下していきました。
変わって,第一次世界大戦の戦争特需で米国は急速に力をつけてきており,このまま沈んでいく英国に付くよりも,勢いに乗る順風満帆の米国に付いたほうが得ではないかという機運が一部にありました。
原敬内閣や高橋是清内閣では,実際に親米路線に軸...続きを読む


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