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鮮卑、匈奴、烏桓など、字を見ただけで「見下している」ような印象をもってしまいます。歴史というものは完全に中立の立場で記述するのはできないかもしれませんが、そういう配慮はなされているのでしょうか?それらは、漢族の使う用語ではないのでしょうか?それらに該当し、漢族にそう呼ばれる「鮮卑」や「匈奴」の人たちは自分たちの部族のことをどう呼んでいるのでしょうか?
自分たちの部族に「卑」という漢字をつけるわけはないですよね?

A 回答 (8件)

匈奴、鮮卑、烏桓(丸)という文字は、中国における正史(各王朝が、一つ前の王朝の歴史を記した正式な史書で、史記に始まる。

ただし匈奴は史記以前から記述有り)などに書かれ、漢民族からみて野蛮で文化を持たない、動物に近い忌むべき異民族という意味があります。正しく「見下し」ているのです。

当時(前4世紀以降)、文字を持っていたのは漢民族だけです。遊牧騎馬民族が初めて文字を持ったのは、トルコ系の突厥で、5~8世紀頃(諸説あり)といわれています。匈奴、鮮卑、烏桓は文字の記録を残していないので、彼らの歴史は中国やインド、イラン(ペルシア)の文献が頼りです。なので、中立の立場で歴史を残すことや、両者の歴史書を付き合わせてより客観的な事実を求めることは不可能です。

彼らが自らを何と読んでいたのか、今まで多くの学者が原音を特定しようと、研究をしてきました。「匈奴」、「鮮卑」、「烏桓」という文字は、原音をもとに漢字を当てたので、古代中国語の発音から大体の音は推測できます。また、彼らはモンゴル系、トルコ系、ツングース系あるいはその混血した民族と考えられますから、それらの言語を研究の手がかりにもできます。

最近の論文はあまり読んでないので、違うかもしれないのですが、「匈奴」は「フ・ヌ」か「ク・ヌ」、「鮮卑」は「サ・ピ」か「サ・ビ」(意味はベルトのバックルという説有り)、「烏桓」は「ウラン」(モンゴル語で赤、因みにウランバートルとは赤い英雄の意)の音写ではないかということです。

以上長くなってしまいました。ついでですが、私の卒論のテーマは「烏桓族について」でした。
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伝統的に戦闘の弱かった漢民族が、力で敵わないので言語で優位に立とうとした結果です。

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鮮卑、匈奴、烏桓といった名称に、見下したニュアンスがあるのはその通りですが、歴史の記述では、それをそのまま使います。

当時の記録に匈奴といった言葉が使われている以上、それをそのまま使った方がわかりやすいし、また「使うな」と文句を言う人もいないからです。歴史研究者は、手に入る資料が、支配者側・文字を持っていた側のものに偏ってしまうので、真実を知る為に、なるべくそういうバイアスから逃れようとは努力しますが、呼称は、単なるラベルのようなもので、何故そういうラベルがついたかには興味を持ったとしても、ラベルそのものを変えようとはあまり考えません。良し悪しは別として、事実としてはそういう事です。

それから、中国の史書に残る、周囲の『民族』の名前は、中国からの呼称であり、そのように括られた人達に、どの程度の言語・文化的共通性(あるいは他との相違)があったのかも、はっきりとはわかっていません。ある集団が、トルコ系、モンゴル系、ツングース系等々も、諸説わかれたりします。
匈奴は、漢の時代に分裂し、漢についた方は隋唐の時代迄に、ほぼ漢民族に同化したと思われます。西に逃れた方は、ヨーロッパにフン族として現れたと考えられてますが、それが正しければ、ハンガリー人がその子孫という事になります。鮮卑も、隋唐の時代に同化しました。烏桓は、三国時代に集団としてはほぼ消滅しています。ですから、今、鮮卑、匈奴、烏桓の子孫である事を意識している集団は無いと思います。


差別用語というのは、元々の意味に差別があったかどうかではなく、現在、あるいは近い過去に差別の意味で使われたかどうか、で決まるものだと思います。例えば、今は、アメリカの黒人(Black)は、アフリカ系アメリカ人(African American)と呼ぶべき、という事になっていると思いますが、元々「黒」に差別の意味があった訳ではないですよね。

だから、鮮卑、匈奴、烏桓というのは、その逆で、元々差別の意味はあっても、それによって差別を感じる人がいない以上、今のところは、歴史の記述上使われる単なる名称にとどまると思います。

但し、現在ケルト人と呼ばれる、アイルランド人やウェールズ人が、実は19世紀ぐらいから急に自分たちがケルト人と呼ばれるようになった(それまでは、ケルト人はローマ人の記録だけに残る大陸の集団だった)、将来、自分達の祖先が(例えば)匈奴である、という意識を強く打ち出す集団が出てくれば、また状況は違ってくるかも知れません。
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No4です。


質問とは関係ないですが、お礼欄に気になるコメントがあったのでここで書いておきます。

第二次大戦中の日本とドイツについては戦中に行ったこと・戦後処理のどちらも同列に語れるものではありません。
南京についても当時に何があったのかは諸説あって結論は出ていません。
私は専門家ではないですし、ここに書くのは適切ではないと思うので詳しいことは書けませんが、調べてみることをオススメします。
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見下した側(中国)の記録しか残っていないのでそう書かざるを得ないのではないでしょうか?


それならひらがな、もしくはカタカナで書けばいいじゃないかと思うかもしれませんが、「鮮卑」と書くこと自体が中国側の当て字なので、そこから当時はどう呼んでいたかは現代人にはわかりません。「せんぴ」と読んだのかもしれませんし、そうでなかったのかもしれません。
日本のことでも邪馬台国や卑弥呼は中国の歴史書にそう書かれていたから書いているだけで、「邪馬台」は「やまと」、「卑弥呼」は「ひめみこ」と読んだんじゃないかという説もあります。
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この回答へのお礼

、「邪馬台」は「やまと」、「卑弥呼」は「ひめみこ」と読んだんじゃないかという説もあります。>>>今まで気づきませんでしたが、それも屈辱的なネーミングですよね。気づかせてくれてありがとうございます。

ネーミングって大事ですよね。小日本とか呼ばれたらいやだし、です。ナチの大虐殺はドイツ人による虐殺とは呼ばれないですし、南京の虐殺のほうは日本人による虐殺と呼ばれます。なぜ関東軍による虐殺ではないのか。あれは関東軍の暴走なのでは?
関東軍がやったと主張しておけば今みたいにこじれなくてすんだかもしれません。

お礼日時:2006/02/15 12:50

>現在自分たちが「鮮卑」族だ、と名乗る人はいますか?


それとも中共がそういった言論を抑圧しているのでしょうか?
中立的な立場を日本はとるべきではないでしょうか?

現在、「鮮卑」や「匈奴」もいませんよね。
「倭」もいません。

単なる歴史的事実でしかありませんので、当時そのように呼ばれていたという話です。
歴史を歪めてもしかたがないと思います。

可能性があるとすれば、当時の民族が自称していた呼び方に変えるという手もあるかもしれませんね。
蒙古ではなく、モンゴルのように。
ただ、覚えにくいので受験生はいやがるでしょうね。
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中国は周辺の国や民族で、自分たちより程度が低くていやしいということで民族名や人名にわざと卑字を使っています。


ただ、歴史的用語ですから差別語とはいえないと思います。
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当時差別語というものはありませんでした。


差別語というものに神経質に反応するのも、現代であっても日本は特殊かもしれませんね。

「鮮卑」や「匈奴」は、自分たちの言語で、名乗っていますから、中国語で何と呼ばれているかは、あまり知られていなかったと思います。

たとえば、「徳国」と中国で呼ばれている国の人が、その事実はほとんど知らないでしょう。
たまたま日本人が漢字がわかるので、意味まで理解してしまっているだけです。
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この回答へのお礼

現在自分たちが「鮮卑」族だ、と名乗る人はいますか?
それとも中共がそういった言論を抑圧しているのでしょうか?
中立的な立場を日本はとるべきではないでしょうか?

お礼日時:2006/02/15 10:50

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