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心理学者の河合隼雄さんがシェークスピアに関する対談のかなで、「平安時代には死刑がなかった」と言っておられます。驚きました。また、「平安時代の物語に殺人がひとつもない」ともおっしゃっておられます。これはそうなのでしょうか?

A 回答 (5件)

確かに810年藤原仲成が薬子の乱で死刑になってから、1156年保元の乱で源為義らが斬首されるまでの346年間、死刑が執行されなかったとされています。



しかしこれは都での話で、地方では死刑が行われた例があります。例えば前九年の役では藤原経清が斬首されていますし、天慶の乱では藤原純友の子、重太丸(しげたまろ)が斬罪となっています。

このほか荘園内での処罰として死刑が行われることはあったようです。下記URLの下から1/3あたりの記事「2ちゃんねるの投稿より」に詳しく書かれています。

http://www.geocities.jp/aphros67/020800.htm
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平安時代の律(国が定めた方)に死罪はあります。


その律による死刑は実施されたことがないようです。

しかし国が定めた律令だけが法律だったわけではなく、
地方の国府などでは独自に裁いていた例が、
特に平安後期には多くなっていたようで、死刑は実施されていました。

平安時代の物語に殺人が一つもないというのは多分本当でしょう。
「上の方、失礼」
上の方が挙げておられるのは説話で、物語ではありません。
竹取物語、伊勢物語、大和物語、落窪物語などなど。

平安時代に書かれた書物全般と言う意味でなら
今昔物語には袴垂という盗賊が武者を殺す話がありますし、
なにより軍記の将門記がありますので間違いになりますが。
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 平安時代には死刑がなかった、という点で、運用面については既に答えが出されているように概ね正しいのですが、律令には死刑の規定自体はありました。


 現代の、法務大臣が執行しないので刑法に死刑はあるけれど執行されない、という状況に似ています。

 他方、平安時代の物語に殺人が一つも無いというのは嘘ですね。
 宇治拾遺物語、今昔物語、日本霊異記など、有名どころだけでも人が殺される話はたくさんあります。
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平安時代全般を通じてではありません。


初期の桓武天皇、嵯峨天皇の時代には死刑もありましたが、死刑にした人物が怨霊となってたたるということがあり、そのために死刑にはしないということが定着しました。(あくまでも貴族ですが。)
ただ、末期に政争が激しくなるとまた復活しました。(保元の乱)
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面白いお話ですね。

興味のある内容だったので口を挟ませて頂いて申し訳ないですが,平安貴族階級(天皇を含む)が,「血は穢れ」として忌み嫌うものであったのは事実らしいですね。
よって,平安貴族階級が死刑という制度を導入していないのは考えられることですが,血生臭い話が無かった訳ではありません。芥川龍之介じゃないですが,羅城門の辺りはとても血生臭い様子であったでしょう。また,源平合戦と言われる保元・平治の乱のあった時代も平安時代なのです。この敗者達は「死罪」になっていますし,その乱そのものが殺人行為ですので,「貴族のみの風習として死刑・殺人はなかった」というのが正しいと思います。
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