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死刑制度を撤廃しようとする動きが理解できません。

欧州の多くの国はすでに死刑制度を撤廃していますが、私刑の横行など、問題は起こってないのでしょうか? 例えば、私は、自分の娘が強姦されて殺された場合、もし国に死刑制度がなければ、必ずや自らの手で犯人を殺します。

あらゆる意見に耳を傾けよと言われますが、凶悪犯罪が横行する現在、死刑制度撤廃の動きはどうも理解できません。特に、死刑制度撤廃が世界的潮流などというのは、まったくのナンセンスであり、真に納得できる理由が示されるべきです。

唯一説得力があるのは、冤罪の可能性ですが、冤罪の可能性がない(現行犯)の凶悪犯罪はどうするのでしょうか?

死刑制度に代わる代替刑(絶対的終身刑)の導入も、問題の本質を隠すものであり、死刑制度撤廃の理由になりません。

以上、とりとめもなく不満をぶちまけてしまいましたが、ご意見等いただければ幸いです。

A 回答 (14件中1~10件)

> 唯一説得力があるのは、冤罪の可能性ですが、冤罪の可能


> 性がない(現行犯)の凶悪犯罪はどうするのでしょうか?

 冤罪って、死刑以外の系は取り返しが付くんですか?
 禁固、懲役、といった刑罰と死刑は、同じですよ。
 結局感情論ですから、冤罪も感情的にしか説得力を持ちません。ようは、決め手にはならないということです。

 理解できないのは、正常です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>冤罪って、死刑以外の系は取り返しが付くんですか?

当然ながら、本当の意味での取り返しはつきません。しかし、他の刑であれば金銭賠償等の保障制度の充実化、国家による十分な謝罪によって、本人の名誉と尊厳を事後的にある程度回復させることが可能です。
一方、死刑後の冤罪発覚は、他の刑と比較して圧倒的に取り返しが付きません。無実の人間を処刑したわけですから。その瞬間、日本の司法はその根底から崩壊するともいえます。
従って、冤罪の可能性は、死刑制度撤廃の大きな理由となるのです。

この点については、既に過去に述べたとおり、再審制度の強化等、制度論的議論で解決の道が開けるのではと考えております。


この質問を投稿してから、多くの方にご意見をいただきましたが、「冤罪の可能性」以外の「死刑制度を撤廃すべき十分な理由」はついに得ることはできませんでした。

あらためて確認したことは、死刑制度は、人が人の命を奪うものでも感情論でもなく、法による適正な判断の下、合理的に課される刑罰の一つに過ぎないということです。そして、冤罪については制度論的解決策で対処すべきということです。
死刑制度を存続させ、個人の身勝手極まる凶悪犯罪行為に断固として立ち向かうことこそ、真に成熟した社会を実現することにつながるのです。

お礼日時:2008/02/03 16:11

死刑を採用するか否かを分けている点とは?


http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3689678.html
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>欧州の多くの国はすでに死刑制度を撤廃していますが、私刑の横行など、問題は起こってないのでしょうか? 



江戸時代の『仇討ち』と共通するものがあるでしょうか。しかし現代と中世とは社会の情勢、価値観や倫理観、個人の尊厳などかなり違うと思います。

>例えば、私は、自分の娘が強姦されて殺された場合、もし国に死刑制度がなければ、必ずや自らの手で犯人を殺します。

そうなると社会秩序は崩壊すると思われませんか?

>冤罪の可能性がない(現行犯)の凶悪犯罪はどうするのでしょうか?

凶悪犯罪が現行犯である確率は低い様に思います。ですから『冤罪の可能性がない場合』という前提では論じられないのではないでしょうか。
また、冤罪の可能性を完全に排除出来ないのであれば、死刑制度を存続する理由は無くなると思います。そのたった一つの理由で十分に説得力があると思いますが。。。

>この世にはどうしても絶対に許されるべきではない犯罪が存在するのです。

だからといって『絶対に許されるべきではない犯罪=死刑』と短絡的にはならないのではないでしょうか。きれいごとかも知れませんが許されるべきで無いのは罪であって人では無いはずです。

『絶対に許されるべきではない犯罪』を健常者と精神異常者が起こした場合、違いはどこにあるのでしょうか?

ある意味、池田小や光市母子の犯人も『異常』ではないでしょうか?

その様に考えてみますと、死刑制度存続論には必ず被害者の遺族の感情が存在している様に思うのですが違うでしょうか?

社会の秩序を守るため、法が罪を裁く手続きの中に感情などは排除しなくてはいけないのではないのでしょうか。

被害者の遺族がいない一家心中や、最近では『奈良県高校生、放火殺人事件』や『青森・八戸で母子3人放火殺人』の被害者は?遺族は一体誰でしょうか?

憎むのは加害者では無くて『罪』ではないでしょうか?


以上、長々と死刑制度に反対の意見を書きましたが、わたくし『死刑反対論者』ではありません。極刑は絶対必要だと思います。終身刑の導入で諸問題が解決出来ると思うのですが違うでしょうか?



しかし死刑制度存続の理由として唯一理解出来るのは。。。

>刑罰はあくまで「国が人の命を奪う権利があるか」ということだと思います。

ではなくて、『法が裁く』のだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>江戸時代の『仇討ち』と共通するものがあるでしょうか。しかし現代と中世とは社会の情勢、価値観や倫理観、個人の尊厳などかなり違うと思います。
自分の身内を無残にも殺された際に抱く感情は今も昔も変わりません。

>そうなると社会秩序は崩壊すると思われませんか?
だから、死刑制度が必要なのです。

>凶悪犯罪が現行犯である確率は低い様に思います。ですから『冤罪の可能性がない場合』という前提では論じられないのではないでしょうか。
論じられます。「現行犯」に限定する必要はありません。池田小のような事件も冤罪の可能性はありません。

>また、冤罪の可能性を完全に排除出来ないのであれば、死刑制度を存続する理由は無くなると思います。そのたった一つの理由で十分に説得力があると思いますが。。。
おっしゃるとおりです。しかしながら、現在の死刑撤廃論は多くの不可解な理由を挙げ、結果として死刑制度撤廃の理由が見えにくくなっているのです。「死刑」と「冤罪」、この矛盾律に対して、例えば、再審制度を強化するなど、制度論的解決策を提示する必要があると考えます。

>許されるべきで無いのは罪であって人では無いはずです。
そういう詭弁が死刑撤廃論を脆弱にしているのです。「罪」は「人」が引き起こすものです。そして、刑罰は「罪を犯した人」に対して課されます。許す許さないという議論ではないのです。それは単なる倫理規範に過ぎません。

>死刑制度存続論には必ず被害者の遺族の感情が存在
制度論的議論の根幹に遺族の感情があるのは至極当然です。問題なのは、それを逆手にとって「感情で人を裁くのか」などと論ずる死刑撤廃論者側にあるのです。
「感情」を全面に出すなら、「応報刑」とすべきです。それに伴い、拷問刑も復活させなくてはなりません。現行の刑法は、これらを廃止し、最高刑を「死刑」とした極めて合理的体系で構成されているのです。凶悪犯罪者に対して死刑を求刑することは、何ら一時の感情的発露ではなく、極めて合理的な判断なのです。

>被害者の遺族がいない一家心中・・
遺族の有無で量刑が変わるという議論でしょうか? 十分な検討が必要な議論ですが、遺族が「有る」凶悪犯罪がある以上、制度論的議論に影響を与えるものではないと考えます。

>ではなくて、『法が裁く』のだと思います。
そうです。

お礼日時:2008/01/13 12:29

>特に、死刑制度撤廃が世界的潮流などというのは、まったくのナンセンスであり、真に納得できる理由が示されるべきです。



真に納得できる理由が未だ示されておらず、死刑廃止論者もいわば狂信的(私の偏見ですが)だから、死刑が廃止されないのだと思います(ちなみに、私は死刑賛成者です)。
質問者さまは何らかの危機感を持たれているようですが、死刑制度を撤廃しようとしているのは限られた人たちだけで、そのような動きが活発であるわけでもなく、質問者が危惧されておられるであろうこと(=死刑の廃止)は当面起こりえないないと思います。
マスコミはいろいろと言って世論を煽っていますが、それはいわば死刑廃止論者を叩きの種にしたいだけであって(これについては死刑廃止論者自身のやり方にも問題がある可能性があるでしょうが)、実際には死刑廃止勢力は弱小なので。
本当に死刑廃止論者の力が強大なのであれば、(決議もありましたし)国際的批判を浴びるのをおそれて死刑が廃止の方向に明らかに向かっているはずで、今のような(それと逆の)状況は起こっていないでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>(=死刑の廃止)は当面起こりえないないと思います。

おっしゃるとおり、当面は維持されるかもしれません。しかしながら、この国は十分な議論もないまま、なんでも雰囲気で物事が決まってしまうのです。現状に甘んじていれば、貴方のいう「少数派」によっていつのまにか死刑制度が撤廃される危険があると思うのです。そして、一度撤廃されれば、元に戻すのは容易ではありません。

欧州でも死刑制度復活の論議が盛んなようですが、実際に死刑制度を復活させることは極めて難しいのではないでしょうか。

なぜ死刑制度に賛成するのか、一人一人が論理的に説明できる必要があると思います。少なくとも死刑撤廃論者は、それなりの「理由」をもっているのですから。

お礼日時:2008/01/07 22:57

失礼します。



>ちなみに、日本でも精神異常の場合には無罪『放免』にはなりませんので、誤解のありませんよう…

>…というか、法律や刑事政策を語るなら「欧」と「米」は区別しなければだめですよね。


いずれも、全くもって同意です。
非常によくわかってらっしゃる。

http://oshiete.homes.jp/qa3596555.html
http://www.lefigaro.fr/france/20071024.WWW000000 …
http://muki2007.hp.infoseek.co.jp/lwop.html
http://muki2007.hp.infoseek.co.jp/life.html

ちなみに本題とは逸れますが、イギリスはその中間のように思います。英米法なのでアメリカに近い部分もありますが、実際に見てみるとアメリカとはだいぶ異なります。そもそも日本は(ドイツ、フランス、オーストリアなどの諸国や韓国などと同じく)大陸法なので、英米法系の国(イギリス、カナダ等)との比較は単純な作業ではなく困難を伴います。
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No.5,6,7です。



No.8さんの

>政治家たちの「先進欧米諸国に習って」っていうの、ないんでしょうか。

政治家たちという視点で言えば、それはあると思います。
日本は欧州評議会という国際的な人権保護組織に参加していますが、
死刑制度を維持しているという理由で、この会議で日本は肩身の狭い思いをしています。
政治的理由として、そういう方面への顔向けという側面はあるでしょう。

でも、刑罰の現在と未来を研究している人たちはそうではありません。
「欧米だから」ではなく「刑罰とその効果の研究に関する先達」としてリスペクトしているのです。

…というか、法律や刑事政策を語るなら「欧」と「米」は区別しなければだめですよね。
欧州諸国(イギリスを除く)と米国(イギリスはむしろこっちの仲間)とでは
法体系も刑罰に対する考え方もまるで違うわけでして…

さて、欧州のいくつかの国が今、凶悪犯罪の増加に悩まされているのは間違いないですが、
「刑罰を厳しくすること」に大した効果が望めないこともよくわかっているはずです。
…増えているといったって、凶悪犯罪は飲酒運転みたいにほっとけば誰でもやるようになってしまう、
というものではないわけで、刑事政策という観点で言えば、両者を同じ基準で語れないわけです。

…そういうところまで考えた上でのアイディアや制度なら、
たとえ賛成できなくてもリスペクトをもって検討しますが、
日本では「おととい来い」レベルでものを言う人が多いんでねぇ…
私は、死刑制度の是非そのものよりも、その程度の認識で意見する人が多いことに忸怩たる思いを持っており、
しかもなぜかそういう人が揃って死刑制度を是とするものだから、まずそれを否定する結果
「nep0707は死刑反対論者だ」とか言われてしまうわけで…
縁なき衆生は度し難しと言いますが、仕方ないと思いつつも何とかならないものかなとも思ってます。

ちなみに、日本でも精神異常の場合には無罪『放免』にはなりませんので、誤解のありませんよう…
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日本の死刑廃止論の裏には、政治家たちの「先進欧米諸国に習って」っていうの、ないんでしょうか。

以前「夏時間を復活させよう」なんて言った政治家がいましたが、その人の理由も、これでしたよね。だとしたら、あまりにも軽率ですね。(欧米では逆に、いつ夏時間を止めるかって言われていますし、死刑復活論議も、凶悪犯罪の増える中、今までになく盛んです。)
「私刑」ですが、これ、けっこうあるんですよ。
実は今、私が結果を興味深く見守っている一件があります。私の住むオランダで、7年ほど前ですか、大変人気の高い「右より」の政治家、ピム・フォータンという人が暗殺され(実際には彼は、素晴らしい常識の持ち主だっただけ。彼の人気に恐れをなした他の政治家たちが、この暗殺の裏にいるといわれている)、犯人は現行犯逮捕されました。公共の秩序がめちゃめちゃなオランダで(オランダそのものは、かつてはこんなではなかったのですが、あまりに他民族を安い労働力として入れすぎたこと、福祉の行き過ぎ、いろいろ事情はあります)、私も彼の活躍に大きな期待をかけていました。暗殺後、国を挙げての大きなデモが続きました。死刑復活論も、盛んに論議されました。犯人は頑なに黙秘です。それで、出た判決は、なんだったとお思いになりますか?18年の実刑です。ですからあと10年ちょっとで、彼は出てくるわけです。この国では犯罪者の名前も、苗字は公表しませんし、顔写真も出しませんが、この犯人の氏名と顔写真は、いくらでも他の国のテレビ、新聞で明らかにされましたから、多くの人が彼を知っています(近隣諸国のテレビも普通に観れるので)。
で、今から宣言している人たちがいるんです。「奴が出てきたら、我々の手で殺す」と。殺しても最高18年入っていたら出てこれて、保護の元で職につけたり、手当てがもらえたり。おまけにここの刑務所は、日本のウイークリーマンションなるものより、いいんです。多くても二人部屋(これも、プライバシーがなくなると、反対派がデモをした。それまでは全員個室だったので)。それぞれにテレビがあり、シャワーも洗面台も各部屋にあり、暖房完備。こんなだったら処罰されようが「私刑」を、と言う人が、本当に出てくるのでは、と思います。
結果がご報告できないのは、残念です。
唯一オランダが日本や他の国と違うのは、「精神に異常をきたしての」殺人の場合、「無罪放免」とはならず、精神病棟への隔離治療を幾年にも亘って、場合によっては生涯受けることになります。犯罪者にとっては、その方が怖いみたいです。
また、ちょっと外れますが、イギリスのように、あまりに犯罪者を優遇(?)し過ぎの国も、困ったものです。泥棒に入った者を怪我をさせたという過剰防衛??、それで犯人から被害者が訴えられ、実刑を受けています。彼は出所後も、犯人の報復が怖く、名前を変え、引越しをせねばならない始末です。それで今、被害者の権利の大きな見直しが叫ばれています。

統計を見ると、死刑のある国とない国との凶悪殺人件数に違いは見られないといわれますが・・・
最後に、私個人は「死刑廃止」反対です。「死刑」は存在するも行われず(改心の情のないよほどの凶悪犯以外には)、が今のところ私の理想でしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

オランダの諸事情、たいへん勉強になりました。
死刑復活論議もあるのですね。

お礼日時:2008/01/07 22:40

何度も失礼します。



>ですからこの時代はものすごく治安が良かったそうです。

という回答がありましたが、私は江戸時代の治安、犯罪事情について
今の事情と比較できるデータにお目にかかったことがついぞありません。
「火事と喧嘩は江戸の華」なんて言っていたくらいですから
治安は良くはなかったのだろうなと想像する程度です。
この頃の公的情報は権力=幕府や藩によってコントロールされていたでしょうし…。

江戸や城下町には多少の記録(データにあらず)は残っていたかもしれませんが、
人口の大半を占めていたはずの農村については、満足な記録すらないはずです。

もしそのような最近の犯罪・治安事情と比較可能な記録の存在があるのなら、
日本の刑事学・犯罪学にとって革命的な発見になるはずですので、
No.4様でも他のどなたかでもいいので、是非教えて欲しいです。

なお、私は、安政の大獄のような思想犯政治犯を取り締まることを是とする世の中は
いくら犯罪ゼロでも住みたい世の中ではないな、とも思います。
同じことは映画「マイノリティ・レポート」のような世の中にも感じます。
いくら犯罪ゼロでも、あんなプライバシーのない世の中には住みたくありません。
(『歴史的』というなら、刑罰の重さとこういう思想とは決して無関係ではないことも考慮すべきでしょう)

まぁ「犯罪のない世の中にするにはどんな犠牲を払っても構わない」
と思う人も中にはいるでしょうし、思うのは自由ですが…
私は「どんな犠牲でも」払いたいとは思いません。
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No.5です。


簡単な補足だけ。

>例えば、私は、自分の娘が強姦されて殺された場合、もし国に死刑制度がなければ、必ずや自らの手で犯人を殺します。

これなんですが、現実問題として、「殺したいほど憎い」と思うことと
本当に「殺す」行為には天と地ほどの隔たりがあります。
殺人事件を起こしてしまった人の相当割合は、その隔たりを越えてしまった人です。

もし質問者様が人を殺すことを感覚的に理解しているうえで
それでもおっしゃるように考えているのであれば、
それは質問者様が「隔たりを容易に越える素養の持主」ということになり、強い危険を感じます。

たぶんそんなことはなく、単に「人を殺すこと」を実感として理解していないに過ぎないと思うもので、
それがNo.5のコメントに現れています。

また、私はとんでもなく凶悪な事件に直接関わったことはありませんが、
少なくとも、質問者様よりは
「理不尽な原因によって家族が死に追いやられた人々」
「自分の行為によって他人を死なせた人々」
にはそれなりに接しているはずです。

そういう経験からすれば
「自分の家族を死なせた相手に同じように死んで欲しいと願う気持ちは、それほど一般的ではない=生きて償って欲しいと願う家族も多い」
「誰かを死なせた人々は万人に嫌われているとは限らない」
ことは言えます。

最後に、あなたが自分の意見に合わない意見に対してどのような対応をするかも、
No.5の最後に懸念した「質問に名を借りた単なる意見表明」かどうかを判断するメルクマールになると思います。
(私もですし、おそらくスタッフも)
本当に質問なら、あなたの意見に同調しない意見にも謙虚に接することができるはずですので。。。
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この回答へのお礼

ご回答ございます。

>現実問題として、「殺したいほど憎い」と思うことと
>本当に「殺す」行為には天と地ほどの隔たりがあります。

違います。池田小事件のような子供をおもむろに殺害する凶悪犯に対して抱く気持ちは、「殺したいほど憎い」どころか、「殺す」をはるかに通り越した気持ちなのです。

「殺したいほど憎い」と「殺す」行為には天と地ほどの隔たりがありますなどというのは、一般論に過ぎません。例えば、「何らかのやむにやまれぬ事情または同情の余地のある殺人」に対してはじめて適用できるのです。

私は殺人が一律に死刑などといっているわけではありません(それは応報刑です)。しかし、この世にはどうしても絶対に許されるべきではない犯罪が存在するのです。死刑制度は凶悪犯罪に対する最後の砦なのです。死刑制度を廃止するということは、こののち起きるであろう未曾有のおぞましい凶悪犯罪に対して国が白旗を揚げるようなものです。死刑撤廃論者は未曾有の凶悪犯罪にどのように立ち向かうつもりなのでしょう。

>生きて償って欲しいと願う家族も多い。

極刑を切に願う家族も多いのです。

これからの刑事裁判は遺族も参加できるようになります。凶悪犯に対して「生きて償って欲しい」のなら、遺族の申し出によって死刑が回避されるような制度を創ればよいのです。

世の中には償うことが到底できない罪が存在するのです。池田小や光子母子殺害事件など、いったいなにを償うというのか。そもそも償える罪は死刑に値しないのではないでしょうか。

>意見に同調しない意見にも謙虚に接することができる
おっしゃるとおりです。乱暴な言動があったのならお詫び申し上げます。

お礼日時:2008/01/06 21:07

>とりとめもなく不満をぶちまけてしまいましたが



と書いてありますが、質問に名を借りた単なる意見表明は削除対象ですけど、
いちおう質問という理解でいいのでしょうか?

>死刑制度を撤廃しようとする動きが理解できません。

そりゃまぁ「自分の手で誰かを死なせる」ということが実感として理解できなければ
そういう動きを理解できないのも仕方ないと思います。

私は、あなたのような考え方が少なくないのは、
ある意味日本が平和であることの証左だと思っていますよ。

>私刑の横行など、問題は起こってないのでしょうか?

欧州では聞いたことがありません。
国によってはあるかもしれませんが、そういう国は死刑制度が存在しても事情が変わるとは思えないです。

>例えば、私は、自分の娘が強姦されて殺された場合、もし国に死刑制度がなければ、必ずや自らの手で犯人を殺します。

本気でそう思いますか?
日本でも殺人事件の90%以上は犯人が死刑にも無期刑にもなりませんが、
被害者の家族が犯人に報復した例は寡聞にして聞きません。
(もしかしたら私が知らないだけで存在するのかも知りませんが
 「聞いたことがない」程度にしか存在しないことだけは確実でしょう)

>真に納得できる理由が示されるべきです。

No.2さんの「人が人を殺すことが正当化される事情が存在するのか」というのは、
かなり説得的な事情だと思います。

>冤罪の可能性がない(現行犯)の凶悪犯罪はどうするのでしょうか?

それであっても上記の事情は変わらないと思いますが、
それ以前にそんな凶悪犯罪はそう滅多にないですから、
(ちなみに池田の小学校で起こった事件でも、犯人は『殺人』の現行犯では逮捕されていない)

一番最初に書いた理由でこの質問は寿命が短いおそれがありますが、とりあえず書いてみました。

ちなみに私は死刑廃止にはあまり賛成していませんが、
その理由は極めて感情的なもので、理のカケラもないものだということも自覚しています。

感情的に過ぎない心情を変に理的に説明しようと思っても破綻するだけです。
感情は感情でいいじゃん、と思うわけです。
法律の世界の議論では相手にされないというだけでして…
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>欧州では聞いたことがありません。
私もです。本当に私刑は皆無なのでしょうか。

>被害者の家族が犯人に報復した例は寡聞にして聞きません。
日本に死刑制度があるからです。国家が凶悪犯罪に断固たる刑罰を課してくれるからこそ、人は自らの報復権を放棄できるのです。たとえ話ですが、最高刑を例えば懲役10年にした場合、間違いなく報復事件が多発すると思います。

お礼日時:2008/01/06 20:34

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