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以前『歴史の勉強は「役に立つ」か?』という質問し、その中で生じた質問をさせていただきます。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1944134



「歴史はつまらない、しかも役に立たない。だから勉強の必要はない」といっている中学生や高校生をどのように説得し、勉強させる気にするべきかをお聞かせください。

「そんなことはない例えば・・・」といったかんじで答えられる具体例を教えていただきたいと思っています。

個人的な意見としては歴史の勉強は「楽しい」と感じております。
しかし「楽しいから勉強しなさい」というのは主観的で説得力に乏しいと思われます。


理科系の大学を卒業して数年間、病院で技術系の仕事をした私の経験上、理科、数学、英語などの教科に関しては「社会に出てから役に立つ。だから勉強する必要がある」といった類の説得が可能であると思います。
例えば「理科を勉強したくない」といった中学生や高校生に、私はこういった風に説得を試みると思います。
「私の経験上、勉強するまではイメージできなかったこととして医学は微分積分や統計が非常に多く必要とされ、電気の勉強には三角関数が重要である。そのために将来さまざまな可能性がある若い人は数学や理科を勉強する必要がある。」
といった感じです。


私も中学生のころには「歴史の勉強はつまらないし役に立たない、なぜ勉強するのか」と思っていました。
しかしまわりの大人は納得できる答えを誰もしてくれませんでした。
そんな私が歴史の勉強が好きになったのは、大学生のころたまたま見ていた映画の背景を以前に勉強したことがあったため「歴史の勉強を通して映画がより深く楽しめた」と感じたことがきっかけです。



皆さんならばどんな説得をするのか、ご意見、ご経験、なんでも結構です。
ささいなことでももちろん結構です。
ぜひ教えてください。
よろしくお願いします。

A 回答 (21件中11~20件)

日本の歴史教育は、受験に向けたつめこみ方式である意味つまらないですよね。



でも生きていく上で必要なものです。
国として歴史教育をおろそかにしているようでは、滅びに向かってまっしぐらといっても過言じゃないでしょう。

平和ボケしているからこそ自国の歴史が自虐で教えられても異議を唱える人は少ないのが現状です。

平和を訴えたいなら、第一次世界大戦や第二次世界大戦がどうして起きたのか知る必要があります。
第二次世界大戦のあとようやく「戦争=悪」となってきたのですから。
それまで「戦争=善(必要なもの)」だったわけです。

現代社会の世界の動きを知るにはどうしても歴史を学ばなければなりません。
経済にしろ、グローバルでとらえるなら、どの国がどう動くか、国民性をふまえて大まかなの予測はつくでしょう。

鎖国の時代はすでに終わっています。自国だけ目を向けていても意味がないです。
だから大局的な動きだけでも歴史を勉強する必要があるのです。
国民として国をどの方向に行かせたいのか。
誰に一票を投じるか、選挙権を持っているすべての国民の責任です。

というのでいかがでしょうか?
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この回答へのお礼

お答えいただきありがとうございます。

特に戦争の歴史を知ることは現在の憲法、法律を知るためには重要なものであると思います。

今回の質問と前回の質問「歴史の勉強は役にたつか?」から多くの人に答えていただいた共通のポイントである「政治・法律を正しく理解するうえで必要」が答えの大きな部分を占めると感じさせられる回答だと思います。

お礼日時:2006/03/08 21:54

こんにちは。




他の回答者の方々とは全く別の観点から回答してみます。
「私はそんなことは訊いていません」
ということであれば申し訳ありませんです。


> 「歴史はつまらない、しかも役に立たない。
> だから勉強の必要はない」といっている中学生や高校生を
> どのように説得し、勉強させる気にするべきかをお聞かせください。

回答としては、

その歴史嫌いの中学生や高校生を取り巻く条件が変わらないと
言葉の上だけでの説得は難しいと思われます。
環境を変えてやり、自分で気づかせることが重要なのではないか?



【 回答理由説明 】

心理学に「動機」および「動機づけ」という研究領域があります。

心理学では、人間を行動に駆りたてる要求・衝動・欲求・欲望などを全て含む概念として「動機」ないし「動因」という言葉を用いるのですが、「動機」はそのうち、社会生活の中での経験や学習によって獲得された心理・社会的欲求を意味します。

また、動機づけ(motivation)とは、「人間に行動を生起させ、その行動を方向づけ持続させる一連の力動的な心理過程」のことであり、動機づけられた行動は速く、強く、積極的かつ一貫的で長続きするということがわかっています。


動機づけは大きく2つに分けられ、

1)外発的動機づけ:外部からの報酬や罰による動機づけ

 今回の場合ですと、
 「歴史のテストで良い点を取ったら先生や親からほめられる」
 「良い点を取ったらご褒美に○○を買ってもらえる」
 「悪い点を取ったら怒られる、小遣い減額、おやつ抜き」
    → だから歴史を勉強する
 という場合です(今回の注目対象外ですのでこのくらいで)

2)内発的動機づけ:
   金銭や食べ物、名誉等のような外的報酬にもとづかない、
   「したいからする」等の内部からの動機による動機づけ
   知的好奇心や心の中の満足感というものが含まれます

 今回の場合ですと、
 その学生にこの内発的な動機をどのように喚起させるか?
 というのがポイントになるわけです。

  「歴史を勉強すると面白いなあ」
  「歴史を勉強することって重要なんだ、知らなかった」
  「勉強しなくちゃ……になる」

 というように思わせるにはどうしたらよいか? ですね。


その学生個人の内部からこれらの動機をわきあがらせるには、
どのような説得を行なえばよいか、についてですが、


  おそらく、言葉上の説得だけでは無理。


もちろん、
説得する人間のトークの熱心さや真剣さ、
説得される人間の、他人の意見の受け入れやすさ、
あるいは教師と生徒など、説得する/される側間の人間関係、
なども関わってくるので一概には言えません。

が、しかし、いくら言葉上で立派な説得をしたとしても、
その歴史嫌いの学生を取り巻く条件が変わらないと、
その学生の内部から、歴史を勉強するやる気がわきあがるとは
思えません。

たとえ一時的に説得されたとしても、その後の生活で、
 「歴史を勉強して役に立った!」
 「こんなことなら歴史を勉強しておけばよかった……」
という体験を実際にしてみないと、
歴史を勉強するやる気は、すぐにしぼんでしまうでしょう。


> 私も中学生のころには
> 「歴史の勉強はつまらないし役に立たない、なぜ勉強するのか」
> と思っていました。
> しかしまわりの大人は納得できる答えを誰もしてくれませんでした。

この体験の解釈としては2つあって、

 ・本当に「納得できるレベルの答え」ではなかった
 ・実は「納得できるレベルの答え」だったのだが、
  中学生時代のyuk2さんには実感として受け入れられなかった

という可能性があります。
実際にyuk2さんが歴史が好きになったのは、

> そんな私が歴史の勉強が好きになったのは、
> 大学生のころたまたま見ていた映画の背景を
> 以前に勉強したことがあったため
> 「歴史の勉強を通して映画がより深く楽しめた」
> と感じたことがきっかけです。

のように、
「歴史を勉強して役に立った!」という体験をしたためで、
歴史に対する印象が変わり、その結果として
yuk2さん内部で、歴史の勉強をする動機づけがなされた。


だから、歴史嫌いの学生に歴史の勉強に向かわせて、
さらに長く持続させ、歴史に対する印象を変えさせるには、
言葉の説得ではなくて、
自発的にやる気が出るような体験をすることが望ましいのです。


 ・歴史の知識を披露したら好きな相手から尊敬された
 ・映画やテレビを見ていたら歴史の知識が役に立った

というプラスの体験から、

 ・外国からの観光客や留学生から日本の歴史を質問され
  まったく答えられなくて恥をかいた
  (自分の国のことも知らないの?と相手に思われる)
  それに対してその相手は自国の歴史を自分に披露

という失敗体験まであると思いますが、

 「歴史を勉強して役に立った!」
 「こんなことなら歴史を勉強しておけばよかった……」

という体験を経ることが、
歴史を勉強させるきっかけになる一番の説得だと思います。


どこかで読んだのですが、
これまで「日本」という国の歴史や文化について
あまり深く考えたことがなかった人がいました。
その人が、ある島に旅行にいって現地の村で交流して、
どうしてそんなに自分達のことを楽しく語るのか尋ねると

 「私達は自分達の歴史や風習に誇りをもっている。
  あなたの国にも立派な歴史や文化があるでしょ?
  自分が育った国なんだからそれを誇りに思わなきゃ」

と言われ、誇りに思うまでには至らなかったけれども、
「もう一度自分の国について考えてみようかなあ…」
という動機づけになった、ということです。


以上のように、
 ・外国を(なるべく長期)旅行したり
 ・留学生や観光客と交流ができるようにしたり
 ・周囲に映画や本やマンガを置いたり
など、
歴史を意識するような環境を学生に作ってあげることで
学生が内部で動機を喚起させて
自発的に「歴史を勉強しよう」と思わせることが
ベストな説得なのではないかと思います。
  

参考URL:http://pii-desu.hp.infoseek.co.jp/note3.htm
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この回答へのお礼

お答えいただきありがとうございます。

とてもユニークな視点でのお答えを大変面白いと思いました。

このお答えは歴史に限らず全ての勉強に関して役立つとても有意義なものではないかと感じます。

私の経験上、数回のの海外旅行中に「歴史を勉強してよかった」「歴史をもっと勉強しておけばよかった」と思う場面が多くあり、歴史を知る人はより楽しく、有意義な旅行ができることを感じたことがありました。

お答えを読み、自分にも過去に歴史を勉強したいと思った場面が映画を見たとき以外にも多々あり、その経験を生かせばよいのではないかと感じました。

そして心理学も役に立つことを今知りました。歴史と一緒に「心理学」も学びたいととても強く思います。早速、本屋に行き、勉強してみます。

お礼日時:2006/03/07 22:46

結局、中学・高校での歴史の授業なんて、年号と事件と人名をどれだけ覚えたかということでテストされて、良い・悪いを判断されて・・・という内容ですよね。


知識としては点としてしか問われないですよね。それでは面白くないし、学ぶ意味がわからないというのも無理はないですよ。
 
 でも、中高生もドラマや映画を観たり、小説を読んだりしますよね。そこには物語があるから魅かれるんだと思うんです。
「金持ちは生まれながらにして金持ちでした。そして、一生裕福に暮らしました。」ではそんなドラマや小説は誰も見ない。人間が仕事・恋・人生など苦悩するし、命すら危険にさらされる。それでも、進んでいく姿が感動を呼ぶし、面白いわけです。
 でも、中高生は、偉人は生まれながらにして偉人 金持ちは生まれつきか自分とは違う人間だと思ってしまい、感情移入できないんですよ、きっと。

 でも、歴史にはどんなテレビドラマも適わない物語がいっぱいです。
 農民から天下人になった秀吉なんてのはベタな例ですが、他にも野口英世は天才的な医学者でしたが、学歴の壁に悩んでアメリカに活路を求めた話や受験のときにお参り行く天神様は菅原道真。でも、怨霊となって都を脅かしたんだよとか、歴史を物語り・エンターテイメントで語れれば、興味を持ってくれるかと思います。

 その上で、歴史とは人間を学ぶこと、人生を学ぶことそして、自分の生き方を学ぶことなんだということを教えればよいかと思うのです。

 実際に教える場合、学習指導要領などの縛りがあって難しいと思いますが、朝のホームルームで「今日は何の日」です、とかで関連させて話をするなど、工夫してみてはいかがでしょうか。

 でも、質問者様のような先生に教えて頂ける生徒は幸せですね。真剣に学んでほしいと思っている先生がどれほどいるのかな?と考えてしまいます。
歴史はドラマなんだよ、とか人間が作ったものなんだよだから楽しいんだよということを教えてください。
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この回答へのお礼

お答えいただきありがとうございます。

はじめにお断りしときますが私は教員でなく、質問中にもあるように病院で技術系の仕事をしております。
この質問をしたのは私の歴史の勉強をつまらないと感じた学生時代の経験からのものです。


学校の授業では歴史上の出来事に関しては詳しく学びますが人物に関してはあまり詳しくは学ばなかった記憶があります。

おっしゃるとおり偉人の人生からは学べることが多くあるのではないかと思います。その辺を考慮した授業が行われるとよいのではないかと感じました。

お礼日時:2006/03/07 22:34

前回の回答と同じですが私なら


「説得しません」

本人にやる気がないものを、言葉だけでやらせようとしても無駄です。必要性を感じるような「事件」が無いと。本人が「必要だ」「勉強したい」と思ったときに、はじめてやる気というものが出てきます。

「言葉だけで人を動かそう」というのは傲慢ですよ。
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この回答へのお礼

お答えいただきありがとうございます。

私の質問の意図は歴史嫌いを「どう説得するか」であり「どう言葉だけで動かすか」ではありません。

どういう風にしたら自発的に「必要だ」「勉強したい」と思うのかという回答であればよりありがたかったと思います。

お礼日時:2006/03/07 22:24

理系・文系というカテゴリー自体にも問題はありますが、「歴史」は理系にも密接です。


なぜ、すべての大学の科目の中で一番成績がよい状態の者を「医学」が求めるのでしょう。「これだけの成績なら医学部にもはいれるのに」という言葉は共通一次のあたりからでしょうか。ここに日本の医学の歴史があります。当然科学史数学史もあります。過去にどのような状態で現状になったか、という考えはむしろ理系に必要なような気もします。
理系の歴史認識は「今までこう考えられてきた。新しい理論や発見があった。現状ではこう考え、過去の考えは古い時代のもので利用出来ない」という「最新こそ最良」という形が「過去は不要」という発想につながっているのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

お答えいただきありがとうございます。

私も「理系」「文系」という分類にはかねてから問題があるのではないかと感じていました。

理工系の大学に通っていた当時、周りの人の歴史の知識のなさにびっくりしたことが多々ありました。

理工系の学生にも積極的に歴史を学んでほしいと最近は感じております。

お礼日時:2006/03/07 22:16

No.4です。


>イスラム教の指導者を“風刺”することは、表現の自由より大切だと思っているということです。
間違ったことを書いてしまいました。
「イスラム教の指導者を“風刺”することは、表現の自由で許されないことである」という考えの人が多い。
という説明に訂正します。
肝心なところで間違えて、すみませんでした。
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この回答へのお礼

ご丁寧な訂正をありがとうございます。

また何かありましたらよろしくお願いします。

お礼日時:2006/03/07 22:11

 歴史を学ぶことは、《失敗学》の側面があると思います。



 たとえば、なぜローマ帝国は滅亡したのか、という問題は古くから博識ある人々の関心を引き起こしてきましたし、そのためローマ全史を著そうとする人はいまだにいます。そこから現代に生きる者は、なんらかの教訓をうることができるはずです。軍事の勉強をする人ならば、いまだにアレクサンダー大王とかそういう時代の戦術を勉強して、あのときどうすれば敗者側は負けずにすんだかをシミュレートする人だっているでしょう。あの時なぜ日本は戦争に歯止めをとめることができなかったかを学べば、日本の組織が抱える性格の傾向が明らかになり、対処法や教育の仕方も見えてきったっていいはずですよね。

 と、こういう方面から攻めてみるのが一番だと思いますね。今の若い人たちは失敗することを怖がるようですからね。

 教育に携わる人間ではありませんが、正直、現在の状況には危機感がつのります。歴史に関心がないということはそのまま政治の世界への関心がないことと直結しています。なぜならば、これまで日本人がどのように歩んできたかに関心がないということは、結局これからの日本をどうつくっていくかに関心がないのと同じです。まあ、いやな過去なんて見たくもないことへの裏返しのような気もしますが。過去がないのに未来なんてあるはずないんですけどね。だから、なんとな~く、フワフワ~な感じをバブル以降もどこかで続けてる気がします。

 これが自分自身のことにもそっくり当てはまる人は多いのではないでしょうか。これまでの自分を振り返って、これから自分はどう生きるかを考える。自分史ってヤツですね。歴史の最小単位は自分の歴史なのかもしれないですね。

 参考になるとうれしいです。ご健闘をお祈りしています。
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この回答へのお礼

お答えいただきありがとうございます。

具体的な失敗を知ることで日常生活や仕事などさまざまな場面で実際に役立てているのではないかと感じました。

例えば太平洋戦争中は「国のために戦うことがよいこと」と非常に多くの国民が考えていたことから「多数決は必ずしも正しくない」という考え方ができます。これは仕事にも生かせる考え方であると思います。

失敗から学べることは非常に有意義なのではないかと感じました。

お礼日時:2006/03/07 22:10

こんにちは。


結論から言うと、日本や外国の文化や思想などを理解するうえで、
歴史の授業というかたちで予備知識があったほうがいいということです。
具体的な例、世界史で、ムハンマドの風刺画に対する抗議行動が問題になっていますが、
http://news.goo.ne.jp/news/kyodo/shakai/20060303 …
上記のURLで「宗教指導者への侮辱を罰する法律を作ってほしい」という行動は、
表現の自由を重んじる日本人にとって、理解できないと思います。

イスラム教信徒の多くの人にとって“風刺”という概念が理解できない上、
イスラム教の指導者を“風刺”することは、表現の自由より大切だと思っているということです。
この風刺画がなぜ問題になっているかというと、風刺画の記事が見つからなかったので、わかりにくいと思うのですが、
イスラム教では偶像崇拝を禁じているので、ムハンマドを描いた教育的漫画の中に、ムハンマドの姿が描かれていないのです。
わかりやすく例えると、ムハンマドが透明人間のように描かれているわけです。
それを、批判したのではなく“風刺”(ではなくて、単に“紹介”したかっただけかもしれない)しただけなのですが、
国際的大問題に発展してしまったわけです。

この偶像崇拝の禁止というのは、一部の信徒による、アフガニスタンのバーミアンの石仏の破壊活動などに現れ、
世界的文化財よりも宗教が大事。という考えにまで発展しているわけです。

イスラム教つながりで言うと、ニューヨークの同時多発テロの主犯者とされるビンラディン容疑者は、
1990年の湾岸戦争で、軍隊の女性兵士が‘半袖’の服装をしていたのが
(イスラム教の教えでは、女性はどんなに暑くても肌を露出してはいけない)、
アメリカへの不快感へのきっかけになったとも言われています。

そうすると、一般旅行客でも、イスラム教信徒の多い国(インドネシアなど)や地域に行く時は、どんなに暑くても安全上、長袖の服(あるいは、はおるもの)を必要とすることが、からだで実感できます。
歴史が、こういった事件や文化をつくりあげてきたわけです。

長くなりましたが、参考になれば幸いです。

http://news.goo.ne.jp/news/search/search.php?MT= …
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この回答へのお礼

お答えいただきありがとうございます。

「文化や思想などを理解」という点は、前回の質問(歴史の勉強は役に立つか?)から感じていたこととして歴史を学ぶ大きな意義であると感じていました。

「偶像崇拝の禁止」は多くの日本人にとってなかなか感覚的に理解をするのは難しい問題であると思われます。
世界にはさまざまな価値観があることをこの風刺画の問題を通じて感じていましたが、歴史をよく知る人はこの問題をより正確に捉えることができているのではないでしょうか。

説得力のある具体例を挙げていただいたお答えであったと思います。

お礼日時:2006/03/07 21:59

yuk2さん こんにちは。

良い意見かどうか、自信無いですが、私の意見を言ってみます。

説得する相手に、どれだけ時間を費やすのか?という事によって答えが違ってくると思います。

一言や二言で説明しなければならないという事なら、確実なやる気の出させ方は、ないかもしれないと思います。
短い言葉で説得するとしたら、
「将来、文系の大学に入りたいなら、必要なんだぞ」 とか(政経や地理で受験するという選択肢もありますが・・・・)
「理系の大学に行くにしても、国立に行きたいなら、必要なんだぞ、国立は学費が安くて良いぞ」 とか、
「公務員になりたいと思ったら、公務員試験には、歴史の問題が出るぞ」 とかあたりでしょうか・・・?(公務員なんか!と思う子供には意味ないですが)
ある程度、歴史の勉強をしていないと、新聞や週刊誌をスラスラ読む事ができない場合が出てきたり、読書に差し支えたりする場合が出てきたり、文系の大学に行った時、大学の勉強についていくのがきつかったり、という事もあると思います。
でも、
「本気でプロスポーツ選手を目指している」 とか、「美容師を目指している、だから歴史の勉強なんかいらん!」 と言う人には、説得は無理かもしれないと思います。そう言う方達にとっては、「歴史の勉強より必要なやるべき事」が、確かにあるのかもしれないという気がします。

学歴とか教養なんかなくても、どこかで、商売のやり方を学んで(盗んで?)きて、自分で商売起こして、お金持ちになる人もいるみたいですし、「歴史の勉強が絶対必要か?」と言ったら、絶対必要!というわけではないかもしれないと思います。
あとは、
「現代政治や現代社会を正しく評価するには、歴史知識が必要になってくるぞ」 なんて言う事もできると思いますが、
子供が「正しく評価できなくてもいいよ!」 と言ってきたら、
現代政治や現代社会を正しく評価できないと、困った事態が起こる可能性があるという事を説明しなければならなくなります。
説明するとしたら、ある程度、長い話をする必要が生じると思います。

私は、大学の歴史科を卒業したわけではないし、特に歴史に詳しいとは言えないと思いますが、
私が今まで読んだ歴史の本の中で、広瀬隆さんの著作が、1番、読んだ価値があったと思いました。

ネットで評判を見ると賛否両論あるみたいですが、私には、今まで読んだ本の中で、衝撃度が1番高かったです。
興味深かったのは、「地球のゆくえ」と、「赤い盾 ロスチャイルドの謎」と、「ロマノフ家の黄金」と「私物国家」です。

私の浅はかな考えかもしれませんが、
歴史にも登場する、現代の大富豪のロスチャイルドとかロックフェラーとかモルガンとかの人達がどうやって大富豪になったのかという事を調べていくと、自分がお金持ちになるのに、少しは役に立つのかもしれないと思います。
もしそうであるなら、子供に対して、
「歴史にも登場する現代の大富豪達がお金持ちになった方法を調べると、自分が金持ちに成るのに役立つかもしれん。彼らがお金持ちになった方法を調べる為の基礎知識として、ある程度の歴史知識が必要だ」
と言えるのかもしれません。ある程度、歴史知識がないとノンフィクションの本を読んでも、つまずく箇所ばっかりになってしまうと思います。

しかし私には、ロスチャイルドの人達とかと同じようなやり方でお金儲けする能力も、気持ちも、一生身につかないと思いますし、同じようなやり方でお金儲けする事が、良い事とは思いませんけど・・・。

もし、自分の子供に、「歴史を勉強する気持ちを湧かせたい」という事なら、日頃の親子の世間話などで、自分が知っている歴史知識を話すのが良いと思います。
ただ歴史事件を話すので無く、「なぜそれが起こったか?」という事まで話せたら、子供は関心持つ可能性が高いと思います。

もし、親がストーリー仕立てで、子供に歴史事件を語る事が出来たなら、子供も歴史の勉強に、関心持つ可能性が高いと思います。
その為には親自身が歴史の勉強を、かなり、やっていないと駄目なので大変でしょうけど。

yuk2さんは、文系の人間よりも、理系の勉強の楽しさを自分の子供に伝える力を持っているのだろうなあと思います。
自分も、もし子供を持つとしたら、子供に対して、いろいろな知識の習得に、関心を持たせる事のできる人間になりたいものです。

書いているうちに長文になってしまいました。申し訳ないです。m(_ _)m

参考URL:http://www.interq.or.jp/rock/ff67/hirose/
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この回答へのお礼

お答えいただきありがとうございます。


お答えのなかにある「お金持ちになる方法の話」について、歴史上の何例かの成功談において共通する点が見出せればそれが「成功の秘訣」となりうるのではないかと思いました。

少し大げさな言い方をすれば「歴史を上手に学べば金持ちになる秘訣がみいだすことができる」ということにもなると思いました。

このことはお金持ちになるだけではなく多くの事柄についてもいえることではないかと感す。


ちなみに歴史が面白いと感じていなかった高校時代、理系の大学を狙った私は大学受験では「地理」を選択しました。でも後になって歴史を選択し、本気で勉強したらその面白さに気づけたのではなかったのかと思っております。

お礼日時:2006/03/07 21:49

こんばんは。

差し出がましいですが一応「専門家」です。

理系は確かに「即戦力」的な学問です。太平洋戦争でも学徒動員がかかり、最後まで理科系の学生は招集されませんでした。

しかし!
理系の学問は「実用」、悪く言えば「ハゥトゥもの」なんですよね。

しかし!
歴史や、そう文学や哲学などは「実用」ではない。それらは人間の理性と人格としての「厚み」を身につけるものです。「教養」という陳腐なくくりでは収まりきらない次元の学問です。
「人の厚み」、これは理系では決してできないことです。理系出身の高級官僚が「ローマ帝国衰亡記」や「徳川家康」「三国志」などを就職してから「知識」として独学(読破)されているのを見ても明らかです。

この世は所詮、人と人とのコミュニケーションからでしか成り立っていませんから、「実学」だけの学問では「限界」があるのです。

理系は、どうしても「○」か「「×」をつけねばならない場面が出てきますが、実社会ではそのあたりが「混沌」としているので、いわゆる「人文科学」の登場になるわけです。曖昧さを無視すると人間社会は発展しません。

“曖昧さ”については、高名な福永光司さんが、作家の五木寛之さんとの対談「混沌からの出発」(確か文春文庫になってます)の中で、こう仰っておられます。少々長いですが引用します↓。
=======================
現代人の閉塞感を打開するために、ごちゃごちゃにいろいろな物が通る道にしなくてはなりません。そのための基盤は私たちのなかに内包されているのです。雑然と、混沌と、矛盾は矛盾のままに、非論理性は非論理性のままに抱え込んでいる道教がそれです。ものごとを分離し、モノトーン化する傾向は、それはそれでいいではありませんか。そういう傾向も併存させていくのが道教というものです。自分のなかにある濁ってどきつくあざとい色を掘り起こし、それを強いて整然としようとしたりはせず、ばらばらのままに投げ出してみる。一人ひとりがそれぞれの生活の仕方に、生き方に、それを試みることがいまは必要なのではないか。そういう生き方、生活の仕方が一人ひとりに取りついている現実の希薄さを払拭し、漂い流れる浮遊感を突き破って、生命力をよみがえらせることになるのではないでしょうか。私はそう思います。そして、そう信じたいのです。(混沌からの出発、より)
=======================
分野が歴史とは若干ずれますが、↑の思考は意を得て妙だと思います。

1★歴史と言うものは「過去のものを学ぶことではない」ということを教えましょう。歴史の繰り返し(良い例・悪い例)を学び、今後の社会での自分の役割を考える視座とする。(視座ってなにさ?と聞かれたら「辞書をひけ、辞書を」といいましょう。
⇒⇒⇒⇒具体的には、司馬遼太郎さんの小説などが良いとは思いますが、(ちょっと難しいかな、、、網野善彦さんの「無縁・苦界・楽」という本はまっこと「良書」ですよ)思い切って「マンガ日本の歴史」↓
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/ws …
なんていうのも切り口としては良いかもしれません。

2★歴史上の人物を深く知ることにより、自分自身が大いに「心豊かな人物になれる」ということも大事なことだと思います。
例えば「偉人たちの名言集」といったサイト↓もあります。
http://www1.ocn.ne.jp/~iyasiro/kikou/meigen.htm
私自身、こういう便利な仕掛け(=サイト)が無かったころ、読んだ本の「名言」をメモしたものです。●信長の「人生五十年・・・」、家康の「人生は重き荷を持ち長い坂道をゆくが如し、焦るべからず」、無血開場に成功した勝海舟の沢山の語録(「氷川清夜」に多く収録)などなど、数え上げたらきりがありません。

長くなりました。
そろそろ結論です。
★理系は(反論は承知の上ですが)「結果を求める」学問。文系は「過程=プロセスを求める」学問である、ということです。
歴史・思想・文学が役に立たないなんて、これからの人生、ギスギスしてしまって、まっことつまらないことになってしまいます。文学・思想・歴史は、その「ギスギス」から一歩昇華する術を教えているのです。

色々生意気なことを書きましたが、ご参考まで。
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この回答へのお礼

お答えいただきありがとうございます。

お答えを読んで一番面白いと思ったのは最初のほうにある文

「理系は確かに「即戦力」的な学問です。太平洋戦争でも学徒動員がかかり、最後まで理科系の学生は招集されませんでした。」

この考え方ができるのはまさに歴史を学んだ人ならではのものではないかと思います。
歴史にとどまらず「さまざまな知識を得るということがいろいろな考え方に通ずる」ということではないかと感じさせるお答えであったと思います。

また五木寛之さんの本も何度も読んだことがあるのでご紹介いただいた本もぜひ読ませていただきたいと思います。

お礼日時:2006/03/07 21:37

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