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日本が隋の煬帝に送った
「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや」
の国書は、外交儀礼上無礼なものですか?

もし現在このような国書があったとしたら
礼儀に反するものとして非難されますか?

よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

こんばんは。



この国書の件って、確か日本と隋のトップを同じ「天子」とした(つまり、日本と隋が対等の立場とされた)ことに、煬帝がキレたんじゃなかったかな、と思います(曖昧な日本史の記憶・・・)。

今は、どの国も対等な立場にあるべきじゃないですか?少なくとも、そういった意見は多いのでは・・・。
実際はどうなのか、さっぱり分かりませんけれど。
もし現代にあったとしても、失礼にはあたらないと思いますよ。
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現在なら、国家元首が別の国家元首へあてる手紙だから、何も問題ないどころか、普通だよ。



当時は、中国の中華帝国が「世界の中心」であって、他の国はその帝国の属領でしかない・・・と、中国人が勝手に思っていたから、煬帝が怒っただけのこと。
当時としては当然の怒りだけど、あえてそれを送ったことの歴史的意義は大きいと思うよ。
まあ、隋から直接軍事侵攻できないことがわかっていたからできた方法ではあるけどね。
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陰と陽の考えで行けば日が昇るのは力があるということで日が没するとは力が衰えることを表すことになりますのでそう考えれば失礼な国書ですね。

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この時代としては非常識極まりなく、また国の運命を左右しかねない国書となります。


まず、両国の力関係は桁違いで、とても対等といえるものではなく、現在で言えば唯一の超大国アメリカとアフリカか南米の余り馴染みの無い国ほどの差があり、動員兵力や経済力に雲泥の差があります。
中国は伝統的に自国を世界の中心と考え、周辺諸国は中国に使いを出して朝貢(家来になる)し、中国皇帝より諸国の王に封じられて初めてお付き合いが出来ます。
対等の国など存在しない訳ですから、場合によっては中国軍の攻撃を受けかねない文章になります。
いわば瀬戸際外交です。
この文章の背景には朝鮮半島情勢が関係しており、当時半島には高句麗という国があり、中国の隋とは対立関係にありました。
聖徳太子の師は高句麗僧の慧慈という人物がおり、慧慈としては高句麗の利権を守るためには日本が隋と対立したほうがよい。
一方、隋としては高句麗と日本が手を結ぶと厄介なことになるので、日本の国書は腹立たしいが、表立って怒れば高句麗と日本の連合軍が出来るので、不快感を隠すしかない。
高句麗以外にも新羅や百済といった国が複雑に絡み合って、複雑な状況ですし、結局隋はこの朝鮮半島政策の躓きで滅びますから、聖徳太子がこれらの情勢を読み切って書いたとしたら、天才政治家といえますし、分からずに書いたのなら、外交音痴のそしりを受けます。
結果オーライということになりますけど。
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 こんばんは。



 これは今で言う「中華思想」が背景にあることを勘案する必要があります。つまり、そのときの時代背景ですね。
 当時の隋は、他国との対等な外交と言う考え方はありませんでした。つまり、隋の考えていた外交は、他国が隋に貢物を持ってきて属国にしてもらい、その代りに貢物以上のものを与えると言うものでした。つまり、隋の皇帝(だったかな)に、自国の国王に任命してもらうと言う外交関係だったわけです。
 それに対して、聖徳太子の送った国書は、隋と対等な立場で書いてあったので、隋としては今で言えば「チョ-ありえない」非常識な文書だったわけです。

 今でしたら、文面はおいておくとして、対等な立場での外交が当然ですから、外交文書の性格としては、失礼にはならないですね。
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