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東アジアにあっては中国は絶大な権力を有しており、周囲の国々は中国と主従の関係を結んでいたと聞きました。 この冊封関係は19世紀まで続いています。 

日本は足利義満の時、一度だけ冊封関係を結んだと歴史の時間に習ったように記憶しています。 これは正しいでしょうか。 またどうして他の時代には中国との外交関係に入らなかったのでしょうか。 

沖縄県知事や名護市長の米国政府との駐留軍撤退の交渉を見ていても、辛抱強く、しかも堂々としています。 長く中国との冊封関係の中で外交交渉の腕を磨いていたからでしょう。 実に見事だと感心します。 これに比べると日本政府の外交交渉はまるで『子供の使い』です。 見ていられないというのが正直な告白です。 どうして日本は中国との外交関係に入らず、アジアにあって孤児のようだったのでしょうか。 教えて下さい。 
 

A 回答 (8件)

『チャングムの誓い』見てますか。

実は私もファンですよ(笑)。

>朝鮮王朝に対し明が冊封使を通して出してくる無理難題をクルアしていく様子は現代の国際社会の縮図を見るようです。

そうそう。それからハン尚宮とチャングムの料理人の意地が「この国は小さな半島だが、料理人の心意気は大陸より大きい」と明使に言わしめましたね。

色んな意味で『チャングム』から学んだものは大きかったです。

>日本でも平安時代までは科挙に似た制度があって優れたテクノクラートを育成したと思われます。しかし、武士が台頭してから剣の方がペンより強くなり,長く武家支配が続いています。

仰るとおり日本は、武家政治が続いた影響で、豊臣秀吉の朝鮮侵略、明治からの大陸進出のように外交問題を話合いよりも武力で解決する傾向が大きかったと思います。しかし現代はどんな国でも戦争を避け、交渉によって外交問題を解決するというコンセンサスができていますから、国際問題を政治力学的に分析できる外交能力の強い国、伝統のある国の方が断然有利です。

そういう意味で圧倒的武力を背景にパワー・ポリティクスを世界中に振りかざす米国は、質問者様の仰る趣旨での外交上手とは評価できないと思います。単に国が強いから意見を他国にごり押しできるだけですね。ブッシュ政権がNY同時多発テロ以来アフガン、イラク、イランと失点スパイラルを起こして、自らの支持率を下落させているのも一例でしょう。

そういう意味で日本が駆け引きや言葉による外交を学んでこなかったツケが出てきていますね。6カ国協議での日本の存在感喪失はその典型的な現れでしょう。

それにしても将軍様の瀬戸際外交は、いい意味でも悪い意味でも天才的です(笑)。朝鮮が営々と蓄積してきた「言葉による外交」がこの独裁者のDNAにさえ受け継がれているんでしょうね、きっと…。

>今からでも遅くはありません。 日本でも優れたテクノクラートを育成するプログラム造りに励むべきです。 昔、科挙を目指す若者は『四書五経』の精読に励んだとか。 文武両道に精通し、肝の座った若者を育てていきたいものです。

そうですね。でも日米安保条約体制で米国のポチ外交やってる状態では交渉による外交の実践も不十分だろうし、何とかなりませんでしょうかねえ。日本外交の不甲斐なさ。こっちが質問したくらいです(苦笑)。
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この回答へのお礼

nagarjunaさん NO.6とNO.7の素晴らしいコメントありがとうございます。 昨年、妻と一緒に韓国を旅行し、『冬ソナロケ地巡り』は本当に楽しかった。 

伊藤博文を暗殺した安重根は英雄として尊敬されています。 伊藤博文は日本では初代の総理大臣であり、お札にもなったくらいの尊敬を集めていますが、幕末の長州藩では忍者隊の隊長でした。 一般に忍者は敵地に潜入して流言蜚語を撒き散らして士気を低下させ、混乱に陥れるのが仕事です。 しかし、長州藩の忍者隊はもっぱら『まんじゅう造り』を生業としていたようです。 (要人暗殺のこと)

孝明天皇は暗殺されたのではといわれています。 長州忍者隊の仕業である可能性は大です。 

人は若い時にしたことの報いを年を取ってから受けるものだといわれます。 『目には目を。 歯には歯を』です。 

彼がハルピン駅で銃弾に倒れたのは、同じようなことを若い時にやってきたその百分の一ほどのお返しを受けたに過ぎないともいえるのです。 

お礼日時:2006/04/02 06:11

 根本的な勘違いをしていませんか?沖縄県知事や名護市長は米国と外交交渉していませんよ。

国際法上彼らには外交権がありません。彼らが我侭を言うから日本国政府は不利な外交をやらざるを得ないのです。住民は何も言わないけど時代が変わったから再編成をという話しだけなら日本があそこもまで譲歩する必要がありません。ですが、住民が出てって欲しいというから仕方なく出てってやる。よって立退き料を要求する&代替地を要求するになるわけです。

> 日本は中国との外交関係に入らず、アジアにあって孤児

意味が判りません。東南アジア諸国の殆どが親日です。インドネシアは物産の殆ど(特に世界最高品質の石油)を日本向けです。フィリピンのアキノ、ラモス両元大統領とラウレル元副大統領は日本軍政下時代の指導者で、スーパー親日派です。タイは無論、マレーシアも親日です。ベトナムも親日です。彼らのほとんどは日本に来れば靖国参拝をしています。インド、バングラディシュも親日ですし、イスラエル、イラン、トルコの親日ぶりは異様とまで言われています。
 アジア外交で孤立しているのは中韓です。韓国はベトナム戦争で行った行為を謝罪しませんし、学校教育すら行っていません。中国の南下政策はアセアンの懸念材料として有名ですし、インドとも国境紛争を繰り返しています。

 日本のマスコミが垂れ流す情報に騙されない方が良いですよ。一方で日本国民が東南&南アジアに目を向け対中強硬外交に転じないと生存権を脅かされている彼らからソッポ向かれます。

この回答への補足

>根本的な勘違いをしていませんか?沖縄県知事や名護市長は米国と外交交渉していませんよ。国際法上彼らには外交権がありません。

おっしゃる通りです。 でも沖縄はかっては米軍統治下にあり、昭和47年日本に返還される際、統治下での様々なベネフィットをそのまま継承しています。 ですから、今でも米国牛肉は無税で輸入されていると聞いています。 

演芸によるもてなし外交を積極的に取り入れた外交交渉術など武力を持たない強みを活かしたもの。 まさに『徒手空拳』であっても、アイデア次第では大変な武器になる。 聖書に『ヤモリは弱い動物であるが、宮殿にいつまでも住み続けている』とあります。 

フランスのグランゼコールにおけるエリート教育はどんなものなのでしょうね。 多分、東大法学部のそれとは違っていると思います。 人生に必要なのは知識ではなく、機知と知恵だと思うのです。  

補足日時:2006/04/02 13:22
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日本が外交で一番お手本にしなければならない人物としてはやはり雨森芳洲が挙げられますね。

質問者様も重々ご存知だと思いますので敢えて多言は致しません。

<雨森芳洲>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A8%E6%A3%AE% …

この芳洲をはじめて発掘した方が中公新書で「雨森芳洲」を著した上垣外憲一さんなんですけど「暗殺 伊藤博文」という本も書いています。

それによりますと実は伊藤博文は、積極的な韓国併合論者ではなく、むしろ軍部や右翼の強力な併合論を押さえ込むことに腐心した人物であることを明らかにされています。この伊藤博文論はここでは説明し尽くされないほど複雑なものなので、お時間あれば、ぜひ手にとってご一読されることをお勧めいたします。

<暗殺 伊藤博文>
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480058 …

また上垣外憲一さんは豊臣秀吉の朝鮮侵略についても鋭い論考を世に問われています。

<文禄・慶長の役―空虚なる御陣>
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061595 …

ご参考になれば幸いに存じます。
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こんにちは。



1)冊封・朝貢関係

・邪馬台国の卑弥呼
・倭の五王
・南宋貿易時の平清盛
・日明貿易時の足利義満

日中の歴史書には、以上の4つの日中の冊封・朝貢関係が記述されています。卑弥呼と倭の五王は中国側の歴史書にしか記述がありませんので正確なところはまだ分かっていません。平清盛は体面より実利を優先して中国の文章に日本を見下した記述があっても意に介しませんでした。足利義満は明の永楽帝から正式に「日本国王」の称号を受け、冊封・朝貢関係に入りました。あとの時期は、冊封・朝貢関係は存在しなかったと承知しています。

2)江戸鎖国期の日本外交

私は日露戦争から日本は外交が徐々に下手になり、大戦で敗北して米国に政治的に従属するようになってから決定的になったと思います。沖縄の問題も関わってきますね。

鎖国が外交下手が原因という常識がありますが、私はそうは思いません。江戸時代の鎖国体制でも朝鮮とオランダそして当時独立国だった琉球とは外交関係があり、幕府は様々な海外情報を入手することに熱心だったことが最近明らかになりつつあります。オランダからはナポレオン戦争、朝鮮からは倭館を通じて太平天国の乱の情報さえもたらされています。

日本は江戸時代を通じて蘭学の伝統があったのでそれなりに幕府中枢から一般庶民まで結構外国の文物に親しんでおり、江戸中期ごろから様々な思想家が外国の事情や国防問題について論じ、書物などが出版されました。それが黒船来航以来の日本の外交の素地になっております。明治維新が成功したのも、こういった江戸期における準備があったからだと認識しております。

幕末でも、幕府の井伊直弼、勝海舟がおり、そして明治にはいってからは大久保利通、伊藤博文などが清国やロシアなどと小国日本の独立を守るために展開した外交は、実に周到でしたたかなものです。

3)日本の外交下手

日露戦争に勝利し、伊藤博文が暗殺されて明治の志士がいなくなり、軍部の力が強くなったあたりから日本の外交・内政がおかしくなりはじめ、対外的に傲慢かつ硬直そして強硬的になり、ついには昭和20年の破滅に結びついたと認識しています。敗北後は完全に米国の『子供の使い』になって、沖縄の皆様がそのしわ寄せを食らってい続けている情けない状態であることは質問者様が重々ご存知の通りです。

この回答への補足

日本の外交下手

中国や韓国では長く『科挙』の制度によって優れた文官(テクノクラート)を選抜育成しています。 今もテレビ放映されている韓国の歴史ドラマ『チャングムの誓い』にも優れたテクノクラートが出て来ます。 朝鮮王朝に対し明が冊封使を通して出してくる無理難題をクルアしていく様子は現代の国際社会の縮図を見るようです。 

日本でも平安時代までは科挙に似た制度があって優れたテクノクラートを育成したと思われます。 しかし、武士が台頭してから剣の方がペンより強くなり,長く武家支配が続いています。 

北朝鮮を巡る六ヶ国協議を見ていても、北朝鮮に米国、ロシア、中国といった超大国が振りまわされているように見えます。 (日本は問題外) 

タイ、韓国、オランダといった国々は国際社会の中での身の処し方が上手かなと思っています。 強い国に挟まれて苦難を交渉で乗り切ってきた経験がしっかり生きているのでしょう。 

今からでも遅くはありません。 日本でも優れたテクノクラートを育成するプログラム造りに励むべきです。 昔、科挙を目指す若者は『四書五経』の精読に励んだとか。 文武両道に精通し、肝の座った若者を育てていきたいものです。

補足日時:2006/04/01 06:55
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実のところ、日本の外交力はそれほど弱いとは言い切れません。



幕臣 榎本武揚の外交力は明治政府を震撼させるに充分な力でした。
まぁ外交センスがある人間が外務省に少ないだけで。
優秀でなければ幕末に結ばれた不平等条約は改正されませんでしたし。


日本の外交は基本的に名を捨て実を取るのが基本です。
下手に出るのはその為です。
幕府も名実は朝廷ですが、実権は幕府という風に
この論理で今まで来ているのです。

足利義満も形を臣従していただけです。
南北朝で国内が混乱したので、外国勢力の威を借りるための方便ですよ。
その後、朝献はさっさと放棄しましたがね。
それでも日本の順位は結構高かったそうです。

昔の中国が日本への関心が何故薄かったのか?
簡単です。利権が薄かったからです。
中国歴代王朝が西方や南方へ何故出兵したのか?
それは交易都市の占領と交易の利権確保の為です。
新たな王朝が起こるたびに出兵が起こるのは
交易都市や専従国は前王朝の臣下が利権を持っていて
新たな王朝の利権ではないのです。
それを新たな王朝が奪取する為に出兵が行われるのです。


江戸幕府も馬鹿じゃない。
オランダから絶えず世界情報を貰ってましたよ。
黒船襲来も実は来ることを事前に知っていました。
ここで問題になったのが、
世界情勢が幕府の極一部の人間しか知らなかったことです。
あまりにも幕臣同士の情報格差が広すぎたのです。
その為に、保守派の反発が止められなかったのです。


と、私は睨んでいます。
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この回答へのお礼

貴重なご意見ありがとうございます。 外交交渉に限らず、いかなる交渉事も経験がものをいうものです。 その点、琉球王国が中国と冊封関係にありながら、一方では薩摩藩に武力支配されていました。 そういう逆境の中で育った沖縄の人達の交渉上手は今にも生きていると思います。 

『世界一外国語の下手なのはアメリカ人とロシア人である。それは周りが会わせてくれるので、自分から妥協しなくてすむからである。』 そんな話を聞いた事があります。 この両国は外交も下手でしたね。 

お礼日時:2006/03/30 08:20

戦後の日本外交の特徴は相手の顔色うかがいと土下座外交に終始してきました。

この相手追従の姿勢は国際外交上異端児とみなさなれています。韓国や中国がこのような姿勢を見て言いたい放題、したい放題の挙に出るのです。日本側の足元を常にじっと見ています。靖国神社問題がいい例す。日本政府は相手の言いなりにならずに言いたいことは強く言わなければなりません。教科書問題1つをとっても中韓の教科書は虚偽事項が多いというのは客観的事実として主張することができるのです。中国人などは相手が黙っていたら馬鹿にして軽蔑します、そして大いに反論する方が尊敬されるのです。外交上では「和」というものは通用しません。しかし最近ではかなり言い返すようになりましたね。いまから楽しみです。
あっ、忘れていました。朝貢外交は今でも続いていますね。ODEです。
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この回答へのお礼

ODAによる朝貢外交とは巧いこといいますね。 貴重なご意見ありがとうございました。 

私は保健衛生医療のODAコンサルタントをしていましたので、何か痛いところを衝かれた感じです。 

『土下座外交』はいただけませんね。 これからますます東アジアの世界経済に占める地位は上がっていきます。 『経済の中心は最早ニューヨ-クなんかじゃない。 上海なんだ。』といわれている時代です。 隣人との言い争いから交渉事の極意を学んでいきたいものです。 

お礼日時:2006/03/30 08:33

日本人が外交が下手なのは、江戸時代に鎖国しているうちに外国とのつきあい


方を忘れてしまったからです。

逆にいうと、沖縄の人が外交上手なのは、江戸時代は薩摩藩の実効支配化に
あったとはいえ、琉球王国として中国や時々やってくるヨーロッパ人との
交渉がずっと続いていたということが上げられます。
日本でも、琉球を通じて外国との窓口をもっていた薩摩藩は、例外的に外交
の腕が鈍りませんでした。

それ以外の日本人は、国内にあっては幕府に服従、国外の付き合いは韓国と
オランダだけで、しかもその付き合いは完全に儀式化していたため、外交の
腕が鈍る一方でした。
そのため、幕末になって幕府は、砲艦外交を繰り広げるペリー相手に非常に
苦労するわけです。

明治の頃は、幕末の頃の植民地化の危機の緊張もあってか、比較的外交が
上手でしたが、その後はどんどん下手になりました。詳しい理由はまだ分析
できていませんが、昭和の官僚が先祖帰りしたとしか思えないくらいです。

戦後の日本も同様で、外交が上手なのは一部の政治家に限られ、害務省いや
外務省の役人の外交下手は継続し続けています。

ご参考まで。
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この回答へのお礼

貴重な意見ありがとうございます。 約半世紀も前のことですが、最後の日本史は『薩摩藩の外交上手と我が因幡藩の世渡り下手』という授業でした。 交渉下手とは世渡りが下手ということです。 外交が下手という事は生き方が下手という事ですね。

お礼日時:2006/03/30 08:56

いえ、日本は足利義満以外の時代にもたくさん冊封関係を結んでいます。


まず史料に残っている最も古い例は、1世紀の「倭の奴国」と「前漢」のあいだの関係です。「倭の奴国」が「前漢」に貢物をして、その返礼に金印をもらったわけですから、立派な冊封関係です。
そのあとは、2世紀初頭にも、「日本の王が後漢に貢物をした」という記述があります。
ただしこのあたりの時代はまだ日本が1つの国家として自覚を持ってませんでしたから、「日本と中国が交流した」とはいえないかもしれません。
聖徳太子の時代は、隋に対して有名な文書「日出る国の天使・・・」で対等外交をほのめかせたようですが、実際には下手に出ています。
奈良時代に入ってからは、遣唐使を派遣したり貿易したり。これも日本が下という立場で行っています。
そのあとの平氏政権による日宋貿易。足利義満による明との勘合貿易。両方とも日本が従の立場です。
4代将軍足利義持は日本が下手に出るのを嫌がって貿易を中止しますが、6代将軍足利義教は貿易を再開します。
というわけで、足利義満以外の時代も中国と外交関係には入っていますし、日本が下手に出ています。
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この回答へのお礼

確かに中国とは交易を通していつの時代も深く関係しています。 北京の紫禁城に日本最初の貨幣である『和同開宝』が陳列されていたのを見たことがあります。 交易や朝貢外交はあっても、冊封関係は例は少ないのではありませんか。 

相撲でも強い相手と稽古をしないと強くならないといいます。 日本は稽古相手がいないので、『四股』と『鉄砲』しかできなかったお相撲さんのようですね。

お礼日時:2006/03/30 09:10

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