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今さらながら、5千円札の樋口一葉について質問します。
日本語を勉強している外国人に、今度日本のお金を見せてあげようと思います。そこでお札の人物に関しても少しだけ触れたいと思っています。

そこで、樋口一葉は、一言でいうと、何をした人なのでしょうか。

いろいろ調べてみましたが、「明治時代の女性小説家で、24歳で肺結核で亡くなった」ということしかわかりませんでした。
「女性小説家」なら、その時代にも、その前後にもいるのに、どうして樋口一葉が5千円札の顔なんでしょうか。

教えてください!!

A 回答 (5件)

樋口一葉に関しては皆様が書いているので、5千円札に登場した背景を少々。


紙幣に女性の顔が描かれるのは世界的にも多くはありません。
理由は偽造防止のため、特徴的な顔がよく、皺や髭などがある男性の方がよいという理由で、美男美女はどちらかと言うと敬遠されます。
樋口一葉は若くして亡くなりましたから、顔には皺もなく本来は紙幣に最適な顔とは言えないのですが、このときは女性を紙幣にしたいと言う政府の方針がありました。
文学の分野では与謝野晶子や平塚らいてうが候補に挙がりましたが、反政府的言動が多い方なので落選。
最有力は津田梅子さんでしたが、彼女が創設した津田塾大学の宣伝になるとか、今回は文学枠から出したかったからとか言われており、落選。
このあたりは想像ですけど。
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この回答へのお礼

なるほどー

偽造防止や政府関係なども関係してくるんですね。
勉強になりました。
ありがとうございました!!

お礼日時:2006/04/03 13:55

女性の文学者となれば、樋口一葉、与謝野晶子の二人の名前がすぐに挙げられると思います。


このうち、与謝野晶子については、かなり早い段階で肖像の候補からはずされていたそうです。
与謝野鉄幹、晶子夫妻の孫が、衆議院議員の与謝野馨氏(現在、経済財政政策・金融担当大臣)なんですが、政治家の近親者をお札の肖像にすることは、選考の公平性を疑わせることになるということだったそうです。
つまり、李下に冠を正さずということです。
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この回答へのお礼

文学など、その人の功績が認められただけでは、お札にならないのですね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/04/03 13:57

 日本の女流作家を、たったひとり選ぶなら、紫式部ですね。


 平安期の宮廷文化を描いた《源氏物語》は、世界文学史上の遺産です。
 貴族社会ならではの、香りたかい美的センスを語りつくしています。
 
 日本の女流作家を、もうひとり選ぶなら、樋口一葉でしょう。
 江戸末期から明治初期の、にごりえのような底辺に目を向けたのです。
 救われがたい人々にも、一片の真実が在ることを語っています。
 
 樋口一葉を五千円札とすれば、紫式部は一万円札となるはずですが、
残念なことに肖像画が存在しないのです。しからば千円札には清少納言
か与謝野晶子、はたまた五百円以下の硬貨には……?。
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この回答へのお礼

その時代の小説家として、目の付け所が違うという理由と、彼女の文才という理由で5千円札の顔になったということでしょうか。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/04/02 16:35

「たけくらべ」が世に出た時、森鴎外は感激して一葉女史こそまことの詩人なりと最大級の賞賛を贈りました



                              その言葉こそすべてを物語ると思います
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この回答へのお礼

やはり、彼女の文学的価値によるものなのでしょうか。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/04/02 16:31

樋口 一葉(ひぐち いちよう、女性、1872年5月2日(明治5年3月25日) - 1896年11月23日(明治29年))は 東京府出身の日本文学の小説家、作家、歌人。


父は東京府庁の役人の樋口為之助(後に改名して則義)で、母は多喜。
戸籍名は奈津で、なつ、夏子とも呼ばれる。歌人としては夏子、作家としては一葉、新聞小説の戯号は浅香のぬま子・春日野しか子として筆名を使い分けた。

東京府第二大区一小区内幸町の東京府庁構内(東京都千代田区)の長屋で、樋口為之助の次女として生まれる。両親は甲斐国(山梨県)の農家出身で、父は上京後八丁堀同心を勤め、明治維新後に官吏となる。

少女時代までは恵まれた家庭で、子供時代から読書を好み草双紙の類いを読み、曲亭馬琴の南総里見八犬伝を7歳の時に読破したと伝えられる。本郷小学校、青海学校を転々としつつ、1886年(明治19)14歳の時に中島歌子の歌塾「萩の舎」に入門。

転居の多い家庭で、一葉は短い生涯に12回の引っ越しをした。15歳で兄を亡くし、父は事業に失敗して病死したため、1890年(明治23)に17歳にして戸主として一家を担わなければならなくなる。その後、本郷菊坂(東京都文京区)に移り母と妹と三人での針仕事や洗い張りをするなど苦しい生活を強いられる。

同門の姉弟子である田辺花圃が小説『薮の鶯』で多額の原稿料を得たのを知り、小説を書こうと決意する。20歳で『かれ尾花一もと』を執筆。同年に執筆した随想で「一葉」の筆名を初めて使用した。さらに小説家として生計を立てるため、東京朝日新聞小説記者の半井桃水(なからいとうすい)に師事し、図書館に通い詰めながら処女小説『闇桜』を桃水主宰の雑誌「武蔵野」の創刊号に発表した。その後も、桃水は困窮した生活を送る一葉の面倒を見続ける。次第に、一葉は桃水に恋慕の感情を持つようになる。しかし二人の仲の醜聞が広まったため、桃水とけじめをつけるかのように全く異なる幸田露伴風の理想主義的な小説『うもれ木』を刊行。皮肉にもそれが一葉の出世作となる

ヨーロッパ文学に精通した島崎藤村や平田禿木などと知り合い自然主義文学に触れあった一葉は、『雪の日』など複数作品を「文学界」で発表。このころ、検事になったかつての許婚者が求婚してくるが拒否。生活苦打開のため、吉原遊郭近くの下谷龍泉寺町(現・台東区竜泉一丁目)で雑貨店を開いたが半年後には閉店。この時の経験が後に世間によく知られるようになる小説『たけくらべ』の題材となっている。本郷区丸山福山町(現・西片一丁目)に転居して執筆を継続した。1894年に『おおつごもり』を「文学界」に、翌年には『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』などを発表し、文芸評論家などから絶賛を受ける。森鴎外は「めざまし草」で一葉を高く評価している。

14カ月という短い作家生活ののち、1896年に肺結核のため24歳(数え年25歳)で死去。

五千円紙幣
一葉の肖像は2004年11月1日から新渡戸稲造に代わり日本銀行券の五千円紙幣に新デザインとして採用された。女性としては神功皇后(1881年発行)以来の事となる。なお、弐千円紙幣の裏面に紫式部の肖像があるが、この肖像画は肖像の扱いではなく、弐千円紙幣には肖像がない。

作品と評価
近代以降では最初の職業女流作家である。24年の生涯の期間に近代文学史に残る作品を残した。『たけくらべ』では吉原近くの大音寺前を舞台にして、思春期頃の少年少女の様子を情緒ある文章で描いた。他に日記も文学的価値が高い。


著作・文献
自著
『大つごもり』1894年12月/ 文学界(初出・以下同)
『たけくらべ』1895年1月/ 文学界
『にごりえ』1895年9月/ 文芸倶楽部
『十三夜』1895年12月/ 文芸倶楽部
『うつせみ』
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この回答へのお礼

こんなに詳しくありがとうございます!!

やはり「近代以降の最初の職業女流作家」というのが、5千円札に選ばれた理由でしょうか・・・。
それとも文学的価値が突出しているのが理由・・・??

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/04/02 16:29

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