プロが教えるわが家の防犯対策術!

私は小学校の担任をしています。重度の知的障害をもつ子どもと交流を目的に、週に何時間か一緒に授業をしています。

高学年ということもあり、周りの子どもたちはどう接したらよいのか分からない様子で、自分からはなかなか関わろうとはせず遠巻きに見ている感じです。交代で世話をしていますが、子どもたちにとって負担にならないか心配です。また、体育でリレーをする時などは、その子がいるから負けると周りの子どもに思わせたくなくて、私も非常に気を遣います。

授業中は席に座っていることができず、なかなか意思の疎通も難しいです。しかし私も授業を進めなくてはいけないので、結局その子を放置して授業をしてしまいます。果たしてこんな交流の仕方で意味があるのだろうかと悩んでしまいます。

そこで、質問なのですが、

(1)障害をもつ子どもを普通級に通わせるねらいはどのようなものなのでしょうか。私自身が交流する意味をよく分かっていないもので。。周りの子どもにとっても、教師が交流する意味やねらいをはっきりもっていないと、ただのお荷物になってしまうのではないかと心配です。それでは障害をもつ子どもに対しても申し訳ないです。

(2)そのねらいに近づくために、私は子どもたちにどんな指導ができるでしょうか。

障害をもつ子どものご両親や、福祉に携わっておられる方々の意見が聞けたら幸いです。

A 回答 (10件)

ご返答ありがとうございます。


障害者受容の態度問題と呼ばれている研究分野があります。ご質問の内容はこの分野の研究内容です。
結論は,当たり前のことですが,障害のある人たちとの関わりが心地よいものであればその人たちは将来受容的になり,嫌悪的な関わりを経験した人たちは将来非受容的になるというものです。
では,関わりを心地よいものにするにはどうしたらよいかということなのですが,障害のある人がうまく活動できるように場面を設定した上で一緒に活動させ,それを周りの人たちが楽しいと感じるようにすることが勧められています。スポーツクラブの方が書かれているのは,「共に楽しめる活動が準備できている」ために「望ましい関わりが」自発してる,ということだと思います。
話がそれましたが,質問者の方に求められているのは障害のある方がうまく活動できる授業の設定をすることになります。でも,これは授業を進めなければならない質問者の方の仕事ではないと思います。

そこで,考えられる方法は2つです。1つは特殊学級の先生に交流学習の時間にも来ていただいて,障害のある方がうまくできるような声かけなり直接の指導などをしていただいて,周りの子どもたちが活動を楽しめるようにしていただくこと,2つめは特殊学級の先生にその人がうまくできる活動の設定をしていただいて,質問者の方がその授業に参加させていただくことだと思います。

特殊学級の先生が言われている,自主性云々ということは,このケースではどのような意図の発言かわかりにくいと思います。
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この回答へのお礼

大変分かりやすいご回答ありがとうございます。私自身、小学生の時、重度の知的障害をもつ子と同じクラスだったことがあります。その子は体も大きく、人に唾をかけたり物を投げつけたりすることがあり、仕方がないこととはいえ幼心に恐怖心を感じていました。今、私が交流をしている子はおだやかでそのようなことはありませんが、やはり周りの子どもたちにとってもマイナスになるような交流はしたくないと思っています。

音楽の時間は、障害をもつ子もリズムに乗って踊ることができ、周りの子どもたちも楽しんでいます。場の設定が大切であることが納得できました。しかし、それ意外の時間ではただ一つの空間にいるだけで、障害をもつ子は好きなように動き回り、他の子どもは勉強をすすめているという交流とはいえないような状態です。その子に対してどのように対応をしたらよいのか、質問をしましたがはっきりした答えは返ってこず、ただ放置することが自立とも思えず、悶々としていました。

やはり、側についてもらうことが必要であると分かったので、特殊学級の先生と話し合ってみたいと思いますが、こちらの意図することをうまく分かってもらえるかな。。

大変参考になりました。

お礼日時:2006/04/25 21:04

私はかつて「生徒」として特殊から普通に通級してましたが「交流の目的」ですか。


それは障害部位によって全く変わってくると思います。

私は肢体不自由で運動機能が駄目ですから体育は駄目な事は「自認」してますが、それ以外の教科は普通の教科書を使っていたので主目的は

「普通学級にライバルが沢山居る中で自分の力がどの程度か試したい」でしたね。

逆に知的の場合は音感や運動神経にたけてますから
その辺の「出来る部分」のレベル確認って事も有ります。
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この回答へのお礼

お礼が大変遅くなって申し訳ありません。ありがとうございました。

お礼日時:2006/06/19 21:35

養護学校教員です。



色々の方がそれぞれの視点でおっしゃっているので、過去同じ様な状況にあった者として回答します。

私は養護学校教員となる前、一般中学校で講師をしていた時、同じように「その子の自主性を育てる」という事で40人学級に重度の自閉症児(今から考えてもかなり重度です)をたった一人で指導しました。(TT)
今考えれば、配属教員数が足りない為、そうなっていただけとは思えます。

その当時、専門知識は教科の事しか知らず、彼についての説明も指導法のアドバイスもありませんでした。その中で他の子の学習保証をして、その子にも・・・は(私には)不可能で、結局2時間その子は大きな紙にお絵かきしてるか、うろうろと立ち歩きしている状態でした。今現在、障がい児に対する知識も出来、その子に合わせた対応が検討できる状況にあるので、あの当時の生徒全員に対してホントに申し訳ない気持ちになっています。

ですから、あなたの生徒に対する対応を読んで、すばらしいなぁ~と思えました。きちんと全員に対応しようと考えてらっしゃるのですね。健常(いやな言葉です)児が障がい児のお世話係でお茶を濁している交流という名のおためごがしでなく。^^

(1)の回答としては、ノーマライゼーションでしょうか。社会に生きる一人一人が色んな形で社会に存在し、それぞれが協力・支え合う事で社会が成り立っていることを考えさせるのが、ねらいでは。
だから、リレーにしても「負けること」=「悪いこと」と言う視点以外の視点が子ども達の中に芽生えればよいのでは? 社会は平等ではありませんが、決して非情でもありませんよね。ただ教育が「社会=弱肉強食」と教えていけば、そうなっていくでしょうが。

(2)としては、ケースバイケースだとしか言えませんよね。ですから是非、実際にその子に接したことのある専門知識のある教員の方と共に相談してください。
そして、できればその子の発達検査を調べて貰って下さい。#3の方がおっしゃるように知的障がいを併せ持つ発達障がい児は多いので、何かの助けになるかも知れませんよ。必要があれば、医療機関とも連携を取ってはいかがでしょうか? もちろん、どちらも保護者の同意の元ですが。

頑張って下さい。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。お礼が遅くなり申し訳ありません。その後、特殊学級の先生と話し合ってみましたが、その先生も自分の信念があるようで、こちらの意図することをわかってもらえませんでした。これ以上、話し合っても角が立つだけで、それでは子どもたちにとってもよくないので、とりあえずは現状のまま交流を続けることになりそうです。

リレーの件については、ひとり一人が力を出し切った結果であるなら、負けること=悪いことではないです。しかし、その子は、なぜ走らなくてはいけないのかも分かっていない状態で強制的に走らされているわけですから、気分が乗らなければなかなか走りません。それで、チームが負けたら、頑張って走った子ががっかりしたり文句を言ったりするのは当然だと思います。

高学年の子どもたちとは能力の差があまりにも大きく、ほとんど一緒に活動することは不可能です。何年も交流という名のお世話係を引き受けていた子は、正直なところ、もう交流なんてしたくないという思いでいるようです。

せっかく交流するなら、お互いにとってメリットとなる交流をしたいと思い、色々相談したり工夫したりしましたが、一人ではどうすることもできませんし、色々な先生に相談しましたが、結局良い方法はみつかりませんでした。

愚痴になってすみません。アドバイスは参考にさせていただきます。ありがとうございました。

お礼日時:2006/05/03 19:26

重度の知的障がい児ということですが、



 はたして重度の知的障がい児が普通の授業を聞いて理解できるとは全く思えませんし、分からないことを聞いている時間はむしろその子どもにとって苦痛でしかないでしょう。

 どのように交流したらよいのかは一緒に活動する子供たちに少しでも考えてもらったらよいのではないでしょうか?(特に人権学習と位置づけた総合学習的な授業に障がいのあるお子さんを参加させてみることが一番よいと思います。)

 
 それを考える過程で自分達(児童達)がどのように接したらよいのかを先生が指導していったらよいと思います。

 あと、自立を促すことはもちろん大切なことですが、周りの理解があってからこその自立であるということを支援する先生(特に障がい児の担任をしている先生)が常に心を配るべきで、むしろ常にそばについているべきだと思います。
 
このままでは、そのお子さんにむしろ悪い影響をあたえているのでは?と考えてしまいます。
 知的な障がいがあるのであれば、地元の養護学校の先生との交流は大切だと思います。
 
 私の想像するには、中学校は養護学校へ進学することになるのでは?それでしたら、今からでも養護学校との交流を進めてはいかがでしょうか?

 私の地元では養護学校の先生が障がい児学級を訪問してアドバイスすることもあるようですから、、、。

 相談を寄せられている先生おひとりで悩むことなく学校全体でフォローすべきだとも私は思いますが。

 ご両親も(特にお母さんかな?)この状況をどのように考えているのかな?
 
 生まれた地元で暮らすこと。。。。

簡単なことのようで、障がい児・者にとってはとても難しいことなのです。
 少しでも自分の存在を知っていて欲しい。
 それだけで、地元の学校に就学する意味はあるのではないかとも思います。

長くなりましたが、
今後、養護学校に通うことも意味あると思いますよ!!それぞれによさがあるから親は迷うのですね、、、。

 ここへの質問は細かい部分がわかりませんので、大変見当違いな回答もあるかもわかりませんが、
ヒントはみつかるかもしれません。

悩んで試行錯誤しておられる姿がきっとあなたのよいところなのかもしれませんね。でも、一人では悩まないことです。他の先生に協力を求めましょう!!!
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。特殊学級の先生が側についていてもらえるように、もう一度話し合ってみたいと思います。そして、周りの子どもたちにとって、義務や負担ではなく一緒に交流して楽しいと思えるような活動を子どもと企画できたらよいと思います。が、どんな活動ができるか今のところ思いつきません(^_^;)リレーなどは工夫しながら一緒にやっていますが、障害をもつ子自身は、何で走らなきゃいけないのか分からないのに無理に走らされている状態で、楽しんでいるわけではありませんので。。もし何か良い案がありましたら教えてください。

他の先生にも相談してみてはいるものの、障害をもつ子どもについて専門的に勉強している先生は少ないため、いまいち明確な回答が得られぬままでした。養護学校の先生に話を聞くとまた違うのでしょうね。私自身も分からない点が多かったため意見しにくく、特殊学級の先生の考えに従っていました。が、ここでアドバイスをいただき大変参考になりました。

お礼日時:2006/04/26 22:40

私のスポーツセンターは障害者専用です。

障害者スポーツの概念は、必要最低限の補助と工夫です。周りの子が世話しなくなったとお書きですが動物の飼育ではないので、本当に知的理解力によって本人が困っているときには、自然に補助している子がいると思います。よく見てください、誰にアピールすることなく動いている子がいるはずです。私のセンターでも知的の子が何気なく車椅子の通路の荷物をよけている姿や、脳性まひの方が知的のこの話し相手になってあげてたり通訳的に仲介していることがあります。(本人の口が麻痺しているので短い言葉やあいまいな発音での会話の理解力にたけているようです。)自分でできることを、手伝われると、すみませんと謝ってばかりの人生になると苦笑いされる方も居られます。子供は大人より敏感だと思います、その子に必要な時間や間合いを自然に取っていたり手を出すべきところをしっかり押さえていたりしますよ!私が小中学校でよく思ったのはあっ先生それをしたらこの子切れるのにとか、そろそろ机ひっくり返すで~とかやっぱり自然にわかってましたし、それを負担だとは思ったことはありません。理想論を聞いてるわけではないといわれましたが、実際体験してきた私のそして今障害者本人からの本音を聞いているものの意見として捉えてほしいです。理想論でなくそうなる環境はできるのです。ほんとにちいさなそして隠れたところでの子供たちの行動を見ようとしてください。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。回答者様のおっしゃられることも分からなくもないですが、今回の私の質問とは趣旨がずれているような気がします。

障害者専用のスポーツセンターということは、障害をもつ方同士が協力し合いながら、生活されているわけですよね。しかし、その方たちも外へ出た時には、助けがほしくてもなかなか手を貸す人がいなかったり嫌な思いをしたりすることはあるのではないでしょうか。学級は社会の縮図です。みんなが助け合い暮らしていくのは理想ですが、子どもたちも自分の生活、友達との関係で精一杯なところがあり、なかなか進んで手を貸すことができないのが現実です。

回答者様が小学生の時には違ったのでしょうが、子どもの実態は様々です。しかし、障害をもつ子どもにとっても周りの子どもにとってもよりプラスになるような交流をするために、何かできることがあったらと思ったのですが、回答者様の回答はつまり「このままでよい」ということですね。一緒にいることが自然なわけだから、教師があれこれと指導する必要はない、という捉えでよろしいでしょうか。

お礼日時:2006/04/24 20:27

私は、障害者スポーツセンターに勤めています。

障害を持つ子も社会で暮らしています。障害の枠は、人々が作り上げた社会のスムーズに流れないところで、区切っているのだと習いました。じっと座ってないと、先生が不都合なだけでその子はその状態でしっかり勉強できている場合もあります。足が遅ければリレーに参加できないのなら、100m何秒ときめて下切りすれば平等ですが、目的に合うのでしょうか?私が小学生のとき聴覚障害小人病自閉症児知的障害の友達がいました、私は1個性として捉えていたしみんなが一緒で自然な社会構成だと思っていました。きついようですがあなたは除外するのが自然な社会構成だという考えの中で交流させてあげているという気持ちがあるみたいなので、捉え方が変わらなければすべての子供にも親にも迷惑なだけのはなしだとおもいますが?!
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。みんなが一緒で自然な社会構成、まさにその通りだと思います。しかし、私が質問しているのは、そんな一般論ではなく、もっと具体的な方法です。障害がある、ないに関わらず、みんなが助け合い生活していくことが理想ではありますが、自然に手を貸すということが現実的に難しいのが事実です。だから質問をしているのです。

お礼日時:2006/04/23 23:57

状況が今ひとつ分からないので質問させてくださいね。



1.交流には特殊学級の担任の先生は来られていますか?
2.そのような交流は,入学以来ずっとされてきたことですか?それとも,最近始まったことですか?
3.交流に来ている児童は言葉をしゃべることができますか?そして,言葉の理解はできていますか?
4.交流に来ている障害のある子どもとあなたの学級の子どもたちは顔見知りですか?

まず,話を聞くべきは特殊学級の担任の先生ではないでしょうか?特に,ご質問の(1)に関わる内容は特殊学級の先生がきちんともたれているかどうかで参加のさせ方が変わってくる内容だと思いますよ。もしも,その先生が漫然とされているのであれば,何のために交流するのかという点をディスカッションすべきだと思います。

それか,(2)のご質問に関わることですが,いろんなことが考えられると思います。ただし,これもねらいがはっきりしないことには指導できないので,是非尋ねられた方がいいと思いますよ。

ねらいとなることや,人手について分かればもう少し具体的なレベルの回答ができると思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。補足します。1については、特殊学級の先生がついている場合とついていない場合があります。特殊学級の先生によれば、その子の自立をうながすために、あえて、つかないということです。2については、交流は入学以来されています。しかし、前の担任も同じように悩んでいました。3については、意味のある言葉はほとんど話すことができません。理解も、ごく限られた単語においてのみです。4については、何年も交流をしているので顔見知りです。しかし、年齢が上がるにつれ、周りの子どもたちが率先して世話をするということが少なくなってきているように感じられます。ねらいについては、特殊学級の先生とも話をしているのですが、私に求められていることがどうもいまいち分かりません。ただ、その子がそこにいるというだけで良いというのなら、現状を維持するだけですが…。ただ、もっと何かできることがあるのではないかと思い、質問させていただきました。

お礼日時:2006/04/23 23:51

直接の回答ではありませんが,最近,次のような本が出ています.


まず,ご自身がお読みになって,担任をしていらっしゃる普通学級の子どもたちにもその内容をお示しになってみてはいかがかと思います.

内山登紀夫(監修):シリーズ発達と障害を考える本.ミネルヴァ書房.

現在,アスペルガー症候群と,自閉症の2冊が刊行されています.

着席していることができず,意思疎通も難しいお子さんは,これらのアスペルガーか,自閉症,あるいは,ADHDなどが考えられると思いますが,このシリーズを一度お読みになるとよいかと存じます.
参考URLには,出版社のページをお示ししました.

参考URL:http://www.minervashobo.co.jp/obstacle/index.htm …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。発達障害ではなく知的障害なので、違うように思います。しかし、本などを読んで勉強することは必要ですね。

お礼日時:2006/04/23 23:59

 ご質問者の立場を考えますと、悩ましい問題ですね。


 無責任な回答になることを、ご容赦願います。

(1)
 普通の子から見れば、世の中に違う子が居る事をしる。
 障害児からすれば自分が何者であるかを知る機会だと思います。
 早くから関わる事で世の中の冷たさ温かさなど、色々感じ取ることでしょう。そして各々がどう生きるべきかを学ぶのだと思います。
 ただ在学中にお互いの生徒が気付くとは限りません。しかし、お互いの生涯にとって良い経験になると思います。

(2)
 ご質問者様が記述されている、体育でのリレーを例に上げれば、同じ競争ができるハンディを与えて『平等』に扱う事が可能でしょう。
 子供達に何故?と質問されたら『この差を与える事により、同じスタートライン立てる、これが平等だ』と言えます。

 障害児は一人一人の個性が強い為、対応には非常に気遣われると同時に、ご質問者様にとっては大きな重荷になっていると存じます。
 この経験を今後の教育に活かせるか否かは、ご質問者様の考え方次第だと思います。
 それから、PTAの反応は気掛かりですね。障害児のご家族には、それなりの覚悟をして頂く必要があります。そして、その仲介をご質問者様が行なうのですから、やはり覚悟と強い意志が求められます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。普通級の担任がメインであるため、どうしても周りの子どもを中心に考えてしまいますが、周りの子どもたちにとって、社会には色々な人がいるのだということを知るという意味では良い経験になることと思っています。毎時間交流しているわけではないのですし周りの保護者の方々の理解もあるので、その点は大丈夫だと思います。私にとって確かに負担ではありますが、障害をもつ人についてこれまで全く無知だったので、そういう意味では良い勉強をさせてもらっていると考えています。周りの子どもたちにとっても、福祉について考える良いきっかけになってくれるとよいのですが…。

お礼日時:2006/04/22 22:18

障害者の施設で働いている者です。



教師の仕事はどこまでが範囲なのか・・・がわからないので無責任なことはいえませんが、まずは先生が障害を持つ子どもについて知ることが大切でしょう。
養護学校や障害児者の施設への訪問や電話相談からはじめてみるのがいいのではないでしょうか。

大学時代に障害児のボランティアで学校に行った事があるのですが、そのときの様子を見る限り、子どもたちは知的障害の子よりも身体障害の子との交流のほうが積極的でした。車椅子を押したり、必要なものを持ってきてくれたり・・・
お節介といえばそれまでですが、身体障害=身体が不自由という子どもの認識により、自分に出来ることは何かということが明確になるようです。
本当は身体障害といってもいろいろですが、子どもに対して詳しく説明する必要はないと思います。

しかし知的障害の子との交流も同じです。知的障害の子は何が大変なのか。大まかなことを子どもが理解すれば、子どもなりに考えて行動に移るのではないでしょうか?
(子どものことは質問者様のほうが専門的ですよね)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。どんなことを手伝ってほしいのかという具体的なことは子どもたちにも話してありますが、率先して…というのはやはり難しいです。意思の疎通ができないということが1番大きいと感じます。人と人とが交流する喜びは、気持ちが分かり合えるということに尽きると思いますが、その子が何を考え何を望んでいるのかということが私を含め周りの子どもたちには伝わりません。故に、一方的にお世話をしてあげる=負担 ということになりかねないのです。そうならないために、私にできることはないか、考えているところです。

お礼日時:2006/04/22 22:01

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