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昔(10年以上前)どこの眼鏡屋さんに行っても視力をきちんと矯正した眼鏡をいつもかけた方が目が疲れないし、視力は低下しないと言っていたように記憶しています。

しかし、私はきちんと矯正した眼鏡をかけると却って疲れるのでいつも眼鏡をしませんでした。

最近眼鏡をかけている同年代の人何人かに話を聞いたところ、眼鏡を矯正するたびに視力が落ちて今では視力が0.01もないという事を聞いて大変驚きました。私は昔から左右0.4程度で変化無しなのにです。

最近,眼鏡屋さんへ行った方現在でも眼鏡屋さんは

視力をきちんと矯正した眼鏡をいつもかけた方が目が疲れないし、視力は低下しない

ということを言っているのでしょうか?ご存知の方お願いします。

A 回答 (3件)

まず一つ断りを入れておきますが、近視の方の場合、視力を完全に矯正した状態にする事はめったにありません。

視力と度数は同じではないですが、どちらも完全よりはちょっと弱めにあわせる事が、眼鏡の場合は求められます。このちょっとの加減はここでは割愛します。
で、眼が物を見るときには「調節」という力と、「輻輳」という力の二つを使うのです。おっしゃられているのはあくまで「調節」のみに限定した力の使い方のわけです。遠くを見るときには近視の方の場合ほぼ無調節としましょう。そこから近くを見るときに「調節」の力を使うので、弱めに合わせておけば「調節」の力はあまり使わないで済むことになります。
ところがここで問題になるのが「輻輳」です。「輻輳」とは眼を内側に向ける力です。近くのものを両方の眼で一つに見ようとすれば眼を内側に向けざるを得ません。この「輻輳」は生理的輻輳、調節性輻輳、近接性輻輳、融像性輻輳の4つに分けられるのですが、度を弱く(あくまで近視において)すると調節性輻輳を使わないことになりかねません。そうするとその分無理をして筋肉に負担をかけて眼を寄せることになります。
これはすでに研究されている部分で、適度に(年齢や残余調節力にもよります)調節力を使ったほうが疲れにくいことは判明しているのです。
眼鏡とは度数の強い弱いだけでは判断できない部分も多々あります。これまでの回答でその点にはあまり触れないでおきました。これは最初の質問の内容から少し離れているように感じたため、敢えて質問の内容に限定した答え方をしていたためです。繰り返すようですが、近視、遠視、乱視、老眼、調節不全、不同視、斜位、斜視、輻輳不全などなどいろいろな要素によって変わってきます。
一般論で言えば間違いなく必要であればキチンと合わせた眼鏡をかける必要があるのは当然のことです。
眼鏡の単なる一要素でしかない、「近視」のみで語りたいならそのように始めから明記すべきであり、「釣り」といわれる質問と受け取られかねないです。ご注意を

この回答への補足

いくつかの確認及び、補足の必要性を感じましたので、すいませんが、確認及び、補足させていただきます。

まず、私が#2で書いた「眼に関する専門家が眼の筋肉の硬直の改善」の具体例が#3でお答えいただきました、前半から中盤(疲れにくいことは判明しているのです。)まで説明という事でよろしいですか?

ただ、その方法が唯一無二の対処法だと仮定すると、

(1)その対処法は他の部位の筋肉における疲労時の対処法(ストレッチ、マッサージ、温熱療法等)程の効果は期待できない(つまり、眼鏡等を生涯かけなくてはならない人が多い)のも止むをえないというのも合点がいきます。
(2)また、
>間違いなく必要であればキチンと合わせた眼鏡をかける必要があるのは当然のことです。

という結論が当然とされるのも納得がいくところです。

つまり、回答者さまの常識では回答者様の述べられる方法が唯一無二の対処法(あるいは最善の方法)であると考えて間違いがないでしょうか?


釣りのご忠告は感謝します。ただ、

>眼鏡を矯正するたびに視力が落ちて今では視力が0.01もないという事を聞いて大変驚きました。私は昔から左右0.4程度で変化無しなのにです。

と言う表現から当然に「近視」を中心とした話であることは明白であると考えていたのですが、より明白な日本を表現の為の今後の材料として、具体的にどの辺から近視以外の話も含んでいると判断されたか出来ましたら教えていただけると幸いです。

ただ、今回は近視の話が中心でしたが、近視以外の遠視、乱視、老眼、調節不全、不同視、斜位、斜視、輻輳不全などは眼の筋肉の働きとは全く無関係なものなのでしょうか?
筋肉の働きと何らかの相関関係があるなら、運動生理学という視点もまた有効と考えます。いかがでしょうか。

補足日時:2006/05/16 00:57
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この回答へのお礼

先ずは、私の様な素人の愚直な疑問に専門家として回答していただけること、感謝いたします。また、お仕事等でお忙しい事と思います。このスレは長く開けておきますので、お暇な時に回答していただければと思います。

お礼日時:2006/05/15 23:38

#1です。



>以上の推察からすると、眼鏡を矯正するという対処的方法で「一時的に問題を解決」したら、その後に、眼を悪くする根本的問題により眼を悪くした人はその根本的問題の解決なしには、何度も視力を矯正することになるという結論に達するのですが、いかがでしょうか?

結論から言えばその通りです。ですが、根本解決は使用環境だけで決まるものではありません。また一時的になるかどうかは誰にもわかりません。(積極的に眼に悪いことをしているのでなければ)

>運動生理学の観点から見るときには、 目がいい=目が疲れにくい状態 とすれば正解である

すいません。なぜここで急に運動生理学が出てきたかがわかりません。運動生理学に限らず疲れないメガネはいいものですよ。また、運動生理学からだけでメガネを語ることはできないでしょう。

>私の周りの矯正したのに更に視力を低下された方は、少なくとも眼を悪くする生活習慣の改善は無かったのでしょうか。

これはここでは答えようがありません。

>そう仮定するなら、矯正した後に更に視力を低下させた人や、そうでない人と両方いることも辻褄があいます。

おそらくは近視だけに仮定した偏った結論といわざるを得ません。
遠視の方は全く違います。また老眼は環境にかかわらず進行します。
また、近視も屈折性近視と軸性近視とがあり、個人差もあるでしょう。始めの回答の最後にも書いたとおり、個人個人の目の状態や、使用条件によっても変わってきます。御質問のとおりの結論のこともあるでしょうし、そうでないこともあります。

この回答への補足

>すいません。なぜここで急に運動生理学が出てきたかがわかりません。運動生理学に限らず疲れないメガネはいいものですよ。また、運動生理学からだけでメガネを語ることはできないでしょう。

すいません。説明が足りなかったようです。私は運動生理学の知識が多少あり、その観点から眼球を動かす筋肉の状態を考えているという前提があります。確かに「疲れないいい眼鏡はいい」という前提条件は「短期的」には、その通りではないかと考えます。ただ、一つには、視力を完全に矯正した疲れない状態と言うのが、常に眼にいい状態なのかという所に疑問を感じています。

具体的には、眼が疲れた状態というのは「眼の視点調整を行う筋肉が疲れた状態」であるといえると思います。例えば走りすぎて足の筋肉が疲れたのに、風呂にも入らず、マッサージもせず、ストレッチングも、セイリ体操もせずに放置して毎日同じことを繰り返したとすると、足の筋肉は硬直してろくに動作しなくなると思います。

眼の筋肉も同じであると思います。毎日、長時間近くを見て眼の筋肉を酷使し、マッサージもせず、ストレッチングもせず、放置して、毎日、眼の筋肉を酷使したのでは眼の視点調整を行う筋肉も硬直して、ろくに動作しなくなると思います。その状態で視力を完全に矯正した眼鏡をかけるというのは、ちょうど、酷使しすぎて 動かない(=稼動範囲の小さくなった)足の筋肉に対して稼動範囲が小さくとも元の動作が出来るような装置を取り付けることと同じではないかと思います。しかし、私は、「足の筋肉疲労に起因する筋肉の硬直」に対してそのような補助装置を「永久に」つける人を見たことが有りません。普通の人はそのような硬直に対してマッサージをしたり、ストレッチングをしたり、風呂に入って疲れを取ったり、整形外科へいって温熱療法を試みたりして、筋肉の疲労をとり、筋肉の硬直の改善を試みるのではないでしょうか。

「疲れないいい眼鏡」はなまじ良く見えるようになるだけに、そのような他の部位の筋肉疲労であれば当然に行うであろう筋肉の硬直の改善の努力を忘れががちにさせるというより忘れさせるのではないでしょうか。

#1での回答中の
>眼鏡を掛ければ基本的に眼のいい方と同じになります。

がまさにのその事実を如実に示しているのかなと感じました。その点を考慮するなら、眼に関する専門家が眼の筋肉の硬直の改善を積極的に行っていない現状では、「疲れないいい眼鏡」が「根本的に」良い眼鏡なのかどうしても疑問が解消しません。

>おそらくは近視だけに仮定した偏った結論といわざるを得ません。

はい。自分自身が近視であるため、とりあえずは近視を中心に考察しています。

補足日時:2006/05/15 15:44
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「視力の低下=度数の進行(裸眼視力の低下)」という意味合いでなら言っていないでしょう。


「視力の低下=完全矯正視力(一番ぴったり度を合わせたときの視力)の低下」という意味合でならいってるでしょう。
度の進む進まないは個人差があります。ただ言えるのは裸眼視力が低下するより、矯正しても視力が上がらないほうが問題になります。
もちろん両眼視機能まで含めて正しく目的に合った使い方をしているなら、という条件はつきますけど。
これは別に眼鏡屋だけでなく、医師も言ってることなんです。むろんキチンした根拠があるわけで、むしろよく見えない状態で眼を使っているほうが問題を多く引き起こします。

http://www.gankaikai.or.jp/health/11/07.html

疲れる疲れないは年齢や使用条件によって合わせる度が違います。若い方に限って言えば一般的な使い方であれば眼鏡をかけたほうが確実に疲れにくいです。
眼鏡を掛ければ基本的に眼のいい方と同じになります。目のいい方は疲れやすいのでしょうか。

それと近視、遠視、乱視の状態によっても変わります。ひとくくりにはできませんね。

この回答への補足

>「視力の低下=度数の進行(裸眼視力の低下)」という意味合いでなら言っていないでしょう。

つまりは眼鏡をきちんと矯正しても、その後どんどん視力が低下することはありうる と言うことですね。

>「視力の低下=完全矯正視力(一番ぴったり度を合わせたときの視力)の低下」という意味合でならいってるでしょう。

つまりは、度数が進行しても、何度でも視力を矯正すれば、完全矯正視力は得られるということですね。すなわち、現在も、10年前に私が見てもらった眼鏡屋さんもこちらの意味で言っていたと言うことですね?

>目のいい方は疲れやすいのでしょうか。

どうなんでしょうか。自分自身の経験から言えば、 目がいい=視力がいい とするとそれは必ずしも正しくないのでは、と言う気がします。運動生理学の観点から見るときには、 目がいい=目が疲れにくい状態 とすれば正解である。つまり、視力の良し悪しは目の疲れやすさと直接の相関関係はないのでは?と思います。すなわち、

「眼鏡をかければ、基本的に眼のいい方と同じになる」

という考え方は眼の悪くなる生活習慣の為に眼を悪くした人のことを経時変化の観点から見過ごしているような気がします。私の周りの矯正したのに更に視力を低下された方は、少なくとも眼を悪くする生活習慣の改善は無かったのでしょうか。

そう仮定するなら、矯正した後に更に視力を低下させた人や、そうでない人と両方いることも辻褄があいます。

以上の推察からすると、眼鏡を矯正するという対処的方法で「一時的に問題を解決」したら、その後に、眼を悪くする根本的問題により眼を悪くした人はその根本的問題の解決なしには、何度も視力を矯正することになるという結論に達するのですが、いかがでしょうか?

補足日時:2006/05/13 16:53
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