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時代劇などで「やあやあ我こそは~」という名乗りのような文句をいう場面がありますが、あれをなんと言うのか、どのような内容のことをいうのか知りたいのです。詳しい方よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

「名乗り」でよいと思います。


楠木正成や足利尊氏の活躍した、太平記の時代までは行われ、自分の姓名や家系などを大音声で敵味方に知らしめてから戦に入ります。
名乗りを上げている間は矢を打ってはいけないしきたりでしたが、元寇はそんなことは知りませんから、名乗りの間に日本の武士はばたばたと討ち取られ、戦国時代に集団戦に移行すると廃れてしまいました。
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補足しますと、名乗りは自分の姓名、身分、出身地、主張などを言い合います。


「やあやあ、吾こそは三河の国の住人、足助次郎重範なり。 畏くも一天万乗の君(後醍醐天皇)の勅命により、朝敵を征伐するためにここに参った。」というようにやります。

これは誰が誰を討ったかを皆の前で明らかにして、恩賞を貰うときの証にするためで、戦国時代に入るとこういった習慣は廃れ、証として首を切って主君にさし出し、首実検により恩賞を決めたり、耳を切り取ったり、同朋の証言を証にするようになりました。
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この回答へのお礼

ご丁寧な回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/05/27 16:44

よく「戦国武将は名乗りを上げてから」と書かれていますが、実は「名乗り」は平安末期~鎌倉時代の作法。


源義経でさえすでに奇襲戦法をとっており(もちろん卑怯呼ばわりされましたが)、戦国中期、鉄砲隊が現れる頃にはもう「名乗り」を上げている場合ではなかったのです。

http://www.uraken.net/rekishi/reki-nihon003.html

参考URL:http://www.kikutake.ac.jp/minna/s1998/nagata/boo …
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Q戦国時代の挨拶の口上

質問させてください。

戦国時代、武将が他の武将に挨拶に訪れた際に口上があると思うのですが(例えば誰かの使いであるなど)、それの例をあげておられるようなサイトはないでしょうか。探したのですがさっぱりみつかりませんでした…
もしないようなら、そういうシーンのある小説などをご教授願えればと思います。

Aベストアンサー

新田次郎の「武田信玄」とか、津本陽の「下天は夢」などにはふんだんにそうした場面が出てきますが。いずれにせよ、戦国時代の「会話」が記録されている信頼できる史料というのは存在しない筈ですので、作家が想像したものになります。

昨年のNHK大河ドラマ「風林火山」で、武田晴信の家老の甘利虎泰が村上義清と秘密裏に会うシーンがありました。私が見て、妥当な時代考証と思われましたので記しておきます。(多少アレンジしました)

村上「村上周防守である」
甘利「それがし、武田大膳大夫が家来、甘利備前守でござる。村上様に拝顔を賜り恐悦至極に存じまする」

ポイントは

1. 「村上義清」「武田晴信」「甘利虎泰」などという「本名」は使わず、「官途名」を名乗ります。

2.村上義清の官途名「周防守」は朝廷・幕府から許可を得た正式のものか分りませんが、武田晴信は朝廷と幕府に献金して「大膳大夫」の官途名を正式に得ています。

3. 甘利虎泰は、武田家の重臣として、主君の武田信虎(晴信の父)から「備前守」という官途名を名乗ることを許されていましたので、武田家の中でも、対外的にも、「甘利備前守」と名乗り、呼ばれます。

戦国時代の武士の場合、例えば「馬場美濃守」という「苗字と官途名(通称)」だけが伝わり、本名は不明、あるいは複数伝わっている例が珍しくありません。

武田信玄・勝頼に仕えて「名臣」とうたわれ、長篠の合戦で壮絶な討ち死にを遂げた馬場美濃守は、本名は「信春」「信房」の二つが伝わっています。当時の史料には「馬場美濃守」としか書いてありませんので、本名はどっちが正しいのか良く分からないのです。

これを
「村上義清さまにお目にかかり恐悦至極でございます。それがし、武田晴信の家臣、甘利虎泰にござる」
などとやってしまいますと、一気にウソ臭い会話になってしまいますので気をつけてください。

映画やドラマなどでは、上記の「ウソ臭いパターン」の会話が行われて興醒めなことが多いのですが、去年の大河ドラマ「風林火山」ではきちんと時代考証されていました。

新田次郎の「武田信玄」とか、津本陽の「下天は夢」などにはふんだんにそうした場面が出てきますが。いずれにせよ、戦国時代の「会話」が記録されている信頼できる史料というのは存在しない筈ですので、作家が想像したものになります。

昨年のNHK大河ドラマ「風林火山」で、武田晴信の家老の甘利虎泰が村上義清と秘密裏に会うシーンがありました。私が見て、妥当な時代考証と思われましたので記しておきます。(多少アレンジしました)

村上「村上周防守である」
甘利「それがし、武田大膳大夫が家来、甘...続きを読む

Q決戦の時の掛け声

戦国時代の映画などをみていると、大抵”ウオ~!”と叫んで決戦などしますよね?

あれ自体は本当だと思うのですが、あれってなんて言うんでしょ?

”ウオ~!”って言う奴です。

よく時代物の映画の話をしてても、あの・・その・・・ほら声が、臨場感が・・・。となってしまうので、ぜひ教えてください。

他、戦国時代の戦争の話なども教えてください。(これからの参考のために)

Aベストアンサー

 
  おおまかに雰囲気を表すためなら、「鬨の声」でよいのですが、「鬨の声」というのは、戦闘の開始に当たって、志気を鼓舞するため、儀式的にあげる戦闘開始の合図の叫びで、大将が、「えい、えい」と二回叫ぶと、部下が「おう」と三回大声で応えて、意気軒昂を示す声のことで、普通「えいえい、おうおう」という風に音を表現します。
 
  これは儀式的な叫びで、開戦の合図だとも云えます。実際、使用する場面は、「あちこちで鬨の声が上がった」とか「敵陣で鬨の声があがるや、こなたでも鬨の声があがり」という風に、戦闘開始の合図の叫びが起こったという意味で使われます。
 
  実際に戦闘が始まり、闘いで上げる叫び声の「うぉー」とかいうのは、「鬨の声」ではありません。何というのか、どうも思いつかないのですが、「咆吼」ではないでしょうか。「戦(いくさ)の咆吼を上げつつ、敵は肉薄してきた」とは言います。志気を高めるため、兵士が突入する過程で、「鬨の声」ではなく、「うぉー」という意気軒昂な叫びを上げさせるのに、大将が、「吼えよ」と言っていた例が時代小説であります。この場合、確かに「鬨の声をあげよ」ではないのです。
 
  敵に向かい、現に突入しつつある時に、「鬨の声」は上げないのです。しかし、兵士も武将も「うおー」とか叫んでいたでしょう。これは、何かもっといい表現があれば、そうですが、「戦の咆吼」とでも呼ぶしかないのではないでしょうか。「鯨波(げいは)を上げる」というのもありますが、「鯨波」は「鬨の声」のことだとも説明されています。元々「鬨」は「闘い」のことですから、「鬨の声」とは「闘いの声」の意味です。
 
  しかし、慣用的な言い方である「鬨の声」は、儀式的な叫びであるので、「戦の咆吼」とは違うということになります。
 
  「喊声(かんせい)」というのがあります。これは「鬨の声・鯨波」と同じだと辞書で出ていますが、突撃の時に出すわめき声で、儀式的な鬨の声とは少し違います。これは、多分「一斉に上げる叫び声」ということで、戦場で、一斉に、鬨の声とは別に咆吼することでしょう。突撃(吶喊)の時の叫びだとも云えます。「吶喊(とっかん)」は、「鬨の声を上げる」でもあるし、「大声を上げる」ともなります。(「鬨の声」より、「喊声」が広く、それより、「戦の咆吼」はもっと広いということでしょう)。
  
  戦国時代の戦争の「やりかた」というか、「戦闘のやりかた」は、戦略や戦術がある訳で、戦術には、戦列の構成や、戦闘手順などがありました。無闇に突撃していたのではありません。歩兵は、槍組や長槍組、弓組や、また後には鉄砲組も加わり、士官に当たる兵が騎乗で、これらの戦列の組の指揮を取り、これはという時に、一斉攻撃命令を出し、騎乗の兵が率先して前に出て相手の歩兵(足軽)を蹴散らし、敵の戦列を崩すと、また陣形を立て直し、守りを固めて、相手を追いつめるという戦術です。

  (歩兵は槍や長槍、弓を持っていた訳で、刀は、実戦向きではなく、折れにくく、刃のあまりない、棍棒のような刀で、突いたり、殴ったりするのに使ったのです。武将の場合、刀の予備をたくさん持っていて、切れなくなったり折れると棄てて、予備の刀を使ったのです。または槍を主に使い、刀はいざという時の武器ということになります。騎乗から長い槍で、歩兵や敵の騎馬武者を刺し殺したのであり、歩兵は、馬の脚を切って騎馬武者を落馬させたと云えます)。
 
  別の質問の回答で応えたのですが、乱戦に持ち込むというのは、敗北しかけているか、戦術の失敗の時です。
 
  以下のURLのわたしの回答参照:
  >No.227493 質問:西洋や中国の兵士は、どうやって敵を見分けていた?
  >http://oshiete1.goo.ne.jp/search.php3
  

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/search.php3

 
  おおまかに雰囲気を表すためなら、「鬨の声」でよいのですが、「鬨の声」というのは、戦闘の開始に当たって、志気を鼓舞するため、儀式的にあげる戦闘開始の合図の叫びで、大将が、「えい、えい」と二回叫ぶと、部下が「おう」と三回大声で応えて、意気軒昂を示す声のことで、普通「えいえい、おうおう」という風に音を表現します。
 
  これは儀式的な叫びで、開戦の合図だとも云えます。実際、使用する場面は、「あちこちで鬨の声が上がった」とか「敵陣で鬨の声があがるや、こなたでも鬨の声があ...続きを読む

Qどこに出てきた言葉か教えて下さい

内容的には「近くに居る人はよく見てごらん。遠い人は音で聞いてごらん」いう内容で「ちかからん?ものはようくみろ。遠からんものは音に聞け!・・・と続く有名なセリフがあると思うのですが、何の本のどんなセリフだったか・・とてもリズムと勢いのあるセリフで好きだったのに、わすれてしまったので教えて下さい。

Aベストアンサー

「やあやあ、遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ」ですね。
平家物語に出てくる言葉です。
http://www3.ocn.ne.jp/~mh23/heike237.htm

参考URL:http://www3.ocn.ne.jp/~mh23/heike237.htm

Q戦国時代の服装

戦国時代~安土桃山時代の服飾に触れている資料を探しています。武士だけでなく、女性、庶民や僧侶などまで網羅しているものはないでしょうか

Aベストアンサー

やっぱり、このサイトじゃないでしょうか・・・
有名なので、もうご存知かも知れませんが・・・

http://www.iz2.or.jp/fukushoku/f_disp.php?page_no=0000100

Q戦国時代の戦は実際に互いの軍の兵士や武将たちがワーワー叫びながらだだっ

戦国時代の戦は実際に互いの軍の兵士や武将たちがワーワー叫びながらだだっ広いようなところで敵味方混ざりながら戦っていたんですか?
戦国時代がかかれた映画とかゲームとか見るとそんな感じでかかれていますが

Aベストアンサー

何とも言えませんが・・・そうですね、自然に考えれば戦闘の際は現在の科学戦法と違い、真っ向勝負が基本だった事が「何々合戦図屏風」なんかを見れば、分かります。敵味方入り乱れて背中に自分の軍である幟を背負い目印にし、ワーワーやっていたんだろうという事は想像に難くありません。大声を上げるのは「自分を鼓舞」するのと「相手を威圧」する効果があるので、「おりゃ~」「きさま~」「死ね~」「お前らの負けじゃ~」とか言いながら戦闘してたんでは無いですかねぇ。それが入り混じれば、ワーワーとしか聴こえないので、12noname34さんが疑問に思っている事は正しいと思いますよ。

Q好きな「ヒーローが戦う前の口上」を教えてください。

「ヒーローが戦う前の口上」で好きなものがありましたら教えてください。


※ ヒーローでなくても結構です。

Aベストアンサー

回答するつもりなかったのですが……。

たった一つの命を捨てて
生まれ変わった不死身の体
鉄の悪魔を叩いて砕く
キャシャ―ンがやらねば誰がやる

新造人間キャシャーンのオープニングです。3行目が抜けてるのがどうしても気になったので……。

で、改めて回答。ヒーローじゃないんですが。

○○の声を聞き
光の速さでやってきた
風よ
大地よ
大空よ
世界に届けよデンジャラス
宇宙に伝えよクライシス
天使か悪魔かその名を聞けば
誰もが震える魅惑の響き
「ムサシ!」
「コジロウ!」
「ニャースでニャース!」
時代の主役はあたしたち
われら無敵の
ロケット団!

子供が毎週見てたので、つい覚えてしまいました……。

Q本日天気晴朗ナレドモ波高シ……は何故名文なのか?

東郷平八郎が丁字戦法を使ってバルチック艦隊を破った時、
秋山参謀という人が東京にこんな打電をしたそうです。

「敵艦見ユトノ警報ニ接シ 連合艦隊ハ直チニ出動 コレヲ撃滅セントス、
本日天気晴朗ナレドモ波高シ」

高木彬光先生の歴史小説の中で「名文中の名文」と謳われていましたが、
どうもしっくりきません。

だって、単なる指令と天候を伝える平叙文じゃないですか。
これだけシャープに必要なことをまとめた、ということが
賞賛されているのでしょうか?

教えてください。

Aベストアンサー

この電文はロシアの大艦隊を迎え撃つ前に打電されたものです。大国ロシアを相手に小国日本が寄せ集めの軍艦で海戦を挑む直前の決意を示したものです。

名文として後に有名になったのは
1.先ず海戦に勝ったこと。(負けたら名文も残らない)しかも世界が驚く一方的といってもいいくらいの勝利をおさめた。
2.これから出撃します。と短く報告すると同時に海の実戦経験者だけに分かる短い言葉で、これから起こる戦闘がどのようなものになるかをうまく伝えているからです。

つまり、兼ねて準備していた連合艦隊は予定どおり、故障艦も脱落艦もなく、直ちに出撃し敵を撃滅することを前文で伝えています。後半の天気の文章も海軍の現場の人にはいろいろな情報を伝えています。即ち、本日は天気に恵まれ海上の見通しは非常に良い。砲撃戦に理想の天気である。しかし、海上には高波が見られるので、魚雷艇などを使った細かな作戦を実行するには難がある。本日の戦いは砲撃で決着がつくだろう。

ようやく近代国家の仲間入りをしたばかりの日本の存亡を賭けた戦いを前にして、七、五調の短い電文でこれだけの情報を送れるのは名文でなければ出来ません。しかし、これが決意表明ではなく作戦の変更や指示を仰ぐ電文であれば、決して名文とはいえないでしょう。読む人によって理解が異なるような文章は戦時に使用すべきではないでしょう。やはり戦争に勝ったということと決意表明の電文だったからこそ後世まで語り継がれたのでしょう。

この電文はロシアの大艦隊を迎え撃つ前に打電されたものです。大国ロシアを相手に小国日本が寄せ集めの軍艦で海戦を挑む直前の決意を示したものです。

名文として後に有名になったのは
1.先ず海戦に勝ったこと。(負けたら名文も残らない)しかも世界が驚く一方的といってもいいくらいの勝利をおさめた。
2.これから出撃します。と短く報告すると同時に海の実戦経験者だけに分かる短い言葉で、これから起こる戦闘がどのようなものになるかをうまく伝えているからです。

つまり、兼ねて準備していた連...続きを読む

Q「かしこみかしこみ申す」ってどういう意味ですか?

始めまして。日本語に趣味がある外国人です。
この前本を読んでいたら、本の中で神主みたいな人が、
「かしこみかしこみ申す」
という場面がありました。
なんか呪文みたいなものなんだろうと思いましたが、具体的にこれはどういう意味なんですか?
教えていただければ嬉しいです。
では、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

「謹んで申しあげます」、「おそれながら、以上のことを申しあげます」という意味で拝むときのお題目。

「かしこみかしこみ申す」の「かしこみ」は、手紙の結びの「かしこ」と同じ意味とか。

参考URL:http://72.14.235.104/search?q=cache:wcP-4ktmCtMJ:www38.tok2.com/home/shinichi0320/sun_moon/123_10_water/water_10_276.htm

Q戦国時代の使者の挨拶のことば

 戦国時代、使者の武士が先方の殿様(XXさん)に会ったときの挨拶の文言の一部分ですが、次の三つのうちで良いと思われるのはどれでヘンなのはどれでしょうか。
 また、もっといい言い方があれば教えてください。

1.「XX様に拝顔を賜り恐悦至極に存じまする」

2.「XX様のご尊顔を拝し奉り恐悦至極に存じまする」

3.「XX様の拝顔の栄に浴し恐悦至極に存じまする」

Aベストアンサー

こんにちは。

むむぅ・・これまた随分と難しい問題ですね。
やはり時代劇などで耳慣れているものが自然に響きますが、実際のところはさてどのようなものであったのやら。
時代劇を作る際には脚本家や時代考証の方々が頭を捻って色々と考えているのでしょうし、可能な限りは残されているものに準じるように努めているのでしょうから結局は耳慣れた感じのものが妥当ということにもなりそうです。
しかし以前質問者さんも仰っていたように「話し言葉」の史料などというものはまあ限られているでしょうし、時代考証を長くやられている方のご苦労が綴られたものを読んだことがありますが、「ドラマ」ということが前提としてある以上通らない意見が沢山あって悩みの種でもあるそうです。
それに一口に「戦国時代の殿様への使者」と申しましても様々なシチュエーションがあるでしょうし、特に戦国時代の殿様は由緒ある家柄から成り上がりものまで多種ある訳ですから色々と事情も違ってきたのではないでしょうか。
無論例え成り上がりもの相手だったとしてもあからさまに変えるようなこともないかもしれませんが、使者やそれを遣わす側にしてみましたらやはり長く守護を務めてきたような家柄のところへ赴く場合などは、それなりにきちんとしないといけないような気持ちが働いていたのではないかなどとも想像致します。
結局答えのようなものは導き出せませんが、「戦国の大名クラスへの使者」ということで個人的には3は少々硬過ぎる(?)ように思えなくもありません。
締まらない意見ですみません。

先日はちょうど同じようなタイミングでということになったようで、思わず「おっと」とパソコンの前で言ってしまいました(笑)
質問者さんのご意見が「なるほど」と納得のいくものでしたのにそのことに触れるのを忘れていたことに気が付き、もう一度と思いましたが締め切りに間に合いませんでした。
最近はまたそんなことも多く、以前の「自称○○」に関するご質問にも及ばずながら参加しようと試みたものの見事間に合いませんでした(私があれをお見かけしたのがタイミング的にかなり遅かったというだけなのですが・・(笑))。
それはともかく先日の件での貴重なお話色々と勉強になりました。

こんにちは。

むむぅ・・これまた随分と難しい問題ですね。
やはり時代劇などで耳慣れているものが自然に響きますが、実際のところはさてどのようなものであったのやら。
時代劇を作る際には脚本家や時代考証の方々が頭を捻って色々と考えているのでしょうし、可能な限りは残されているものに準じるように努めているのでしょうから結局は耳慣れた感じのものが妥当ということにもなりそうです。
しかし以前質問者さんも仰っていたように「話し言葉」の史料などというものはまあ限られているでしょうし、時代...続きを読む

Qこの世おばわがよとぞ思う望月の 歌の解釈 

「この世おば我が世とぞ思う望月の欠けたることもなしとおもえば」

この歌はたしか学生時代(小学校か中学校で)に習いましたが、
教師に教わった解釈は 満月のようになにも欠けた所がない、栄華を極めたワタシであることよ』というような自慢っぽいものでした。

しかし、ふと思ったのですが

『月が欠けることが無ければ、この世は自分のものだと思えるのに・・・』
という意味、とれるように思うのです。
満月を見て詠んだのではなく、ほんの少し欠けはじめた月をみて詠んだのではないかと。

作者の藤原道長は源氏物語のモデルと言われている人物でしたよね。
たしか光源氏は晩年、さみいしいというか、落ちぶれていくという結末ではなかったでしょうか。

栄華のなかにあって、ふと自分で何かを予感するような、そんな歌のような気がしたんですが・・。

今の国語の解釈ではどうなっていますか?宜しく御願いします。

Aベストアンサー

わたしも数年前に授業でならった時の解釈は、
「栄華を極めてこの世はわたしの世である まさに満月にかけた所がないように」
でした。
おそらく、現在の学校でも同じ様な解釈を教えていると思います。

ただ、わたしが調べた範囲では、こんなことがわかりました。
1)藤原道長は、30代くらいから病気を繰り返している。
2)「望月の歌」も晩年の病気と病気ので詠まれている。
3)「望月の歌」は、娘の威子が天皇の夫人となった時に読まれていて、
  同年に太政大臣を辞し、その前年に摂政を辞している。
4)「望月の歌」を詠んだ翌年には、出家している。

No3のkogotokaubeweさんの情報と以上の事を踏まえて、
質問者usiodonさんの解釈を敢えて採用するようにしてみるとこんな感じになります。
○病気が多くてそれは道長の悩みだったようで、
 病気がちの道長は晩年「糖尿病」だったそうです。
 自分個人の自信は失いかけていたかも知れません。
 また、「望月の歌」の前後で、役職を辞したり、出家してますから、
 自分の人生の事後処理モードに入っていた=欠けはじめた月の状態にあったとも
 取れます。
 「望月の歌」はそんな中で読まれているので、
 そんな本心の裏返し=強がりとして、酒の酔いにまかせて
 「いままさに栄華の絶頂にある」と詠んだ可能性はあると思います。

 それでも、出家後8年ほど生きていますので、役職は辞していても外戚政治で
 まだ権勢を奮っていたかも知れません。

質問者usiodonさんの解釈には共感できる点もありましたので
ちょっと余計な事まで回答してしまいました。

参考URLは、
「藤原道長の悩み」 http://www2.ttcn.ne.jp/~kazumatsu/sub202.htm
です。

参考URL:http://www2.ttcn.ne.jp/~kazumatsu/sub202.htm

わたしも数年前に授業でならった時の解釈は、
「栄華を極めてこの世はわたしの世である まさに満月にかけた所がないように」
でした。
おそらく、現在の学校でも同じ様な解釈を教えていると思います。

ただ、わたしが調べた範囲では、こんなことがわかりました。
1)藤原道長は、30代くらいから病気を繰り返している。
2)「望月の歌」も晩年の病気と病気ので詠まれている。
3)「望月の歌」は、娘の威子が天皇の夫人となった時に読まれていて、
  同年に太政大臣を辞し、その前年に摂政を辞し...続きを読む


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