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私の行っている塾は「学校の補習なんて断って塾に毎日終日来なさい」という塾です。
しかし、中堅私立高校の子達はそれでもやっていけるようなのですが、トップの方の進学校の下流階級となってくると中々そうはいかないようです。私はそんな中の一人です。
学校の補修はそのまま2学期の授業にも関係してくるので、出ないと困ってしまいますから、学校の授業のある時間はそちらに出ようと思っているのですが、問題はそれプラス文化祭の準備(練習)が入ってくるということです。塾はそれを勢いよく否定してきます。
うちの学校は勉強も文化祭などの行事も盛んで、メリハリをつけてやっていきましょうという校風なのですが、塾にはそれが理解できないようです。同じ塾に同じ学校の男の子(しかも良く出来る)が居て、「その子は学校の補修にも出ないし、文化祭の練習なんて言わずに毎日全部来る」と言われてしまいました。
でも、学校の行事を放って受験勉強をするのはいいことでしょうか。また、学校の補習を完全否定していいものでしょうか。そんなんだったら高校なんか辞めて大検とって受験した方がいいんじゃないのか、と思うのですが…。
私にはよくわかりません。私が甘いんでしょうか。
でも、学校のことを放って大学に受かったとしても、その人が将来「いい人間」になるようには思えません。
皆さんはどう思いますか?

A 回答 (8件)

そんな前向きな理由ではないですが、大検とって受験した人間です。

あなたの受験勉強にとって学校と塾のどちらがより役に立ってますか?学校の授業に出なくて困るのが、単に学校の成績が悪くなるだけならどうでもいいですが、受験勉強にきちんと役立つなら、無理に塾にいく必要ないでしょう。それどころかそんな塾やめて別の塾か家庭教師でも考えたほうがいいですね。逆に学校の勉強が役に立たなければ、補習を完全否定してしまいましょう。(塾でなくあなた自身で)
>でも、学校の行事を放って受験勉強をするのはいいことでしょうか。
高校生活と受験の折り合いをどこでつけるかは、あなたの価値観しだいです。医者など難しいがどうしても実現したい夢でもあるなら学校の行事を放って受験勉強をするのもいいでしょうし、高校生活を楽しみながら受験勉強もするのも一つの選択です。受験はワンチャンスじゃないですし。ただ私なら、塾ごときが学校での活動にいちいち口出しするのは僭越が過ぎるので、そんな塾行きません。
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塾側の者です。


トップの方の進学校の下流階級との事ですが、これは収入で、という事でしょうか?毎日いけない理由は、金銭的な事から、ということでしょうか?

どちらにせよ、あなたの目指す所によると思います。
もし、国立大学を志望しているのでしたら、学校の授業には期待しない方がいいと思います。
もし、学校の授業だけで国立大学にいけるのでしたら、みんな国立大学にいける事になってしまいます。

メリハリをつけてやっていきましょう、の理屈はわかりますが、正直、メリハリをつけていないのは学校の方でしょう。学校の行事なのですから、授業時間つぶして準備が本当のはずです。それにもかかわらず放課後や夏休みといった時間まで、学校に拘束するのは筋が通っていません。

また、補習で教科書の内容を進めていくのも学校の勝手によるものです。補修とは足りない部分を補うものなのに、教科書内容といった必須までやるのはどう考えてもおかしいでしょう。

もし、いい大学にいきたいのでしたら、さっさと学校には見切りをつけるべきでしょう。高校は大学へ進学するための階段みたいなものと割り切るべきです。大検に合格することは簡単ですが、大学進学はそんなに甘くありません。高校は一日、6,7時間勉強する場所を提供してくれる所と考えてください。私は、塾へ行くことをお勧めします。金銭的な物が理由なら、学校の補習+自宅学習or自習で乗り切ってください。

学校生活や学生生活を楽しみたいならそちらを選択するのも、もちろん否定しません。ですが、いい大学へいけなかった事を後悔してはいけませんし、また、人のせいにする事もできません。大学へ進学できなかったのはあなたの選択によるものなのですから。

小学校、中学校は確かに人間性に非常に重要にかかわってくると思いますが、普通、高校までに人間的な部分は出来上がっています。どんな人間がいい人間なのかは、あなたの主観によるものなので、なんともいえませんが、高校の行事に参加せず、進学の為に勉強する人間が悪い人間とは思いませんし、悪い事とも思いません。その人にとっては勉強こそがやるべき事なのでしょう。

学校にいるほうがラクとは思っていませんか?なんとかしてそれを肯定するために意見を求めていませんか?
しかしながら、いい大学への進学はそんなに甘くない、という事は肝に銘じておくことをお勧めしておきます。
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質問者様が言っている「いい人間」とはどんな人間を指すのでしょうか。

ご質問の趣旨から判断すると、「決められたことをしっかりとこなして、人付き合いもできる人間」という感じでしょうか。

仮にそうだとすると、確かに、学校の補習や文化祭の行事の練習を休むのは「いい人間」であるとは言えないことになります。また、「いい」・「悪い」以前に、質問者様は、学校行事をサボることについて、気まずく感じられているように思えます。

ご自身が気まずく感じているのだとしたら、学校行事に出た方がよいのではないですか。行事に参加することによって得るものもあるでしょう。

しかし、自分の目的と照らし合わせてみて、学校が利用するに値しないのならば、学校行事に参加することは控えて、自分の目的のために邁進したほうがよいのではないでしょうか。補習が役に立たないと思うのならば、取らないほうがいいでしょう。自分が何を目的としているのかということを確認してみることをお勧めします。

最後に、学校行事に参加するかどうか、ということはあなたご自身が決めることであって、No.1さんもおっしゃっている通り、塾が決めることではありません。
あなたの事情を考慮せず、「とにかく来い」というのはその塾の能力やサービスの質が低いと考えざるを得ません。
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塾なんていっぱいあるんだから学校の文化祭みたいな大事なものを否定する塾はやめて別の塾に行けばいいんですよ。

塾の都合に踊らせられてちゃだめだよ。
しょせん勉強は人生の一部にすぎないのでいい学校は文化祭みたいなものにも力を入れるんです。なにがいいかというと小さなプロジェクトなのでコミュニケーション力がつくんですよ。
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 私は、その塾の有用度で決めます。

本当に塾が役に立つと思うなら学校の行事なんかは無視します。なぜなら、学校の行事をがんばったため勉強時間が足らずに浪人したとしても学校は責任を取るわけではありませんし、現役で受かった方があなたにも親のためにもなります。業績が伸びてくれた方が学校も嬉しいのです。あなたが勉強していい成績を取るのは、ライバル以外にはマイナスにならないのです。
 本題とは外れますが、その塾の担当者さんは強引すぎますね。言っていることが正しくても、あなたがかわいそうですよ。

>学校のことを放って大学に受かったとしても、その人が将来「いい人間」になるようには思えません。

 それはあなたの心がけ次第です。学校行事に一生懸命になっても性格の悪い奴はいます。(私の学校には多かったです。)質問者さんが、世のため人のために努力しようとする意識があるのなら、大学へ言ってから
 高校には「金払ってやってるんだから、勉強の邪魔はすんな!」といってやりましょう。私立高校なら当然そう言う権利はありますし、公立高校も県民の税で食っているんですから、先生や他の生徒に文句を言われる筋合いはありません。文化祭の準備などはやりたい奴ががんばればいいのです。そこは部活と一緒です。
 結論を言えば、勉強第一で行きましょう。そして、第一志望の大学へ行き、社会貢献を頭に入れて努力すればあなたはきっと「いい人間」になれるはずです。
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こんにちは。


私は、「自主・自律」が校是の、ひっじょーーーーに開放的でお祭好きな校風の公立高校を出ました。
予備校には在籍していましたが、実はほとんど行った事がありません。(おかあさんごめんなさい。)
そんな私ですから、もちろん現役時代はお勉強よりお祭、受験より友情を優先して3年間過ごしてきました。(笑)

私の学校でも、もちろん真面目に予備校に通い、難関突破していく生徒は沢山居ました。が。彼らがお祭に熱を上げなかったかといえば、NOです。
お祭に熱を上げていなかったとしても、別のことに熱を上げてたりしました。
例えば、東大模試B判定(だったかな)、結局みごと第一志望の気象大学に進学したS君は、こともあろうに3年生の秋、生徒会副会長に立候補、卒業まで勤め上げました。(注:うちの高校は無茶苦茶自治が盛んで、更には卒業式シーズンには国旗国歌問題で毎年紛糾します。閑職じゃありません。)
そんなもん。
ただし、S君は非常に真面目で、日ごろからコツコツ勉強できる成績優秀生徒でしたが。
他にも、3年の文化祭でクラス劇のキャストをやって、現役で慶応大学法学部に進学した先輩とか。彼曰く、「一日のうちで、睡眠が7時間、劇の練習が5時間あっても、他に食事・風呂で1時間取ったとして、残りあと何すんの?全部勉強できるじゃん。」とのことでした。
そう考えると、質問者さんの学校の言い分も理解できます。
キャストをやった人に意見を聞くと、ほぼ全員が「メリハリがついていい」と言ってきます。きっと、そんなもんなんでしょう。

私も、ずーーーーーっと遊びほうけて、2月になってもまだ部室で後輩とだべってるような惨状でしたが、大学に現役合格しましたよ。そりゃ、努力家さんに比べれば、見劣りする大学名かもしれませんが、私には充分。なんとかなるもんです。(笑)

文化祭とか、部活とか、生徒会とか。
高校という空間にいると、「在って当たり前」なので、軽視しがちなものですが、それってかなり貴重な体験ですよ。
大学に入ってからも、学校によっては文化祭なども盛んかもしれませんが、大抵の大学では、クラスの出し物なんかはありませんよね。大抵は学生による出し物はサークル発表ばっかです。(北大生に聞くところによると、北大にはあるらしい。学部次第かもしれないけど。)

「文化祭で楽しむ」「楽しませる」「盛り上がる」「盛り上げる」っていうのも、やってみるとなかなか難しかったりします。
貴方が今一番やりたいことを優先すればいいんじゃないかなぁ。
目標がハッキリしてて、「この大学に行きたい!これをしたい!」っていうのがあって、それを優先するも良し。友達と文化祭で何かを作り上げ、成し遂げるのも良し。
無駄なことなんて何もありませんよ。
ただ、親御さんは心配させすぎないようにね。親というのは、協力者に回ればこれほど心強いものはありませんが、反対に回ればこれほど恐ろしく辛いものはありません。
「あの子は遊びほうけて文化祭なんかにかまけて…」と悪印象を持たれないよう、最低限のことはするようにすれば、遊びまくっても後悔するようなことにはならないと思いますよ。
勉強をがんばっても、遊びをがんばっても、「いい人間」にはなれます。ただし「いい人間」になるには、人との関わりが不可欠です。それをいつやるか、だけです。
まあ、いつ何時たりとも「自分」を忘れないこと、これだけは必要なんじゃないかな、と漠然と思っています。
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自分なら、こう勧めます。


「高校生活を大事にしなさい」
「高校生活は、高校生のときにしかできません」と。

高校生のときにしかできないこと、って何だと思いますか?
高校生活にしかないもの、って何だとおもいますか?

自分の経験を語ります。

自分も#6さんと似て、「自主」「自律」を重んじる、世間では恐らく珍しい学校を卒業した者です。

・補習なんてナシ。
→分からないところがあるなら、自分から進んで聞きに来なさい…
・三者面談なんてナシ
→高校生にもなって、何で親も交えて話さなきゃならないの?
・高校3年の授業は、社会・体育・現代文を除いて全て選択科目
→高校の勉強は大学受験のためにあるわけではない(理系・文系のクラス分けもなし)
・模擬試験も強要しない
→必要なら、進路指導質に模試の情報があるから取りに来なさい
…そんな学校でした。

自主・自律の校風に惹かれたこと、
制服がなかったこと、
「社会」と「数学」と「理科(天文学)」が好きだったので、文系・理系のクラス分けがなかったこと
に惹かれて、学校を選びました。

この高校生活で、自分は1つだけ後悔していることがあります。

それは、高3の選択授業。
どうしてもっと、自分が学びたい科目を履修しなかったのかな?って。
好きだった数学の「微分・積分」「確率・統計」を取らずに、
受験を考えて「数学II」を選択しました。

結論からいえば、やっぱり、自分も大学受験のことが頭にありました。
学校の授業で、大学受験に必要な勉強もできれば一石二鳥、と考えていました。(でも、普通はそう考えますよね。)

でも、本来は、高校は大学受験のためにあるわけではないはずです。
高校で学ぶべき内容の勉強と、大学受験が限りなく似ているので、
「高校の勉強」=「大学受験のための勉強」
と錯覚してしまいます。

自分もそうでした。
だから、現代社会で、教科書なんか全然使わずに、一学期中、ずっと「象徴天皇制」について語ってた先生には反感持ってたし、
1学期で教科書 2ページしか進まない「世界史」の先生にも反感を持ってたし…

でも、今は、これが「錯覚ゆえの反感」だったって思ってますよ。
こういう授業もアリだったのでは?って思ってます。

高校を卒業して15年近くたった今、思うことは、
高校は、高校でしか経験できないことを経験するためにあるんじゃないか、ということです。

それは、やっぱり文化祭だったり、友達との交流だったり、部活だったり、そういうことじゃないかと思うのです。
もちろん、勉強もです。

選択科目以外のことについては、後悔はしてないです。
文化祭も頑張ったし、体育祭でも役員をやったし、部活は…あまり熱中してなかったので、まぁそこそこにやったし、
たまには授業もサボったし(?!)、
高校生としてできることは、高校生の間にちゃんとやったと思ってます。

受験勉強は、高3の夏休み明けから開始しました。
はっきり言って遅いほうだと思います。

けど、ナントカ、受験には成功。
塾関係者が聞けは、鼻で笑われるような偏差値の低い大学ですけど、
そこに進学しました。

今、振り返って思うことは、
3流大学でもなお、高校の時には高校でしかやれないことをやっておいて良かったな、ということです。
(たった1つの後悔を除いては…ですが。)

結果がどんなのであろうと、「後悔」をしなければ、それでいいと思います。
後悔をしないためには、今この瞬間瞬間を生きるに当たって、自分が「最良」と考えるを選択肢を 常に選択し続けることだと思っています。
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 No,5のものです。

まだ締め切ってないようなので回答させていただきます。私は今就職活動をしておりますが、会社によっては出身校によってはエントリーシートを読まずに落とすところもあります。また、履歴書でも偏差値の低い大学は不利です。(特に大企業を考えるのなら)
 やはり偏差値の高い大学の方が就職は有利です。これは当然です。ある一つの大きな能力は、入った大学によって証明されたのですから。また、図書館も偏差値の高いところほど充実している傾向があります。学生の質も然りです。
 高校生活はあとほんの少しです。それに較べ、大学生活や社会生活は長いのです。たった半年と何十年。どっちを大事にするべきか。わたしは何十年をとります。
 いい人間になれるかはNo,5で回答しましたので省略させていただきます。
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