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私は大学で社会学を学んでいる学生ですが最近、心理学の講義を受講しました。

そこで先生から「ある知覚が錯覚や幻覚でないとなぜいえるか?」という課題を出され今週の木曜日までにまとめあげなければいけないのですが、さっぱりの状態で困り果てています。

どなたか教えてください。

お願いします。

A 回答 (3件)

はじめまして。



課題に対するご自分の見解を乗せてほしいところです。
質問者が「さっぱりの状態で」という、そのさっぱり加減を察することは難しいし、まるで考えない教えて君になってほしくもないし…ちょっと考えてしまいますね。できれば私は、課題に対する誠意が見たいです。


と、本題について。
霊能力とか超能力については、話が煩雑になるので、今回は考えません。


ある知覚が錯覚か幻覚か…我々は2段階でそれを疑うことができます。
ひとつは感覚器の誤解のレベル、もうひとつは脳内処理のレベル。

これらを含めてひとつに捉えることもできますが…脳内処理のレベルの情報は、突き詰めれば他者が客観的に判断できるものではありません。赤い光を見ても、全員の脳内に「本当に同じ色」に写っているかなんて、客観的に見る術はないのです。そういう状況まで拡大して考えることは話が煩雑になるため、そのレベルで生じうる差異については考えません。
つまり、脳内処理の発達については問題なく行われていると仮定します。


錯覚や幻覚の例として、だまし絵を考えます。
トリックシアターによくあるのは、額に入った絵だと思ったら、額までが絵だったとか、平面に描かれた絵だと思ったら実は手前や奥に立体的に描かれていたとか。
それらがなぜ「だまし絵」だと気づくかというのがポイントです。
ひとつには、角度を変えて見たら違うことが分かったという同一知覚での錯覚発見、もうひとつには、触ってみたら違ってたみたいな、他の知覚による検証があるのだと思います。

我々が成長過程において学んでいった感覚特性を誤解させるのが錯視、それが錯覚であると気づくのは、その錯視と正常な感覚との間に認知のギャップが生まれるからです。ドアノブが見えるのに触れない→あぁ、絵だったとか。
逆に言えば、錯視の検証がなされなければ、我々はいつまでも誤解していられるということで。よくSF小説なんかである話ですが…。


マトリックスやトータル・リコールという仮想現実をテーマにした映画をご覧になったことはありますか?
要するに、現実にはありえないほどのレベルまで微に入り細にわたって錯覚させていれば、それはもはや現実との区別がほとんど不可能です。そうでなければ、我々は経験からくる微妙な差異を感じ取り、もしくは他の知覚の併用による異常に気づいて、錯覚を見破ることができます。

我々の認知は、そういった仮定条件の上で成り立っています。


その例外ともいえるほど誤解させうるのが、いわゆる麻薬です。様々な種類があるでしょうが、感覚を麻痺させたり、脳内の信号を異常な状態にさせることで、普段見えないものが見え、聞こえない音を聞こえるようなことも生じうるのです。そうなってしまえば、それは脳内処理のレベルでの話ですから、感覚器官は正常な信号を送っていても、本人が見えているものは正常なものではなくなってしまいます。
そうなってしまえば、本人が錯覚・幻覚と現実を判別することはできなくなるのでしょうね。経験したことがないので、想像でしかありませんが。


結論を言えば、通常は錯覚と現実の境目がこれまでの経験により判別できるからこそ、ある知覚が錯覚や幻覚ではないと判断できるのです。
もし仮に、その判別が不可能なほど巧妙な錯覚や幻覚が生じれば、もはやそれは現実としか思えないであろうということです。


あくまで私見ですが…参考になれば幸いです。
失礼します。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。これからは自分自身でも学んでいこうと思いますが、先にいきずまったときは、お力を貸してください。

お礼日時:2006/07/13 10:19

その答えは難しいようで簡単なのかもしれませんよ。



幻覚の定義は自分でしらべましたよね。(調べさせるためにあえてこんな課題を出すのでしょうけど)

本当はあるものが・・・などと書いてあったりしますよね。そこを疑うと、答えは「必ずしもいえない」となりませんか?

でもなぜいえるのか?という文章から、いえると仮定して理由だけを書けって感じですね。

ある現象などに対してどう知覚したかテストしてみる調査をすればいいでしょう。
そして、平均や偏差などを出して統計学的に処理して有意水準5%とかで検定すればいいでしょう。
それなら、間違っている危険性もあるが、無視できる範囲だから、自分が立てた仮説の答えを採択できるという結果に持っていって、証明したことになりますよ。

その証明の過程こそがこの課題の答えだと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。これからは自分でも調べてみます。

お礼日時:2006/07/13 15:24

「知覚が錯覚でない」というのを、本来あるべき姿をそのまま知覚するとして・・・。



例えば、友達が向こうから歩いて来るのを想像してください。
物理的には、近づくにつれてどんどん大きく見えるはずです。
でも、5メートル先でも、すぐ隣に来ても、あまり大きさの変化を感じないと思います(大きさの恒常性といいます。)。

また、99グラムの重りも100グラムの重りも同じ重さに感じるでしょう。音楽家でもなければ、微妙な音程の差はなかなか感じられません。

このように、われわれの知覚はある程度、外界の変化を和らげる機能があるようです(個人差はあるかもしれませんが)。
これは、一種の錯覚と思います。
結局、我々は、錯覚に囲まれて・・・、というより常に錯覚を感じながら生きているのではないでしょうか?
錯覚でないというのは、難しいと思います。
「みんな同じように感じるから錯覚でない」と言ったとしても、みんなで錯覚を感じてるのかもしれませんしね。

「幻覚でない」は、みんなが見えている、聞いているってことでいいのかな?
ちょっと、分かりません。
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