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卑弥呼が魏から貰った鏡についてお尋ねします。

昔の教科書には,景初何年と記された三角縁神獣鏡がそれだと書かれていたように思うのですが,最近では色んなところから三角縁神獣鏡が発見されているように思います。

(1)魏志倭人伝では,確か銅鏡100枚とあったはず。しかし,いまやとっくに100枚を超えているように思うのですが,このあたり,考古学ではどのように説明されているのでしょうか。

(2)そもそも,三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡とする理由は,何なんでしょうか。

A 回答 (7件)

お初です


三角縁神獣鏡が魏の明帝から下賜された文物の1つと言う説は以前にはありました。(2)の"根拠"としては中国・朝鮮半島で出土例が無いため、景初など年号鏡の発見によって特別に作らせたものではないか、と言われていました。
(1)は前に述べられていますが、舶載鏡とボウ製鏡が考えられています。つまり輸入と国産ですね。面数は300枚を超えていますが、国産鏡が多いんです。同范鏡(どうはんきょう)と言って同じ型から複数枚作ったものも出土していますので分かります。舶載鏡については中国から(例えば呉など)技術者が渡来して作られたのではないか、との説もあり混迷状態です。
私見を述べれば、大陸に出土例が無い事、景初四年銘の鏡が出土している事(景初は三年までで四年は無い)東夷の属国にわざわざ新鋳しなくても後漢鏡で事足りるのではないか、などの事から卑弥呼の貰った鏡は三角縁神獣鏡ではなく後漢鏡であると思います。
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「三角縁神獣鏡≠卑弥呼の鏡」という立場のアマチュアの人が、この問題を整理したHPがありますので、参考URLに入れておきました。

ご覧下さい。
私も単なる素人ですが、既に「学問」とは言いがたい領域に入っているような気がします。
No.4の方があげた、X線による微量成分の検査についても触れられています。

「これが卑弥呼の墓です」、「ここに邪馬台国がありました」、「この鏡は魏からもらいました」とかいう事を示す決定的な証拠(例えば墓碑銘とか)が出てこない限りは、所詮、「なるべく物事を矛盾無く説明できる仮説はどれでしょうか」という議論をするしかないのですが、今起きている事は、「三角縁神獣鏡=卑弥呼の鏡」と仮定すると、何が矛盾無く説明できるのか、ではなくて、三角縁神獣鏡=卑弥呼の鏡と仮定すると矛盾するように見える事実を、「それはこう解釈すれば、矛盾は解決する」といって、次々に仮説を積み重ねて行っているだけに見えます。

三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡だという仮定が、「邪馬台国大和説」の重要な部分であったが故に、熱心に「新たな仮説の積み上げ」が行われているだけ、と言う風に私は理解しています。でも、「三角縁神獣鏡は卑弥呼の鏡ではない」と仮定しても、邪馬台国大和説が成立しなくなる訳ではないんですけどね...

参考URL:http://inoues.net/mystery/3kakubuchi.html
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以下、質問者というより、たまたまここへきてここを読まれている方へのコメントです。



to the comment in #3
>たとえば,銅鏡に含まれる鉛の同位対比によって原料の原産地を突き止めるとか,

そこまで書くならご存じでしょう。やっていますよ。
鉛の原産が中国であることが分かっています。
しかし、がそれだけで鏡の製作地は分かりませんし、卑弥呼の鏡であるかどうかも決まりませんね。

>銅鏡が出土する古墳の築造年代を副葬品などから割り出し,その分布を解析するとか,
>そういうことはあまりやらないのでしょうか。

これもここまで書いておられるなら質問者は十分に承知された上で書いているのでしょうけど、
鏡の問題とは関係なく、副葬品から古墳の築造年代を推定するということは当然やります。

三角縁神獣鏡に限って言えば、弥生終末とも古墳時代初頭とも呼ばれる畿内で庄内式(※)と呼ばれる
土器群が使用された時代からは三角縁神獣鏡は
いまだ出土していないという事実があります。
今後出土する可能性は排除できませんが、三角縁神獣鏡の製作が開始された年代と、
庄内(※)から古墳時代(※)への移行期がある程度近い年代であることは、現在ほぼ意見の一致を見ています。
ですが、卑弥呼の鏡であるかどうかは決まりません。

※ 註 考古学では年代のものさしとして土器を使います。土器では絶対年代は分かりませんが、おもに層位(ぶっちゃけて言えば、土の中で上にあるか下にあるか)により年代の前後関係を決め、年代の指標とします。このため考古学上の年代をいうときにはある土器(群)の名称をその土器が使用された年代の名称としてつかいます。それで、考古学の少し込み入った話をしようとすると、どうしてもこの土器の名前を持ちださざるを得なくなります。

布留式: 古墳時代前期の素焼きの土器。布留式土器が使われた時代を布留式期、地方で布留式は主要な土器ではないがその年代が畿内で布留式が使用されている時期に該当する場合は布留式併行期と呼ばれます。簡単のため、両者をひとまとめにして布留期、布留式期ということもあります。ほぼ三期区分の古墳時代前期に該当します。

庄内式: 弥生時代の素焼き土器と古墳時代の布留式をつなぐ過渡期の土器様式として田中琢によって提唱されたもので、人によって弥生終末と呼ぶこともあれば、古墳時代初頭と呼ぶこともある。

布留0式: 庄内式と布留式をつなぐ過渡期の様式。これまた人によって庄内式に含めることもあれば布留式に含めることもある。布留0式の設定そのものに問題があるという意見もちらほら目にするが、本当のところどうなのかは自分はよくわからない。

上の『庄内式(※)と呼ばれる土器群が使用された時代』での庄内式は布留0を含まない意味で使っています。三角縁神獣鏡は布留0期になって初めて出土する、というのが現在のところの出土状況。

いずれにしても、年代で製作地は決まりませんし、卑弥呼の鏡であるかどうかも直接は関係ありません。
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3です。



>そうなんですか。たとえば,銅鏡に含まれる鉛の同位対比によって原料の原産地を突き止めるとか,銅鏡が出土する古墳の築造年代を副葬品などから割り出し,その分布を解析するとか,そういうことはあまりやらないのでしょうか。

ちょっと言葉が足りなかったですね。
もちろん、考古学でも成分分析はします。
たとえば、花があればその花粉なんかからどこに分布していたか。金属はその含有量ですね。

三角縁神獣鏡では
http://www.spring8.or.jp/ja/current_result/press …
みたいにやっています。

ただ、結局は成分分析だけでは断定できるだけの科学力がないということでは?
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専門家ではないので違ったらごめんなさい。



>全量中国産説まで登場してきて、いろいろな人がいろいろなことを主張しているなかで,その第一感は揺るがないのでしょうか。揺るがないとしたら,それを支える根拠はなんだろうと疑問に思っているのです。

一般的に考古学なんかは「史料」によって検証されます。この史料を解析し、諸説ある中から妥当だとされるのが定説となるはずです。昔のことだから今みたいに裏付け調査は出来ません(笑)

今ここで問題の史料は「魏志倭人伝」と「三角縁神獣鏡」ですね。(他にもあるかもしれませんが)
残念ながら、国内に「魏志倭人伝」にあたる文書的史料が不足(無い?)しています。ので上の2つに頼るしかないとされています。
邪馬台国がどこにあったかもわからないのはこのためですね。

で上の二つを検証して日本の権威である先生が(皮肉ではないですよ)これだ!!っと言えばとりあえず定説になってしまうわけです。

ですので、回答とすれば今のところ

(1)は数が合わないのは推定値であって実数ではないと説明。考古学では良くあることだ!!なんて…

(2)は「魏志倭人伝」と「三角縁神獣鏡」

それを支える根拠は「長年の感」?
です。
考古学ではつねに「~であろうとする。」なんですね。「あろう」だから「仮定」です。

今後、史料が増えれば変わってくると思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>一般的に考古学なんかは「史料」によって検証されます。この史料を解析し、諸説ある中から妥当だとされるのが定説となるはずです。昔のことだから今みたいに裏付け調査は出来ません(笑)

そうなんですか。たとえば,銅鏡に含まれる鉛の同位対比によって原料の原産地を突き止めるとか,銅鏡が出土する古墳の築造年代を副葬品などから割り出し,その分布を解析するとか,そういうことはあまりやらないのでしょうか。

>今ここで問題の史料は「魏志倭人伝」と「三角縁神獣鏡」ですね。(他にもあるかもしれませんが)残念ながら、国内に「魏志倭人伝」にあたる文書的史料が不足(無い?)しています。ので上の2つに頼るしかないとされています。

文献史学なら分かりますが,考古学でも同様の事情ですか。

>で上の二つを検証して日本の権威である先生が(皮肉ではないですよ)これだ!!っと言えばとりあえず定説になってしまうわけです。

なるほど。

>それを支える根拠は「長年の感」?です。
考古学ではつねに「~であろうとする。」なんですね。「あろう」だから「仮定」です。

ベテラン刑事の勘みたいなものですね。しかし,見込み捜査は,時に冤罪を生みます。だから,断定は避けていると,そういうことですね。

お礼日時:2006/07/20 00:31

教科書は見たことがないのでなんて書いてあるのかは知りませんが、



>(2)そもそも,三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡とする理由は,何なんでしょうか。

漢籍の記録に卑弥呼が239年(景初三年)に朝貢したとあり、まさにその年号を刻んだ鏡が存在したら、その鏡がまさに朝貢のときの鏡だと思うのは、第一感としていたって普通ですよね?

>(1)魏志倭人伝では,確か銅鏡100枚とあったはず。

三角縁神獣鏡は現在、舶載(中国製)鏡と彷製(日本製)鏡とよばれる二種に大別され、さらに舶載鏡は4、または3段階に分類されます。この分類は製作年代の違いによるとされており、この4段階のうちの最も古いもの、もしくはその次あたりまでが卑弥呼の鏡の候補であろうといわれています。紀年を持つ鏡は、最も古いグループに属します。

ただし、質問者が書かれているように三角縁神獣鏡(の中の一部)が卑弥呼のもらった鏡であると大方の意見が一致しているかというとそんなことはないのでして、いまや全量国産説(いわゆる舶載鏡も日本製とする説)ばかりでなく全量中国産説(いわゆる彷製鏡までも中国製とする説)まで登場してきており、いろいろな人がいろいろなことを主張し、議論はますます混迷を深めています。

結論をいいますと、

卑弥呼がもらった鏡が何かは、今もってわからない。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>卑弥呼がもらった鏡が何かは、今もってわからない。

ええ,そのとおりだと思います。

しかし,私がお聞きしたいのは,「卑弥呼が貰った鏡は何か」ではなく,小林氏などのように「卑弥呼が貰った鏡=三角縁神獣鏡(全部又は一部か)」と考える人の根拠です。

>漢籍の記録に卑弥呼が239年(景初三年)に朝貢したとあり、まさにその年号を刻んだ鏡が存在したら、その鏡がまさに朝貢のときの鏡だと思うのは、第一感としていたって普通ですよね?

第一感として普通だと思いますが,それだけなのでしょうか(いや,それだけならば,それだけだということを知りたいのです)。全量中国産説まで登場してきて、いろいろな人がいろいろなことを主張しているなかで,その第一感は揺るがないのでしょうか。揺るがないとしたら,それを支える根拠はなんだろうと疑問に思っているのです。

ご存知でしたら,教えてください。

お礼日時:2006/07/17 22:12

そもそも誤解があるのではないかと思いますが、「三角縁神獣鏡」=「卑弥呼が魏から貰った鏡」ではありません。


「三角縁神獣鏡」というのは、「縁が三角形になった神獣の文様の鏡」のことです。様式ですね。
ですから、日本各地で作られているし、それらが出土しているんです。
もともとの手本になったのが「卑弥呼が魏から貰った鏡」だった可能性もあるかもしれませんが、中国本土からは三角縁神獣鏡は出土していないはず。韓国からも出てないんじゃなかったかな・・・?

また同様に、「三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡」なのではなくて、「景初何年と記された三角縁神獣鏡」が出土したので、年代の合うこれが魏志倭人伝に記される鏡の一部であろうといわれているのです。卑弥呼がもらった鏡のすべてが三角縁神獣鏡であったわけでもないです。
さらに「景初何年と記された三角縁神獣鏡」も、本当に卑弥呼がもらった鏡であると証明されているわけではありません。疑問視する声も多く、「三角縁神獣鏡」は、わが国で作られた鏡であろう、と主張している方もいらっしゃるようです。(参考URL)

「三角縁神獣鏡」で検索すれば、いろいろ詳しいページがでてきますよ。

参考URL:http://yamatai.cside.com/tousennsetu/sinnzyuukyo …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

私の誤解ですか。かつて京大の学者を中心として「三角縁神獣鏡=卑弥呼が貰った鏡」という説が唱えられていたような記憶があるものですから,てっきり学問上は有力説なんだろうと思っていました。

そのことを前提に,根拠が知りたくて質問しました。

>「三角縁神獣鏡」で検索すれば、いろいろ詳しいページがでてきますよ。

ご紹介のHPも質問する前に検索しておりました。ここでも,「京都大学教授であった考古学者、小林行雄や、奈良県立橿原考古学研究所所長の樋口隆康氏らは、卑弥呼が魏からもらった鏡は、この三角縁神獣鏡を主とする鏡であろうとする。」とあり,この先生方がこう考える根拠が知りたいのです。

特に,奈良県立橿原考古学研究所といえば,最近の古墳発掘の最前線ですから,何か新たな発見でもあったかなと。

お礼日時:2006/07/17 14:45

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