No.5ベストアンサー
- 回答日時:
#1です。
ご返事ありがとうございます。◇
> もしそれこそが(世間で言われてきた)(同時にある種の偏狭な新興宗教によってゆがめられてきた)
「神」だよと言われれば、あなたは納得されるのでしょうか?
:そもそも「神」というのは、
『「普遍的真理」と言うのは長ったらしいので短く縮めようや。
そうだ「神」というのはどう?』
といったようなノリで発明された言語だと考えるのがもっとも論理的だと思っています。
ですから、とりあえず「神」という言葉があるのだからこれを利用しようしない手はない、とでもいうかのような考え方は生理的に受け付けません。
まず「神」が存在する、と闇雲に信じようとするのは、この道に通じるのではないでしょうか。
つまり、「神」はあくまで「普遍的真理」の代名詞であって、真理そのものではありません。
当然、普遍的真理そのものとしての「この世で唯一の人格神」などは存在する余地はありません。
真理そのものを説明できずに人格神を持ち出すようになった時点で、その人は真理の追究を放棄したのだと見做すのが自然でしょう。
真理の論理的解明で行き詰まったとしても、「神はこう言っている」の一言で何でも解決するわけですから、これほど便利なものはないわけです。
そこには「神」という言葉が生まれる元になっている「真理」を指向(思考ではなく)する立場と、全く逆の意思が働いていることになります。
ただ、「便宜上の神」を想定することが普遍的真理を極める過程で必要だと感じる人にとっての、「神を信じる」という心的作用を否定するものではありません。
そこに付けこんで、その神こそが普遍的真理である、という【論理の逆転】によって、神自体に意志があるかのように誤解させ畏怖させる。
そして、その畏怖の力で人を支配しようとする。
これが、いかがわしい宗教の常套手段でしょう。
そのへんは、理性と論理性を身につけることによって避けることが可能でしょう。
とはいえ、そのようにして身につけたことが何の意味もないのだ、という一種の喪失感に襲われたとき、その手の宗教に引き寄せられる、あるいは近付いてくる、ということがあるようです。
誤解していただきたくないのですが、私は神を信じる人を軽んじているわけではありません。
ただ、神と真理を天秤にかけてさえも神が勝っているというような【妄信】に陥るようなことがあれば、本来目指していたはずの真理の源を求める姿勢が結果として崩れ、気付かぬうちに横道に逸れてしまうのではないか、ということを危惧しているだけなのです。
◇
#2さんのお礼で
「>演繹的に導かれるのだということを理解しています。」
とおしゃっていますね。
演繹法とは普遍的仮定から何らかの結論を得るという推論方法である、とウィキペディアに書いてあります。
つまり、「神=普遍的真理」というのはあくまで仮定であるわけですから、この仮定が正しいかどうかに触れずして推論、まして議論などしようがないのではないでしょうか。
いや、私は「神」ということば、ましてや「人格神」を使わない
ようにしているのですが。
まあ、それでも「たとえば、世間で言う「神」とは」とか言う時に
使いますから、それでこれだけ議論が錯綜しましたね。
回答ありがとうございました。
No.9
- 回答日時:
>「しかし、数学は普遍的真理があることを前提として成り立っているじゃないか?」
違いますよ、数学は不変的真理を前提として成り立ってませんよ。
数学が発展した大きな要素として、「虚数」の発見があります。
虚数というのは、実在しない、仮定の数字であるのは、ご存知ですよね?
神の存在や普遍性などは、とっくに数学で証明されてますよ。
ただし「虚数」を使ってね。
仮定の数字の上に成り立つ証明です。
科学者がみな、「神や普遍性を否定する」のは、要するに客観的な証明がされていないからです。
虚数の実態が証明されれば、普遍性も現実的に立証されたといえるでしょう。
><確かに、普遍的真理としての永遠の不可思議は存在し続けるでしょうが、それを便宜上「神」と名付けることはできても、>とおっしゃっていますがまさに私はそれを「神」と読んでいるわけです。
そう、それを神と呼んでいるのは、あなた自身です。
あなたは自分の定義するところの神様を前提として、普遍性はあると主張しているだけなのです。
便宜上、神と名づけることは誰でもやってますが、それが「仮定」の上に成り立つ議論であることを、質問者さまは理解しておられないようです。
No.7
- 回答日時:
いつも返事ありがとう。
「何か?の順番で思索を重ねているものです。」
正しい修行の道ですね。でもこれは覚えといてくださいね「無師独悟は、少数の天才を除いて、大成する道ではない、よき師を見出し、師から学ぶことが悟りへの近道である。」ということを。ここで、悟りたるものは知恵者という意味です。
ついでに、
前世の記憶は消して来るのですね。まったく新しい人間として出なおせるという幸福もあるんですね。ただ輪廻の過程で身につけた傾向性は消しようがないですけどね。前世の記憶、あるいは今世の課題は思い出すことができます。これも一つの小さな悟りですね。
時間については信じるしかない部分はありますけど、現代物理学での時間の概念よりはもっと複雑のようですね。 智慧を磨いてくださいね。本題からずれましたけど、追伸まで。
ありがとうございます。
傾向性だけは残る・・・やっぱりそうでしょうね。
師の問題。私もむやみに(好んで)無師独悟を貫いているわけでは
ありません。
いないからなのです。
ただここ2年で時間が分かるという人間で信頼できる人間に3人は出会いました。
インド人の実業家とオランダ人女性と日本人で死地をくぐってきた人間です。
みな同じことを言います。私が手を買え品を買え、同じことを質問し
向こうは辛抱強くそれに答えてくれます。
はたから見れば、ミリンダ王の問いの現代版のような感じだろうと
苦笑しています。
No.6
- 回答日時:
前の質問を読んでいませんが。
議論がかみあわないわけです。
「数学は普遍的真理があることを前提とする」ならば、普遍的真理がないということを前提から否定しているのです。
「普遍的真理などないということを否定した仮定の上で、数学は成立している」と読み替えると、わかりやすいかもしれません。
「数学は普遍的真理があることを前提とする」という命題自体が、「お前とは相容れないぞ」とか「ダメなものはダメ」といわんばかりの相手の考えの全面否定な態度のものです。したがって、平行線になってむにゃむにゃと議論は錯綜、いつの間にかかみあわなくなるのです。
この質問だけしか読んでいませんので、神のことはコメントしません。
No.4
- 回答日時:
数学・物理・宗教などの思考学と呼べるものには、定理や原理(不変的真理と等価)が存在します。
この定理というものには数学的な帰納法で証明できるものも証明できないものもあります。正しいと信じるということを前提とした定理や原理もあるわけです。万有引力なども発生原理は不明確ではあるがあると信じることで物理現象をもとに成り立っているわけですね。仏教にも「因果の理法」という真理があります。普通に考えれば、善因善果、悪因悪果という定理は成立しないはずです。悪いのがいい思いをし生涯を終え、一方まじめな善人が報われない人生を、というのはそこらじゅうにあるものね。釈尊の説く「因果の理法」を普遍的真理と信じれば、あの世がないとこの「因果の理法」は成立しないことは論理的に明らかですね。これも帰納法的説明ですね。数学にしろ宗教にしろ高度なものは全てが信じる真理を前提に論理的に思考する物なんですが、なぜか宗教というと思考がとまってしますのですね。それでたくさんだまされるという現象がおきてきますね。オーム事件とかさまざまな現象をみるになんでこんなに数学的発想ができないことが多いのかとおもってしまいますね。数学も仏教も同じ論理なんですけどね。石やめざしの頭を信じる世界ではないことは確かなんですけど、それぐらいの認識力しかないんだね。<仏教にも「因果の理法」という真理があります。普通に考えれば、善因善果、悪因悪果という定理は成立しないはずです。>
前回に続き、回答ありがとうございます。
ついでに言えば
私は「善因善果の理法」が先に「すとん」と分かって、
むしろそれなのに、おっしゃるような因果の理法に反する実例があるのか
→ 輪廻あるいは業の連続性を前提にすれば、因果の理法が一貫する
→ それならば(輪廻があるのならば)前世の記憶がないのはなぜか?
→ では、その記憶とは何か? あるいは時間とは何か?
の順番で思索を重ねているものです。
No.2
- 回答日時:
たぶん、私は、あなたが言っているところの「普遍性を否定する人」です。
似たような話し合いをした頃がありました。あなたは、数学的真や論理的真があらかじめあって、そこから演繹されてさまざまな公式が生じる、と考えているのかもしれません。
私は、数学や論理も、経験のつみかさねから帰納法的に大前提が導き出されるのだと思っています。
卵とニワトリの議論のようなものかも。どっちが正しいかではなくて、どっちからでも矛盾なく説明がつくので。
「議論をかみあわせる」というより、「へー、そういう考え方もあるのか、私とは解釈、感覚が違うなあ」という感動をお互いに共有しあえたら、議論として意義があったというくらいなのでは。
<数学的真や論理的真があらかじめあって、そこから演繹されてさまざまな公式が生じる、と考えているのかもしれません。>
ええ、そのとおりです。帰納的に導かれるのではなく
演繹的に導かれるのだということを理解しています。
No.1
- 回答日時:
まず、前回のご質問で、
「>宗教などインチキだ。神などない。普遍的真理などない、と断言するのです。」
とおっしゃっています。
ですから、当初はそのような話題だったのではないでしょうか。
そこで相手が普遍性を否定したので数学にはあるではないか、ということですよね。
ところがそこでも「>むにゃむにゃと議論が錯綜」してしまう、と。
「むにゃむにゃ」の内容がわからないので推測になりますが、個人的には次のように考えられると思います。
ーーーーーーーーーー
確かに先ほどは「普遍的真理などない」と言ったが、それは君が「普遍的真理というのは神のことだ」という前提に基づいて議論を展開しようとしたからだ。
前提に含まれる「普遍的真理」とは何か、「神」とは何か、ということの考察なしに議論することはできないが、君の中での「普遍的真理」に関する定義は動かし難いもののようだ。
それゆえ、【君の信じているような】普遍的真理など存在しない、という意味で否定したわけだ。
今君が言った、数学には普遍的真理があるということを否定しているわけではない。
こちらの普遍的真理は明らかに真と言えるだろうが、その明らかな真と、先ほどの君だけの普遍的真理を(「普遍的真理」という)名称が同じだから、というだけの理由で同列に論じようとしているように思う。
それは、同一名称ではあるが概念の違う事柄を前提として議論することになってしまい、論理的な経過を辿ることはできないだろう。
だから、まず、君にとっての普遍的真理、神、についての定義を聞かせてくれないか。
ーーーーーーーーーー
と言っているのではないでしょうか。
仮に「神=普遍的真理」という命題を絶対的な真と認識しておられるとしても、哲学の基本は論議の前提となる命題自体の真偽を追求しようとする姿勢のはずですから、この点を「飛ばして」あるいは「絶対的に正しい命題として」議論を進めようとすることは、その段階までは同じように認識している人同士でない限り、単なる「押し付け」と受け止められてしまうはずです。(逆の立場を想定されるとわかりやすいかもしれません)
蛇足ですが、よく「井の中の蛙」とか「金魚鉢の中の金魚」などという比喩を出して神の存在を認めさせようとする方がいらっしゃいますが、それは我々の知らない世界を無理矢理「我々には永遠に認識不可能な世界」として一方的に定義づけているだけであって、現在認識できない世界であっても将来的には認識できるという可能性が全く無視されています。
また、確かに、普遍的真理としての永遠の不可思議は存在し続けるでしょうが、それを便宜上「神」と名付けることはできても、神自身が意志して何かを行なうなどということはあり得ない、というのが真理でしょう。
真理の追究は難しいものですが、「神の業」と称すれば何でも解決してしまうかのような安易さに逃れようとすると、様々な弊害が惹起してくることが多いのもまた真理と言えるように思います。
ご質問の趣旨とはやや外れたかもしれないことまで述べてしまったかもしれませんね。
失礼しました。
いえ、普遍的真理を否定する人は数学的真理をさえ否定します。
それが「神」や「宗教」という話題を先に出してしまったから
引っ込みがつかなくなって「数学的真理」まで
否定してるのかどうかは分からないのですが・・・。
もうひとつ、私としては「「神」や「宗教」ということばに一般にものすごいアレルギーが
あることは理解していますので、
なるべくそのことばを使わずに「普遍的理法」や「東洋(特に中国思想でいう)天道」
のような置き換えをしているのですが、それでもアレルギーは
消えないようです。
たとえばあなたは
<確かに、普遍的真理としての永遠の不可思議は存在し続けるでしょうが、それを便宜上「神」と名付けることはできても、>
とおっしゃっていますが
まさに私はそれを「神」と読んでいるわけです。
もしそれこそが(世間で言われてきた)(同時にある種の偏狭な
新興宗教によってゆがめられてきた)
「神」だよと言われれば、あなたは納得されるのでしょうか?
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