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人は、神になれるのでしょか?
もしよければ返事をください。
よろしくお願いします。

A 回答 (18件中1~10件)

 「神」という語の定義次第で、なれるともなれないとも言えます。


 言い換えると、定義が明確でなかったら、答えようがありません。

 あなたの定義は何ですか?

 ちなみにユダヤ教系の神であれば、有無を言わさない空前絶後の力を持つ造物主を指しますから、人がなれると思うことがそもそも冒涜です。
 道教の神であれば、仙人よりもランクの低い存在ですから、人が仙人になれる以上、十分可能です。まあ、妖怪よりマシというていどの存在ですから、あまり目指す人はいませんが。
 神道の神であれば、常人からかけ離れた業績や能力を示すことで生前でも認定されます。靖国神社の例を挙げている人がいますが、死後祀られれば、それもまた神です。

 なお、今の日本では、ほおって置けばたいてい「ホトケ」になります。そして、日本仏教の本地垂迹説では「神」は仏の権現(仮の姿をとって現れたもの)なので、「ホトケ」になったことを「神」と呼ぶのは構わないでしょう。ただ、そもそも本地垂迹説が仏教優位の考え方なので、ランクが低い方の名で呼ぶのはどうかと思いますが。
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この回答へのお礼

すみません。
定義はありません。ただ単純に書き込みしてただけです。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/03/25 19:27

人は神に育つために地で生活をしている。

ちゃんと育てばパラダイスに迎えられる、と聖書は教えています。聖書は神になる為にはいかに生活をしたらよいかの指導書であります。神が書かれたものであることは間違いありませんから、人は神のあたえる課題をこなせば神になれると約束をされているということになります。

イエスはゴルゴダの十字架上で「私は渇いた」と言われ、人々の差し出す酸い葡萄酒を受けた、そしてパラダイスに迎えられたとあります。自分のドライな心を反省して人生の苦労を、神の差し出す育ちのパンとして受け入れたということです。即ち、地上で生活する意味に目覚めたということです。

人は何百回も輪廻転生する、それは一人前の神になるためであるのです。神との対話で、人は神であるとあり聖書にもそう書いてありますが、親と子の違いはある、としないと私には色んなことが整理できません。

神の実在と働きを知るには聖書以外にもいっぱいあります。とくに私が紹介したいのは、縄文杉杉に表れているイエス、青森県は十和田湖を口としたイエスの顔をしている、地球の大陸は人の姿をしており、米国は腰ですから最も繁栄している、中東は善悪の選択をする首ですから、争いが絶えないなど、理に叶っていることです。

東京都はウサマ、ビン、ラディンの顔をしており、聖書の黙示録の9章11節、ヨハネ福音書の9-11、創世記の49-11が9,11に通じています。
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ちょっと違うかもしれませんが、神人合一という用語があります。



中世のキリスト教神秘主義者マイスター・エックハルトは「自らを空虚(無)にすることによってキリストのように神と一体となり神との合一に達することができる―」といったようなことを説いたと云われています。個人的見解では日本の禅も似たようなものだと考えています。

西洋神秘主義の歴史を少しでも紐解けば事実か妄想かは別にしても神を観た、神と一つになったと主張する人物は至る所にいます。もちろんこれら多くは異端とされていますが人と神とに正統派がいうような大きな断絶はありません。

意味はさだかではないですが字義通り「神になれる」という表現も見うけられますね。
しかしまた神人合一といってもここでいう神は人格神でもないでしょうし個人の霊性を高める一種の修行だと思っています。

余談ですが、友人にたまに「俺は神だ!!」と豪語する人がいます。言ってる本人はさぞかし気分よさげです^^;
でも決して傲慢ではなく明るく楽しくいいヤツです!
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人は神になる?質問者の神が天の神を指しているなら不可能です。

どんなに努力しても神様の足のつめ先にも及びません。
自分はクリスチャンですが自分の経験から言うと人は信じるものがないから神というものを作った、その神を信じる心が強いほどその人の信仰の意欲も強くなるのです。
自分は聖書を読みますがそれは真実として受け止めるのではなく物語として受け止めてます。所詮神は人の心に(親の手によって又は友達によって)植えられた気持ちがその中で知らぬ間に自分の神と言う存在になってしまっているのです。簡単に言うと神は心の中で勝手に作られた想像神です。むしろ神という文字すら要らない、宗教もいらないと思います。人の差別、戦争、これらが起こるきっかけのひとつとして宗教があります。
けど人は心の想像神なくては生きてはいけません。信じている者がなくてはいつも不安でいっぱいです。
まぁ人は神になれないというのが言いたいだけでした、、、、、^^;
長文すみません。
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この回答へのお礼

いえいえ、貴重なご意見ありがとうございます。

お礼日時:2006/03/26 19:15

もし誰もがなれるなら、世界は神でいっぱいですね。

でもみんなが神になったら、神であることに特別意味はなくなりますね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2006/03/26 19:17

神様の歩ぐらいにはなりたいな。

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この回答へのお礼

書き込みありがとうございます。

お礼日時:2006/03/26 19:18

神の定義も様々ですが、他の回答者とは違う別の定義を紹介します。



根本創造主である神は宇宙です。あなたは、その宇宙の一部です。従って、あなたは、既に、根本創造主である神の一部です。根本創造主もあなたも、物質的かつ霊的存在です。
根本創造主は、全てを内包しながら、霊的な進化を続けています。あなたも、輪廻転生しながら経験を積みながら、霊的な進化を続けています。
実は、あなたの人生は、神と同じく、あなた自身によって舵をとっています。あなたの人生は、潜在意識では意のままに、自分自身でつくりだしています。あなたの人生の全責任は、あなたにあります。

このようなことが説明されている「神との対話」という本を紹介します。

参考URL:http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/ws …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2006/03/26 19:16

なれると思いますけど、なれるのは特別な人だけだと思います。


菅原道真とか、平将門みたいに、祀られることもあるんじゃないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2006/03/25 19:25

一人ひとりは神になれませんが、


皆集まればさまざまなことができます。
それこそ戦争までね。
つまり集団としての人間とは神に匹敵するのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/03/25 19:28

自分が神になったと思うことはあると思います。



ただ他人に認めてもらわなければ神になることは難しいと思います。

ただし独我論者にとっては神になることは人間になることと同じくらい簡単だと思います。
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この回答へのお礼

書き込みありがとうございます。

お礼日時:2006/03/26 19:19

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