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文系の教授と理系の教授はどちらのほうがなりにくいものなのでしょうか。

文系のほうが博士課程まで行く人が少ない、というのは抜きにしてお願いします。

A 回答 (4件)

大学ごと、学部ごとに違うとしかいえませんが、一般には


理系の方がなりにくいと思います。

なぜなら理系は普通研究室単位で昇進が決まるので、
教授のポストが空きにくいからです。

文系の方が、順番待ちが比較的スムースです。理系のように
優秀でも運悪くポストが空かず昇進できないということは
あまりないようです。
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文系・理系それぞれ、何が専門かによっても違うのでは?


私は哲学の研究者になることが夢だったので、そのことを卒論製作期に指導教官に相談したことがあります。
そうしたら指導教官(教授)は、「お勧めできないなあ…」としみじみおっしゃいました。
新しい知識と言えるものが哲学には少なく、従って「重鎮」と呼ばれる人がいつまでも「重鎮」のまま動かず、待ち行列がすごく長くなっていること、また、学閥主義が非常に幅を利かせていて、私は勤労学生として働きながら都内の中堅私立大学を出たのですが、よほどがんばって超一流の大学院に入ってそのグループに属さない限り、学会などがあっても発言の機会なんてないこと、そして仮に超一流の大学院には入れても、その中にもうすでに「どの高校を出たか」による派閥が別れており、超一流グループに入っても無名高校出だとあまりいい思いは出来ないこと、などが裏にあるようでした。もちろん、立場上指導してくださった教授ははっきりとはおっしゃいませんでしたが。
私がそのころコンピュータ関連の仕事をしていたことは教授もご存知でしたので、「アカデミックな世界で生きたいのなら、今からがんばって理系に転向して情報工学でも専門にしてみたほうがいいんじゃないか?」とまでおっしゃいました。ご存知のとおり、理系から文系への転向は比較的簡単ですが、文系から理系への転向は非常に難しいです。にもかかわらず教授がそうおっしゃったと言うことは、ああ、哲学の世界で生きるのは相当難しいんだな、と思いました。
事実、その教授が院生のころ、都内の私立大学の院生が集まって、ギリシャ古典哲学研究の有志グループ20人くらいで勉強会をしていたそうなんですが、その中で教授になれたのはその教授ご本人も含めわずか2人だそうです。その教授の3年ほど後輩であり、私も非常にお世話になった、もう今年50歳にはなろうかという先生がおられるのですが、いまだに立場は「非常勤講師」です。
少なくとも、哲学の教授になるのは才能・努力・運・学閥がそれぞれ飛びぬけて良くないとダメなんだな、と悟りました。もちろん今はそっちで生きようとは考えていません。
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今からの大学は、学生数減少にとまない、教授のポストも減っていきます。

したがって、教授になるには難関です。しかし、学問も日進月歩です。今から20年後を、見据えて新しい学問に挑戦するなら、教授ポストも夢ではありません。そのためには、あなた自身が将来の自分の目指す学問にどれだけ真摯にとりくめるかと、それを考える雅量があるかにかかっています。ほとんどの大学の教員は公募制で採用しています。厳しい業績審査によって採用されています。もちろん、学閥等があるかもしれませんが、業績がなければ意味をなしません。どうか、修士課程、博士課程に進まれて、自分の好きな学問にがんばってください。文系、理系の教授の数のもんだいではありません。
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ポストの数の問題は理系も文系も結局は同じなので。



今からは文系でしょうね。
どうしたって文系は大きな成果というものが出にくく、順番待ちです。

それに対して理系なら、アメリカでも行ってノーベル賞でもとって凱旋帰国すれば一発ですよ(笑
まぁ冗談としても理系の公募で、教授職は今は公募が一般的ですよ。
特に地方国立はガチンコレースであることが多いですね。
まぁ、助教授・助手が事実上の公募じゃないってことは目をつぶるとしても…。

文系は実績に差が出づらいのでガチンコレースにはならんでしょう。
理系で実力があるのにポストがない…というのは、大抵はできる若い人が多いからです。教授職とは別問題かと。
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