うちのカレーにはこれが入ってる!って食材ありますか?

僕はいつも自分を他人と比べて見ています。他人の不幸を願ったり、他人の不幸を喜んだり、他人の幸せを嫌ったりしてしまいます。どうすればこの性格が治るのでしょうか。教えて下さい。

A 回答 (12件中1~10件)

他人の不幸を喜ぶのは、自分が不幸だから。

他人が不幸な目に合うと、自分はアイツよりマシだって思ってしまう。つまり、他人が不幸になることによって自分の幸福や価値が少しだけ上がったと感じる。

不幸な人間ほど人の不幸を喜ぶ。それは比例していきます。自分が情けないから、自分がダメだから、他人の失敗が蜜のように感じられます。他人が失敗すると、何もしないで自分の価値が上がったように感じるのです。

そして、そんな性格を直すには、自分が幸福になるしかないんです。自分に満足し、自分で幸せを感じる。そうすれば、他人の幸福も認められるようになります。口で言うのは簡単ですが、実践するとかなり難しいです。

とくに不幸に感じている人間ほど、直りにくいものです。

まずは自分で幸せになってみてください。ちょっとだけ周りを見る目が変わって、他人の幸せも自分の幸せと感じられるようになります。

じっくりやっていきましょう!焦らなくていいんです。
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他人の不幸を願ったり、他人の不幸を喜んだり、他人の幸せを嫌ったりしてしまうのが「悪い事」だと、だれが決めたのでしょう?


それは、世界の価値観の多数派によって決められただけのこと。
なぜなら、その方が世の中うまく行くと考えられているからです。

A 生まれや育ちで、他人の幸福に素直に喜べる人もいます。
B あなたのように、他人の不幸を喜ぶ人もいます。

どちらが良い、悪いということではない。
何故なら、そう感じてしまうことこそが、ありのままのあなたなのだから。
物事には、いいもわるいもありません。
ただ、違っているだけ。
しかし、現代では、物事には良い悪いが、多数派の思想によって
強引に決められています(これを人間が知恵とよんでいるらしいが)。

つまり、ありのままを出したところ、 A の人は周りから褒められます。
素晴らしい人だと思われます。周りに人が集まります。
だから A の素質を持って生まれたひとは “あるがまま” に生きれば、現在の価値観が示す良い方向へと進めます。
同じように、 B が “あるがまま” に生きたとして、現在の価値観が示す
良い方向へとは進めません。

つまり、幸福になるには、ロジックがあるのです。
それがいいか悪いか、ほんとうのところはどちらでもない。
この人生において、尊敬されたいなら、尊敬されるように振る舞う必要があるのです。
問題なのが、その振る舞いが、「ありのまま」なあなたから来ているのか「そういうふうに振る舞っているだけ」なのか。
現在の社会の価値観で幸福になりたいのなら、振る舞えばいい。
別にちっとも悪い事じゃない。
僕は、「偽善者」が嫌いではないですよ。実に人間らしいもの。
僕に直接被害をもたらしたら、ぶん殴りますけど。
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この回答へのお礼

皆さんありがとうございました

お礼日時:2006/09/11 15:58

 こんにちは!


 性格は、素質と姿勢に分けることができます。
 生まれながらに備わった素質というものはそう簡単には変えられません。
 ただし、物事に対しての姿勢は、自分の努力で習得することができます。これが社会に適合した姿勢であれば、人格者とよばれることになります。(人格者であっても素質は変えることが難しいということでもあります)

 自分と他人を対比することは、そこから嫉妬やねたみなどが生まれてきますが、この力を別の方向に変えるエネルギーにすることで幸せになることができます。
 
 自分が幸せになれば、また幸せを感じれば、他人の不幸を喜ぶ、本能的素質を押さえ込むことができます。
 幸せの人は、他人の幸せを素直に喜こぶことができるのです。(^^

 以上です。
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無理をして性格を直す必要はないと思います。


人間、人の不幸は蜜の味なんだと思いますよ。
あまり気にせずやっていきましょう。
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貴方はご立派な方ですね。



>いつも自分を他人と比べて見ています。他人の不幸を願ったり、他人の不幸を喜んだり、他人の幸せを嫌ったりしてしまいます。

程度の大小はあれ、すべての人間は貴方と同じです。しかし普通は自分のそのような性格は認めないものです。
でも貴方は自分の性格を認めていらっしゃる。

ご立派な方だ。

その性格は絶対に直りません。

しかし、世のため他人のために自分を犠牲にしたり、善人ぶったり仏を気取ったりすることだけは絶対にしてはなりません。もっと悪くなります(増上慢)。

その正確に向き合い、けして無視せず、常に自覚しておくことです。
そうすれば、少しずつ少しずつ程度が小さくなり、“本心で他人の喜びを共に喜び、他人の苦しみを共に苦しめる(慈悲)”ようになります。

それにしても貴方はご立派だ。
私も見習いたい・・・

合 掌
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その性格は気にしないことです。

人が喜ぶ≒人を幸せにするようなことを普段の生活で心がけたらどうですか。あなたにとっては、最初はある意味偽善であり面白くないことかもしれませんが、ずっと続けていればそれが習慣になり、知らない間に人が不幸だとほっとけなくなる・・・かもしれませんよ?!
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No.5です。



すみませーん!
コピペ失敗して二重になっちゃいました。。。。。
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あの三輪明宏も言っています。


人の不幸は蜜の味 人の幸せ癪の種って
人間なんて少なからず そんなものだと思います。
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『他人の不幸を願う』・・・私の心の中はいつもそうです。

それが嘘偽り無い私の姿なんです。
世間から見ればサイテー人間だと思います。でも、そう思っちゃうんだからしょうがないですよ(笑)


 他人の幸福も、他人の不幸も、他人の事ですから、心の中では喜んでも悲しんでもどちらでもいいんじゃないでしょうか。

 人間、考える事は人それぞれであり、他人の不幸を悲しむ時もあれば喜ぶときもある、それでいいと思います。

 他人の不幸を喜ぶのが劣等感の裏返しであることもあるでしょうし、また同様に、他人の不幸に同情する、これだって、ある意味で優越感の表れである事も少なくないと思います。

 大切なのは、『自分が他人の幸福や不幸に対してどういう感情をもつか』についてしっかり自分なりのパターンを掴み、それが衝動的な行動に出ない様にしっかりコントロールする事、すなわちしっかり自我が育っていることだと思います。

悩んだり苦しんだり後悔したり・・・『日々反省』でサイテー人間の私もここまで来ました。

『他人の不幸を願う』・・・私の心の中はいつもそうです。それが嘘偽り無い私の姿なんです。
世間から見ればサイテー人間だと思います。でも、そう思っちゃうんだからしょうがないですよ(笑)


 他人の幸福も、他人の不幸も、他人の事ですから、喜んでも悲しんでもどちらでもいいんじゃないでしょうか。

 人間、考える事は人それぞれであり、他人の不幸を悲しむ時もあれば喜ぶときもある、それでいいと思います。

 他人の不幸を喜ぶのが劣等感の裏返しであることもあるでしょうし、また同様に、他人の不幸に同情する、これだって、ある意味で優越感の表れである事も少なくないと思います。

 大切なのは、『自分が他人の幸福や不幸に対してどういう感情をもつか』についてしっかり自分なりのパターンを掴み、それが衝動的な行動に出ない様にしっかりコントロールする事、すなわちしっかり自我が育っていることだと思います。

悩んだり苦しんだり後悔したり・・・『日々反省』でサイテー人間の私もここまで来ました。

大丈夫ですよ (^^)
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多分、他人と自分を比べるということでしか、自分を確認できないからなんでしょうね。


少しきつい言葉になりますが、つまり「自分」が無いと言うことではないでしょうか。
でも安心してください、自分探しをしている人は、世の中にいっぱいいます。
自分のことなんか、そう簡単には解らないのです。(周りの人には、よく見えるらしいですが)
もしあなたが、世界中で1人しか地球上に存在しなかったとしたらどうしますか?
何を考え、どう行動するか考えてみるのも一つの手ですね。
多分それが本当のあなた自身ではないでしょうか。
気長に自分探しをしてください。
ちなみに私は、自分探しをはじめて何となく自分が解るようになるのに3年ほどかかりました。
ゆっくりでいいんじゃないでしょうか。
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