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先日、職場で「短すぎる」と書かれているチラシ等を見て、「短」の後に「か」が付くか付かないかで、議論になりました。辞書等には「みじかい」は「短い」と書かれているし、PC,携帯変換でも「短すぎる」と出てきます。ところが、40歳以上の人は「短かすぎる」だという人が多数を占めました。これは、この年代以上が、そういう教育を受けてきたのか、それとも、単なる思い込み、勘違いなんでしょうか?特に、年配の国語教師経験者のお話が聞ければ、うれしいです。(当方、もうすぐ42歳ですが、「短かすぎる」と思っておりました。しかし、この活字を見てみると、やはり思い込みだったのか?なんて感じている次第です。正直言うと。)

A 回答 (10件)

「短すぎる」が正解。



↓辞書でも、そう出てます。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%DF …

ということで「思い込み/勘違い」の類かと。

この回答への補足

では、何故40以上?の人には、そういう思い込み、勘違いが多いのでしょうか?単なる老化現象?できれば、それくらいの年代の方の意見が知りたいのですが。

補足日時:2006/09/08 19:29
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/09/08 23:33

>40歳以上の人は「短かすぎる」だという人が多数を占めました。

これは、この年代以上が、そういう教育を受けてきたのか
 そんなことはありません、たまたま年功者(影響のある)の方が言ったためにその流れになっただけだと思います。「短かすぎる」など記憶にありません、「短すぎる」が正しい送り仮名です。たまたまここにいる6人の50代に何も言わずに書いてもらったら全員「短すぎる」でした。

この回答への補足

私も質問に書いた様に、「短かすぎる」の字を実際見てみると、おかしいとわかるのです。「短すぎる」の字を見ただけで、何故多くの人が、間違いと思ってしまったかが、不思議なわけですね。若者が間違った日本語を使うのは、よくあることなのですが。

補足日時:2006/09/08 20:50
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/09/08 20:49

少なくとも現在では正しくは「短い」ですね。


私(20歳)もそうです。「短かい」には違和感があります。

送り仮名に関しては、一般的には内閣告示を基準としています。
この告示が出されたのが1973年です。(1981年にも一部改定されてます)
今の40歳というのは、告示が出されたとき7歳だった世代です。
なので、おそらくはこの告示によって学校で教える送り仮名が
変わったのではないでしょうか?

この回答への補足

そんなものがあるとは、知りませんでした。たとえば、どんな言葉が、どのように変わったかわかりませんか?

補足日時:2006/09/08 20:57
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/09/08 20:56

二十年ほど、小中学校向けの国語の教材を執筆している者です。

詳しく御説明したいのですが、ただ今パソコンが不調で、URLのコピーができません。
しばらくお待ちいただけますか。今日中(0時まで)にはきっとご報告します。

結論だけ先に述べると、現在学校(小学三年)では、「短い」と「い」だけを」送り仮名として付けるように習います。
活用語は活用する部分(形が変わる部分)から送る、という原則にのっとったものです。その詳細や、例外は、文化庁のHPに書かれているのですが、そのURLのコピーができないのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/09/09 21:21

40歳以上をバカみたいに言わないでくださいよ。



もちろん、「短い」と習いました。
ただ、確かにこの年代は国語が苦手という人が多いですから、単純に間違っているということはできます。
「輝く」を「輝やく」と間違う人も多い年代でもあります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。ばかだなんて(笑)。私も40以上なので。
私は、頭で考えるのと違い、「短かすぎる」の「か」の字を見た時、間違いだと気づきましたが、こう習ったと言い張る人もいるもので。本当か勘違いかはわかりませんが。

お礼日時:2006/09/09 21:26

53歳です。

遥か昔のことなのであまり自信がありませんが、「短かい」と習ったような記憶があります。

ただ、学生時代から塾の講師や家庭教師をしており、国語の教科書も見ましたが、その時は「短い」だったと思います。

この回答への補足

皆さんの回答を見ていると、先生が間違って教えた可能性があるのではと思うようになりました。私の場合は、英語でした。音読の時、ちゃんとした発音をしているのに、わざわざ間違った発音に直されたのです。先生の思い違いですね。あえて。逆らいはしませんでしたが。

補足日時:2006/09/09 21:37
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/09/09 21:27

#4です。


まず、下記URLですが、ここには、昭和48年に国が決めた内閣告示第二号「送り仮名の付け方」が説明されています。これは、現在の「常用漢字表」(義務教育及び高校で習う漢字)にも継承されています。

そこには、前記のように「活用語は活用部分から送る」という原則が書かれており、それにのっとって常用漢字表では「みじかい」は「短い」と送り仮名につけるようになっています。

さて、問題はそれ以前ですが、昭和34年の内閣告示「送りがなのつけかた」に基づいていたと考えられます。その内容は、今、必死になって手持ちの資料やサイトを探したのですが、残念ながら見つかりませんでした。もしかしたら、下記URL内のどこかにあるかもしれませんが、わかりません。

ここから先は推測の域を出ないのですが、告示第二号には、告示第一号の「活用部分は活用部分から送る」という原則を踏襲していることをにおわせる記述があるので、昭和34年以降には「短い」と習っていたことが考えられます。

それ以前については、基準一覧を次に示すだけで許してください(私もこれらの資料は持っていません)。

明治九年 中根淑「日本文典」送り仮名論のはじめ。
明治四十年 国語調査委員会「送仮名法」公的な送り仮名法のはじめ。
以降「送仮名法」の改訂が幾度かなされる。
昭和二十四年 「公文用語の手びき」

なお、私は昭和三十二年生まれなので、告示第一号に基づき「当用漢字」を小学校で習ったはずですが、「みじかい」の送り仮名をどう習ったかは覚えていません。

最後に余談ですが、当用漢字表には、「魚」に「さかな」、「体」に「からだ」の訓がありませんでした。私たちは、テストで「魚」の訓は「うお」と読まねばならず、「さかな」と読み仮名をつけたら×をもらったのです。
それほど今の常用漢字教育と当時の当用漢字教育とは違いがあるので、前言を覆すようですが、当時は「短かい」と習っていた可能性もあります。

以上、偉そうに言った割には、たいした成果をお伝えできませんでした。どうもすみません。

参考URL:http://www.bunka.go.jp/kokugo/frame.asp?tm=20060 …

この回答への補足

いろいろ詳しいことを調べて頂き、ありがとうございます。
やはり、No.2の人が言ってられる様に、50代でも皆「短すぎる」と書いた事実、そしてうちの職場の60代の方にも「か」がつくと思うと言ったにもかかわらず、「短かすぎる」の字を見せると違和感があると言われた事実。
これらからすると、勘違い、思い込み、若しくは、先生が間違って教えたかのどちらかという考えに落ち着いてきました。

補足日時:2006/09/09 21:40
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/09/09 21:33

#4・7です。

前稿に書いた昭和二十四年 「公文用語の手びき」が転載されたサイトを発見しました。下記URLをご覧下さい。
なお、ここにも「活用語は活用部分から送る」という原則が書かれていました。残念ながら「みじかい」については書かれていないようですが。
加えて、それ以前には「集める」ではなく「集る」と書いていたらしいことが記述から読み取れるので、やはり昭和二十四年が大きな分岐点であったということが考えられます。
なお、「当用漢字表」が公布されたのは、昭和二十一年です。

参考URL:http://www.nicer.go.jp/guideline/old/s26eja/add. …

この回答への補足

昭和21年というと、今年66歳の人が小学校に入る年ですね。(順調にいけば)しかし、それより下の人が、言っているわけですから。ただ、先生がその当時、かなりの年の人であれば、間違ったことを教えている可能性はありますね。

補足日時:2006/09/09 21:48
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/09/09 21:46

No.1、補足に応えて。



実は自分も40代(というか、質問者さんと同年齢です)でして。

で、自分自身、フツーに「短い」と書くワケですよ。

なので
>「思い込み/勘違い」の類
ではないかと思った次第です。

今回は自分自身の経験に基づくものなんで
「経験者/自信あり」で。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/09/09 21:53

活用語尾を送るという原則に則るなら「短すぎる」という表記が適切であり,


これに違和感を感じるのは間違った思い込みに基づくものとの結論に収束しつつあるようですね。
1973年の内閣告示を規準とする現代の表記ルールを前提とするなら,これは正論でしょう。

だけどやっぱり腑に落ちない。
「みじかい」は「短い」と書くけれども,
「みじかすぎる」は「短かすぎる」と書きたくなる人間のひとりとしてあえて一石を投じるべく,
「短かすぎる」や「短か過ぎる」という表記を文学作品や公的な文書の中に探してみました。

まず文学作品ですが,有名どころでは
夏目漱石の「吾輩は猫である」のなかに「短か過ぎる」という表記の例があります。
明治じゃいくらなんでも古すぎると言うなら,昭和の作家,
たとえば中島敦の1942年(昭和17年)の作品「狼疾記」にも「短か過ぎる」は登場します。
もっと最近のものとしては,
戦後の教育を受けた松任谷由実の1983年(昭和58年)のアルバム「VOYAGER」に収められた
「TROPIC OF CAPRICORN」という作品に「短かすぎる命は 短かすぎる命は」というフレーズが出てきます。

一方,誤用の宝庫といわれるWeb上の用例を検索してみると,
たしかに「短かすぎる」や「短か過ぎる」は少数派なのですが,
詳しく見ていくと公的機関のサイトでの用例が結構ヒットすることに気がつきます。
いくつか例を挙げると,
環境省HPの中央環境審議会議事録,
首相官邸HPの税制調査会報告書,
内閣府HPの大臣記者会見要旨,
公正取引委員会HPの事務総長定例会見記録,
文部科学省HPの中央教育審議会議事録,
国立公文書館HPの所蔵資料紹介,
さらには国語学会(2004年に日本語学会に改称)のサイトに学会誌から転載された記事なんてものもあります。

このような用例は単なる誤用と斬って捨てられるべきものではないように思います。
入力時にデフォルトでは変換されないはずの「短かすぎる」,「短か過ぎる」という表記が
公的機関のサイトでこれだけヒットすることの裏側には
このような表記を適切と感じる人々が比較的教育水準の高い層の中に一定数存在することを窺わせます。

私は1959年(昭和34年)の内閣告示以後に小学校に入学し,
1973年(昭和48年)の内閣告示以前に小学校を卒業していますが,
自分がどのように習ったかの記憶が定かでないため自信を持ってお答えできないのが残念です。
「暖かすぎる」や「細かすぎる」からの類推で「短かすぎる」のほうが収まりがいいと感じるのかもしれません。
ある時期まで「短い」と「短かい」という表記が併存し教育現場でも許容されていた可能性もあると思います。

実際,戦後の文部省の方針自体に揺れがあり,
1946年(昭和21年)に文部省国語調査室から出された「送りがなのつけ方(案)」では
なるべく読みやすいように送りがなを多くする方針で
「暮らし」,「合わす」,「生まれる」といった表記が採用されたのに対して,
1950年(昭和25年)の「文部省刊行物表記の基準」では語幹の次から送るという原則に立ち,
「暮し」,「合す」,「生れる」といった表記が採用されているといった事実もあります。
どなたかが根拠となるような資料を見つけてくださることを祈ります。

最後に。
Web上では「あたたかすぎる」を「暖すぎる」もしくは「暖過ぎる」と表記する例が増えており,
「暖かすぎる」や「暖か過ぎる」という表記を凌駕しつつあります。
内閣告示では「暖かい」というように「か」から送る表記が採用されているにもかかわらずです。
ひょっとすると日本語の送り仮名は淘汰圧を受けて文字数を減らす方向へ進化(退化?)しつつあるのかもしれません。
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