人に聞けない痔の悩み、これでスッキリ >>

こんばんわ 先日の国語の授業で永訣の朝をやったんですが少し読み取れない部分が2点ほどあったんです。
1つ目は 「びちょびちょふってくる」を「みぞれはびちょびちょ沈んでくる」という表現に変えた理由
2つ目は 「おまへとみんなと」と最後から3行目に書かれているんですが、「おまへ」は「とし子」をさしているとして、「みんな」とは誰を指しているんでしょうか?
お分かりになる方 気軽に教えてください。回答よろしくお願いします。
                 

A 回答 (1件)

> 1つ目は 「びちょびちょふってくる」を「みぞれはびちょびちょ沈んでくる」という表現に変えた理由



6行目では
みぞれはびちよびちよふつてくる
と言っていますね。目線は水平か上にありますが
"わたし"が実際、外に出てみると
みぞれが足元で沈むように降っていて
今度は目線は下になっています。
おそらくそこには、"わたし"の悲しみの深さや、
若くして逝ってしまう運命となった妹への無念の気持ちが、「沈んでくる」という表現になって
投影されているのではないでしょうか。

> 2つ目は 「おまへとみんなと」と最後から3行目に書かれているんですが、「おまへ」は「とし子」をさしているとして、「みんな」とは誰を指しているんでしょうか?

(生まれ変わったら、今度は自分のことで苦しまないように生まれてくる)と言っていますよね?
兄も妹も深い信仰心を持っていたと思われますので、
これは、生まれ変わったら、自分ではなく人のために身を呈したい、と思っていることの
表れだと思います。
取ってきたみぞれが、天上のアイスクリームのようになって、
妹だけではなく、他の、同じような状況で天上の人となったみんなにも
聖い潤いをもたらすごちそうになって、
苦しまず安らかに永眠して欲しい、と思ったのではないでしょうか。


全くの私見ですが、気軽に書いてみました。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

いえいえ 本当に参考になりました。
詳しく回答していただき本当にありがとうございます。

お礼日時:2006/09/24 08:35

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q宮澤賢治「永訣の朝」の解釈

宮澤賢治「永訣の朝」の下記部分の解釈を教えてください。

1.「あめゆじゅとてちてけんじゃ」
 あめゆじゅとは霙(みぞれ)のことですか?本当にそんな方言があるのでしょうか。
2.「これらふたつのかけた陶椀に」
 なぜふたつなのか?一つは賢治のぶんでしょうか。とし子が2椀欲しがったのか。
 お金持ちなのに、欠けた陶椀を使い続けてきたのはなぜか。
3.「ふたきれのみかげせきざいに」
 御影石材でしょうか?どうして「ふたきれ」なのか?
 ふたつの陶椀、雪と水とのまっしろな二相系など、意図的に「二」を使っているのか?
4.「わたくしはそのうへにあぶなくたち」
 御影石材が踏み石や飛び石のことならば、あぶなくはないので、これは別のものと考えるべきなのか。
 水のたまるような形状をした庭石のことでしょうか?
4.「松のえだから/わたくしのやさしいいもうとの/さいごのたべものをもらっていかう」
 これは霙じゃなく雪ですよね。松の枝に霙はたまりませんから。
 みぞれがたまっているのは「みかげせきざい」の上。
 みぞれは、「雪がとけかけて雨まじりに降るもの。」広辞苑
 半分溶けた雪のことを「あめゆじゅ」というのか?
 それとも、とし子はみぞれを所望したが、賢治は気を利かせて雪をとってきたのか。
 あるいは、雪ではなく、松の枝から滴り落ちる水を陶椀で受けたのか?
 「たべもの」「アイスクリーム」という表現があるので雪と思いますが。
5.「(Ora Orade Shitori egumo)」
 「おら、おらで、一人、逝くも」と解釈しますが、どうしてローマ字表記なのか?
 「おらおらでしとりえぐも」では通じないと考えたのか、現代的感覚を読者に訴えたかったのか。


けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
うすあかくいっさう陰惨な雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
青い蓴菜のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになって
わたくしをいっしゃうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
 銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
…ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまってゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまっしろな二相系をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていかう
わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ
みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびゃうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
   (うまれでくるたて
    こんどはこたにわりやのごとばかりで
    くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになって
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

宮澤賢治「永訣の朝」の下記部分の解釈を教えてください。

1.「あめゆじゅとてちてけんじゃ」
 あめゆじゅとは霙(みぞれ)のことですか?本当にそんな方言があるのでしょうか。
2.「これらふたつのかけた陶椀に」
 なぜふたつなのか?一つは賢治のぶんでしょうか。とし子が2椀欲しがったのか。
 お金持ちなのに、欠けた陶椀を使い続けてきたのはなぜか。
3.「ふたきれのみかげせきざいに」
 御影石材でしょうか?どうして「ふたきれ」なのか?
 ふたつの陶椀、雪と水とのまっしろな二相系など、意図的に「二...続きを読む

Aベストアンサー

1.「あめゆじゅとてちてけんじゃ」
 私はネイティブではないですが、岩手県花巻の方言で、「雨雪取ってきて欲しいな」、といった
 ちょっと甘えた言い方らしいですね。
 
2.「これらふたつのかけた陶椀に」
 死去のとき、「妹」は24歳。 病床で彼女と賢治は昔の思い出話などしていたのでしょう。
 「欠けた陶椀」は二人が子どもの頃、あるいはママゴト遊びの中で使用したものと推測。
 1のセリフも、もしかしたらその思い出話の中に出た言葉だったのかもしれないですね。
 その昔の事を再現してくれという願いにも読み取れます。

3.「ふたきれのみかげせきざいに」
 「2」が繰り返されるのは私と妹の「二人」を暗喩する数字でしょう。
 「2」から「1」になるという事を際立たせています。

4.「わたくしはそのうへにあぶなくたち」
 濡れた御影石の表面は滑りやすいので、アブナク、です。

4.「松のえだから/わたくしのやさしいいもうとの/さいごのたべものをもらっていかう」
 「あめゆじゅ」は雨と雪。賢治が採ったのは松の枝に積もったみぞれ交じりの雪。

5.「(Ora Orade Shitori egumo)」
 草稿では平仮名だったそうですね。
 妹の今際の言葉として、文字の意味ではなく「音として記録」した、という解釈ができるでしょう。


~~~
言葉の美しさを愛した詩人で、「永久の未完成これ完成である」なんて言葉が残されてますが、完成した作品に何度も手を入れていたような方です。改稿も本人にとっては「そうしたほうが好ましい文章になった」というだけのことで、作品は彼のフィーリングがその一時結晶化した結果に過ぎない。作品を売って金にしたわけでもなし、彼の念を文書に表せればそれで十分、「解釈」なぞは後の人が勝手にすればいいというのが彼のスタンスではなかったでしょうか。

彼の作品は各人が思い思いに韻を楽しみ、言葉に酔えばいいのでしょう。

参考URL:http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/13616/1/16_p175-191.pdf

1.「あめゆじゅとてちてけんじゃ」
 私はネイティブではないですが、岩手県花巻の方言で、「雨雪取ってきて欲しいな」、といった
 ちょっと甘えた言い方らしいですね。
 
2.「これらふたつのかけた陶椀に」
 死去のとき、「妹」は24歳。 病床で彼女と賢治は昔の思い出話などしていたのでしょう。
 「欠けた陶椀」は二人が子どもの頃、あるいはママゴト遊びの中で使用したものと推測。
 1のセリフも、もしかしたらその思い出話の中に出た言葉だったのかもしれないですね。
 その昔の事を再現してくれという...続きを読む

Q中島敦さんの「山月記」についての質問です。

山月記の中の月の役割を教えて下さい!
主題にもかかわっているらしいのですが、全く解らなくて。
ところどころにでてきて微妙に変化している月の意味?を教えて下さい。
6月15、6日ごろまでにお願いします。

Aベストアンサー

旧友との再会の場面は、「残月」つまり明け方近く、月が日の光に見えなくなってしまうまでの、ほんのわずかな間の物語です。
出立時にはまだ暗く残月とはいえはっきりと見える。これは意識の大部分を占めつつある虎の野生を日の光とするなら、それがない間だけ人の心がわずかな光を放てるということを表現していると思います。それも現れるのが暗い闇の中でだけというのが、人の心のある時間彼をとりまいている絶望と対応しています。
最後の「白く光を失った月」が何を表しているかは説明はいりませんよね?
さらには、旧友と話している間、主人公は決して姿を見せようとしません。これも、太陽の前に姿を表せない月にかけての表現だと思います。旧友との立場の違いを主人公がどう感じているかがわかりますね。

Q★「封建制度」を簡単に説明してください!

★「封建制度」を簡単に説明してください!

世界史の時間によく「封建制度」なる言葉が出てきます。

いろいろと調べてみたのですが、いまいちよくわかりません。

理解力を深めたいので、封建制度を簡単に説明できる方よろしくお願いします!

Aベストアンサー

封建制度とは「封」(封土=土地)を与えて家来を「建てる」と言って、つまりは
「土地をなかだちとしてむすばれた主従関係(しゅじゅうかんけい)にもとづく社会のしくみ。」
のことを言います。
御恩と奉公ですね。
もちろん日本・中国(周)・中世欧で指す封建制度とはそれぞれ少し意味が異なったりしますが、基本的には上記の意味です。

ちなみに対義する言葉は絶対王政や絶対君主制です。

Q永訣の朝の訳

宮沢賢治の永訣の朝について質問させてください。

その一文に、「あめじゆとてちてけんじや」というものがあったと思います。
※記憶があいまいなので、多少違うかもしれません。

当時、高校で習った時、先生が意訳を「雨露を取ってきてください」だと言っていました。
しかし、それは「あめじゆとてちて」までではないですか?
最後の「けんじや」とは、作者の賢治に対する呼びかけで、僕なりの解釈では、「雨露を取ってきてください、賢治さん」みたいな意味になると思うのです。

この場合、「けんじや」とは、どういう意味になるのか、教えてください。

Aベストアンサー

http://adat.blog3.fc2.com/blog-entry-686.html

で紹介されている、山本太郎氏の「賢治兄さん」説は、私も、とても魅力のある説だと思います。

 「あめゆきを取ってきて、賢治兄さん」と、名前で呼びかけられることは、「永訣の朝」と同じ時に作られた「松の針」という詩に、

   ああけふのうちにとほくへさらうとするいもうとよ
   ほんたうにおまへはひとりでいかうとするか
   わたくしにいつしよに行けとたのんでくれ
   泣いてわたくしにさう言つてくれ

と書いた賢治にとって、どうしても妹のために、何をおいても、他ならぬ自分がせねばならないことになるからです。
 「あめゆきを取ってきてください」と一般的な言い方で頼まれるより、どんなにか痛切な響きをもつはずです。

〈参考〉
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1058_15403.html
http://blog.hix05.com/blog/2010/02/post-1304.html



 しかし、他の方の回答にもあったように、(残念ながら)「けんじゃ」は岩手県花巻地方で一般的に使われる言い方のようです。


「あめゆじゅとてちてけんじゃ」って、言葉として今でも通用しますか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q108166145


という質問に対する「ベストアンサー」をご覧になってみてください。


 私はネットでこの回答を見ただけで、きちんと裏付けになるような調査をしたわけではありませんが、

> 花巻出身の人(50代:かなりなまってます)に聞いたら
> 「花巻弁だども、いまどぎ、そんなこどばは、ずさまどが、ばさますか、つかわねでば」

と、知り合いの方の発言を引用するベストアンサーの回答は、信頼してよいだろうと判断しています。

http://adat.blog3.fc2.com/blog-entry-686.html

で紹介されている、山本太郎氏の「賢治兄さん」説は、私も、とても魅力のある説だと思います。

 「あめゆきを取ってきて、賢治兄さん」と、名前で呼びかけられることは、「永訣の朝」と同じ時に作られた「松の針」という詩に、

   ああけふのうちにとほくへさらうとするいもうとよ
   ほんたうにおまへはひとりでいかうとするか
   わたくしにいつしよに行けとたのんでくれ
   泣いてわたくしにさう言つてくれ

と書いた賢治にとって、どうしても...続きを読む

Q「世界史A」と「世界史B」の違い

最近ニュースで騒がれていますがこの「世界史A」と「世界史B」
の違いが解りません。何が違うのですか??
宜しくお願いします。

Aベストアンサー

A・Bの違いで よく言われるのは
Aは 近代が詳しく、Bは 古代から詳しく記載されている
つまり、Bのほうが細やかな歴史までが取り上げられているということです

単に扱っている歴史事項の数が違うだけでなく、教育の目的などにもずれがあります。前近代ではBは各地域のタテの歴史を古代・中世と見ていくのに対して、Aは世界全体として、各地域が他の地域に及ぼした影響、交流の歴史などヨコの歴史に重点が置かれていて、近現代でもBにくらべてAは政治史がやや浅い分、社会・経済や後の時代にどのような影響があったかなどが詳しく書かれています。

Q山月記の中の「補せられる」の読み方 を教えてください。

山月記の中の「補せられる」の読み方 を教えてください。
子どもから質問受けましたが読めません。
そのまま「ほせられる」ではダメなのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

辞書によれば、

ほ・する【補する】
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E8%A3%9C%E3%81%99%E3%82%8B&stype=0&dtype=0

ふ・す【▽補す】
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E8%A3%9C%E3%81%99&stype=0&dtype=0
(なお、手元の漢和辞典によれば、「輔す(ふす)」の書き換え字とのこと。「補」に「フ」の読みはないようです)

ということで、一応、どちらの読みも可能だと思います。

ちなみに、こちらで聴ける朗読の読みはどちらも「ほせられる」となっています。

http://www.voiceblog.jp/kotoba/3120.html
http://www.papy.co.jp/act/books/1-118779/
(こちらは冒頭のみのサンプル。なおメールアドレス欄は空欄でも可です)


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A

人気Q&Aランキング