プロが教えるわが家の防犯対策術!

昔からいろいろあり、過去を振り返っても自分を好きになったことがほとんどありません。

最近アダルトチルドレンというのがあるのを知り、本を読むとアダルトチャイルドに該当するかをチェックするリストがあったので試してみたのですが、10個以上あればアダルトチャイルドの可能性が強い。というところ、自分の場合は30個以上ありました。
特に自分の性格で特徴的だと思うのは、何事も完璧でないと気がすまない・自分に批判的・自分を誉めることをしない・コミュニケーション能力に乏しい・自信がないことです。

ただ引っかかるのが、アダルトチャイルドというのは幼少期に受けた家庭内問題(父親からの暴力・酒ぐせが悪い・etc)が原因ということが本には書いてあったのですが、私の家はそういう暴力とかは一切ありませんでした。
ただ、私が中学に上がった頃から22歳ぐらいまで、父親が単身赴任で地方に行っており、その間は月に2回~4回週末に帰ってくるという生活でした。
その時、私は普段の私ではない私を「演じて」いました。要するに良い子のふりをしていました。父親が帰っていた間だけ・・・特に父親が恐いとかそういうわけではなかったのですが、今、何故演じていたのかと思うと良い子であると思われたい、見られたい、父親を喜ばせたいという気持ちがあったように思います。
仕事に関しても、父親が喜ぶかを判断の基準にしていたように思います。

このアダルトチルドレンという性格は、社会で働いて生活していくうちに治るものなのでしょうか?
それ以前に自分が何をしたいのか、何が向いているのかもわからなくなっています。
文章が稚拙で御免なさい。
毎日が憂鬱で、正直疲れました

A 回答 (9件)

アダルトチルドレンは一生アダルトチルドレンです。

それは性格とかそういう問題ではなくて、『そういう家の子であった』という事だからです。いきなり貴方が『実は違う家で育ってきたのよ』なんて事はありえないでしょう?じゃあ、貴方の過去はなんだったんだ?って話になります。つまりはそういう事です。

とまあ、アダルトチルドレンについてはその通りなんですが、性格と言うか生き方が改善されるのはあり得る事です。
貴方の場合は、『お父さんに認めて欲しい』って生き方であるようですね。で、なんていうかそれ自体は改善されていないという印象を受けました。
いや・・・?何をもって改善とするかどうかなんですけど。お父さんに認めて欲しいという生き方だって悪いとは言えないですし。とりあえずはそれによって良い成績を取ったりしている。社会的に歓迎される生き方なのかもしれません。ですが、貴方自体は生き辛さを感じているわけですよね?貴方の意に沿わない事を”貴方自身で”やってしまうというのがその生き辛さを生み出しているんだと思います。

で、それを改善するためには何か新しい解釈を与えなければいけないのですけど、失礼ながら質問文だけでは、何故貴方が父親に認めてもらおうと自分を演じるのかが繋がらないんですよね。あるいはそこが問題なのかも知れないのですけど。
至極合理的に考えて頂きたいのですが、親が子を愛するのに子の方で何かお供え物(貴方で言うと良い子でいるとかそういう事です)をしなければいけないのでしょうか?でも、そんな事言ってたら赤ん坊なんて絶対に親に愛される事なんてないって事になりませんか?
貴方が”演じていた”という事は普通に親子関係を考えれば『必要のなかった事』になります。でも、貴方は愛されるために良い子を”演じた”。それは何故ですか?演じていなかった時は愛されてはいないと感じていたのではないですか?それを示唆するような事はなかったのですか?

それかもう一つの可能性があります。演じなければ生きてはこれなかったという事です。
貴方は虐待などそういう問題はなかったと言いました。それは真実そうなのでしょう。ただ、虐待というのは結果であって、それがあったかどうかという事はさして貴方が体験してきた感情体験には関係のない事なんです。
失礼な事を言いますが、貴方がもし良い子を演じきれてなかったら・・・。もしかして演じきれなかったら、貴方は虐待を受けていたのかもしれない。だからこそ貴方は良い子を演じきるように頑張った、という推測も可能なんです。
これは虐待に関しての考察です。もっと家族問題には色々なものがあります。例えば『家族の不仲』なんてのもそうです。これは僕が貴方はそうなのでは?と疑っている事でもあります。

何故、貴方は良い子を演じたのか?何故、その必然性はどこからきたものなのか?何もしなくても愛されるという事は本当になかったのか?その辺をもう一度よ~く考えてみては如何でしょうか?
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この回答へのお礼

父親が居なかった時期、特に中学から高校にかけて、いじめがあったのも原因の一つなのかなとも思います。当時はいじめられたりしたことは親には言わず生活していましたが。他にも大学入学当初には先にも書いた通り汗が出たり人の視線が恐かったりもういろいろありました。対人恐怖かわかりませんが、大学時代はそれがどうしても気になって、出来るだけ人を避けて生活していました。
アダルトチルドレンの原因にはいじめ等も関係あったりするのでしょうか?

子供時代、私がもし良い子を演じていなかったとしても、虐待は恐らくなかったとは思います。。。と言っても確信がないのであくまで推測なのですが、暴力をふるうとかそういうことはないように思います。
では何故自分は演じていたのか・・・?
・・・今、もしかして、と思ったことは、父親が月に数回帰ってきた時には必要以上に歓迎ムードを出していたような気がします。つまり、せっかく帰ってきてくれているのに子供が何も反応しないと悪いみたいな・・・
本心ではどうでもいいと思っていながらも、表面上は「帰ってきてくれて有難う」みたいな・・・いやな子供ですが、こういう気持ちはあったと思います。

※家族の不仲はあまりなかったように思います。


性格は変えることは出来るのでしょうか?
自分ではいろいろやってきたつもりですが、根本にある性格はどうやったって直らないんじゃないかと思っています。

気持ちの根底では、「もっと人と上手く接することが出来るようになりたい」「コミュニケーション能力を高めたい」「親友が欲しい」という思いがあります。
自分のこれからの職業を考えた上で「営業」という選択があります。おそらく自分が最も苦手なもの(=コミュニケーション)ですが、それが上手くなりたいという思いがあるので、それならその苦手なものに飛び込むしかないという考えです。
しかし歳も歳なので、特に就職面ではこれ以上失敗は出来ないという思いが強く、それが逆に行動を狭めて何も出来なくなっているようにも思います。これは甘えた言い訳ですが・・

お礼日時:2006/10/14 21:09

自分というものをいろいろな分類に当てようと思えばどのようにも当てはまってしまいます。


そして分類したところで何かの役に立つわけでなく、ただ不安の材料を増やすことになりかねません。
今現在の問題が確かに過去の出来事から派生していたとしても、過去にさかのぼって解決する必要はありません。
今どうするが問題なのです。

自分を好きになるために必要なものはたぶん自分自身だけです。

思うように生きられない自分を好きになりませんか。
特別な何かがなくても問題なしに好きになれるはずです。
自分で好きになるための条件をいろいろと作ってしまうから好きになれないのだと思ってしまうのです。

自分を好きになるのは無条件です。
今ここにいる自分を好きになろうと思わないから、好きになる時を失ってしまう。
さあ、今すぐに自分を好きになってしまいましょう。

性格は自分自身がそれを必要と感じなくなり使わなければ自然となくなっていきます。
性格は習慣と言い換えられると思います。
だから、自分が必要と思う性格を意識して使いつづければ性格として定着するはずです。
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この回答へのお礼

お返事遅くなり申し訳ありません。

> 自分が必要と思う性格を意識して使いつづければ性格として定着するはずです。

そうですね。
自分に必要なものを考えて、毎日の習慣・環境をそれに囲まれるような生活にしていきたいと思います。

また、過去から教訓を得ながら、でも過去の事は振り返らないようにしていきたいと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2006/11/26 07:21

他人の機嫌やニーズを捉えるのが得意で人を喜ばせるのが得意でしょうから、


接客業や企画など向いている職業は結構あると思います。
その辺は前向きに捉えていいと思いますよ。
只、自分の事が好きじゃなかったら、どんな職を得てもかなり疲れますよね。
他人ばかり喜ばせて自分は喜んでない・・・みたいな。
でも質問者様は自分の事が好きじゃ無い事に気づいているだけいいと思います。改善しようと前向きに考えている訳ですから。
「自分ってそんなに悪くないじゃん。」とか
「自分って結構いいじゃん」とか思ってみるのはどうでしょうか?
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この回答へのお礼

お返事遅くなり申し訳ありません。

接客業などは正直怖いのですが、反面やってみたいと思う気持ちもあります。
前向きに考えてみます。

お礼日時:2006/11/26 07:16

はい、仰るとおりです!


人間は誰でも、弱いものです。
でも、苦しめば苦しむほど、苦しみが終わった時の感動が大きくなります。そして、もっと大切なことは、苦しんでおられる他の方に対して、真の意味で思いやりをもって接してあげることができるようになる、ということです。質問者さまのように、若い頃に苦労されていない方は、親(となる世代)になったとき、大きなショックに打ちのめされるかも知れません。御自分が、時間をかけて乗り越えられてきた道は、決して無駄足ではないのです。決して、遠回りではないのです。他人を大目に見てやってください。他人も質問者さまのことを、毎秒毎分、批判しながら生きている訳ではありません。他人も皆、自分が今抱えている問題で精一杯で、他の人の批判なんかしている余裕はない、というのが本当のところではないでしょうか。

さて、具体的なストレス対策ですが、帯津三敬病院の先生方は、呼吸法をともなう太極拳などを勧められています(URLを以下に添付致しますので
、ご覧下さいね)。ゆっくりした動きと呼吸法を組み合わせたヨーガや、太極拳を(最初は本やメルマガなどを参考にされて自己流で)始められると良いのではないかと思いました。そして、お好きな音楽を聞いてリラックス、ゆっくりとお風呂につかってのリラックス、好きな著書の作品を読んでリラックス、など、御自分に最適のリラックス法を開発して頂きたいと願っております。

参考URL:http://www.obitsusankei.or.jp/
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この回答へのお礼

お返事遅くなり申し訳ありません。

太極拳、考えてみます。
ヨガにも興味があるので、自分に合うリラックス法を探してやっていきたいと思います。

お礼日時:2006/11/26 07:10

現在アダルトチルドレンの大盛況ですが、あなたはアダルトチルドレンではなく「軽うつ予備軍」だと思います。


あなたが示されたような性格は私にもありますがそれはうつの人によくあるものと同じで、家内暴力などがない場合「潔癖性」が度を超しているだけです。
働く意欲があればあなたの場合仕事に没入して直ぐ良い社会人になれると思います。でも完璧性は程々に。失敗したときはやけ酒ぐらいで直ぐ忘れるのが良いと思います。^o^
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この回答へのお礼

性格にしてもどんなことに対しても、丁度良いところでバランス取るのが下手なんだと思います。

アダルトチルドレンの本のチェックリストで当てはまった項目を一部上げると、
・自分に自信がない。自分はダメだと思う
・自分に対して過酷な批判をする
・人生を楽しむことが下手である
・他人と親密な人間関係を持てない
・白黒をはっきりさせすぎ、ほどほどにバランスを取ることができない
・必要のないときにもつい嘘をついたり、ごまかしたりする
・必要以上に相手に忠実である
・何が正常で何が異常かわからない
・他人からのほめ言葉を受け入れにくい
・他人から助けを得るのが下手である
・自分は他人と違っていて居場所がなく、孤独に感じる
・自分でコントロールできない状態が起きるとパニックを起こす
・他人から認められたいという気持ちが強い
・目立たないようにスーッと消える
・きまじめで他人の言う通りにする
・いつもせかせかと衝動的に行動する
・他人の目が気になる。被害妄想に陥りやすい
・何事も完璧でないと気がすまない
・顔やからだに表情がない
・抑うつ状態に陥る
・権威のある人の前に出ると過剰に萎縮する
・記憶力が鈍ったり、または反対にイヤな記憶に悩まされて胸がドキドキしたり、悪夢を見たりする
・コミュニケーションの技術に乏しい
・自分はいったい誰で、どんな人生の目的を持っているかなどわからず、自己が確立していない
・対人恐怖があったり、ひきこもりをしている等


>でも完璧性は程々に。失敗したときはやけ酒ぐらいで直ぐ忘れるのが良いと思います。

有難うございます。それを目標にします。

お礼日時:2006/10/14 21:50

人は皆、生まれてから長年にわたり、親の性格や生き方を見ながら生きているのですから、


深い部分で影響を強く受けてしまうことは当然であり、完璧な人間(親)はいないという観点に立てば、
暴力や酒乱などという要因がなくとも、どんな人間も限りなくACっぽい部分はあるのだと思います。

全ての子供は、親に愛されるために、親の期待に添うようにそれはもう必死で健気に頑張るのです。
例えば、父親が完璧主義者であったなら、父親に好かれようと何でも完璧にできる人間にならなきゃ!と、純粋な幼心は思ってしまうのです。

大人の目で客観的に親を見た時に、子供の頃の自分はどのように感じていたのか、親との関係でどんな事が悲しかったのか、
どんな時に嬉しかったのか…ということを静かに深く内観してみると、ご自分の「考え方の傾向」や「思いグセ」をあらためて把握&納得できるかもしれません。


ただ、親から与えられた「影響」を深刻に受け止め過ぎて、「自分はACだから~なんだ。」と、自分自身を枠に閉じ込めることは私は危険だと思います。

質問者様だけじゃなく、全ての人間は、完璧じゃない親に育てられた完璧じゃない人間なんです。

だから、自分が大好きで、自信満々で、何事にも意欲的で、悩みがなくて、社交的で…なんて、実際にはそんな人はいません。

質問者様は、真面目で頑張り屋さんで自分に厳し過ぎるあまり自分を許せない傾向が強いだけです。


自分は何がしたいのか、何が向いているのか、わからないのであれば今は考えずに放っておきましょう。

自分を好きになれない自分をまるごと許してあげられた時、答えは、自ずと出て来ると思います。
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この回答へのお礼

そうだと思います。
確か日本人の約6割はアダルトチルドレンに分類されるという記事も見ました。
ただその程度が軽いか重いかだけの話だと思うのですが、自分の場合は性格的にちょっと強いんだと思います。

以前は、自分の中で「対人恐怖とかアダルトチルドレンなんて精神が弱い人間がなるものだ」と考えていました。
この考えは今でもあります。
理由はおそらく、「自分は鬱だから~」「自分はアダルトチルドレンだから~」というのを理由に何もできなく(やらなく)なってしまい、社会不適合者になるのが恐いからです。
特にこういう神経的な問題は他人からはあまり理解されにくいと思うので余計にそう思うんだと思います。

以前道を歩いていた時、(道の端を歩いていたにも関わらず)後ろから走ってきた車にクラクションを鳴らされ、突発的にカッとなって車に向かって怒鳴ったことがあります。後にも先にもこんなことをしたのは初めてで、自分でもコントロールが効かなく、相当ストレスが溜まってたんだと思います。
他にも誰も居ないところで叫んだり、、、

こういうことを経験し、思いつめて頑張りすぎると逆に危険だということを感じたので、ちょっとでも治る方向に行くなら。と、癒しのワークブックとか(以前なら抵抗があったと思いますが)今はいろいろ試すようにしています。

お礼日時:2006/10/14 21:41

 憂鬱の原因を探しておられるようですが、原因を解明したところで解決の保証はありません。

かえってそれが憂鬱度を深くされているようにお見受けします。
 ご自分の好きな事でアクティブに気分転換されたらいかがでしょうか。これを誤魔化しと考えず、生活の質を高める手段と考える事がポイントです。
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この回答へのお礼

私が見た本はアダルト・チルドレン癒しのワークブックという本ですが、その中で目をつむって過去の嫌な出来事を思い出し、それを全て許してあげることで浄化される・・・云々のことが書かれてあったので実行してみました。
嫌なことを思い出すにつれ涙が出てきました。一通り思い出せるだけ思い出してその分涙は自然に出てきましたが、ただそれでどうということはあまりなく、効果があったのかは正直疑問です。

気分転換は確かにするべきかもしれません。

お礼日時:2006/10/14 21:16

アダルトチルドレンという概念は、あまり気にされないほうがよろしいかと思います。



世の中には、問題だらけの人が、平気で生きていますので。
また、そういう人の存在も、批判できるほどの人間もあまりいないと思います。
自信を持って、他人を否定できる人ほど、うさんくさいと思います。

という意見を述べる自分も、相当うさんくさい。
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この回答へのお礼

そうですね。
本にも「アダルトチルドレンは病気ではない」と書いてあったので
こういう性格の人の総称と考えています。

お礼日時:2006/10/14 10:20

質問者さまは、既に、アダルトチルドレンを卒業され始めておられると思います。

自分の子供っぽさ、完璧主義に気づかれた時が始まりです。冷静に、「ばかだなあ」と御自分を批判することが出来ておられるので、あとは、具体的に毎日、どう自分の感情を処理するか、少しずつ改善されてゆくはずです。

自分を許せない方は、他人も許せないでいます。人間、完全な人は一人も存在しませんので、完璧主義の呪縛から解放されていない方は、毎日がフラストレーションの連続となります。この問題点に気づきさえすれば、解決はおのずから見えてくるはずです。「しゃーないなー」「許したげるしかないなー」と、いきなり関西弁になって、深呼吸をして、「自分が完璧ではないのだから、人に完璧を求めてはならない」と唱え、「人も完璧ではないのだから、自分のこともある程度許してくれなければならない」という人生の大前提を繰り返し、自分に言い聞かせましょう。御参考までに、五木寛之さんとの対談本がベストセラーとなった望月勇先生の著書「いのちの力」などをお読みになると良いのではないかと思いました。アマゾンで検索してみてくださいね。御不明な点は、御面倒ですが、補足質問をお願い致します。
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この回答へのお礼

有難うございます。
私は20代後半ですが、「完璧主義」・・等の自分についてよく考えるのが今ということは、逆に考えると良かったかもしれないと思い始めています。50,60になってこうなるよりも、今が良いきっかけと考えるようにします。

最初の投稿では文字制限があり、かなり他の部分も削ったのでこちらに補足させていただきます。

大学生の頃、人が居る、特に密閉されているようなところ(例えば電車内)では緊張(視線恐怖)して汗が異常に出てきたりしたことでも相当悩んだりしました。一生このような状態で生きていくのか・・と思っていた時に、森田療法の本を読み、辛いながらも日常の生活を送っていました。そのうちに症状は軽くなり、今は少なくとも汗が異常に出ることはなくなりました。
それでも、今でも電車は嫌い(席が空いていても対面に人が居ると座りたくない・座れても寝たふりをする・・)ですが、それでも当初に比べれば格段の進歩です。やはり辛くても、症状と同居しながら生活していたことが正解だった。と今は思えます。

五木寛之さんの本、買ってみます。「大河の一適」は持っており読みましたが、全ての赤ん坊が泣きながら生まれてくることを考えれば、「人は苦しむために生まれてきた」という彼の理論も的を得ているような気がします。
そう思えれば、その中で与えられた小さな幸せにも大きな喜びを感じる事が出来る。
というのは理論的にはわかるのですが、実際は(特にここ数年は、、)苦の連続で疲れた。。というのが正直なところです。
こんな事を言ってしまう自分は弱いのか、、、と考えたりもします。

お礼日時:2006/10/14 10:15

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