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 私は高校生男子で、1ヶ月ほど前に読売新聞の1面で、「向井さん夫妻の双子代理出産、出生届認める…東京高裁」という記事を見ました。私はそのとき初めて代理出産を知り、同時に極悪非道な行為だと感じました。
 その後、代理出産について調べた上て、自分でこの問題を追及して言った結果、以下のような疑問を持ったので、答えてくださる方がいれば、嬉しいです。

 私は代理出産に反対です。理由は、厚生労働省のまとめた代理出産を禁止する原則(子の福祉の優先、人を専ら生殖の手段として扱うことの禁止、安全性、優生思想の排除、商業主義の排除、人間の尊厳)に大いに賛成します。
 加えて私の意見は、人間の社会的動物なので、子供を産めなくても自分の生きがいを発見し、自分に可能なことで社会に貢献すれば充実した人生を送れると思うからです。
 国も学会も禁止の方向にある中、なぜ向井夫婦が代理出産を選んだのかわかりません。

 なぜ「自分の遺伝子を持つ子供」がほしいのでしょうか?子供が欲しいなら、里親として子供を育てるという方法もあるのに、なぜ代理出産までしても、自分の遺伝子を持つことにこだわるのかがわかりません。
 子供がそのような基準を持たなければ愛せないというのは真の愛情でなく、親の支配的なわがままとしか感じられません。もし自分の遺伝子にこだわる理由を説明できる方がいましたら、是非教えてください。

A 回答 (7件)

No.2について、生物は、遺伝子を残すように、本能が働いているという意見ですが、


人間の場合は、風俗に通ったり、ホストクラブに通ったりと、
生物の本能では、理解できないような行動が多々あります。
なので、感情や、本能が、ストレートに行動に反映していると考えるべきではないと思います。
また、ドーキンス博士についてですが、私は、この人の講演を聴きに行ったり、本も読んだことがあるのですが、(ミームとかも)
最近では、経済雑誌なんかに、エセ科学を広める代表者として紹介されていたりして、
自分みたいに、生物で学士をいただいたものでも、納得する論述をしている人物でも、もっと、色々な文献をあたってみて、
色々な視点で物を見ないいけないと思います。

ところで、代理出産については、反対です。
なぜかというと、
腎臓移植を、経済的に豊かでない国に行って、
移植手術するみたいに、
経済的に困っている国、人が、
代理母になる事が多いと思うからです。
また、他の人も言っているように、
妊娠、出産には、危険が伴うので、
たとえ、ボランティアだとしても、
その危険性にまで責任を持てるのか、
と思うからです。
自分、個人としては、人工子宮の完成を待つか、
豚などの他の動物を代理母にするか、の方法が確立できるまで、
代理母から生まれた子供を依頼主の実子とすることを認めるべきではないと思います。
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ANo.2が正当と思われます。


代理出産危険だと思うので、あなたの理論に賛同です。

以下は、個人的な補足です。気になって眠れません。

大変失礼な、意見と、捉えられてもかまいません。お節介です。
あなたの様に、理路整然とした意見が言え純粋な高校生が、日本に存在することは素晴らしいと思うと同時に、不安になりました。
何もかも、理路整然でないと通用しない人になってしまっては、もったいないと。

あなたの(わたしも)理想論を実現するのは容易ではないと思います。
あなたの質問文は、理詰めで厳しく正当ですが、様々な立場の人の心を受け入れられる寛容さが見られません。

>私はそのとき初めて代理出産を知り、同時に極悪非道な行為だと感じました。
極悪非道という言葉が頭から離れません。
簡単に口にしないでください。

向井さんの病気の経緯などを、お知りですか?
あなたに知って頂きたく書きます。
向井さんは、妊娠して、子宮癌が発覚。子宮と子供を諦めました。向井さんは、子供を救う努力もされました。大学病院へ行かれました。
あなたは、男性で、産婦人科の医師にでもならない限り、体験出来ないことですが、妊娠にしろ、子宮関係の検診にしろ、その場合、下半身を裸にし、両足を開き、股の中を医師に見てもらうのです。
手も機械も、内部に入れるのです。検診です、当たり前です。

まさに、そこで、向井さんは、極悪非道な行為に合いました。
「珍しい例だ、みんな見ろ。撮影しよう。」
医師たち、研修医たちは、医学向上の為への協力を申し出ず、承諾なしに、向井さんの股の中を眺め撮影しました。

人間ドックで、一般男性さえもが、直腸検査を怖がります。肛門に指を入れられるなんてと。

あなたに、想像力や人を思いやる心があるなら、産めない人の立場、向井さんの心の傷だけは、受け止められる発言をする人になってください。

また、ANo.2に対する回答への補足を読んで、子供への愛情についても、理論的なだけで、こころが感じ取れません。
親も子も、愛し合っています。噛み合わない場合もあります。何もかもが上手くいけば、誰も悲しみません。いつも愛は美しく正しいのでしょうか。愛を与えても、押し付け合いになる事もあります。愛しても、伝わらない。愛されたいのに、伝わらない。愛は数式ではありません。
血の繋がった親子の愛情、血の繋がらない親子の愛情、子供が居ない夫婦の愛情、うまく生きている人、こじれた糸が解けなくて手探りな人々を、たくさん、その目で見てください。目に見えないものが見れる人になってください。

>真の愛情

断定的に、口にしないでください。
私も、いろんな愛も苦労も見て経験してきました。私も愛されていますが、私なりに、血の繋がった子、そうでない子に愛を注いでいます。
あなたも経験を積んで学んでください。いろんな愛を見つけてください。
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代理出産には反対ですが、向井 あきさんがおっしゃった「旦那の遺伝子を残したい」というのは なんとなく分かります。


ちなみに現在臨月の妊婦です。

質問者さんはまだ高校生とのこと。
これから本気で人を好きになって、結婚するかもしれませんね。
その時、きっと「大好きな人との子が欲しい」と思う日が来る事でしょう。

私は女ですが、結婚したのは旦那の子が欲しいと思ったから。
女性の方が、強くそう思うのかもしれません。
理由なんて分からないのですが、人間ってそういう動物なんでしょうね。
経験してみないと分からない感情だと思います。
里親っていうのとは違うのです。
本気で愛した人の子が欲しいと思うのです。

ただ、代理出産は強く反対です。
妊婦になってみて分かったのですが、妊娠・出産は命に関わることです。
妊娠期間中は よく知られている「つわり」だけでなく
動悸・息切れ・貧血・むくみ・不眠・痒み・頭痛・腰痛・肩こり・
高血圧・妊娠性の糖尿病・腎臓病・・・
私が思いつくだけでも、これだけの不調になりやすいのです。
健康な妊婦でも毎日、小さな不調と戦っています。
横になっても動悸が激しく、息苦しく、寝られない日は本当に苦しいです。

加えて出産時には命に関わるトラブルが起きる可能性があります。
そのような負担を他人にさせて自分の子を得るのは
人として間違っていると思うのです。
高田・向井夫妻はその事について語りませんが、どう思っていらっしゃるのか聞いてみたいです。
著名人であるお二人が代理出産されて、代理出産が世の中に広まっていく事が怖いですね。

不妊症の治療経験があり、子供が欲しいが持てない苦しさも味わいましたが
それでも代理出産で、他人の命を危険にさらすことには反対です。

世の中には理由をいえないもの、理屈では話せない事があります。
sainokuni3さんも、将来、本気で愛して「子供が欲しい」と思うような方に出会われた時、
その意味が分かるのではないでしょうか?
素敵な恋愛をしてくださいね。
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自分の遺伝子を持つ子供が欲しいのは人間の本質が動物だからです。


sainokuni3さんのような意見が出てくるのは、世界中でほんの一部の恵まれた地域に住むほんの一部の人だけの意見です。
動物の世界を見ると、すべてが強いオスだけが子孫を残す事ができる仕組みになっています。
強いオスが強い遺伝子を残し強い子供ができる状態でないと種が絶滅してしまいます。
人間の世界でも、先進諸国を除く多くの人口を占める後・中進国では、動物の世界となんら変わらず、強い者が子孫を残せる状態になっています。
そういう日本でも、現在よりも戦前にその傾向が強く、金持ちは妾を置いて子孫を作りました。
江戸時代に入ると大奥が有名ですが、権力者の子孫を残す仕組みがありました。
生物的に考えると、sainokuni3さんの考え方は病める者の考え方になってしまいます。
なぜなら、強い遺伝子を残す努力をやめた瞬間から、その種は絶滅の道を歩き始めるからです。
強い遺伝子を残す努力をやめた者は、強い遺伝子を残す努力を続けた者にやがて淘汰されます。
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>もし自分の遺伝子にこだわる理由を説明できる方がいましたら、是非教えてください。


 
 私はこの質問に答えたつもりです。まず人が生まれつき備えている当然の欲求を理解したうえで、新たな質問があるなら、別の質問(もしくはアンケート)を立てるべきだと思います。

 あなたの考え”子供という対象を愛したい、育ててみたい、世話してみたいという欲求こそが、子供が欲しいという欲求の本質であると考えるようになりました。”は非常に立派で高尚な考えです。だれも否定はしないでしょう。ただ一方で、自分の遺伝子を残すことを本質と考える人もいるわけです。そしてお金があればそれが実行できる環境もあるわけです。”子の福祉の優先、優生思想の排除、商業主義の排除、人間の尊厳”を確保した上で、高い安全性を確保して、人の子供を生むことに誇りを持って取り組む方がいた場合、それを否定することも不合理かと思います。法律を議論する場合、どうすべきかではなく、何をしてはいけないかを議論するわけです。そして、それは大多数の国民に支持されなくてはいけません。啓蒙活動と国の方針をごっちゃにすることは不適切かと思います。
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>なぜ「自分の遺伝子を持つ子供」がほしいのでしょうか?


生物を勉強している身からすると、自分の遺伝子を残すことが生き物の本質だと思います。(利己的遺伝子説といいます)まず生き物は自分の遺伝子を残したいものだという前提を理解しないと、議論の本質を見失うでしょう。そのうえでなにを認めて、なにを認めないのか、国内で認めなくても海外で代理母出産は行われるわけですから、それに対する対処法、富めるものと富めないものの格差を認めるのかどうか?といった点を整理する必要があるとおもいます。

 
 

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E5%B7%B1% …

この回答への補足

 核心的な返答をありがとうございます。
 生物学のことは全くと言っていいほど知りませんが、自分の遺伝子を残したい欲求というのは聞いたことがありました。(URLも閲覧)
 しかし私が加えた意見の部分(「加えて私の意見は、人間の社会的動物なので…を選んだのかわかりません。」という観念)から人間においては、自分の遺伝子を残すことより大切なことがあるのではないでしょうか。具体的にいいますと、人間は本来生物として持っている当然な欲求を抑えた結果、社会性を獲得し、現在のような高度な文明に至ったのではないでしょうか。
 だから私は子供の欲しい理由として、(自分の遺伝子を残したいという生物としての欲求よりも、)子供という対象を愛したい、育ててみたい、世話してみたいという欲求こそが、子供が欲しいという欲求の本質であると考えるようになりました。だから自分の欲求で、他人を危険な目にさらすようなことはあってはならないし、子供が欲しいなら他人の子供であっても、子供として同様の愛情をそそぐのが、本当に社会的に成熟した人の態度ではないかと考えました。そして、その人は子育ての過程で、たとえ自分の子でなくても、子供からたくさんの愛情をを得ることになると思います。また、子育て以外の面に生きがいを発見し、社会に貢献して、充実した人生を送ることも可能なのではと考えました。(生物学的な根拠を完全に否定しているわけではありません。)

補足日時:2006/10/28 20:12
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いろいろ真剣に考えている様子ですね.


ただ,この問題は自分が同じ立場におかれて見ないと分からないことが多いのではないでしょうか?
私は,厚生省や学会が禁止を主張する理由のうち,商業主義的な行為や人間の生理に関わる危険性,未知な部分の存在などについては,理解できるものがあります.
一方で,人の出生を自然に任せるべきであるかのような主張にはいささか疑問があります.
例えば,出産の時には自然分娩だけではなくて,様々な薬を使ったり,帝王切開のような外科手術をします.人が亡くなりそうなときにも様々な治療行為や延命行為をします.
これらのことは,必ずしも自然の摂理に任せたことでもありませんし,場合によっては本人の意思,尊厳を大切にしたものではないかもしれません.
このような行為が多くの人に理解され,許されているのに,なぜ人間が生を受ける瞬間の手続きだけが特別視されるのでしょうか.
sainokuni3さんさんは,「国も学会も禁止の方向にある中」と書かれていますが,国や組織,法律などがいつも正しいかどうかというのは分からないことだと思います.
様々な日常活動や病気の治療活動も,過去には「悪いこと」,「してはならないこと」とされてきたものもいっぱいあります.
それは,その時代の科学や技術,文化など様々な不安要因から否定されていたことなのでしょう.
代理出産には,現在の科学や思想では解決できないことが残されているのだと思います.
ただ,そのことと愛し合う2人が自分の子供を生み,育てたいという気持ちとを同一の次元で議論することはできないのではないのでしょうか?
sainokuni3さんは「里親」に触れていますが,自分の家族ではない,見ず知らずの男性や女性を引き取り,自分の父親,母親として慕い,老化が進み,様々な日常的な支援を求めてくる男女を,慈しみ,親身に対応できる自信がありますか?
「自分は家族などいらない」などといわずに,ちょっと考えてみてください.
最後にもう一度私の立場を書いておくと,国や学会が商業主義や安全性の面で問題とする部分は「賛成」です.一方で,倫理について触れている部分については様々な反例が存在することから「合理的に理解できません」.様々な課題,問題はあるにしても,運良く子供を授かった方は「応援してあげたい」気持ちです.

この回答への補足

即答の長文ありがとうございます。

>人の出生を自然に任せるべきであるかのような主張にはいささか疑問があります.
 どこの記述ですか?

>例えば,出産の時には自然分娩…なぜ人間が生を受ける瞬間の手続きだけが特別視されるのでしょうか.…議論することはできないのではないのでしょうか?
 「悪法もまた法なり」と似たようなことではないでしょうか。現代の先進国に君臨する日本が、人権や、心理、倫理、哲学に関する自由を完璧に保障することなど到底できないことであると考えています。もちろん理想に近づくべきではありますが、今回の問題は、他人の命をも大きく揺るがしかねない点が、他の治療行為と違って、一番大きな差異であり、問題点であると考えています。そして二番目の問題は、私の挙げた、子供は自分の遺伝子を持たなければいけないのか?というところにあると思います。(上の回答の補足に記述あり)

>自分の家族ではない,見ず知らずの男性や女性を引き取り,…自信がありますか?
 里親にふれてくださったことは嬉しく思います。しかし、里親の老後でなく、里親として遺伝子の違う子供を受け入れる、育てる過程についての問題点を聞きたいです。(話題を変えて投稿したほうがいいかもしれませんが。)
 「老いた里親が支援を求めてくる」という趣旨の記述の意味がわかりません。里親の老後の問題に関しては、老後のために子供を育てるという意味であれば、その時点で親として問題があると思います。子供にも、里親との関係が切れた後、介護するような義務は無いはずです。しかし、子供のほうも、児童養護施設ではなく、「里親の下で育てられて本当に良かった。」というような育てられ方をされたら、自発的に介護すると思います。(そのように育てるのは本当に難しいことであると思いますが。)

補足日時:2006/10/28 16:52
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