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独りでいると・・・
家にいると・・・

ひどい時には、目眩 吐き気 恐怖や不安に襲われて、独りで泣いて・・・

こうやって、ネットしていないと気が狂いそうで・・・

大丈夫なのかな こんなんで・・・

自分には 孤独に打ち勝つ強さすら無いのかとさえ思うと情けないよ・・・

「うつ」とか神経症とか見た目じゃ判らない病気って自分も他人も辛いよね・・
時には自分でも ほんとに治したいのか判らなくなるよ
 こんな事 いつまで 続くのかな
 もう 辞めたいな・・・

A 回答 (6件)

再び、kumosuke32です。

しつこくなってしまって、ごめんなさい。僕なりに何か参考になれるものが出せるといいなと考えていて、また、キーボードを叩いています。

 自己表現ができる相手がいたと聞いて嬉しく思いました。自己肯定感のない人間にとって自己表現をすることは自分を切り裂く材料を提示してしまうことになってしまい、本当に大変なものですよね。でも、人間というものは生きている限り再生を望むものでもありますよね。本能的なものでもあり、自らを否定する(あるいは殺す)思いの強い人には、その葛藤は凄まじいものになりますよね。でも、やはり再生を望むのです。
 そんな中での出会いは当人も気づかないほど(後になって気づくほど)大きなものであることが多いです。心に波紋が立ちませんでしたか?

 下の方も書いてるように、ネットでの充足を得る日々もあっていいと思うんですよ。どうやっても外に出られない時というのもあるし、会話のできなかった日とかにネットでやり取りできるとそれだけで心が救われる思いになる時もすごくあると思います。僕もその恩恵にはあずかっています。
 ただ、ネットを見ていると全てとは言いませんが、傷のなめあいで終始したり、馴れ合いで終わってしまうものが多いし、この方向性以外は駄目というものもあったりします。そして、例えば、ここのカテゴリーでも増えていますが、思慮や経験の足りない発言によって簡単に傷つけられる危険性も同時にあったりして、それがエスカレートすると現実世界よりもひどい状況にもなります。
 そして、今、僕とあなたのように匿名で姿が見えない状態で励ましあうことの虚しさは拭い切れないものとなるでしょう。それで、心の穴を埋めようとする時があってもいいとは思うのですが、また、それでなくては埋められない時期があるとは思うのですが、そこに留まり続けていいとは言えないです。

 僕が余裕のあるときに外に出てみようというのは、人間には一般に五感といわれる感覚機能があるからです。その五感をフルに機能させての人との対面には、どうあってもネットではかなわないものであり、人との対面だけでなくとも、歩いている時のなにげない風景との出会いは、やはり心に小さな波紋を立てるものだからです。それに対面している方が相手の人も色んなものを感じるものだからでもあります。
 例えば、僕の友人、今は友人とは言えないのかもしれないですが、彼は会っていないと心の状態がわからない人なんですよ。言葉では大丈夫とか、元気にしていると言っても、会えばみるみる心が荒んでいっていたり、弱っていることがわかるような人なんですよ。 友人の例にもれず、顔を突き合せなくても、仕草や、声、表情、体温、色んなものを周囲の人は感じていて、もちろん、それだけで声をかけてくれる人は稀ですが、そうやって感じてもらったものや、tu-kiさんが感じたもののほうが確かな真実を告げていることが多いのです。良きにつけ悪しにつけ、感じたののほうが心の中での対処をしやすいとも言えると思います。感じることを大事にしてみることは、意味のあることと思うのです。

 長くなってしまって、ごめんなさい。読むのも大変という時期もあるのでしょうから、一労働させてしまいましたね。
 話せた人が言っていた「同情と愛情は違う」という境はやっぱり付きまとうものだと思います。僕自身も愛情とはなんだろうと思うことがしばしばあります。一つ言えるのは、同情は装うこともできて、それでつけいる人がいる、というのはありますね。怖がらせる話になってしまいましたね。別の話にしましょう。例えば、僕の母親は、僕が苦しんでいる期間よりは短いですが、長年の僕の苦しみを感じながら、決していい形とは言えないものの、ぜんぜん不成熟ながらも母親として、そこに居てくれています。これは同情ではできないことだと僕も感じます。父親はすぐに自分の世界の住人となり、姉は自分の家庭を持つことで巣立っていきました。かろうじて僕には母親だけが母親としてそこにいてくれたのは、小さいながらも幸いなことであり、これはなかなかできないことだと思います。でも、こういう見方が以前できたかというと、できなかったでしょう。僕が少ないながらに色んな人の心の形を見てくることで、一つの見方ができるようになったんだと思います。

 う~ん、ごめんなさい、もうちょっと、tu-kiさんの心に寄り添うように書いてみようと思ったのですが、ちょっと、自分の心に縛られる形になってしまいました。同じように苦しんできている人間として、何かを残せれば、残せないかと思って再び書いてみたのですが、今日はこういう形となってしまいました。重い形になってしまいました。申し訳ない。僕も、いずれはあなたにとっては忘れ去られる存在でしょうが(そうあって欲しいと思いますが)、心に波紋を立てるべく奮闘してみました(笑)。こんなことに真剣切ってしまう自分を変だと思いますが、tu-kiさんの文章に感じるものがあったということだと思います。中途半端ですが、ここで今回は終わりにしようと思います
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私が大学生で、うつ病に苦しんでいたころは、インターネットがまだこの世にありませんでしたから、こういう遣り取りができるだけでも安心ですね。

孤独は辛いものですが、ひとと一緒にいるときのほうが淋しさというものはつのるものですから、一人でいるのもこれから回復するための一つの手段、環境だと考えてみてはいかがですか。死んでは駄目。思いつめる前に病院を訪ねてください。お願いですから。
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kumosuke32です。



 蛇足ですが、誉められたり、認められたというのが初めてなんですか?それはつらかったでしょう。それで、また、人とうまく繋がれないと本当に人生はつらいものになりますよね。自己肯定感の弱い人、ない人は人間関係を築けないものなんですよ。まぁ、僕もそういう一人だったわけですが。
 でも、tu-kiさんのパーソナリティの中には絶対に人に誇れる素晴らしい所があると思いますよ。見ている人はきちんとそういうところも知っているはずです。
 僕の場合はこういう人なんで、ちょっと変わり者というかアンダーグラウンドな人というか、苦労人みたいな人、そういう人達が声をかけてくれたりしました。今一番話を聞いてくれる人となると保健センターの保健婦さんになりますが、ちょっと変わっている人です。つらい思いをしてやっとここまで来たという話には一緒に泣いてくれる人でもありました。
 そういう自分をきちんと見てくれる人を探してみませんか?やっぱり、結構、苦労している人は声をかけてくれたりしますよ。でも、苦労を受け止めきれないでこじらせてしまった人は駄目ですよ。必ずあなたを見つけてくれる人はいますよ。でも、自分の殻に閉じこもりっきりでは相手も気づくことはできないけどね。だから、少しでも、つらい思いをしても、自分を表現しようとすることは忘れないでね。それと、そういう人が現れると依存してしまう気持ちが出たりしますが、依存は駄目です。心の中に自立する気持ちをしっかり持ってください。負けそうになってもいいけど、負けてはいけないですよ。それと、これは重要です。そういうtu-kiさんみたいな人を利用しようとして甘い言葉を吐く人がいます。悪い例で言えば、暴力団、薬物中毒の人とか。そういう人の甘言に乗ると先に待っているのは地獄か死かです。良い地獄、良い死ではなくて、もう最悪のものだと思ってください。
 でも、必ずtu-kiさんを見つける人はいます。調子のいいときにでも外に出たり、軽いバイトをするとかでも何かが起こったりします。家の中に居てパソコンを眺めているだけでは、そういう世界は見えないですよ。必ずあなたのいいところを見つけてくれる人がいます。そういう人を探してみましょうよ。一つの誉め言葉で世界が変わることもあるんですよ。
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この回答へのお礼

あなたには、文章から、その人が どんな人間なのか見抜ける力が あるんですね

『うつ』などにかかってしまった人が、生の人間
相手に自己表現するのは、とても怖いのもです
けど、今のバイト先で、ようやく1人見つけたんです

連絡先は知ってるけど、その人
転勤したんです・・・
その人も、人間関係で傷ついて、苦労して・・
でも、人並み以上に、打たれ強くなって
立ち直った人です

その人も言ってました
「同情と愛情は違うものだよ」って・・・
・・・正直、自分にはこの違いが、まだ良く理解できてないんです

こういったやり取り、メールとはいえ、励みになります
 お返事ありがとう

お礼日時:2006/11/06 21:20

 孤独に打ち勝てない病気なのだからしょうがないと思いますよ。

あなたはネットでの自己表現はとても巧みだと思います。実社会でも病気を気にしなければ結構うまい方なのかもしれないと思います。デイケアに行ってみてはどうでしょう?保健センターの保健婦さんに相談して紹介してもらえます。そこは、あなたのような精神を病んだ人が集まるプログラムがあります。そこは、ネット社会より五感に訴える存在として人がいますから、気が合えば友達にもなれるし、病気の相談相手ができたりもする。ネット依存になるよりはいいと思いますよ。
 僕はあいにくネットでも実社会でも自己表現が巧みではなかったので、デイケアのようなところも駄目でしたが、他の人たちは仲間を得てとても明るくなっていきました。悩みを共有できるって大きいんですよね。恋人ができた人もいるし、遊び仲間ができた人もいました。自己表現が巧みなtu-kiさんなら寂しさを少しでも埋められるような仲間ができるんではないかと思います。デイケアを考えてみてもいいんではないかと思います。
 まぁ、その、絶望を知るからこそ希望を知る、というのもあるんですよ。つらいとは思うけど、くじける日があっても、また、歩き出して欲しいな。歩いた軌跡は意味があるものと思うよ。
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この回答へのお礼

そうなのか・・・

ネット上の自己表現か・・
初めて、誉められた というか認められたというか・・・

実社会では、本当に人に慣れるまで時間がかかり
その間に いくつもの誤解が生まれ・・・

でも よかったです こうやって、いろんな人の
アドバイスが心強く 気持ちも楽になってきます
ありがとうございました

お礼日時:2006/11/05 11:59

うつも神経症も医師は見た目でわかる。

医者にいくこと。
「相性のいい医者」にかかって、治療に5年~10年くらいはかかる。

ほかの質問、閉じなよ。
溜まると面倒だよ。自分で処理できなくなる。

自分でも気付かないところで、きみは自分を過信しているよ。
たとえば自分を子供だと思ってごらん。
あれこれ世話してくれる人がいてくれるのって、幸せだろ。
独りなら、自分で自分の世話をしないと、どうしても立ち行かないんだ。
風呂も、食事も、掃除も、それにやさしい言葉も自分で言わないと。

もし世話をしてくれるべき人が、ネットばかりしていたら、子供はどうだろう?
寂しくて苦しくて気持悪くて不幸だろうな。
病院にも連れて行かないか、連れて行っても、途中で投げ出すんだ、そういう大人は。

自分で自分に、そういうことしてるよ、きみは。
もっと弱い自分を認めて、他人に助けを求めなさいよ。
助けてくれない人が、何人居た?
まだ出会っていない人が、必ずきみを助ける。
きみにはまだそれがわかっていないね。
確認したいなら言うけど、とにかくネットから離れないと、悪循環になるよ。
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病院に行ってください。


間違っても早まった真似はしないように。
「もう辞めたい」というのが、そういう意味なら、
あなたのことを大切に思っている家族や友人を、
あなたと同じ気分にさせることになりますよ。
もう一度言います。
本当に治したいのかわからなくなる、とのことですが、
治したいという気持ちと、自暴自棄になる気持ち、
その間を揺れ動いていると思います。
治したいという気持ちに次になったとき、
無理やりにでも病院に行ってください。
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