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内向型な人は雑談ができなくて悩む人が多いですよね。何を話していいかわからずに、無口で困ってしまう人が多いと思います。なぜ内向型な人は雑談ができないのでしょうか?もちろん、雑談ができないからダメということではないです。その人なりの会話が一番だと思います。

雑談できることが良いことか悪いことは別にして、内向型の人が雑談ができない理由は何だと思いますか?

私の解釈では、内向型の人は興味が内(自分)に向いていて、外側に対する興味があまりない。それによって雑談となる話題にも興味がもてない。こんんな風に解釈しています。

皆さんはどうお考えですか?

A 回答 (4件)

#2です。

ご返事ありがとうございました。

>どうしてこのような心理状態になるのでしょうか?
:そうですね。
基本的には断定してしまうことに対する怖れでしょうか。
あるいは、完璧性に対する強迫観念の場合もあるでしょう。
どちらの場合も、それぞれ有効に生かすことができれば長所として活用できると思われますが、
やはり程度問題でしょうし、怖れや強迫観念が過多の場合は、コミュニケーション不全という別の方面での不満が発生することはバランス的にも当然の結果として推測できるように思われます。

実際上は、そこまでバランスが崩れていなくとも悩みの対象になる場合が多そうです。
これはむしろ、外向的な性格の方のほうに色々な問題があるケースが多いわけですが、
不当な理由で悩んでいる方は多いような気もしますね。

因みに、なぜ断定することを怖れたり、完璧性に対する強迫観念を抱くようになるのかというと、大雑把に言ってみれば、
おそらくは幼時における過保護か、逆に過度の支配を体験した記憶が、自らの決断を他者に表明するという行為に不慣れである状態を継続せしめているためではないかと推測します。
過保護の場合は、言いたいことを言っていたわけだから自ら表明することに慣れているのではないかというお考えも浮かぶかと思いますが、
他者の自我と衝突を繰り返した結果としてそれが通用しないことを思い知り、
「通用する表明の仕方」について悩むことになる、ということになります。

この回答への補足

皆さん回答ありがとうございました。どれも参考になる回答で、ポイントをつけるのに迷います。

補足日時:2006/11/20 21:53
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この回答へのお礼

ありがとうございます。なるほど。断定してしまうことによる恐れや、完璧性に対するものですか。ちょっと難しいと思いましたが、参考になりました!

>因みに、なぜ断定することを怖れたり、完璧性に対する強迫観念を抱くようになるのかというと…

この辺のところはわかる気がします。幼児期の体験がもとになるものですね。

お礼日時:2006/11/20 21:51

>内向型の人は興味が内(自分)に向いていて、外側に対する興味があまりない



私はだいたい、こういう考え方でよいと思います。
内向性、外向性といっても定義はいろいろでしょうが、私が思うに、内向性の強い人は「意識が内に向く」人で、左脳的な悩み方をする場合が多いです。
これは外向性の人は「意識が外に向き」、「発散する」傾向があるのに対して、内向性の人は物事が起こるたびに自分自身の内面を見つめ、反芻して、左脳で理論的に考えることが多いのです。
楽しいことよりも辛いことの方が記憶に多いものなのですが、これも同じ原理です。
楽しいことは外側に発散してあまり記憶に留まらないのですが、辛いことは自分の内面に向けて強く意識するので、記憶に残りやすいのです。

そして内面に向けて反芻すると、会話力は落ちます。
外向的な性格の典型的な例が、アナウンサーです。
アナウンサーは、その瞬間瞬間、自分のしゃべったことを捨て去らないとなりません。いちいち「今の言葉はよかったのかな」と引っかかっていたら次の言葉が出てこなくなるからです。
つまり切り替えがうまいのです。
内向性の強い人は切り替えが苦手なので、会話力がない場合が多いのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。脳の中の話になってきますね。すごく納得できる回答だと思いました。ダニエル・ゴールマンによると、内気な人は扁桃核という部分が反応しやすいそうですね。扁桃核は不安や恐れを感じる部分だそうです。そこが反応しやすいせいで、外的なものに興味を持ちにくいというのもあるでしょうね。

お礼日時:2006/11/20 18:52

雑談と言っても色々ありますからねえ。


ただ、
「>何を話していいかわからずに、無口で困ってしまう人」に関して述べてみると、
実は本人も気付かないのかもしれませんが、
あるひとつの話題についての色々な見解の可能性について、自分の中で色々と考えてしまうのではないでしょうか。
つまり、
「>何を話していいかわからない」のではなくて、
「>どれを話していいのかわからない」のではないでしょうか。
「本当のことは何だろう? 」という考え方が内向的な人の本質のような気もします。

rivingrovさんのおっしゃるように、
「>内向型の人は興味が内(自分)に向いて」いる部分も確かにあるでしょう。
でも、rivingrovさんも良くご存知のように、
自分に関心を持たなければ自分を深めることはできませんから、外側だけでなく内にも関心を持つことはとても大事なことですよね。
無口な人が、とても大事な場面でとても重要な発言をすることも案外あるかもしれませんね。(^^)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。なるほど。「どれを話していいかわからず、本当のことは何だろう?」というのは鋭い指摘だと思いました。でも、どうしてこのような心理状態になるのでしょうか?もし考えをお持ちでしたら、教えていただけないでしょうか?

お礼日時:2006/11/20 18:40

rivingrovさんは、ご質問の文章から察するに、外向型なのだと推察します。



内向型の人を一括りに「雑談ができない」と決め付けるのはどうかと思います。「外向型の人は周りへの気配りがない」と決め付けられても困るのと同様です。
ここでは、内向型の一部の人達についてコメントします。
(タイプ1)
雑談好きです。ただし、気心の知れた人達だけ集まったときだけなので、例えばrivingrovさんがこれらの人達と知り合いだったとしても、rivingrovさんが輪に加わっただけで急に無口になってしまいます。
(タイプ2)
口数は少ないものの、熟考してから話すので、深い内容があったりします。ただ、機関銃のようにしゃべる人が一緒だと、熟考している間に話題がどんどん変わってしまうので、話すタイミングがないままお開きということもなくありません。因みに機関銃のようにしゃべる人の話は、結局内容が全くなかったりしますけど。
(タイプ3)
一般的な人が興味を持っている「クルマ」「スポーツ」「(日本の)芸能関係」「異性」「うわさ話」等々には、全く関心がありません。従ってこういう集団に加わっているときは、100%と言っていいほど聞き役です。しかし「映画(ミニシアター系)」「演劇」「現代アート」「ジャズ/クラシック」等には明るく、複数のジャンルでそれなりの見識を持っています。これらのジャンルに明るい人達同士が集まると、話題に尽きません。前者のみが雑談で、後者は雑談ではない、ということはないのではないでしょうか? 前者の話題なら、ベラベラしゃべる人も後者の集団に入った途端に無口なるように思います。このことは「雑談ができない」とは言わないのでしょうか。

気分を害したとしたらお詫び致しますが、最初の仮定が誤っていると有意義な回答に辿り付けないように感じます。如何でしょうか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。私も内向型です。ちょっと誤解させてしまったみたいで、すいません。なるほど、参考になりました!内向といっても、色々ありそうですね。

お礼日時:2006/11/20 18:37

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