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そのままなのですが、ふと思ったことなのですが別に外向性じゃなくてもいじめを引き起こすことは可能です、それなのにも関わらず外向性にいじめっこが多い理由を探りたいと思いこのような質問をさせていただきます。個人的省察では以下の通りです、意見でもなんでもよいので回答おねがいします。

<個人的省察>
________________
・外向性というのは基本的に外に放出するという意味合いをもっているので攻撃したいいじめたいという衝動に駆られられるといじめという形で外部へ放出してしまう。
・外向性が良いという世間的名見方が在るが故に調子に乗ってしまう。
例えば「明るい」「楽しい」「輪になって」「活発」「活動的」「勢いが在る」「気合がある」などが良いという考えをもっている先生が居た場合、なまけている人を殴ったという行為を起こして尋問されたとしても外向性の勢いに正当性を感じていじめっ子にたいしてどうしてよいか分からなくなってしまう。

A 回答 (5件)

http://209.85.175.104/search?q=cache:nzGft1iK7xE …

『「発達障害者支援法(平成16年法律第167号)」(以下、「法」という。)は平成16年12月10日に公布された。』

新しい法律なので、一般の人のこれに対する認知は低いと思います。



http://www.amazon.co.jp/%E3%81%AE%E3%81%B3%E5%A4 …


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E6%B1%8E% …

知的遅延をともなわない。
大学教授とか研究家とか作家とか、そういった職業について名をはせている人の中にも、実はこの障害を持っているのではないかといわれています。

有名なのが発明家のエジソン。
退学になるほど元気な少年でした。 ジャイアンのパターン。

のび太のパターンだとアインシュタインでしょうか。



そのいじめる子が発達障害を持っているのかどうか、検査してみないとわかりません。
が、もし発達障害があれば、他者とのコミュニケーションにおいて多くの問題を抱えることになる。

<いじめっこ 性格が悪い ずるがしこい 融通が利かない 理解に乏しい こだわりが強く普通の人が流せるものを流せず、相手が自分の思う通りになるまで執拗に改善を要求する> 

それらがどうして引き起こってしまうのか。
発達障害のせいで、そうならざるを得ないのかもしれない。


「相手が悪いのだから改善させようとしているのに、どうして止めるのか」と本人はいじめているという意識がないので、しかっても理解できない。

叱られてやめることができたら、故意にイジメていたわけで、「そういう卑劣なことはやめろ」といわれたら、卑劣な行為をやったと自覚できるので、改善されるわけです。


発達障害の人は比喩的な表現や遠まわしの表現が苦手。
「馬鹿という人は悪い人です」と言われたら、馬鹿といった人はすごく悪い人だと思い、「馬鹿と言ったな、君は悪い人だ」と殴ったりできてしまう。

「牛乳をこぼしてくれてありがとう」と言われると、再度こぼしてしまう。

馬鹿と言った人を殴ったり、牛乳を何度もこぼしてしまうわけで、問題児ですよね。
でも、しかっても改善されない。
どうすればいいのか困り果てる。

障害によりできないことをやれと言っているわけで、大人の方が無理強いをしているわけです。

で、体罰などを加えて行動を矯正しようとしても、理解が難しいので改善されることは稀なので、間違えていると思うことをやっても叱らず、できたものを誉める。
何度も誉められたら、そっちの方をやるわけです。


>明るい」「楽しい」「輪になって」「活発」「活動的」「勢いが在る」「気合がある」などが良いという考えをもっている先生が居た場合、なまけている人を殴ったという行為を起こして尋問されたとしても外向性の勢いに正当性を感じていじめっ子にたいしてどうしてよいか分からなくなってしまう。

その先生がどれだけ発達障害に対して知識を持っているのかによると思います。
ジャイアンタイプの子供の暴力により、嫌な過去を持つことになった人が増えれば、決してよい環境じゃないわけです。
「怠けているから殴った、いいことをしたから誉めてもらえる」という理解だと、何度でも殴る。

確かに悪いことをしたら体罰を与えるという教育環境で育った子は、そういう価値観になりやすく、大人になっても他人に対して厳しいでしょうけど、それだけだと孤立してしまうということを成長の過程で学ぶはずなんですね。
多めに見ることにより集合体に集合し、共存できるということを習得していくので、大きなことじゃないと皆見てみぬふりをしてあげるわけです。

でも、発達障害 つまり 習得する能力が先天的に弱い場合、容赦をすることが難しい。

そこ殴る子が発達障害かどうかはわかりませんが、なまけているから殴るというのは問題行動です。
ですから、何かしら問題を抱えていると思うし、もしかしてそれが発達障害のせいかもしれないと思うんです。
(その子の環境がわからないので、どうして暴行を加えるのか原因を特定できませんが、、、)


で、先生が生徒に暴行を加えることは問題視されていますが、子供同士の暴力を未然に防ぐということも、先生たちに与えられた責務だと思うんですね。
ですので、「怠けた者を殴ったか 非常によろしい」という考えを持って、自分が子供を非暴力で指導する立場になるのに、指導せず子供もやらせているということで、その先生自身も怠けていることになります。


暴力の原因をつきとめないと。
相手のなまけが原因で、元気がいいから殴ったで見過ごしてしまわず、将来その子が社会に出たらどうなるかまで考え、指導していくべきだと思うんですね。

なんでもかんでも障害とくくるのは危険ですが、可能性がなきにしもあらず。
発見が遅れてその子も回りもダメージを受けなくていいはずなのに、ダメージを受けてしまっているってこともあります。

ですから、先生方で発達障害に関して勉強会を開いてみてはと思います。
外部から発達障害に関して知識を持っている専門家を招き、話をしてもらうとか、そういう子供の可能性があるとしたら、どういう指導をしていくべきなのか とか 知識をもらうだけでも、違ってくるかもしれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/01/26 04:05

>他人へ干渉するのは外向性でなくては無理なのでしょうか?



どうでしょう。海千山千のお年寄りなら可能でしょうが、子供には無理じゃないでしょうか。
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とくにANo.2のかたの御意見、共感しました。


ただ「幸せな人間は苛めをしないということです」というのは御尤もなのですが、幸せでなくてもイジメをしない人もいるわけですね。

いわゆる外向型とは、つまり関心が外へ、他者へと向き勝ちで、反面、自身の内面にジックリと向き合えない。つまり内省的に欠ける。
いわゆる内向型の場合は自分自身が一番の関心対象であって、内省的である反面、他者に対する関心に乏しく、その部分が冷たい無関心であるとか自分のことにばかり注意をはらっているような印象を与え、他人に対する関心が強い人や他人に気を使うことに義務感を持つ人から反感を買う原因になったりもする。
結局、一長一短なのでしょうが、外向型の場合、積極的な性向があるだけに、その欠点も大きくなり勝ちですが、長所もまた派手なアピール性があるため、特に明らかなマイナスを生じさせるような要因がない限りは、その内省心の薄さが、かえって躊躇のない挙動に結び付き、周囲の人に受け入れ易さを感じさせます。ある種の底の浅さを感じさせるために、警戒心は起こさせにくいのでしょう。それゆえ、こういう人が起こす問題行動は、大目に見られ易いきらいはあるかもしれません。また底が浅いこと、つまり大した悪気がないということには、世間一般的に甘い対処をする傾向があるように思います。(良くないことですけれど)

内省心に乏しい→底が浅い→軽い→躊躇がない→歯止めがきかない→勢い余る
こういう感じでしょうか。
こうしたタイプの人が何らかの抑圧や不満に直面して、否応なく屈折した思いを抱えることになったとき、陰湿さを備えると共に攻撃力の歯止めなさをもたらすうえで、もともとの内省心の乏しさが、強力に後押しをするかたちになると思われます。

但し、表面的には外向型に見えても、同時に小心であったり怯え易さが隠れていたりしますし、内向型であっても激しい強い気性を隠し持っていたりしますから、なかなか単純に分類できるものでもないように思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/01/26 04:09

私は「器」と「階層」で話を進めます。



ご存知の通り、人間には「我慢の限界」というものがあります。積極的な人間は我慢できる器が小さく、消極的な人間は、我慢する胃袋が肥大しているのです。勿論、溢れ出した「怒り、不満」は「下層の人間」が受け止めることになるのです。その一部が「苛める」です。

消極的な人間でも、自分より消極的な人間がいれば、受け流すことになります。

ワイングラスをピラミッドにした構図に似ていると思います。頂点からワインが注がれるとは限りませんが。

底辺の人間は、受け流す場所がありませんので、最悪この世を去るのだと思います。

苛めている人間も、親の傲慢さを受け流している可能性があります。

言えることは、「幸せな人間は苛めをしないということです」
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/01/26 04:04

加害者は自ら他人へ干渉するのだから外向性は必須でしょうね。


ただ、他人とのコミュニケーションがうまく出来ないというのは間違いなく、自らの外向性をいじめをするという行為によって潰していることはあるんじゃないでしょうか。
当事者よりも圧倒的に第三者の数が多いのだから、その行為を見ている第三者は加害者と積極的にかかわろうとしないでしょうね。
そのことが加害者を孤独にして、いじめを長期化させる要因になっているかもしれません。

子供のいじめと大人のいじめは加害者の感覚は少し違うと思っていましたが、突き詰めると同じような気もします。

・いじめるという行為が純粋に楽しい
 遊びで感じる楽しさと区別しにくいので、子供のいじめにはこの割合が大きいと思います。虫や小動物を殺すことが楽しいと感じることがありましたよね。

・いじめることが自分自身への慰めになる。
 人の不幸は蜜の味に近い感覚でしょうが、一種のストレス解消だとおもいます。フラストレーションのはけ口としていじめを行うんじゃないでしょうか。これは大人のいじめに多いと思います。

どちらにしても当人はいじめているという自覚は薄いでしょうね。

この回答への補足

他人へ干渉するのは外向性でなくては無理なのでしょうか?

補足日時:2008/01/26 04:01
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/01/26 04:03

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