好きな人を振り向かせるためにしたこと

忠臣蔵は実話が基にされているそうですが、両親から、本当は赤穂の殿様が世間知らずでワガママ、
吉良上野介が名君だったと聞きました。
浅野の殿様は、本当は家臣やお家や藩のことを考えて、多少のことは我慢しなくてはいけなかったのに、
そういうことは考えず、ぶち切れてしまったダメ藩主で、吉良上野介の方は、実際はすごく領民の為を思っていたとか。

親のいうことですので、そうそう疑ってはいなかったのですが、これが本当でしたら、
どうしてそこまで話が変わってしまったのですか?

ドラマではなく、実際がどうだったのかお分かりになる方、よろしくお願いいたします。

A 回答 (10件)

>どうしてそこまで話が変わってしまったのですか?



我々現代の日本人がよく知っている忠臣蔵の話は、実は全ての元は江戸時代に人形浄瑠璃用の物語として創作された『仮名手本忠臣蔵』に行き着くのです。
元禄14年3月に起きた“江戸城松の廊下での刃傷事件”と、翌15年12月に起きた“吉良邸討ち入り事件”という事実を元にして、物語を面白くするために様々な脚色を施したものが『仮名手本忠臣蔵』であり、その後歌舞伎の演目として上演され人気になったものなのです。

当時は公けに幕府を批判するようなことはできませんから、仮名手本忠臣蔵では舞台設定を室町時代として登場人物の名も仮名にして脚本を書いたものです。
当時の江戸町民は時々幕府政治に対してからかうようなことをする気概がありましたので、こうしたことの一つとして取り締まられない程度にいわば庶民のガス抜きのような感覚で庶民はこの物語を楽しんだもののようです。

時代が変わっても物語りだけは歌舞伎以外に映画やテレビ時代劇でも人気のある題材として残ったので、ほとんどの日本人には馴染みのある話なのですが、この物語りが事実なのかということになると大いに疑問なものなのです。

すなわち日本人は忠臣蔵の物語りに関しては、『仮名手本忠臣蔵』に昔から洗脳されてしまっていると考えるのが正解のようです。

今風に事実だけを考えれば、情緒不安定な性格の浅野内匠頭がある日キレてしまって、先輩である吉良上野介に刃物で切り付けた事件を発端にして、浅野の部下たちが逆恨みによって徒党を組んで吉良邸に押し入り、吉良上野介を皆でなぶり殺してしまったという事件ですね。
本来はこういうテロなのに、何だか“忠義”という言葉で事件の本質がいつの間にか変わってしまったみたいですね。
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この回答へのお礼

既にノンフィクションというより、脚色激しい物語という感じなのでしょうか。
最後の3行に、ハッとさせられました。
確かにテロのような事件ですよね!
情緒不安定な性格の…という感じが、現代の若い世代とも共通しているような気もしてきました。
カッとなりやすいのは、いつの時代でも同じかもしれませんね。
ただ、皆様のご意見を拝読して、やはり吉良・浅野のどちらの人間性にも、それぞれに欠点はあったのかもしれません。
吉良上野介が、完璧な卑怯者、あるいは聖人君子の名君とするのも大袈裟でしょうし、
浅野内匠頭が単純に悲劇の主人公、あるいは、自業自得かもしれない、我慢がきかないワガママプリンス、
と安易に決め付けるのも、物語ではない、本当に生きていた人間ですので、おかしいでしょうね。

ただ、本当にテロという2文字は、新鮮な響きでした。

お礼日時:2006/12/15 17:38

NO.5です。


>実際にいた47士にとっても、藩主が大したことのない人物だったら、命をかける張り合いも少なくなってしまいますよね。
 
 そうです。心中複雑な浪士もいたと思いますよ。彼らは殿様のために命を投げ出したのではありません。
 自分自身の名誉のためです。お家再興もならず、あのままでウヤムヤに終わってしまったのでは、自分達の将来もないですし、何と言っても「武士の一分」が立ちません。
 まあ、皮肉な言い方をすれば「武士の見栄」なんですね。
 そして、幕府は罪人に切腹を許し、彼らは最高の見栄である切腹により、淡々と死んでいったわけです。
 恥も外聞もなく功利一辺倒に走っている今の世の中で、こういう人たちはめったにいませんが、私は大好きですねえ。 

この回答への補足

皆様どうもありがとうございました!
良回答ですが、面白かった(斬新だった)という観点から付けさせていただきました。
ご回答、アドバイスくださった皆様全員に、良回答を差し上げたい思いです。

補足日時:2006/12/15 18:24
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この回答へのお礼

再度お寄りいただきまして、ありがとうございます。

物語(ドラマ)でも、非常な葛藤があって、若い藩士などは見ていて痛ましいくらいですよね。
これが現実の討ち入りの場合、単純に47人が殿の御為!と思っていたとしたら、
人間らしさはありませんね。
物語としても、北朝鮮の教訓ドラマのようで、面白みがないでしょうし。
「武士の見栄」という、人間として生きる時には厄介で不自由なものに縛られたのは、
藩士だけではなく、藩主の赤穂の殿様もそうだったのかもしれませんね。
(どちらにしても、切腹して果てるまでの間、少しは短気を悔いて、残された藩士たちのことを思ったのか気になります。)

お礼日時:2006/12/15 17:43

どっちにしても「どちらも人間なんだから、完璧な訳がない」とは言えますね。


浅野にも良い所悪い所があったでしょうし(その悪い所が肝心な所に出てきちゃったのは「あれ」ですが)、それは吉良にも言える事だろうと思います。

実際は「物語の様に正義と悪の対決」とはいかないんですよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2006/12/15 17:31

#2 です. 手元資料 (日本の時代史 15「元禄の社会と文化」) を見ながら:


まず, #2 の最後の段落は間違ってます. 江戸城内での刃傷沙汰は 9件あり, うち 7件で被害者が死亡していますがこれらの事件の加害者は「その場で死亡 or 自殺」「後日自殺」「後日切腹」となってます. 一方, 被害者が生き残った 2件のうち 1件が赤穂事件で当日切腹&断絶. もう 1件は享保10年に発生し加害者に後日蟄居の処分が下っています. ということで異例に厳しい処分であったことは間違いありません.
次に原因ですが, よくわかっていないようです. 浅野内匠頭に即日切腹が命ぜられたため「原因をはっきりさせる時間がなかった」というだけですが. まあ, 当日の公務・役職に関係するという説が多いようです.
で, 2人の評価もやっぱり両面あって, 吉良上野介に対しては「有能な官僚」「強欲でおごり高ぶっているが臆病」という評価, 一方の浅野内匠頭に対しては「頑固でへつらわない」「けちできれやすい」という評価があります.
あと, 「忠臣蔵」ができた背景としては「武士はどうあるべきか」という問題があって, 吉良上野介に対して「武士のくせに勉強ばっかりして武芸ができない」というネガティブなイメージがあったようです.
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この回答へのお礼

再度お寄りいただきまして、ありがとうございます。
人物への見方は、どちら側に立つかで違いますが、世間的な常識で見た時、
吉良上野介の細かい人間性はともかく、浅野内匠頭のプッツンが一番まずいような気がしてきました。

お礼日時:2006/12/15 17:31

吉良上野介の地元では赤馬という玩具があるそうです。

これは、領地を見回った吉良上野介をモデルに作られた、と伝えられています。が、この話が実に眉唾で、実は吉良上野介は領地に行ったことがあるのは記録に残る限り1回だけなんだそうです。地元では名君と伝えられていますが、どうもその話自体が後世に作られた可能性が高いようです。
隣の藩の記録には、上野介が勝手に堤防を作ったので洪水がこちら側に流れてしまいひでーめにあったと記録が残っているそうです。
また、吉良上野介の息子は上杉家に養子に行ってるのですが、相当上杉家から金を出させたようで、上杉家の家臣は上野介を相当嫌っていたようです。
吉良邸から泉岳寺に戻る道から横に入ると上杉家の藩邸がありました。もし上杉家から援護が出ると赤穂浪士とぶつかり合ってしまい、そうすると赤穂浪士はせっかくの上野介の首を奪い取られる危険がありました。実際、大石内蔵助はそれを恐れていたようです。なにしろ上杉家をさかのぼればあの上杉謙信に繋がる武門の名家です。
上野介の実の息子である上杉綱憲が赤穂浪士討ち入りを聞いて父の助太刀に兵を出そうとするところを家臣に止められるというシーンがありますが、家臣からすれば「あんな奴は死んで欲しい」が本音だったでしょう。

お話としての忠臣蔵からすれば、赤穂浪士をヒーローに仕立てる以上、その相手の悪役は悪い奴でなければなりません。ボウケンジャーで、敵の組織が実は老人ホームで介護をしている優しい奴らだったらボウケンジャーを応援できないですよね。敵の組織は幼稚園のバスを乗っ取る悪い奴らでなければなりません。

また忠臣蔵にとって、というか武士道の考え方からすると相手の主君が名君で、こちらの主君がバカ殿だったから討ち入りはしない、というのは許されないのです。家臣にとってはこちらの主君こそが忠義を誓った相手であり、相手が人格者だろうが名君だろうが主君のかたきを取らなければそれは忠臣ではないのです。この考え方は質問者さんがおいくつか存じませんが、若い人には理解できないと思います。
実際のところ、当時の人々は表面は平静を装っていながら、内心は「はやく討ち入らないかな、はやく討ち入れ」と赤穂浪士の討ち入りを待っていました。幕府は、赤穂浪士が討ち入るらしいということをかなり早い段階でつかんでいたようです。
本来であれば、首都で合戦まがいの戦いをするのですからこれは幕府としては事前に浪士を逮捕せねばなりません。そもそも、当時の江戸は木戸が各町で夜中に閉まるシステムでした。本来は夜中に移動することは許されなかったのです。赤穂藩は火消し(消防)をやっていたので、その格好をして「火消しの見回りでござる」といって木戸を開けさせたのですが、それにしたって槍やら刀やら武器をずちゃらずちゃら持っていたわけです。それを見ればこの連中がどこの人でこれから何をしようとしているか誰でもわかりました。でも、それをわざと通して何もしなかったのです。
それは主君のあだ討ちをすることは「武士として立派なこと」だからです。だから、赤穂浪士が討ち入った後は全国の藩が「浪士はウチで引き取らせてほしい」と申し出たのです。
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この回答へのお礼

詳しいご回答、どうもありがとうございました。
中々史実は計り知れないようですね。
確かに悪役に仕立てないと、正義の?討ち入りは成り立ちませんし、ワガママ藩主の為であれば、
命を捨てる気になんてなれないような気もします。
(無理やり、殿は悲劇の名君だったと思い込んだとか?)

お礼日時:2006/12/13 22:10

 質問者さんの親御さんの見解に賛成。


 吉良上野介は領民から名君と慕われていました。今でも地元ではそうです。
 吉良先生の指導振りを不親切(あるいは意地悪?)と感じた浅野生徒がブチキレタのが真相でしょうね。
 下のURLは赤穂事件のことをよく調べて書いていると思います。

>どうしてそこまで話が変わってしまったのですか?
 話を面白くするためです。歌舞伎、浄瑠璃、講談、映画で数多くの作品が作られていますが、みな次のように仕立てられています。
 吉良先生の度重なる陰湿なイジメに対し、我慢に我慢を重ねた浅野生徒も最後に堪忍袋の緒が切れて・・・という風にし、「金に汚く意地悪で醜悪な老人先生」VS「正義感にあふれた好青年の浅野生徒」という仕立てにして、受けを狙ったわけです。
 そして、艱難辛苦の末、忠臣の47士が主君の無念を晴らすということで、読者や観客の胸がすくことになります。
 これを浅野の殿様の方に問題があるような仕立て方にすると、47士の討ち入りの意味がスッキリしなくなります。読者や観客もなんだか後味が悪い感じになります。
 と、いうことで我慢に我慢を重ねた正義が、最後に勝つということにしたんだろうと思います。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E7%A6%84% …
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この回答へのお礼

47士の為に、というのは何だか面白いですね。
脚色激しいノンフィクションとして、面白くする為にというのは理解できましたが、
実際にいた47士にとっても、藩主が大したことのない人物だったら、命をかける張り合いも少なくなってしまいますよね。
どうもありがとうございました!

お礼日時:2006/12/13 22:04

忠臣蔵は当時のマスコミ(文楽や歌舞伎)が創作した美談ですね。

現在でも大新聞がでっちあげて罷り通っている嘘は沢山あり、ひっくり返すのは大変です。

なお、No. 2 の方が書かれているように、江戸城内での刃傷沙汰は数件ありましたが、浅野内匠頭以外は全部相手を討ち取っています(田沼意知は怪我が元での病死)。城内ですから武器は短刀で、内匠頭以外は全部刺して致命傷を負わせていますが、内匠頭だけは斬って失敗してます。
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この回答へのお礼

>浅野内匠頭以外は全部相手を討ち取っています
ちょっと情ないかもしれませんね。
よっぽど怒っていて、しくじったのかもしれませんが、討ち取っていたら無念も少なかったでしょうし、
藩士が討ち入り、切腹ということもなかったのかもしれないのですね。

ご回答、どうもありがとうございました!

お礼日時:2006/12/13 22:01

この事件を理解する上で、是非念頭に入れておくべきことがあります。

 それは徳川幕府を取り巻く幕藩体制です。 関東一円は徳川家の一族で固められてはいますが、関西以西は殆ど外様大名です。 

そこで、この外様大名にいろいろ仕事をいいつけて、勢力を削いだり、ミスを見つけて、お国替えや取り潰しと画策しています。 赤穂家が饗応役に任ぜられる前の年は津和野藩がその役目にありました。 石高僅か二万石の小さな藩に難題が言いつけられ、家臣が苦心惨憺したと聞いています。 

外様大名のミスに漬け込むのが幕府のやり方だったのです。 高家肝煎・吉良義央に難題を吹っかけるように時の老中である柳沢吉保から入れ知恵のひとつや二つはあったようです。 それが証拠に津和野藩にはその時の苦労話が、21世紀の今日まで語り伝えられているほどです。  

事実、柳沢吉保のあくどいやり方が批判の対象になり、次の六代将軍の時には新井白石が老中になり、統制を緩めています。 徳川家の親類縁者、家臣の石高を合わせても四分の一程度。 これを増やすには、外様大名を取り潰すしか他に手立てがなかったのです。 

この幕府対外様大名のせめぎ合いという図式で見ると、この『忠臣蔵』の面白さがより鮮明になって来ます。 だからこそ、庶民は浅野長矩と赤穂家の家臣に味方をしたのです。 吉良のお殿様が立派な人だというのは吉良義央の所領だけの話です。 自分のお殿様を悪くいう人はいないでしょう。 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
私の住まいは東京で、父方が東京、母が大阪なのですが、
二人とも質問文に書かせていただいたような認識で一致しています。
ドラマのイメージから、吉良上野介は悪役と言われがちなのかもしれませんが、
深いところでは違うのかも知れませんね。

詳しいご回答、どうもありがとうございました!

お礼日時:2006/12/13 21:58

実際のところ江戸城内で刃傷沙汰になったのはこれを含めて数件ありました. そのほとんどは「後日幕府から沙汰が下る」ということで決着しています. ところが, この場合には朝廷に対する接待役がやっちゃったもんだから幕府としてもあまりゆっくりすることができなかったわけです. つまり, ここで変にゆっくりすると「幕府の統治能力」が疑われるということになってしまいます. そこで, 非常に例外的な措置ですが浅野内匠頭に対しては即日「切腹+お家取り潰し」, 吉良上野介に対しては問題なしという決定が出ました.


これに対しては当時からも「厳しすぎるのではないか」という意見はありました. それに加えて大石内蔵助らが「主君の無念をはらす」という名目で吉良上野介を討ち取ったわけです. こうなっちゃえば「判官びいき」で「大石内蔵助 = 善」「吉良上野介 = 悪」という感情が起こるのも必然といえば必然.
本来これはやってはいけないこと (「仇討ち」ではない & 「公儀に反抗する行為である」) なんですが, 大石らが民衆の (ある意味の) 支持を得ていたため「主君の無念をはらした」ということで幕府も切腹を許さざるをえなかったりします.
ということで, 「異例に厳しい処分であったこと」と「主君の無念をはらす = 武士としてふさわしい行為とみなされた」ことが心の琴線にふれたんじゃないでしょうか.
あ, あと「取り潰し」になった理由の 1つとして「刃傷沙汰に及んだにもかかわらず殺せなかったというのは武士の体面をけがす」というのがあったとかなかったとか.
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この回答へのお礼

分かりやすいご回答、どうもありがとうございます。
単に相手が悪かったということもあるのですね。
最後の、刃傷沙汰でも殺せなかったというのは、確かに止める人がいたのかもしれませんが、
武士としては情けないかもしれませんね。

お礼日時:2006/12/13 21:55

君主絶対!というのが当時の風潮ですからね…


 忠臣蔵とは主君忠義・判官びいき物語「仮名手本忠臣蔵」であって史実ではありません。
 吉良上野介の「賄賂」は現代日本の賄賂とは性質が異なりますからねぇ。あくまでも歳暮程度の感覚でありますので。
 「一晩で全ての畳を替えろ」だの無理難題を押し付けられたと言っていますが、実は浅野内匠守は2度目の役儀だったんです。それを失敗してばかり…自分が吉良の立場であればどうでしょう?何度言っても分からないオバカちゃんですよ。
 江戸城松の廊下ですが接待役の立場にありながら刃傷沙汰ですよ。お家断絶ってのが分かってたというのに、現在で言う癇癪持ちヒステリーだったと言われています。例えるなら警視庁の中で課長に怒られた巡査長がブチ切れて拳銃で撃ち殺そうとしたようなものといえば分かりやすいでしょうか?
 浅野家は断絶、吉良は無罪と喧嘩両成敗の考えからすると内匠守に不利なように見えますが上例の場合、警視総監に罪はあるでしょうか?赤穂浪士にしたら主君の思いを遂げるという忠義はあるかもしれませんが…ちなみにウチの田舎では吉良上野介が「名君」とたたえられています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
赤穂の殿様はあまり有能な方ではなかったのでしょうか。
確かにお坊ちゃまのヒステリーのような気も…
やはり判官びいきという日本人の好みなのかもしれませんね。

お礼日時:2006/12/13 21:35

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