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死刑廃止論によくある意見の一つとして、死刑に犯罪抑止効果が無いという事が挙げられるのですが、そもそもどうして死刑に抑止力が無いといえるのですか?信頼できるデータがあるんでしょうか。私のような素人の考えでは、、もし死刑を廃止したとすると、人を殺す事がいけないという倫理そのものが希薄になり、また、死刑という重い刑罰を科せられないという事から、どんどん殺人が増えるのではないのかと心配してしまうのですが。また、そもそも罪も無い人を1人も2人も殺しておいて、死刑にならないのは、道徳的にもおかしい気がします。被害者だけ泣き寝入りして、加害者は社会復帰できる権利があるなんておかしくありませんか?死刑が殺人という一部の人権派弁護士がいますが、そもそも、悪人を罰するのは国家の任務であって、人を殺すという行為として人くくりにしてしまうのはあまりに暴論であると考えています。世論調査では、死刑賛成が80パーセントを超えていますし、素人は私のような思考の人間が大半です。でも、法律の専門家達が、死刑廃止を言うんでしょうから、おそらく私の考え方が間違いなのだと思います。納得できる形で正してもらえませんか?

A 回答 (23件中11~20件)

回答ではないのですが、私も死刑反対論に疑問を持っています。

反対論の論点は、

(1)冤罪の場合の取り返しがつかない
(2)憲法36条の「残虐な刑罰に当たる」
(3)死刑を恐れた容疑者が逃亡や自殺をする恐れがある
(4)死刑に犯罪抑止効果がない
(5)国家であっても人を殺すことは許されない
ということでしょうが、

(1)について、冤罪のリスクは死刑に限った話ではありません。
確かに、執行すれば取り返しがつかないのは死刑固有の問題ではありますが、少なくとも事実関係に争いがない場合は問題ないでしょう。

(2)について、「残虐」の定義次第なのでしょうが、一方、第31条で「何人も、法律の定める手続によらなければ、
その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」とあるので、憲法上の問題はありません。

(3)(4)について、これも死刑固有の問題ではありません。

(5)について、これは私は逆の見解を持っています。国家だからこそ人を殺すことが許される、言い換えると、
国家しか人を殺すことが許されない、と思っています。法治国家でないと、弱肉強食というか、結局腕力勝負になってしまいます。
「暴力をなくそう」というスローガンがありますが、この世から暴力がなくなるわけはなく、
正確には個々人が持っている暴力を国家に預けようということです。その暴力を行使する代表選手が軍隊と警察です。
国家の外に対し暴力でもって国家を守るのが軍隊、国家の内部の構成員(国民など)に対し暴力でもって
国家(法治国家というシステム)を守るのが警察(及び司法や行政)、そういうイメージです。なので、私からいわせると(5)は論外です。

ですので、反対論の多くは説得力がありません。
唯一(1)の「冤罪のリスク」が本当の論点のような気がします。
ただ、私見ですが、例え終身刑であっても、獄死後、冤罪が明らかになったら、取り返しがつかないのは同じだと思います。
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死刑大賛成です。


法が裁くのが「法治国家」です。
殺人の被害者は、感情からすれば自分の手で殺したいくらい憎いに違いありません。それを代わって行なうのが法律です。
死刑反対などと叫んでいる人は、被害者感情を全く無視した考えです。
死刑反対論者が自分の肉親などを殺されたら「死刑反対」などと言っていないでしょうね。
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既に多くの回答が寄せられているところですが…



私自身は死刑廃止には消極的、という考えですが、
一方で死刑反対を訴える人の意見のほうが説得的だとも思っています。

私自身が死刑廃止したくないと思うのは
「どうしようもない奴ってのはいるもんだよ」
という極めて感情的な理由で、理のかけらもないものです…

>もし死刑を廃止したとすると、人を殺す事がいけないという倫理そのものが希薄になり
>死刑という重い刑罰を科せられないという事から、どんどん殺人が増えるのではないのかと心配してしまうのですが。

この2点については、
・実際にそうはなっていない
・殺人者の多くは「死刑になるかならないか」で行動を変えたりしない
という反論があります。(既にある回答のとおりですね)

比較的最近死刑を廃止した(しかも日本と同じく世論は死刑賛成が多数派だったにも関わらずそれを押し切った)フランスや、一度廃止した死刑を復活させたけどすぐ再廃止したフィリピンなどは、いいケーススタディになるかもしれません。

ちなみに欧州の多くの国は死刑・終身刑のいずれもありません。

>被害者だけ泣き寝入りして、加害者は社会復帰できる権利があるなんておかしくありませんか?

「被害者が死んでしまったのだから、加害者も社会に戻すべきでない」
という同害報復的な考え方は、まあ前近代的といえますし、
実際、平和には程遠い社会しか生み出せていない、という事実もあるので(パレスチナやイラクがそうですね)、
この論理から死刑の妥当性を導くのは、まず理性的な意見にはなり得ないです。

死刑賛成派は本来、強い立場にいるはずなのに
(何しろ日本は法制上死刑を認めているし、合憲の判例もある)
理詰めの議論になるととたんに弱い立場になってしまうこと自体、
死刑という刑罰は本質的に危ういものとは感じています。

…ですけど「感情的な理由で」死刑廃止にはためらうのが今の私です…
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別に質問者さんの考え方が間違いということは全くないですが、論旨展開の根っこにあるべき基本知識があやふやなため、不安になっているだけかと思います。



まずいわゆる抑止効果はそんな主流な意見ではありません。そもそも統計学的に信頼性の高い数字が出せるようなものではないからです。
・近代国家では死刑に値するような凶悪犯罪が少ない
・抑止効果があるとする論文も抑止効果が無いという論文も同じぐらい存在して、同じように批判されています。
そもそも犯罪発生率は複雑な因子がからみあってることぐらいは素人でもすぐに理解できますよね。例えば治安、あるいは経済や失業問題、そういった因子の方がより強い影響を与えているだろうことぐらいは容易に想像がつきます。そこに果たして死刑効果がプラスになっているかマイナスになっているかなんて、壮大な実験でもしない限りは検出できません。

ということですので、まともな反対論者なら抑止効果についてはそもそも検出不可能なものだからとか、例えあったとしても憲法判断がされた時代の思惑とは大分ずれてきているとかそういう視点からの解釈がされています。
もし感情論でしか語れないような人向けに反論したいということであれば、感情論には感情論で立ち向かうしかありません。つまり相手の感情を理解する必要はありません。

質問者さんの論旨にはその他細かい穴が多数あるのですが、参考URLで論破されていることも多数あるので熟読されてみてください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E5%88%91% …
一例をあげときますが
・死刑賛成80%についてはそもそも設問が「積極的廃止」と「消極的賛成」の二択になっていたということ。
・法律の専門家と一口に言っても弁護士と検事では見解が変わる。

他には道徳的や国家の任務というような観点から語るのであれば刑法学の歴史でも読めば納得度があがると思います。これは死刑反対論者になるという意味ではなく、反対論者の言っている理屈が理解できるようになるということです。
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>被害者だけ泣き寝入りして、加害者は社会復帰できる権利があるなんておかしくありませんか?



同感です。私は最高裁判所にこの責任があると考えています。最高裁判所が、被害者感情や、被害者またはその家族の受けた人権侵害を全く無視して、加害者の人権尊重を重視する風潮を生んだ根源と考えます。

法律の解釈はゴムひもみたいに伸び縮みするものと最近何かで読んだことがあります。今の裁判所は、民意というか、市民感情というか、これらとかけ離れてていて、憲法で保証された人間の尊厳、人格の平等すら一般市民、特に犯罪被害者に対して無視されている印象ですよね。

加害者、犯罪者の権利のためにゴムひもを精一杯伸ばすのは最高裁判事の自由最良でしょうが、これによって受けた被害者の屈辱、人権侵害を無視しているなら、最高裁は要らないという暴論すら生まれかねないでしょう。法治国家が危機に晒されている事態かもしれません。

1人殺しても死刑にしない、2以上殺したら死刑にするみたいな最高裁判例ができているみたいで、親が子供を殺す、子が親を殺す、夫が妻を殺す、妻が夫を殺す・・・こういったニュースが、いやと言うほどありますよね。おかしな世の中です。父親、母親は一人しか居ませんし、夫、妻も同様です。兄弟も同様でしょう。ならば、この人一人殺しても死刑にはならない、刑務に服すれば14、15年で出所できるらしい・・・なら、一時の激高で思わぬ犯罪事件になるのも道理でしょう。


>死刑賛成が80パーセントを超えていますし、素人は私のような思考の人間が大半です。でも、法律の専門家達が、死刑廃止を言うんでしょうから、おそらく私の考え方が間違いなのだと思います。納得できる形で正してもらえませんか?

最高裁判所の判事は国民審査でチェックを受けているというのが口実に使われています。私は質問者の意見に賛成ですから選挙の時には、申し訳ないと思いつつ、全員Xをつけています。どの最高裁裁判官がXか判断不能だからです。

この制度は実はおかしくて、○を付けたら信任、何も無ければ不信任、過半数の○が無ければ解任とする方法もあると思います(極論です。)

こうすれば、最高裁判事がどんどん交代して、民意がより反映しやすくなるでしょう。(余程の民意に沿った判決残さない限り、任期で退官という意味です。)
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私は特に死刑反対派ではありませんが(といって賛成派でもなくどうでもいいというスタンスです)、死刑の持つ問題点という事については思っている事があります。


問題点は二つあると思います。

(1)殺人を法的に認めてよいのか?
殺人が法で禁止されているからこそ犯人は捕まったわけですが、その犯人を今度は法によって殺すという所に、矛盾は感じないでしょうか?
「法が許せば殺人もOK」という現在の死刑制度は、「生きる」という国民の持ちうる中で一番基本的で最低限の人権よりも国家の法が優先するという事を言っているとも言えます。
つまり、義務と権利の関係性の問題です。
たとえば、現在の日本では「納税という義務を果たしていない国民にも選挙権という権利は与えられるべき」という考えが一般的ですが、この話の中では「権利>義務」となっています。
これが、死刑制度においては違ってくるのです。
死刑制度では「死ななければいけないという義務>生きるという最低限の権利」という風になっています。
ここに、国家という権力の暴力的な一面を見て、疑問を持ったり、不安になったりする人がいるのだと思います。


(2)法はなんのためにあるのか?
まず最初に言えることは、法は国民全てのためのものであり、「一個人の復讐を代行するためのシステム」ではないという事です。つまり、現在の死刑制度も「復讐」のためにあるわけでは決してないはずです。
しかし、その一方で、再犯の可能性のある凶悪な犯人の場合、その再犯だけは絶対に防がなければいけません。
ここで考えられる選択肢は二つです。終身刑か死刑です。
(犯罪抑止力については後述するのでそれを除いて考えれば)社会からしてみれば、どちらをチョイスしようが同じなはずです。
そして、ここでよく出てくる論調は、「死刑に値するような人間を税金で一生食わせてやるというのはおかしい」というものです。
つまり、「国の財源>生きるという最低限の権利」という図式です。
この論調は、修正資本主義社会に見られる高度な社会保障制度に対して不満を持つ富裕者の理論と全く似通っています。ここに、社会保障(社会の修正主義的な面)を切り捨ててしまう事に対する、疑問や不安を感じる人がいるわけです。

(3)犯罪の抑止力としての死刑について
正直、こればっかりは分かりません。
ただ、アメリカでは、死刑のある州よりも、ない州のほうが、凶悪犯罪の発生率が低いというのは事実のようです。
ただこれも「元々犯罪発生率が低い州しか死刑を廃止していない」だけかもしれず、結局のところは、よく分かりません。

これについては、個人的には、50年くらい死刑を廃止して終身刑を導入し、犯罪発生率の統計をとってみて、50年後にまた死刑の賛否を考えるというのも悪くないかなとは思っています。

まあ、死刑があろうがなかろうが、たいして生活には関係ないので、どうでもいいというのが私の本心ですが…。

以上です。長くなってしまいましたが、理解の助けになれば幸いです。
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以前死刑制度についてのちょっとしたレポートを書いたことがあり、そのときに読んだ本に少し書いてあって、それなりになるほどなと思ったので書きたいと思います(そこまで専門的にやったわけではないので的はずれかもしれませんが;)。


現在死刑を廃止している国で、死刑廃止前と死刑廃止後とでの凶悪犯罪の発生率を調べたところ、数値に大きな違いはなかったとのことです。そもそも死刑判決が出されるような事件について言えば、突発的にせよ計画的にせよ、自分が捕まった後のことは考えないようです。仮に、気に入らない人を殺そうと思い、綿密に計画を練って実行に移す時に、「でもこの人を殺したら死刑になるかもしれない」などと考えて実行をやめる人はあまりいないそうです。逆に、何かの拍子で突発的に人を殺してしまってパニックになったとき、もしも死刑があったとすると、「自分は人を殺してしまった。捕まったらきっと死刑だ。どうせ捕まって死刑になるならばどうにでもなれ!」と考えて更なる犯行に及ぶが、死刑がなければ、「捕まっても死刑はない。自分の命は保障されている。それならば素直に自首しよう」となるのだそうです。あくまでこれは死刑廃止論者の主張なので、私はこううまくはいかないと思いますが、犯人が素直に自首すれば更なる被害者は生まれない。という考えがあるようです。

しかし、死刑廃止をした国は、代替刑として、終身刑や長期懲役がありますが、これはある種死刑よりも残酷な刑罰だという主張もあります。どんな生活をしようと、もう自分は刑務所から出ることはない。これは、受刑者の生きる目的すら奪ってしまい、残酷だという意見です。事実、終身刑を採用している国の刑務所での終身刑を言い渡された受刑者の多くが、死刑を望んでいるそうです。

死刑制度については、法律の専門家の間でも意見が割れているくらいですので、質問者さんの考えが間違っているというわけではないと思います。同じ法律のプロでも、弁護士の多くは死刑制度には反対という意見が多いのに対し、検察官のほとんどは死刑制度に賛成しているくらいですので、まだまだ議論は尽きないと思います。死刑制度廃止を唱えていた弁護士が、家族を惨殺されて以来、死刑賛成派になったこともあるくらいです。どちらが正しいかも一概には言えませんね;

参考になるか分かりませんが、アムネスティ・インターナショナルのHPを載せておきます。

参考URL:http://homepage2.nifty.com/shihai/
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。そうなんですか。実際に死刑廃止前廃止後のデータから、犯罪率に変化が無いという裏付けがあるのでは、やはり死刑そのものの抑止力は、無いと結論付けるのも論理的に正しいのかもしれませんね。今の日本にはやはり終身刑が必要かもしれませんね。死刑反対派でも、終身刑を積極的に導入しようという意見であれば、まだ理解できるかもしれないです。その弁護士の例からみても、やはりこういう問題は、専門家であっても、感情が絡んでくるものなんですね。 

お礼日時:2006/12/21 02:20

死刑廃止論の論点は



・冤罪の場合の取り返しがつかない
・憲法36条「残虐な刑罰にあたるか」
・死刑を恐れた容疑者が逃亡や自殺をする恐れがある

などがあります。また、1人2人で死刑となると、「1人殺したら何人殺しても同じ」と考え、被害者の増大につながる恐れがあるという見方があります。よって、1人では重くて無期くらいです。少し前では殺人で死刑になる目安が3人くらいでしたが、最近は刑罰が厳罰化してきています。(少し前まで殺人で死刑になる目安は3人で可能性ありといわれていましたが、最近は2人でも死刑判決が出る例が出てきています)

ある犯罪があった場合、犯罪者自身の処遇のほかになぜその被疑者がそのような行為を行ったのか、背景には何があるのかということを究明する必要性も生じます。オウム事件のように1つの事件に関わっている人数が多ければ他の人の裁判にも影響が出ます。本人が死亡してしまうと究明ができない、という問題点があります。また、ごく稀に冤罪ということもあります。その場合、取り返しのつかないことになります。反論としては、自由刑(懲役や禁固のこと)でも人生の一部が失われるので、その点を考えれば同じことが言えるのではないか、という点です。

憲法では「残虐な刑罰」を禁止しています。「死」が残虐にあたるかあたらないかというのが論点です。当然、反対派としては残虐にあたるという考え、賛成派は「残虐」とは「いわゆる拷問」と解釈し、死は残虐に当たらないという解釈がなされています

広い意味の法律家の中にも賛成派・反対派という意見が分かれているので、どちらが正しいかは解決されていません。考え方をみると大体見当はつくと思いますが、学者や弁護士は死刑反対が多く、検事や警察官には賛成が多いと言われています。

世論では、感情として「悪いやつは殺してしまえ」と動いていると思います。被害者や遺族の感情を思えば当然のことです。未決拘留や死刑囚のままでいればそれだけその被告や死刑囚に対して多くの税金が支払われることになりますから。

加害者の社会復帰に関して「終身刑」という案も出てきています。
日本では死刑の次は無期刑でその差がありすぎるという点です。これに関しても議論がいろいろあります。犯罪者を税金を使ってわざわざ生かしておく事に関する批判など。賛成としては一生出られない上に死ぬこともできない精神的苦痛を味わう、など。

これに関しては正しいとも間違っているともないので、詳しく調べてみれば納得がいくと思います。死刑廃止論側の意見を聞いて納得がいかなければ存続論を支持すればいいと思いますし、納得がいけば廃止論を支持すればいいと思います。

法律家が言っているから正しいとか、あなたの意見が間違っているということはないともいます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。なるほど。色んな見方があるもんなのですね。
1人殺しても絶対死刑なら、何人でも殺してしまえ。という出方は確かに起こりえそうですね。「残虐な行為」っていうのも、感じ方の問題で、明確に定義するのが困難に思えますね。弁護士には、悪意を持っているのかと思うほど、恣意的な死刑反対派=人権派がいますね。ああいうのは世論に逆行して、かえって死刑賛成者を増やすだけかと思うんですが。法律家でも万能でない事が分かりました。両方の意見の色んな書物を参考にして、勉強してみたいです。

お礼日時:2006/12/21 02:15

 難しい問題ですね。


 私も死刑賛成派ですが、そもそもこの問題に答えなどないと私は思います。要は法律を決める人の考え方次第なのだと思います。法律を決める人には、質問者さんのように考える人・殺人者の人権を優先する人、死刑に抑止力はないと考える人。人がたくさんいれば考え方もたくさんでてくるものです。その意見の中から多数の同意を得られるものが法律になっていくのではないでしょうか。
 ちょっと話はそれますが道路交通法改正で飲酒運転の罪が重くなりましたよね?あれは、飲酒運転により度重なる酷い事故が起きたと報道されたことにより、世間の飲酒運転に対する目が厳しくなり、罪も重くなったと思います。
 専門家さんが死刑廃止を言おうが、多くの人を納得させられなければただの戯言にすぎません。最初にも言いましたが、この問題に間違いありません。多くの人の賛同を得られない限り死刑は廃止されないでしょう。現在の日本では廃止は難しいと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。そうですね。そもそも、法律自体、それが妥当なものかどうかは疑わしいものがありますよね。そして、世論や時勢によって、人々の罪の認識が流動する事も、経験から分かりますね。やはり人間には感情があるのですから、あまり固定的な思想、原理、主義に縛られず、人間的な感覚を持って、法律家に判断してもらいたいですよね。私も、今の世論では、死刑反対派が過半数を超える事はないかなと思っています。犯罪をゲームのように楽しんでる人間のように、世の中には生かしておく事自体が許しがたい人間がいるものですから。

お礼日時:2006/12/21 02:08

気にしないでください、私にも理解不能ですから。


そもそも極刑に抑止効果がなければ、他の刑罰に抑止効果などありません。無期懲役といっても、娑婆に出てくる手段はいくらでもあります。それならば、凶悪犯罪者が二度と社会に出てこないように抹殺する抑止策が必要です。被害者の感情から言っても、死刑が存在する合理性は十分にあると思います。

保護されるのは加害者の人権などではなく、被害者の人権です。日本は犯罪者に甘すぎます。凶悪犯罪者の人権は制限されて然るべきです。ことに大量殺人者、性犯罪者の人権などは。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。賛成派の人がやはり多いんですね。そうですね。凶悪犯の人権だの言う前に、罪の無い人が危険に晒されずに生きられるような安全な社会を作るほうが先決だと思います。せめて終身刑ぐらい作ればいいのにと思います。無期懲役者がどうして10年やそこらで出てこれるんでしょう。また、日本の刑罰の甘さをいい事に、外国から悪人が押し寄せて、犯罪をしないと言い切れるんでしょうかね。考えれば考えるほど、死刑にはメリットよりデメリットの方がはるかに多いと思えてしまいます。どうも、死刑廃止派の人達というのは、「死刑は殺人だから」とか、「人権」だとか、一定の価値観を絶対視して、何の罪もなく暮らしている人々の権利を軽視しているように思えます。一種の思想や宗教とでもいいましょうか。

お礼日時:2006/12/21 02:04

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